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錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術  作者: 鷲生 智美
第一部 女武人、翠令の宮仕え

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二十 翠令、騎射を拝見する

5月14日現在「カクヨム」にて「三十四 白狼、竹の宮に出立する」まで公開中です。https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393

 四条からさらに南に下っているうち、だんだんと板葺きや草葺きの小さな家が目につくようになってきた。


 庶民の暮らしはどこでも変わらない。錦濤の街と似たような風景を見ると翠令はほっとしたものを感じる。


 市には老若男女が集まっていた。

 

 空は快晴。初夏を思わせる太陽が高々と天蓋の頂き近くに昇り、陽光が燦燦さんさんと降り注ぐ。店の軒先が濃い影を作る中、様々な身なりの人々が行き交うが、中でもとりわけ女達の色とりどりのうちきが目に鮮やかだ。


 佳卓たち三人は馬を降りて徒歩で市を見て回る。

 姫宮の御手を佳卓がしっかり握り、その後ろに翠令が続いて御身の安全を図っていた。


 佳卓が雑踏に姿を現すと、黄色い声が飛んでくる。


「きゃあ、近衛大将様だわ!」


「美男子よねえ~」


「こちらをご覧になって!」


 佳卓が自分に掛けられた声の方向に如才なく笑みを向ける。その分姫宮から注意が逸れないかと翠令はひやりとしたが、姫宮が離れそうになるとくいっと手に力を入れて近くに引き寄せるのだから、抜かりなく気を配っているらしい。


 だが、そう翠令が思った次の瞬間、佳卓は「頼む」と短い一言を翠令に残して姫宮の手を放した。そして、肩で人をかき分けながら人ごみの中に飛び込んでいく。翠令は慌てて姫宮の肩を抱いてしゃがみ込んだ。


 人垣の奥で、佳卓が貧相な男の腕をねじり上げる。


「な、なにすんだよう」


「お前こそ何をした。さあ、先ほど女君の懐からすり取ったものを返すんだ」


「ひっ……」


 男は青ざめた顔で何も言わずに自分の懐から巾着袋を差し出した。


 翠令が「《《すり》》か……」と息を吐くと、姫宮がにこりとお笑いになる。


「捕まえたのは佳卓のお手柄ね」


「ええ、本当に……」


 一体佳卓様にはいくつ目が付いているのかと思う。姫宮の護衛、女達の相手、すりの捕縛……一度にさらりとやってのけるとは。


 きゃっ、と悲鳴が上がった。すりの男が人込みをかき分けて逃げて行ったのだ。押されて転んだ童子姿の男の子がしりもちをついている。


 姫宮が肩に置かれた翠令の手から抜け出し、その童子に駆け寄った。


「大丈夫?」


「え……ああ、うん 」 


 姫宮は童子についた土埃をぱんぱんとはたいて落とそうとなさる。姫宮が庭で転ぶと翠令達がして差し上げるのと同じように。

 ご自分が世話をされる一方なので、同じくらいの齢の子どもを相手にやってみたいとお思いなのだろう。


 童子は姫宮に礼を言って立ち上がった。


「大丈夫だ、ありがとうよ。見たことねえ顔だな。上等な装束だからきっといい所に勤めているんだろうけど」


 その童子は佳卓を見あげた。


「近衛大将と一緒だから左大臣家の女童かな?」


 翠令は童子の姿に少し違和感を覚えた。


 ──まるで若い女のようだ……


 全体に線が細い。女との体格差がほとんどない。


 そう考えて、翠令は自分に苦笑いをした。ずっと武人として生きて来て自分の感覚がずれてしまっているらしい。特に鍛錬もしていない普通の少年なら体格はこんなものでもおかしくない。


 御所の中にも、貴族の子弟が殿上童として出仕しているし、庭の下で粗末な水干姿で雑用に動き回る童子もいる。彼らだって、こんな感じの身体つきだ。


 そのひょろりとした少年は、子どもなりに、自分への好意に報いたいと思ったようだった。腰に下げていた袋から、三つの揚げ菓子を取り出し、姫宮に差し出す。


「これ、やるよ、女の子はこういうの好きだろ?」


 おやおや、と佳卓がその童子の側にしゃがみ込んだ。


「愛くるしい女童に上手いこと声を掛けるね」


 童子は少し顔を赤らめたが、口を尖らせた。


「女の子に心配されたんだ。嬉しかったから菓子をやる。ほら、連れの分も」


 佳卓は懐から銭を出した。


「近衛大将ともあろう私が民から物を巻き上げるわけにはいかないよ。ここには買い物に来たんだから、お前から買わせてもらう」


「でも……」


「それと、頼みを一つ聞いて欲しいのでね。その駄賃だ」


「頼み? なに?」


 佳卓は翠令を目で指し示した。


「私が美しい女君と連れ立って歩いていたことはどうか内緒に。都の他の女君達が悲しむからね」


「へっ。自惚れてらあ」


「これでも私は女君達の注目の的だからね。いつの間にやら隠し妻に隠し子がいるなどと風評が立っては困るんだ。今日、ここに美しい女君と愛くるしい女童とを連れて来たことをあまり他所では言わないでくれよ」


 童子は笑って「わかった」と頷き、佳卓から代価を受け取ると、菓子を姫宮に握らせた。


「固くなる前に食えよ。あっちに座るところがあるから」


 姫宮がくすぐったそうにお答えになった。


「うん、そうする。ありがとう」


 簡単な腰掛のあるところで姫宮は菓子をお召し上がりになる。翠令も隣に座り、佳卓は立ったままでほおばっている。


 姫宮がふふと丸い頬を綻ばせておっしゃった。


「なんだか普通の女の子になったみたい」


 本当にそうだと翠令は目を細めた。十歳の少女らしく無邪気であどけない自然なご様子で寛いでおられる。だから、姫宮が手に付いた菓子の欠片を舌で舐めとるのも、今は「お行儀悪い」などと野暮なことは申し上げるまい。


 お腹が膨れた三人は市をぶらぶらそぞろ歩く。間口の小さな店舗がそれぞれに専門とする品を売っている。米、塩、針、魚、油、櫛……。


 櫛の店で足を止めた姫宮に合わせ、佳卓もいくつか手に取り「翠令に買ってあげよう」と口にしたが、翠令は丁重に断った。彼女は髪を梳く道具に対して特に思い入れはない。


 佳卓が少しがっかりした顔で尋ねる。


「錦濤ではどうしていたのかね。こういった品物を買う楽しみはなかったのかい?」


「櫛など……。誰かから使わなくなったものを貰えば済みますし……。その誰かがどこかで入手するのでしょうが、このような市は錦濤になかったように思います」


 姫宮も大人二人の会話に加わられる。


「うん。京の市は可愛らしいお店が多いのね」


「可愛らしい?」


 翠令が説明した。


「錦濤では商船から降ろされた積み荷単位で取引しますから。このように生活で使う細々した道具が小さな店で商われている市というのは見かけませんでした。姫宮の日用品は、それこそ京のこの市で買い整えて錦濤の邸宅に送られたりしていたのではないでしょうか……おそらく」


「へえ……。私は錦濤に行ったことがないが、都とも東国とも違う暮らしぶりのようだね」


 姫宮が頑是ない幼子のように、佳卓の手を取って揺すられた。


「いつか佳卓も行きましょう? 今みたいに翠令と三人で!」


 佳卓は笑って頷いた。


 市の東に戻り、そして再び馬に乗る。そしてさらに東に直進して都の羅城の外、鴨川の河原に出た。


「さあ、ここから川沿いを北に馬を走らせますから。しっかり捕まっておいでなさい」


 佳卓はそう言うと馬の腹を蹴った。姫宮の艶やかな髪を後ろにそよがせながら馬が走る。翠令も慌てて後を追った。


 横に並ぶと、姫宮が頬を赤く染めてはしゃいでおられるのが見えた。きゃあきゃあと叫びとも笑い声ともつかぬ子どもらしい歓声を上げていらっしゃる。錦濤の街を翠令と二人で歩き回ったことはあっても、このように馬にお乗せして走らせたことはなかった。姫宮にとっては初めてのご体験だ。


「速い……! ……速いわ! ……風になった……みたいよ!」


 走る馬の背に揺られて途切れ途切れだけど、姫宮はその言葉を大声で口に出したいとお思いなのだろう。弾むお声、はじける笑顔。輝くほど生き生きとしたそのご様子が翠令にも嬉しい。


「さあ、着きましたよ」


 神域の森に差し掛かると、佳卓は馬を一度止め、そして歩調を整えてから馬場に向かう。


「ああ、楽しかった。馬ってこんなに速く走れるのね。勢いが凄くて、耳の傍で風がびゅんびゅん鳴って、景色がどんどん後ろに流れて……。本当に楽しかった!」


「それはよろしゅうございました。ですが、これでも姫宮をお乗せしているので、まだ最速では駆けさせていないのですよ」


「そうなの?」


「この馬がいかに駿馬か、これからお見せ致しましょう」


 馬場には近衛の舎人が数人いた。馬を一度下りて姫宮を抱き下ろした佳卓が彼らに問う。


「準備はできているかね?」


「的は三カ所。馬場の西に整えてございます」


 佳卓は彼らから矢 筒と弓を受け取り、姫宮に申し上げる。


「今から私が馬を全速力で走らせながら、走路にある三つの的を射抜きます。騎射というものです。馬場の真ん中あたりに座るところを設けておりますから、どうかご照覧あれ」


「そんなことができるの?」


 佳卓は自信たっぷりに頷く。翠令も尋ねて見ずにいられない。


「三つとも、全てですか?」


 彼はこともなげに答えた。


「まあ、外すことなどめったに無いね。少なくとも自分で思い出せる限りでは、無い」


「……」


 佳卓は馬上の人となって馬場の南端に向かい、姫宮と翠令は、武人に案内されて馬場の中央に用意されていた床几に腰を下ろした。


 佳卓が手持ちの衣装の中で最も派手な梔子色の狩衣を選んで着たのは、姫宮とはぐれないようにするためだと聞いたが、生い茂る木々の緑と木漏れ日の中で、その黄金にも見える色がよく映えている。


「……!」


 傍にいた舎人が何事かを佳卓に向かって叫んだ。一町ほど離れた先で、佳卓が片手を上げて応じた。馬場に緊張が満ちる。


 佳卓が馬に鞭を入れた。馬が疾走を始める。翠令が今まで一度も見たことのない、地面に襲い掛かるかのような勢いで。


 どっどっどっと低く蹄の音を轟かせて、人馬が一体となって見る見るうちに距離を詰めてくる。翠令達は馬場のすぐそばに腰かけているのだから、その騎馬に蹴散らされそうな緊迫感を恐ろしいほどに感じる。


 すいっと馬上の佳卓が身を起こした。翠令達と反対側に立つ的に向かって顔を向ける。そして、流れるような仕草で背筋を伸ばすや肘を引きながら下ろした。


 あ、と翠令が思った瞬間。カーンと澄み渡った音が森の中に響く。


 そして馬は速度を緩めることなく翠令の目の前を駆け抜ける。


 その迫力に息を呑む間もなく、馬上の佳卓は再びすっと身を起こし、弓を引く。翠令の視界で梔子色の袖が翻ったと同時にまたカーンと澄んだ音がし、そして緑の森の中に白木の的が砕けて散る様が見えた。


 馬は走る、全速力で。

 その遠ざかる馬の背から三度佳卓は舞を舞うかのような優雅な所作で矢をつがえ、的を射抜き、そして砕ける的の映像とカーンという音の残響が翠令に届く。


 馬場の端で佳卓は馬の手綱を引いて走るのを止めさせていた。そして自分の走ってきた馬場を戻るために向きをかえ、自分が射抜いた的を確かめるように馬を歩かせて翠令達の方に近寄ってくる。


 馬場を見る佳卓は翠令から見て斜めに視線を向けていた。

 その姿を見て、翠令の背にぞくりとしたものが駆けあがった。

 端正な顔立ちが、今は冴え冴えとした美貌と感じられる。冷静な表情に戻っていても、弓を射る緊張と昂ぶりの余韻のためか彼の瞳は妖しいほどに光り、その全身から立ち上る気配は森の木陰に青白い鬼火が揺らめいているようだ。この世ならざる迫力……。


 ──その為人、鬼神のごとし。


 遠く錦濤に聞こえて来たその噂。そう、山崎津でも思った。この方は尋常ではない。的に向けているその視線を自分が受けたなら、自分の何かが砕かれてしまいそうだ。


「翠令?」


 しかし、その声と共に彼が翠令に顔を向けた時には、彼はいつもの食えない上官の顔をつくっていた。


「どうしたね? 私の美技に言葉もでない?」


 ごくりと唾をのみ、さらに喉の奥をほぐすだめに軽く咳払いをしてからようやく彼女は言葉を発することができた。


「まことに……お見事でございました……美しい、とても美しいものを見せていただきました……」


 姫宮も「すごーい!」と手を叩きながらおっしゃる。そして、近衛が足元に置いていた彼の弓を、何気なく手に取られた。


「こうやって、弓を引いて。カッコいいわね! 私もやってみる!」


 見よう見まねで弓を引く姫宮に注意しようと翠令が思った時、先に佳卓が声を上げた。


「危ない!」


 佳卓は馬に一蹴り入れて姫宮の側まで走り寄り、まだ動いている馬から素早く滑り降りる。


 そして姫宮の御手から乱暴なほどの勢いで弓を取り上げた。姫宮はただ、ぽかんと佳卓を見上げていらっしゃる。


「……あの……」


 傍にいた近衛舎人が頭を下げて詫びた。


「佳卓様、申し訳ありません」


 佳卓は厳しい顔を姫宮に向けた。


「いや。これは姫宮がお悪い」


 姫宮は言葉を失って立ち尽くす。山崎津で一瞬怯まれたのと同じだ。佳卓の真剣な視線はそれほどの圧がある。


 助けを求めるように、翠令をご覧になったが、翠令もまた首を振った。


「武具は危ないからお触りになりますな。錦濤でも申し上げて参りましたでしょう?」


「ちょっと引いて見ただけ……」


「それでも弦が弾くと痛い思いをなされます」


 佳卓が姫宮の目線に片膝をついて屈んだ。


「それだけではありません。これは人を殺める道具なのですよ。子供が玩具扱いしてよいものではありません。お分かりか?」


「……」


「的が砕けるのをご覧になったでしょう。戦場にあって弓は人の頭を砕く、あのように……」


「佳卓様!」


 翠令は佳卓の側に両膝をついて咎めた。


「それは……。その言いようはあまりに生々しい……」


 姫宮の顔が強張っている。相手は十歳の少女、戦場とは無縁のお育ちだ。いくら翠令が錦濤の私邸で賊の身体を斬っている場面は見たことがおありでも、人の頭が砕かれることなど今まで想像だにされていない。同じ血生臭い光景でも残虐さの度合いが違うだろう。


 佳卓は硬い表情を崩さない。


「本格的な戦ではそのようなこともある」


 姫宮が恐る恐るお尋ねになる。


「……佳卓も……佳卓もそうしたことがあるの……?」


 その問いかけを、佳卓は苦し気な顔で肯定した。


「朝廷の命でございますれば」


「それは……帝の……命じたこと……?」


 姫宮の顔から血の気が引いている。翠令も姫宮のそばにしゃがんでその背中から抱きかかえて差し上げた。そして、「佳卓様……」と相手を見た。


 確かにこの世には凄惨な死がある。そしてそれが帝の命であれば、最終的には帝の責であろう。いずれ御位に就かれる方ならいつかは知らなければならないことだ。

だが、まだ十歳の少女には早すぎる。もう、このような話題はこれくらいで切り上げて欲しい。


 しかし、佳卓はむしろ念を押した。


「姫宮は東宮でいらっしゃる。朝廷の中枢での決定は民の命にかかわるもの。決してお忘れになりますな」


 姫宮はけなげにお答えなさった。


「うん……。はい、分かりました。きっときっと忘れないようにします」


 佳卓は姫宮に床几にお座りになるように促した。


「実は姫宮にはもう一つお話したいことがございました。お聞き下さるか」


 翠令が眉を顰めて佳卓に咎めるような視線を送った。


「何を……」


「こうして都を実際にご覧になった後、宮中に戻る前に、姫宮に是非ともお伝えしたいことがある」


 改まって話そうとするのだから、少女の耳に快い軽い話ではあるまい。


「佳卓様、あまり厳しいことをお耳に入れては……」


 ううん、と姫宮が翠令を制される。


「聞いておかなきゃ。きっと大切なことなのでしょう? 話してちょうだい」


続きの「」二十一 翠令、甘えられる」をカクヨムで投稿しています。https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393/episodes/16816927860834210024

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