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もし本当に

作者: 縞々杜々


 小学生だろうか、一人の少女がずんずんと大股で歩いていく。両腕を振って規則正しく、ずんずん道をたどっていく。それに合わせて丸っこいショートカットがふわふわと揺れた。

 少女の大きな瞳がじわりと潤む。手の甲で目元を拭うとずびっと鼻をすすった。


 自分は何も悪くない。全部、全部、弟が悪いのだ。

 なのに、みんなみんな弟の味方をする。

 お姉ちゃんなんだからガマンしなさい。弟には優しくしてあげなさい。

 みんな、同じことを言う。

 ガマンしてるのに。優しくしてるのに。

 自分はお姉ちゃんだし、素直に弟のことは可愛いから。ちゃんとガマンしているのに。

 でも、今日は許せなかった。

 大人にとってどうでもいいことでも、自分にとっては大事なことなのだ。どんなに弟が可愛いくたって、譲れないことだってあるのだ。

 全面的に弟が悪い。自分は悪くない。


 またじわりと涙があふれてくる。少女は今度は両手で涙を拭った。


「……あれ?」


 ぴたりと足を止める。目の前は民家が並ぶいたって普通の町並み。少女は慌てて辺りを見回した。

 家、家、家、田んぼ、道、家、家、道。どこにでもある風景、けれど見覚えのない場所。


「……うそ。」


 迷子になった。


 ***


 少女は父方の祖父母の家に遊びに来ていた。

 弟を連れて家の周りを走り回ったり、近くの広場まで行ったりすることはよくあった。でも、一人で遠くに来たことは今までなかった。ここら辺の地図は全く頭に入っていない。

 その状態で周りをろくに見ずにずかずか歩いて来たものだから、自分が祖父の家からどれくらい離れてしまったのかも分からない。


 空高く昇った太陽が、じりじりと少女の頭を焦がす。さっきまでは気にならなかったはずなのに、急に暑くなった気がした。

 そういえば、弟に「バカっ! だいっきらいっ!」と浴びせて家を飛び出して来たものだから、帽子を被っていなかった。

 あつい。

 どこからか聞こえてくるセミの声になんだか苛立った。


 とにかく、自分は確か真っ直ぐに歩いていたはずだ。

 少女は来た道、であるはずの道を戻ることにした。今度は周りに目を巡らせながら慎重に歩を進める。赤茶色の瓦屋根。ポスト。電柱。表札。灰色のブロック塀。どこにでもあるようなものばかり目について、余計に頭がこんがらかってくる。


 目をぐるぐる回しながら歩き続けて、いくらか経った頃、少女はまたぴたりと足を止めた。

 なんと、道がT字に分かれている。

 そんなはずはない。自分は行きに右にも左にも曲がった覚えはない。

 もしかして、どこかで道を間違えたのか?

 そんなはずはない。自分は真っ直ぐに歩いて来たという確信の下、帰りも真っ直ぐ歩いて来たのだ。

 だがしかし、こうしてT字路にぶち当たっている。ということは、このT字路を通っているにしろ、通っていないにしろ、自分は真っ直ぐ歩いて来たわけではないことになる。

 なんということだ。唯一の頼りである自分の記憶が宛てにならないなんて。

 なんだか今日は泣き虫だ。また目の辺りが湿っぽくなる。小さな体にぐるぐると渦巻いていた不安が、目元まで押し寄せてくる。


 帰れないかもしれない。

 考えてしまうと、何かに足を捕まれたみたいに動けなくなった。

 父と母は……探しに来てくれるだろうか。……きっと来ない。

 だってだって……。



「ねえ、どうしたの?」



 突然声を投げ掛けられて、少女はびくりと体をすくめた。慌てて声の主を探す。その人がひらりとこちらに手を振った。

 少し道を戻った所、脇にある小さな小さな公園のブランコに、少年が座っていた。少年と言っても少女よりずっと年上で、中学生か高校生ぐらいに見えた。少年はにこっと笑うと、こちらを手招きした。

 知らない人についていってはいけません。

 母にも言われたし、先生にも言われた。

 でも、なぜかこの少年は大丈夫な気がした。優しそうだし。どことなくお母さんに似ているし。

 少女はトテトテと公園に踏み込んだ。少年の前まで来るが、口を開こうとして、モジモジとうつむいてしまう。もう小学生なのに、迷子になったなんて恥ずかしくて言えなかった。

 でも、せっかく優しそうな人に会ったのだ。もしかしたら帰り道を知っているかもしれない。ああ、でもでも……。

 そうしている間、少年は少女の顔をまじまじと見ていた。やがて、にこりと笑う。


「もしかして、道に迷っちゃった?」


 少女はびくっと固まった。


「でも、ごめんね。僕、お祖父ちゃんの家に遊びに来てるだけだから、この辺の道に詳しくないんだ。」

「そ……そっか……。」


 少女はがっくりと肩を落とした。少年が自分の横の空いているブランコを指差す。


「まあ、もうすぐお昼だし、お母さんが探しに来るんじゃない? 下手に歩き回らないで、ここで待ってみようよ。」


 少女はぎゅっとうつむくと首を横に振った。


「来ないよ。」

「どうして?」

「お母さんもお父さんも、わたしよりマユのほうが好きなんだもん。」

「そんなことないよ。」

「あるよ。わたしよりマユのほうが大事なんだよ。だから、わたしがいなくても困らないもん。」

「すごく困るよ。」

「困らないよ。わたしなんて、いないほうがいいんだもん。お姉ちゃんなのにガマンできないし、マユにやさしくないし、マユのことぶったもん。」

「ぶったことは怒ってるかもしれないけど、だからって、君のことを嫌ったり、要らなくなったりしないと思うよ。」


「お兄さんに、わたしのお母さんのことは分からないよっ。」


 少女は言い放つと、そのままほほを膨らませてむすっと黙りこんだ。それでも少年は笑顔を絶やさない。なおも隣を勧めてくる。


「歩き回って疲れたでしょ? とりあえず座りなよ。」


言われてみれば、足がじんじんと痛かった。仕方なくブランコに腰かける。丁度日影になっていて、太陽光地獄からも解放された。


「どうして弟くんをぶったの?」


 首をかしげて問いかけてくる少年に、少女は眉根を寄せた。


「お兄さんにはカンケイないもん。」

「僕、お姉ちゃんがいるんだ。何したらぶたれるのか参考に教えてよ。」


 口をへの字に閉ざしたまま、少女は少年をにらみ上げた。相手は構わず微笑んでいる。少女はぷいっと顔を背けた。


「……わたしの、ぬいぐるみの手をとったの。」


 淡いピンクのウサギ。すっかり薄汚れて、今は灰色に近い。いつから持っているのかは忘れてしまった。母が作ってくれたものだ。一番のお気に入りで、祖父母の家に来る時も毎回連れてきている。

 今日も、それを膝に抱いて本を読んでいた。

 あの家には、父のものだった古い児童書がいくつか残っている。そのうえ、孫娘がそれらを引っ張り出して読んでいると知った祖父が新しいものを買い足しているようで、来る度に本が増えている。

 少女は正月に読んだ冒険譚の続きを開いていた。抱き心地を確かめるようにウサギをぎゅっと抱え直して、丸い頭のてっぺんにアゴを押しつけていた。


 どうしてあんなことをしたのか、本当に分からない。


 弟は基本的にのほほん、にこにこした子で、あんな乱暴なことをする子じゃないのだ。なのに、いきなり姉の腕からぬいぐるみを奪い取ろうとした。

 びっくりして、大事なぬいぐるみで、いくら弟でも他の子に渡したくなくて、こちらも抱きしめる腕に力を込めた。それでも弟はぐいぐいぬいぐるみの右腕を引っ張った。

 今思えば、今の自分のように弟は膨れていたかもしれない。

 ぶちりと嫌な音がした。ぬいぐるみは自分の腕の中にいるのに、薄ピンクの腕が弟の手の中にある。破れた縫い目から白い綿がのぞいていた。何が起きたのか理解して、視界がじわりとにじんだ。


 思い出すとまた目の辺りが熱くなる。少女はずびっと鼻をすすった。

 絶対、許してなんてやるものか。だって弟は、自分があのぬいぐるみを大事にしていることを知っていたのだから。

 キイキイと、隣から金属のきしむ音がした。少年がブランコを揺らしている。


「弟くんは、どうしてそんなことしたのかな?」

「知らないっ。マユもわたしのこときらいなんだよっ。」


 だから、きっと嫌がらせだ。


「違うよ。」


 少年がゆるりと首を横に振る。


「弟くんは君のことが大好きだよ。」

「お兄さんにマユのことは……」

「分かるよ。」


 少年がきっぱりと答える。さらに少し強い声音で繰り返した。


「弟くんは君のことが大好きだよ。それだけは絶対。」


 ふわりと笑ってこちらをのぞき込んでくる。少女はまた眉をひそめた。

 おかしなことを言う人だ。他人が他人を完全に理解するなんて不可能だ。ましてや会ったこともない人間の気持ちなんて。


「弟くんは寂しかっただけなんだよ。こっちじゃ遊び相手はお姉ちゃんしかいない。もっとも、それで充分なんだけど。でも、お姉ちゃんはずっと本を読んでるし、ウサギのぬいぐるみに構いっぱなしだ。寂しかったんだよ。お姉ちゃんに、こっちを見て欲しかっただけなんだよ。」


 幼子に物語を聞かせるように、少年はゆったりと語った。物語に浸るように、記憶をたぐるように。

 少女は眉を寄せたまま少年を見た。


「どうして、そう思うの?」

「分かるから。」


 少年はにこっと笑みを深める。

 いったい、その根拠は何なのか。


「だったら、手をとらなくたっていいでしょ。」

「取ろうと思ったわけじゃないよ。お姉ちゃんがウサギをもっと抱きしめたから、お姉ちゃんを盗られた気がして、悔しくて、ムキになっちゃったんだ。」

「……どうしてそう思うの?」

「分かるから。」


 少女は口を閉ざす。

 だからその根拠は何なんだ。

 もしかして、この人は世界中の弟という生き物がみんな自分と同じ思考だと思っているのか。そうだとしたら、随分とおかしな人だ。関わらなきゃよかった。ごめんなさいお母さん、ごめんなさい先生。今度から知らない人には近づきません。

 少女はすくりと立ち上がった。ブランコが反動で揺れる。少年がついっと片手を上げて、先程のT字路の方を指差した。


「ついでにもう一つ。さっきのとこ左に曲がって、今度こそ真っ直ぐ行ってごらん。弟くんが泣きながら君を探してるから。」

「え!?」


 少女は驚いて少年を振り返った。少年は変わらずににこにこと笑っている。

 さっきは道を知らないと言っていたくせに。もしや自分はからかわれていたのか。それとも、世の中の弟とやらは謎電波で情報の共有でもしているのか。それで分かったのか。そんな馬鹿な。

 困惑している少女に、少年がふふっと笑みをこぼす。


「分かるんだ。」


 少女はきゅっと自分のスカートを握りしめた。

 もし、もし本当に、あの左の道を真っ直ぐ行って弟がいたなら、泣いていたなら、自分を探していてくれたなら、ぶったことを謝ろう。お昼ご飯を食べた後は、一緒に遊ぼう。


 もし本当に、あの道の先に弟がいたら。


 ***


 きしんだ音をたててブランコが揺れる。ゆったり。ゆったり。


「あ。」


 少年は声をこぼした。足をブレーキにブランコを止める。ぱぁっとその顔が輝いた。

 道の向こう、T字路の左の道から一人の少女が歩いて来た。高校生くらいだろうか、空色のワンピースを着ていて、つばの広い白い帽子を被っている。

 彼女は真っ直ぐ公園まで来ると、ブランコの前に立った。


「こんな所で何してるの?」

「散歩してたらブランコがあったから、つい。」


 答えながら、少年はじぃっと少女の顔を見つめた。少女が首をかしげる。


「何?」

「ううん、何でもない。」


 そう言って少年は首を横に振る。彼のうれしそうな顔を見て、少女はますます不思議そうにする。


「そう? 何でもいいけど、せめてご飯までには帰って来てよ。片付かないって母さん怒ってたよ?」

「あはは。じゃあ、お皿僕が洗った方がいいかな。」

「そういう問題じゃないみたいだよ。」


 少女はため息をつくときびすを返した。道へ出る彼女に続いて少年も立ち上がる。と、少女が足を止めて公園を見渡した。少年はのんびりと声をかける。


「どうしたの?」

「んー、この公園ってこんなに小さかったんだなーって。昔来た時はもっと大きかった気がしたから。」

「ふーん。」


 少年は姉に倣って公園をぐるっと見た。先程の女の子のことを思い出して、思わず笑みをこぼすと、少女がいぶかしげに振り返った。にらむような目が、何? と問いかけてくる。


「いや……。それって、姉さんがこの辺で迷子になった時のことでしょ?」


 少年がそう言うと、少女はぱちりと目を丸くした。すぐにキッと少年をにらみ直す。


「違うっ! 迷子に何てなってないっ!」


 二言叫んでばっと背を向ける。たかたかと歩き出した。先程より速い彼女の歩調に、少年は苦笑する。一度、公園を振り返ってから、姉を追いかけた。

 ブランコが微かに揺れていた。



 END

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― 新着の感想 ―
[良い点] やはりそうだと思いました!なんかこういう作品って感動しちゃいます!
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