父の言動~東京で~
父は酔って帰ってくると我々を非難した。家で飲み始めても酔ってくるとやっぱり非難した。ぼそぼそと悪態をつき、突然わめくように怒鳴る。
今思えば、自分を称賛しない社会を見下し非難していたのだと思うが、その代表として身近にいた家族に不満を浴びせていたのだ。どういった内容だったか詳しく思い出せないが、よく言うセリフは「バカ番組ばかりみやがって」だったと思う。
バカ番組とはNHK以外の民法の番組すべてを指す。サザエさんと野球と名作劇場は除外されていた。
許された番組以外を見ようものなら機嫌がわるくなり、テレビを消す。そして非難する。怒る。当然のようにNHK以外をつけてはならないルールが自然と発生する。
いないときは自由に見れるが、父が帰ってくると玄関のカギを開ける音でテレビを消して寝たふりをしていた。家は二部屋しかない狭さだから父も当然これには気づき怒りを募らせる。
いつ帰ってくるのか冷や冷やしながらドラゴンボールを見ていたのを思い出す。
父に近くの飲み屋へと連れていくようせがんでいたことを思い出す。これは小学生のころ、父を飲み屋に連れて行き、自分だけ先に帰ってテレビを見るためだった。涙ぐましい努力だったなあ。
この類のエピソードで一番激しいのは、飲み屋から帰ってきて寝たふりをしていた我々に対して、消えてるテレビをわざわざつけて「これが見たいんだろ」と怒鳴り、怒ったまま再び飲みに出かけてしまったときだろう。それは風雲たけし城だった。見ていたのはそれではなかった。
こんな夜をほぼ毎晩過ごしていた。
なぜ、そこまで怒るのか。NHK以外を見てはいけないというならそう言えばよい。だが、見てはいけないとは言わない。ただ、見てること、見てただろう、ということで非難して怒る。
父が嫌っていたのはテレビ番組以外にもあった。
食品添加物全般。保存料や香料など全てである。これに対しても、気にするなら避けるだけでよいと思うのだが、怒りをもって嫌っていた。食品添加物を避けるのはいい。よくあることだと思う。普通と違うのはこの怒り。
家にこの手の食べ物があると怒った。怒って捨てた。ポンジュースもダメだった。全部流しにいった。果汁100%だけど香料が気に入らなかったのだろう。
あるベジタリアンがお肉を食べる人を見て唾を吐き捨て呪詛の言葉をつぶやくとする。お肉の有害さを懸命に説明し「肉を食べるなんて人にあらず」と過去からタイムスリップしてきたかのような態度をとる。
これが他人なら、あなたはあなた、わたしはわたし、と距離をとれば、ステーキ屋に行ったあとに焼肉屋へとはしごしたところで知られることもなく非難されることもない。だが父親が相手では逃れるすべはない。
お菓子やジュースは御禁制品のごとく扱われた。それでもいろいろ添加物の入っていないものばかりであったが取り揃えてあった。それ以外は隠しておいて鬼の居ぬ間に食べた。この点に関しては管理者の母も大変だったろう。
お菓子やジュースや食品添加物は体に悪い。だから禁止、とは言わない。父は禁止とは言わないのだ。禁止しないのだが、あれば怒る。棚の奥から見つけては怒っていた。子供の成長を考えて安心で栄養のある食べ物を、という考えではなかったと思う。子供には無関心だった。
もしかしたら、禁止すると怒る理由が減ってしまう、だから禁止とはいわなかったのかもしれない。そんなわけないと思うが、そう考える方がしっくりくる。
実はちゃんと禁止だと言っていたのかもしれない。まあ、あの頃の父との記憶は恐怖しかないから他に何か諭すようなことを言われていたとしてなにも記憶にない。
いずれにせよ、食品添加物というものは父が怒るために存在しているだと思っていた。
父の怒りはいつも自分は偉いと書かれた仮面をかぶっていた。
お笑い番組はバカなことをやっている。それを見るやつはバカである。バカはダメだ。低俗だ。バカは怒ってもいい。それがわかるわたしは出来がいい。
食品添加物は体に悪い。そんな毒を食べるとはまったくわかっていない。私は何冊も本を読んだ。知識がある。だから怒ってもいい。頭がいいから。
それらは正しい行いだ。
こんな感じだったのではないだろうか。
間違っても我が子のためではない。それは全く感じられなかった。
今思えば、まったく狂った親父であった。自分が父親だという自覚もほぼなかったと思われる。本当に子供に無関心であった。父親とはどうあるべきかとか考えたことあるのか。自分のことを見るだけでいっぱいいっぱいだったのだろう。
はたして、子供が生まれてうれしかったのだろうか。
生まれたての小さな赤ちゃんの首がすわり、腰がすわり座るようになって何かしゃべるようになって何かを主張するようになって立って歩いて、一つ一つの成長に喜びを感じたのだろうか。
残念ながらそうではなかったらしい。
初孫を見て、「自分の子供はかわいくなかったが、孫はかわいい」と言ったとの報告がある。
また、末っ子の出産に際して「産むなら勝手に産め。俺は知らん」と言い放ったことが母への取材でわかった。
突然だがここで「父」の研究結果を少し発表したい。この父親はなんなのか、である。
父は精神病だと思う。確信に近い。
強く優れた自分を求め、常にその自分に追われる。ウィキにはこうある。
「ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別な存在でなければならないと思い込む」
父の数々の言動がこれに当てはまる。
特別な存在という評価や称賛を与えない社会を否定する。社会を否定し大衆的なものを非難し日本文化を見下す。初詣やクリスマスなど暦にある行事的なものはなにもやらない。
満足を得られない。仮に満足を得ても一時的なもので、再び求めては不満をためる人生である。その不満を家族にぶつけたわけだが、もし我々にぶつけなけていなかった場合、不満や不安を抱え込み鬱にでもなって自殺していただろう。それほどこの苦しみは心を蝕み、また周りをとてもよく巻き込みながら進行していく。自力で自然に治るということはない。自分が病気であることさえ自覚することが難しい。
父は植物の趣味的研究会に参加していた。そこで英語名やイタリア語名やフランス語名を覚えラテン語の学名まで覚えて研究会で披露していたようだ。そこでは皆が称賛し学名で呼び合うのが流行ったらしい。だが、純粋に楽しいから参加しているわけではないので数年すると参加しなくなった。そして次にきのこ研究会に参加する。その次は貝、その次は鳥、と参加していた。把握してない会もある。こけ研究会にはマニアック過ぎて参加できなかったと言っていた。
父の場合は定年退職をきっかけに田舎に帰ったことで少しだけ改善した。東京を離れるという決断をしたことで大いなる自分と距離をとることができたのだろう。
しかし、決別はできなかった。田舎暮らしでも父は苦しみ続けた。死ぬまで。