第6話 矜恃とは
「だったら、訊きたい。古城有紀は尼子宗大と対決したと言っていたが、どう対決したんだ? そして、どうして勝つ事ができたんだ?」
あの事件をパズルに例えるのならば、俺は全てのピースを集めることができなかった。
ほんの一部の固まった場所のピースを見つけて事件の全貌を掴み、解決したと思ってしまった。だが、実際にはそうでなかったようだ。
「古城有紀の父親の会社は債務超過に陥って倒産した。もし、その債務超過が尼子グループによる策謀だったら、どうする? 発注ミスによる債務超過であったはずだ」
「さっき言っていた話か。自分よりも下である事を証明したかった、と。下であるかどうかを確かめるために罠を仕掛けた。その罠に引っかかって会社が倒産した、ということなのか?」
尼子宗大という人物は化け物か何かなのだろうか。
下かどうかを確かめるためにそこまでの事をするのは人としてどうなのだろうか。
「おそらくはその通りだ。古城有紀は帳簿の中から策謀の決定的な証拠を見つけたのだろう。それを盾に尼子宗大と対決したんだろうな。犯罪行為であるのだから告発しようと思えばできた。だが、古城有紀はそうしなかった。尼子美羅の解放と今後美羅に関わらないという条件で告発しないとでも取引したんだろう。父の無念を晴らすよりも、尼子美羅との未来を選択した。その証が尼子美羅の転校であり、難航していたはずの離婚の成立だ」
紅雀楓の言う事は事実なのだろうか。
尼子美羅が転校した事実がある以上、事実である確率が高いとも言える。
消されたのでなければ、だが。
「その推理が正しければ、古城有紀と尼子美羅は逃げ切れた、という事なのか?」
「前途多難であろうが、二人は幸せを手に入れたはずだ。めでたしめでたし」
紅雀楓はそう言いながらも意味ありげな笑みを浮かべて、肩をすくめてみせた。
「その笑みに何か意味があるのか?」
「いや、趣深い選択をした二人だと思っているだけだ」
不幸であった二人が幸せでいてくれているのならば、それだけでいい。
前途多難であったとしても、あの二人の絆が本物であるのならば乗り越えられる事だろう、きっと……。
「……肩の荷が下りた気分だ」
あの二人というべきか、古城有紀がどうなってしまったのかがずっと気がかりであったのだ。
その事を俺ではない、全く関係のなかった探偵が謎を紐解いてしまった事に複雑な気分を覚えつつも、解明してくれた事に感謝したい気分であった。
真相は確かめようがないが、紅雀楓がそういうのだから、きっとあの二人は幸せに暮らしているのだろう。
元カレとしてできるのは、今はそうだと信じながら、二人に心の中でエールを送るくらいだが。
「……はぁぁっ……」
俺は深く息を吐いた。
今まで抱いていた古城有紀の思いを吐き出すように。
「他はないのか? 藤沼善治郎や尼子宗大に関して知りたくはないのか?」
紅雀楓はさあ訊けとばかりに俺に視線を送ってくる。
藤沼善治郎は前に紅雀楓から聞いた話を総合する限り『飼い犬』であった可能性が高く、復讐者ではなく、ただの実行犯だったように見えてきて、もう興味が失せていた。
尼子宗大に関して言えば、雲の上のような存在に思えて、訊く気さえ起きなかった。
今回の件で、何人かの口からその名前を聞いてはいるが、見た事もない、話した事もない人物の事を知ってどうなるのかといったところだ。
今後、関わり合いになることがあるかもしれない。その時に他人の目ではなく、自分の目で見ればいいだけだ。
「……そんな事よりも……」
俺の興味はもうあの事件から別の事へと移り始めていた。
俺は紅雀楓の爛々とした輝きを宿した瞳をじっと見据える。
「そんな事よりも?」
紅雀楓がオウム返しした。
「紅雀楓、お前は誰の依頼で俺に話しかけたんだ?」
俺よりも実力的には遙かに上を行くであろう探偵が俺の前に唐突に現れた理由。
それは誰かに依頼されたからではなかろうか。
俺への内偵とは考えられない。
それ以外の理由も思い当たらず、こうして本人に直接訊くしかなさそうではあった。
「やはりたどり着いたか。筋は悪くはないのだな」
紅雀楓はその言葉を待っていたとばかりに、片目だけとつり上げながら恍惚とした表情を見せた。
「不思議だったんだ。名探偵と名乗る本物の探偵らしき少女が俺に話しかけてきて、証言を取ってこいと依頼してくる。で、言われた四人に証言を聞いてみたところ、解決したとしても何ら意味のなさそうな事件だ。解決しようがしまいが関係なかったんじゃないか、何か裏があるんじゃないかと思えてきてな」
尼子宗大に生卵が投げつけられた事件は『もう終わった』事件であった。
尼子宗大は生卵を投げつけられた事など自作自演なのだから気にしてはおらず、事件化してもいないのだから調査する事に意味などない。
真相を知りたがるとしたら、学院側くらいなものなのだが、下手に探ってしまうと虎の尾を踏む事にもなりかねないので調査を依頼するはずがなかった。
調査の依頼など方便であったと仮定するのならば、目的は他にあったはずだ。
「お前の推理は正解だ。あたしはとある人の依頼で動いていた」
探偵だというのに、部外秘であるはずの依頼人に言及してもいいものなのだろうか。
「そこまでたどり着いたら、種明かしをしても良いと言われている。だから、白状するとしよう」
紅雀楓には思考の流れが完全に悟られている。
その事に改めて恐れ戦きつつも、息を呑んで紅雀楓の言葉を待った。
「あたしの依頼人は八丁堀姫子だ」
「……姫子、か」
不自然だと思うべきだったのかもしれない。
紅雀楓が初めて俺と話をした時に、八丁堀姫子の名前を出した事を。
未練になりつつあったというべきか、有耶無耶に終わりそうになっていた事件の解決を姫子は依頼したのだろう。
……いや、そうじゃないかもしれない。
事件を解決したというのに腑抜けになりつつあった俺に疑問を抱いて、何か原因であるのかと探って欲しいとでも依頼したのであろうか。
「どういった依頼であったのかは秘守義務だ」
またしても先回りされたので、俺は苦笑して頭をかいた。
やはり、俺の思考回路は完全に掌握されているようだ。
「最後に訊きたい。尼子宗大の事を何故そこまで知っている? 依頼されたんだろう? 尼子美羅か、古城有紀に。白ワニ事件の裏に潜む真実を探って欲しいと」
「それは秘守義務だ」
紅雀楓は想像に任せると言いたげに片頬をつり上げて、ニヤリと笑った。
「……名探偵と名乗っているのは伊達ではないという事か」
「こんなあたしだが、推理ミスをしていた事があったんだよ」
不意に紅雀楓の顔色が曇った。
「男というものをまだまだ理解しきれていないかもしれない。趣向は人それぞれである事は頭では分かっているが、見抜けないものなのだな。もっと観察眼を鍛えなければならないようだ」
「……何の話で?」
「『全然お兄さんのこと見抜けてない』と姫子に怒られてしまったんだ。好みは白ではなく黒である、と」
紅雀楓はスカートの裾を掴むなり、スカートをたくし上げていた。
そして、それが当然であるのかのようにはいている下着を俺に見せつけてきた。
こいつはやはり痴女か何かなのか?
「お前の下着の好みは黒らしいな。たいがいの男は純白が好きだと思っていたのだが、そうではなかったとは……」
前は白であったのに、今日は大人びた黒の下着であった。
見せつけてきているからなのか、今回は食い入るように見つめてしまう。
だが、俺の灰色の脳細胞は思考を続けていた。
紅雀楓は何を根拠に言っているのだろうか、と。
『うん、分かった! お兄さんは大人っぽい黒の下着が好みなんだね。明日着ていくからよろしくね!』
その事を言っているのか、紅雀楓は!
姫子から俺の趣味趣向を根掘り葉掘り聞いたというのか。
俺がどんな人物で、どんな行動を取るかなどを知るために。
だからって、下着の趣味まで話すことはにないだろうが……。
いや、正確には姫子の思い込みに近いものだが、さすがに……。
「今度、お前と対決することがあれば、黒い下着は必須と覚えておく。楽しみにしているがいい」
紅雀楓はようやくスカートの裾を元に戻し、目を細めて俺を睨むなり、その口元に微かな嬌笑を浮かべた。
「いずれ起こる推理対決が今から楽しみだ」
紅雀楓は爛々と輝く瞳で食い入るように俺の瞳を見つめた後、ゆっくりとした足取りで屋上を後にした。
もしこの学院内で何か大きな事件が発生したとしたら、紅雀楓と対決することになるのだろう。
いや、絶対に対決する。
それは推理対決なのか、もっと別の対決となるのかは分からない。
だが、もしそうなった時、今度は紅雀楓に勝たなければならないのだろう。
それが俺の探偵の矜恃となるのだろうから。
侮蔑を込めて『探偵』と呼ばれているが、探偵と思われている以上、俺にも意地というものがあるのだ。
その意地をかけての戦いとなることだろう、きっと……。
「……さて」
そうすることが当然であるかのように、俺はスマートフォンを取り出して、八丁堀姫子に電話をかけた。
「……姫子。今度の日曜日、デートしよう」
「え? えええ? お、お兄さんから誘ってきてる!? 熱あるの?!」
スピーカーから流れ出て来た姫子の素っ頓狂な声を聞いて、微笑ましくなると同時に照れてしまって口元が緩んでしまった。
「そろそろ夏だろ? プールでも行かないか?」
「どうしたの、急に? 変なものでも食べたの?」
なんだろうか、姫子の狼狽の仕方は。
押すことには慣れていても、押し込まれることには戸惑いを覚える……か。
なかなか可愛いところもあるじゃないか。
「後輩に心配される先輩ほど情けないものはない。ここ一つ、先輩らしい事をしてみたいんだ」
ここ数ヶ月、俺はいくつもの事件に関わってきた。
その中で俺は何を見つけられたのだろうか。
他者の秘密をどれだけ覗いたのだろうか。
「……でも、今週の日曜日は予定があって……」
姫子は歯切れが悪かった。
何か俺に言えない秘密でもあるのだろうか?
あるのだろうな、きっと。人には他者には言えない秘密の一つや二つあって当然だ。
その秘密がどんなものであれ、他者には隠しておかなければならない事であるのだから。
そういったものを曝くのが、俺のような探偵の役目というものだ。
「その予定っていうのは……」
俺は推理する。
その秘密がなんであるのかを曝くために。
それが他者に知られてはならないものであったとしても……だ。
「紅雀楓に関係した事じゃないのか?」




