ランキングのてっぺんになればなるほど、駄作臭がする。そんな感覚もあり~ので「なろうブランド」を語る。
書き上げたあとに(毎回)思うのですが、
当たり前の事やわかりきった事を、つらつら書いているよな~です。
それはもう、「青信号はすすめ、赤信号はとまれ」をどやっと説明しているような気分です。
あと、なんでこちらを書いたかと言えば、なんとな~くな気分からです。
こんにちは、こんばんは、ありがとうございます。
30%増しくらいで「小説家になろう」さんについて真摯に戯れて吐露する。
今回はそんな内容のものです。
また、個人の感覚によるものなので、適度寛容にて目を通してくださいましたら嬉しい限りです。
そして、個人様ならびに利用者様、運営様に対しての誹謗中傷は一切ないとここに誓います。
◇
タイトルの内容を語る前に、語り手かえるたる者の生き物語りを少し、です。
「嫌なら見るな!」と言われて、嫌でも見てしまう、見てしまったから嫌になる。
そんな性質です。
「好きなら褒めろよ!」と言われて、好きじゃあない部分まで褒める気にはなりません。
そんな性質です。
つまりは「YesかNo」、「0か1」などのように、どちらかに割り振れる気概がないタチです。
これを踏まえると、何かを主張する際に適さない考え方だろうな~とカエル自身は思います。
こんな思想のもと以下に、かく語りきです。
お付き合いしてくださる方、ありがとうございまする。
◇
【ランキングのてっぺんになればなるほど、駄作臭がする】
種類的には「日間」のほうがイメージしやすいかな~で、ここ最近、近年などの言葉を加えていただけると、なおグッドで語りやすいでしょうか。
そうして、ランキングを拝見して時に思うのは、
「面白くなさそう……」とか「クソだな……、と汚い言葉を失礼――「おクソだな……」とか。
ただし、そちらに並ぶ作品の数々をしっかり読んではいないので、その内容に反したものかも知れないファーストコンタクトの所感だったりします。
嫌味な言い方をすれば、カエルが太鼓判を押す駄作はありますし、逆にそれがないと「万人が各々感じる面白さの観点」と矛盾するのですけれども。
書き手でもあるカエルとしては、作者さん並びにご作品を貶す気持ちよりも、ランキングにより多くの読者さんに読まれる喜ばしいことへのエールを贈りたい気持ちが強いです。
それで、余談はほどほどに明確に伝えたいのは、
「駄作臭がする」ことであって、そこに挙がる作品のすべてが「つまらない」と断言したいわけじゃあない点。
「先入観や偏見」でも良いんですが、とにかくはあまり好ましくない印象を「ランキングから感じ取ってしまう」その事実をここでは主軸にしたいのです。
◇
【なぜ、駄作臭がするのか。その要因】
カエルたる者、そこそこ酸いも甘いも知るつもり&中二病のカエルなので、
「純粋なランキング」というものは理想と現実の狭間で揺らめく産物だと思っています。
そんなランキングへの価値観に影響するものをいくつかカエルの知る限りで挙げさせていただきます。
①いつか賑わっていた「相互問題(知らない人は調べてねでなんだかややこしそうなので説明は省きます)」は、「面白い作品が上位に表記される」というランキングの概念と信憑性を揺るがしました。たぶん。
②まずはいつか賑わっていた「カクヨムさんのオレオ事象」を例えに出します。
アイデアと発想の点では面白いと思うカエルなんですけれども、作品の中身が三文字にかかわらず、「面白い」と物語を絶賛されて作品がカクヨムさんのランキング上位に食い込んだ現象。
この結果に、多くの読者さんが「中身を読まずに評価した」のではないかろうかという疑念が生まれました。
つまりは、「面白さを吟味するでもなく面白いと評価されるランキング」の性質をあらわにしたとも考えられます。おそらく。
この事例に近いものが、最近ここなろうさんでも起こったように思えます。
化物語などで知られる名のある著者「西尾維新」さんを騙ったり、書籍化、映画アニメ化を偽った作品がランキング上位に食い込んでいたようです。
中身がどうだかはさておき、カエルが思うに、有名著者名やメディア展開するなどの情報が少なからず「作品内容とは関係ない影響力を持ったその結果」なのではなかろうかと。憶測です。
このように、中身の面白さが吟味されることなく、ランキングに反映されていると感じるカエルとしては、疑念を膨らます一方だったりです。
また、こういった事象が起こるのは、読者さんの傾向のあらわれだと考えるので、なんだかんだの挙げ句に「駄作臭がする」に至ります。
ただ、割合の話であり、日々その割合が増してゆくような感覚というのが正しく、そして、感情の一部分でもあるだけですべてではないです。
そして、ここが重要なのですが、
仮に、面白さを吟味するでもなく面白いと評価されるランキングとした場合においても、それを「悪しきものとか、はたまたこうあるべきとかの捉え方をしない」方向でこの先は述べてゆきまする。
むしろここでは、現状をそうしたものとして把握することがキモだと謳いたいので、肯定して読み進めていただけると、ありがたいな~です。
◇
【ランキングの価値観が変化する。それゆえに】
楽しみ方って人それぞれいろいろですよね――と、同意を求めつつ、
具体的な説明するのか面倒なので端折るんですけれども、なろうさんランキングに「本来のランキングの意味合い」を求めている利用者は絶対にいると思います。
カエルもそうです。
そのうえで、別の楽しみ方を求めたり感じたりする方々もいるとカエルは思います。
こちらのほうは参考的に、例えを挙げますけれども。
あれですよね。
「なろうテンプレート」を使ったアイデア出し大会、それがランキング! とかのイメージだったり。
なんでしょう。
「タイトルで座布団勝負」とでも言えそうな なろう流行りの風刺を楽しむ、それがランキング! とかのイメージだったり。
カエルにとっては好ましいものだとは思えないものだったりですが、これが絶対的にダメなものとも言えない気もします。
「楽しみや面白さは人にとっていろいろ」。
その形や対象の変化として捉えるならば、そういった趣向のランキングとして成立しても、それがなろうランキング! それでいいと思います。
更には、こういった意味合いの変化は、成立すれば文化として受け入れるのが、人類ってものだろ――そんな考えです。
ゆえに、「最高!」と称賛する方々や「おクソ!」と酷評する方々もいたりするわけですから。
あと、おまけ話としては、
世の中の思想や傾向すべてを肯定するわけではないスタンスをここに。
尊重はするけれども、それだけで世の中が上手く回れば苦労はしません。
それから、不正は許容できないですし、ルール上の正しさにおいても人として許容できないものも同義だったりしまする。
なろうさんの世界においても、正しさを作る流れはあって然るべきだと考えますし、ならばとその正しさ以外は盲目であって良いかといえばそれは好ましくない。
その世界が今現在どう映るのかは、人それぞれでしょうけれど、利用者さんが思う良い形での活発な世界を誰もが望むものではないでしょうか。
◇
【そんなこんなで、ランキングからみるカエルの「なろうブランド」とは】
タイトルの回収に尽きます。
カエルが思うなろうさんとは、
「ランキングのてっぺんになればなるほど駄作臭がする。そんな感覚もあります」、です。
ここでは、これを先入観や偏見として述べるんですが、
カエルのこの感覚が仮に「世間の感覚とイコール」とした場合、ランキングに載る作者さんがちょっと可愛そうだな~と思いけり。
実際、ランキングに載る作者さんの利用目的や楽しみ方の意識がわからないので、本心なんて分りかねますけれども、
はたから見たカエルユーザーとしては、「ランキングを駆け上がる=駄作認定」の風潮、そんな側面もある認識なので、読むことを戸惑ったり敬遠したりしてしまいます。
また、「読まれることを楽しみ」とする書き手カエルからすると、仮にランキングに乗った場合を妄想したらならば、「素直に喜べない感情が湧く」ような気がします。
なろうさんのランキングとは、そういった矛盾にも似た、働きや効果があるものだな~と思うわけです。
そうして、
念を押させていただくと、作者さんや作品、またはそちらを応援する読者さんを否定しているわけではありません。
現行のランキングからカエル個人が感じる「意味合い、特色から導き出す感情論」を述べているだけに過ぎません。
さりとて。
こうして念を押すのは、不快になられる方もいらっしゃるかも、との思いからです。
申し訳なく思います。
利用者さんが楽しいと感じるその感覚は間違ったものではありませんので、適度適切存分に楽しんでいただきたく、
願わくば、否定とは異なるものとしてこちらを読んでいただければと思います。
次の項目が最後で、カエルが思うことのまとめです。
◇
【言いたいことは「なろうブランド」とは利用者が形作るものでは、という部分】
「なろうテンプレ」。
この言葉が示す物語を否定もしなければ、「非なろうテンプレ」作品と呼べるものがすんごいとも言いません。
とにかくは「なろう系」と呼ばれ認知される作品が世の中に存在している。
この事実にすんごいな~です。
新しいカテゴリーを創ったそのエネルギーもしくは文化は非常に素晴らしいものだと考えます。
はたまた、「なろう系」ばかりといったわけでないにしろ、ちょくちょくネタにされたり馬鹿にされたりしている装いもあったりします。おそらく。
そうした作品を生み出す土台は「なろう」さんで間違いないなのですが、
そのなろうさんの色合いに影響しているのは利用者さんたちで間違いないはずです。
運営さんの方針はあるでしょう。
しかしながら、それだけで「なろう系」は生まれたでしょうか。
否。
世の中っていうのはみんなの、それもわけのわからないなんとな~くな力で形作られていたりがままあるものです。曖昧。
そういうわけで、
現行、そして未来のなろうさんを「なろう」といわしめるのは皆々さまの利用過程に影響されて形作られる可能性が高い。憶測。
ランキングに限ってなら、その信憑性などを決めるものを「評価ポイント」とすれば、それを行う読者側に委ねられていますし、どの部分に面白さを感じて評価とするかも読者側で決めることができます。
だからこその「決められる数値はハッキリ、でもその中身は曖昧ななんとなーく」になるんですけれども。
そこで、カエルは言いたいのです。
こうしてランキングが(カエルが)おクソと思う「なろうさんの色」を作ったのはカエルを始めとするユーザーさんたちです。
そうしてそんなランキングを楽しむのも、以下同文です。
良いも悪いもありません。
だから、変化として色合いを変えてゆくのを正しさ、または進化としてゆくもの面白いと思います。
いいや、その変化は望むものではない――と、みんなが考えるのであれば、なんとな~くの力で正しく、または望む形に留めてゆくもの面白いと思います。
あと、カエルは肌に合わなければ利用しない選択を優先する考えなので、「こうあるべきだ!」的思想は薄いんですけれども、
啓発なり想いや考えだったりの類はなろうさんを活発にしたり色合いを変えるきかっけになるのかな~で、適度適切なものは応援したい気分です。
がんばれ、カエル以外のユーザーさま! です。他力本願。
と、以上を長々語りましたが、
ここ最近、ランキングを見る機会があったのでその時思ったカエルの嘆き、それに集約できます。
お付き合いのほどをありがとうございました。
◇
*ここからは、本文とは関係ありませんが、カエルの考えの補足になるかものちょっとしたお話です。
このお話のキャストは、カエルと友達のトンボくんになります。
「世間なんて関係ない。自分が面白いと思うものが面白いし、自分が楽しいものを楽しむのに世間は関係ない」
と、概要はさておき、友達のトンボくんは言います。
割と「世間」を引き合いに出すカエルとは、なかなかに意見が対立するこのトンボくんの「世間は関係ない」ですが、
例えば、トンボくんはアニメが好きで、世間的にはだいの大人が「アニメ好き、なんてこれ見よがしに言ったら煙たがられるぞ(ひくぞ)」となんてのをカエルが言えば、「世間は関係ない」ときます。
それで、特に人様の趣味をとやかく言うつもりはないんです。
それでも、とりあえずは「アニメが好きな大人」なり「世の中のアニメの立ち位置」なりの社会的イメージを考えてもらいたいんですよね。
言い方が悪いのか、それがなかなかに伝わらないトンボくんからは、毎度のように「そうやって偏見で判断したり主観を押し付けるのがダメな大人だよね(未熟ということ)」と言われてしまいます。
水掛け論になるので、答えはないのですけれども、
カエルとしては「人様に迷惑をかけなければ、何かを楽しみことになんら文句はありません」し、トンボくんの言うような偏見や主観はなるべく廃除して物事を受け入れようと考えます。
そのうえで、世間というフィールドにおいて、自分の趣味を語るにしてもその趣味がどういうものに映るのかの客観的な考えは大切だと、こちらから毎回言うんですよね。
例えば、企業面接などで、趣味など応える場面があったりしますが、その時に「アニメ鑑賞」と答えるか「映画鑑賞」と答えるかでだいぶ違うと思うんですよね。
当然続く質問は「どういったものを?」でさらなる印象ががが、なんですけれど、
トンボくんからすれば、なんで「アニメ」がダメで「映画」がいいのか納得できず、もっと言えば、人の趣味を判断材料にする相手や世の中がくだらないとまで言い切る考えです。
たしかに、本来の面接の意義からすればあまり関係ないところだとカエルも思いますし、趣味によりけりで人格まで判断する世の中は好ましく思いません。
がしかし、カエルが言いたいのはそこじゃあないんだってばよ、です。
社会の中で生きている以上、基準を世間に合わせてくれとお願いするカエルです。
会話の場が友達の家でもなければ、相手側の趣旨も独善的なものではないんだから、と。
それでも、トンボくんはいうのです、
その基準とやらがキミの主観でしかないだろう、と。
はい、水掛け論です。
別にトンボくんの好きなアニメを映画より劣るとか、世間的に受け入れられていないものとして意見を言っているわけでもないのですが、世間を引き合いに出すと拒絶反応や反感をあわらにします。
カエルからすれば、「それこそが自分の好きなものに自信がなくて、その気持ちを貶めている行為」だと思うのですけれども、価値観や考え方が異なるので一方な主観ではありますが、「頭の固いカエル」としか受け取ってもらえていないようです。
おそらくトンボくんとしてみては、(かえるの言い分を踏まえたうえで)「世間の顔色をうかがってばかりいては、新しい価値観は生まれない」といったところでしょう。
これもわかるところで、今まで許容されていなかった物事が声を上げたり思想を豊かにするこで変化することなど、歴史を学べばいくらでもあります。
ただし。
例えが良いのか悪いのかですが、
世間的にマイノリティな立場である同性愛者の方の声を耳にした時、
「社会的立場として未だ受け入れられていないことを前提として声をあげる方」と、
「私達を受け入れない社会自体が間違っていることを前提として声をあげる方」を比べた場合、カエルは前者のほうにより耳を傾け、トンボくんは後者のほうにより耳を傾けます。
同じ方向を見ていても、ちょいとばかり視点がちがったりするものです。
さて、話を戻しまして。
結局のところ、「大人のアニメ好き」に限って言えば、温かく受け入れてもらえる文化が好ましいと考えますし、ひと昔まえからするとだいぶそういった世間になっていると思います、カエルは。
でもこれは、世間を知るからこその「受け入れられた実感」なんですよね。
またアニメが好きな人達や関わる人達が、世間を相手に好きなものを伝える努力をし、共感を得られた結果でもあると思います。
ならば、その世間とやらを土台にしたほうが、建設的な話ができるんじゃね? とその点をトンボくんに伝えたい。
しかしながら、いつになることやらです。
以上、トンボくんとの世間話のお話でした。
ありがとうございました。
内容もないような冗長なものに、目を通していただきありがとうございました。
それで、こういった「ランキング作品は駄作」みたいな見出しからの散文ですので、読まれた方の反応(反感ですね)が気になるところです。
肯定的にしろ否定的にしろ、なにぶん様々な視点からの考察ができる題材に噛みついているような気もしなくありません。
発信者側から言えることではありませんが、前向きな受け取り方をしてくださるとカエルは嬉しい限りです。




