最期
曇り空の下、秋斗は空を見上げながらタバコに火をつけていた。
線香の香りと海風が混ざってなんだかとても心地が良い。
気を緩めると眠ってしまいそうなくらい。
僕はこの最後の日を運命の日をどこで過ごそうか考えていた。
僕にはかつて恋人がいた。
名前は萌香。
彼女は綺麗な顔と細い手足、そして優しい声を持っていた。
彼女とは3年と少し、付き合っていた。
僕と彼女は仕事をしながらお互いの時間をうまく使って会っていた。
仕事の休憩中。
移動中の車の中。
夜中に集合したホテル。
会えるのはほんの一時で、満足に愛を育むことすらできたのかもわからない。
現在地球は月が落ちてくるのを待っている。
来るはずのなかった地球最後の日だ。
殆どの人間は他の星へ逃げ、わずかな人間が地球に残った。
死が近い者、人生を諦めた者、動けない者、地球への愛情が異常な者。
僕はそのどれにも当てはまってはいない。
でも僕はこの地球に残る。
萌香のいるこの地球で、僕は最期を迎えるのだ。
戻れることなら過去に戻ってやり直したい。
そう願った。
萌香の目の前で膝をつき、もう一度もう一度と小さな声で願った。
目を開けるとそこはいつか見たことのある公民館の会議室だった。
目を開けた秋斗は東京都台東区の公民館2F会議室にいた。
「え、なんでここに。」
それは4年前自主制作映画の会議で訪れた場所だった。
そこには見慣れた顔が沢山いた。
髭を生やした30代半ばの監督。
化粧の濃いメイクさん。
顔の整った役者。
少しブサイクで真面目な雰囲気のカメラスタッフ。
そのほかにもたくさんの顔見知りがいた。
「じゃあ後は各自話し合いでお願いします」
髭を生やした30代半ばの監督が言う。
もともと、僕たちにとってそこまで来る必要もない打ち合わせだった。
僕のやっているバンドは楽曲提供をするだけで、特に話し合う必要はないのだ。
暇になった時間。
いつかと同じように僕はある一点を見つめた。
小さな頭、眉毛の上で切りそろえられた前髪、青いセーター、長いスカート。
横を向いた時に見えるその顔には薄くチークが塗られている。
もうすぐ彼女がこっちを振り向く。
三、二、一。
不思議な顔でこっちを見つめてくる。
そう、僕は覚えていた。
この部屋も周りにいる人達も、彼女の事も。
ここは萌香との出会いの場所であり、今ここにいるということは、夢でないのならタイムスリップをしたということだ。
月が地球に落ちてくることもない。
普通の生活があった頃。
昔とは違うタイミングで僕は萌香に話しかける。
興奮を抑えられなかった。
もう会えないと思っていたはずの彼女に会えたのだ。
「萌香!」
彼女の目は驚いたような目だった。
「はい…」
そのあと少しだけ無音の時間が過ぎ、僕は我に帰った。
「あ、ごめんなさい。楽曲提供をさせていただくバンドのボーカルです。」
「あ、どうも。どこかでお会いしたことありましたっけ?」
名前を知ってることを突っ込んでいるのだろう。
僕は気のせいでしたと答える。
「えー!じゃあ名前あってますよ。私は藤本萌香っていうんです。」
「あ、そうなんですね!よかった!」
僕はその後特に珍しい会話はしないよう、昔を思い出して会話をした。
連絡先を交換し、会議は終了する。
みんなが笑っている中で、僕は1人下を向いていた。
電車の中も帰り道も前を向くことはなかった。
どうすればいいのだろう。
僕はこれからまた数年間をやり直すのか。
それとも突然僕は消滅する地球に戻されるのか。
わからない。
そのままタイムスリップ1日目は幕を閉じた。
この後の事を僕は今でも鮮明に覚えている。
夜通し電話をして、出会った次の日僕らはセックスをする。
それはどこか儚い、恋にも似たセックスだった。
セックスフレンドでもない。
恋人でもない。
そんな僕らのセックスは空っぽでそれでもどこか愛を感じてしまうような行為だ。
待ち合わせは僕の最寄駅。
午前9時、まだ澄んだ空気が残っている朝方だ。
「萌香?」
僕は優しく声をかける。
青いスカートに紫色のコート。
首にはマフラーが巻かれている。
「あきくん?」
ぎこちない感じで僕らは合流する。
そこから家までの10分。
僕らは写真を撮りながら歩いた。
僕は萌香の写真を。
モデルをしている彼女はすごく良い被写体だ。
家に着くと僕はお茶を入れた。
一度経験したはずの出来事なのに、まったく昔と同じ行動をとる。
この後僕らがする行為はセックスなのだ。
雑談でもなければ、楽器の練習でもない。
「はい、お茶。」
「ありがとう。」
気まずい空気が流れる。
「あのさ、歌を歌ってるって言ったけどどんなの歌ってるの?」
彼女は歌を歌っている。
電話で本当になりたいのは歌手だと言っていた。
「んー。わからない。」
「そっか。」
沈黙が続く。
沈黙に耐えかねた僕はピアノの上を見る。
そこには昔集めていたロウソクのコレクションがあった。
「あ、そうだ!これすごくいい匂いがするんだよ。」
そう言って僕はロウソクに火を灯した。
電気を消して、これで少しは場が和む。
そう思っていた。
しかし、後ろから聞こえるのはクスクスという笑い声だった。
「なんで笑ってるの?」
耐えかねた秋斗も少し笑いながら言う。
「だって、雰囲気作ってるのかなーって。」
そこで二人はお互いの顔を見て吹き出した。
緊張しているお互いの顔に。
そしてさらに言えば僕らは恋人でもないのに、初めてを迎えるカップルのように緊張している。
そんな僕らはすごく滑稽に見えたのだろう。
萌香は腹を抱えて笑っていた。
「しよっか?」
腹を抱えていたはずの萌香は急に、悪魔が人を誘う時のように、優しい声でそう言った。
その美しい容姿と愛らしい笑顔、そして悪魔のような誘い。
もうこれは恋と呼んでいいのだ。
僕はその日、萌香に恋をした。