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地位と結婚した男とお金と結婚した女の話

作者: 唯愛

題名詐欺疑惑浮上です。もっとギスギスしたのが書きたかったのになぜこうなった。



 フレア・リアートは建国五百年を越すバルド国を建国当初から王を支えてきたリリアトート家の分家の娘である。

 分家となってからは幾久しく、繋がりは薄くなりつつあったがかろうじて遠縁に入れられる縁はあった。

 リアート家自体は現在子爵を継いでおり、血筋はしっかりとしたものであるものの、財政は芳しくなかった。それでも貴族としての見栄と意地で屋敷も調度品も売り払うことなく生活を続けていたがとうとう限界が近くなりリアート家当主は決意する。


 娘のフレアは今年十六歳。

 結婚適齢期が近づいてくる年齢である。


 社交デビューは済ませ、王宮やリリアトート家開催の舞踏会などは出席させていたが財政の厳しいリアート家では出席の度にフレアのドレスを用意させるのも辛くほとんどが辞退という手に出るしかなかった。

 本来ならば、あらゆるところに出席させて少しでも条件の良い婿を探すところだが、それすらも辛い状況にフレアの母は嘆いた。

 そんな折、数あるフレアへの求婚の手紙から資産家のアレン・ハウアの名を見つけた。


 アレン・ハウアは貴族たちにも人気のある店も持つ商人で、独身であった。

 そして、今や貴族以上のお金持ちである。


 来年には蓄えた財産も底をつくだろう。

 領民からこれ以上の税を取れば暴動が起きかねない。

 リアート家が治めるリアートという土地は山ばかりで領民が少なく、農業もしにくい土地であった。


 リアート当主は愛娘のフレアの部屋に赴き、アレン・ハウアからの書状を渡して言った。


「お前への求婚状だ。考えてみてくれ……」


 フレアは聡い娘であった。

 父親がわざわざそう言うということは、父はこの男と結婚して欲しいということだろうと察した。

 何を書かれていてもフレアは結婚するという選択をするだろうと思いつつ、渡された手紙を広げる。


 内容は、恋文ではなかった。

 


「…………お父様。わたくし、このお方に嫁いでみようと思います」


「そうか。では、返事は私から出しておこう」


 彼女の父も、馬鹿ではなかった。

 娘がその言葉を選ばざるを得ないことに不甲斐なさを感じつつもその言葉に甘えることにした。

 彼には領民を守る義務があるからだ。


 所詮貴族の結婚は政略的なものだ。


 彼自身、政略結婚であった。

 それでも彼女の母を家族として愛し、また愛されていた。


 部屋を出るとき、娘に聞こえるか聞こえないかの声量でぽつりと「すまないな」と零した。






 それからトントンと話は進み、すぐに婚約ということになった。

 その際にリアートは援助金を受け取り、なんとか首がつながる。


 アレン・ハウアという男はまだ二十六歳の若い男だ。

 幼少の頃に売られるようにして商店に奉公に上がり商売を学んだ。学校にも行けず文字の読み書きさえも出来ないような、貧しい村の出身だった。

 叱られ怒鳴られ、時に殴られ蹴られて。

 それでも黙々と仕事をし続け、だんだん才覚を表していった成り上がりである。


 フレアと同じ十六歳になる頃には店で若手を指導するほどになり、二十歳になる頃には支店を任されるまでになっていた。

 二十三歳で起業し、それからあれよこれよという間に貴族にも話題にされるほどの商店へと発展した。

 しかし、自分の出身が底辺に近いものだというのはコンプレックスであった。

 そんな時にリアート家の噂を聞いたのだ。名門貴族だが財政難である、と。

 アレンは仕事一筋で女には興味がなかった……という程でもないが、女遊びが出来るだけの余裕が出来た頃には自分に近づく女は皆がお金目当てという始末。

 それ故か割り切った付き合いはともかく、恋愛ごとは苦手であった。

 それでも折角余裕が出来たのだ、子供は欲しいとぼんやりと思っていた時の話である。


 どうせ誰もが金目当てならば、身分の高い人と結婚すれば子供は自分のような思いをすることがない。


 そう考えて衝動的に手紙を出した。


 返事は期待していなかった。

 なまじ貴族の客がいるために、その貴族社会の愚痴に付き合わされてきたのだ。

 貴族に持つ印象はあまり良いものではなかった。



 しかし、予想を裏切りどういうわけか返事があった。

 しかも求婚を受けるという返事だ。何かの間違いではないかと何度も読み返したが間違いには見えない。

 半信半疑のまま話し合いの場に赴けば、そのままトントンと婚約まで話が進んだ。


 手付金のように援助金を払い、このまま上手く逃げるつもりではと疑ったがその様子もなく。

 花嫁となるフレアに会うこともないまま、結婚式の日取りも決まっていた。


「……本当に結婚するつもりなのだろうか?」


 商店の秘書を務めるラディに尋ねると、冷めた目で見返される。


「それはこちらの台詞です」


 衝動で手紙を書いた上にこんな話になるとは思いもしなかったので、ラディには婚約が成立し終え援助金を支払うときに打ち明けたのだ。

 彼にとってみれば寝耳に水の話であっただろう。


「それも花嫁にはまだ会っていないというのですから……貴方らしくもない」


 大事な商取引は大抵自ら相手のもとに赴いて話を進めてきた腰の軽い男である。

 それが、結婚相手とはまだ一度も面会していないというのだからますますもってラディは冷たい目で主人を見る。


 アレンはもっともだと思い、軽く口元を歪めるだけにとどめた。

 自嘲するような、歪な笑みだ。


 それでも、結婚相手のことだ。

 情報収集はしている。それによると、悪い評判もなく、また、いい評判もないという凡々とした娘のようであった。

 名門貴族ではあるが財政的に厳しいこともあり、夜会などにはあまり出席しないので噂自体がほとんどない状態だ。屋敷に出入りする使用人も最低限であり、また最低限の使用人はリアート家に忠誠を誓っているような者が多いため外に話が漏れることもない。ただ、領民から聞くリアート家の印象は大変好意的であるために問題はないと断じていた。


「婚姻が成立したら花嫁はどうされるおつもりですか?」


 その質問の意味は、これが完全な政略結婚によるものだからであろう。

 フレアは現在、実家……つまり、リアート領に住んでいる。かくして、アレンは王都に本店を置く商店の主だ。王都とリアート領の距離は馬車で三日か四日。行き来するには遠く、新婚で別居し続けるには少々難のある距離である。通常であるならばアレンの家に嫁入りしてくるところだが、仕事に忙しい彼は自身の屋敷にも滅多に帰らない人である。結果的に、フレアが嫁いできてもひとりでいることが多くなることをわかっているからの質問だ。もし、恋愛結婚であるならば遠い実家から嫁いできたとしても我慢できるものであろうが……


 しかし、アレンはあっさりと言い放つ。


「花嫁殿の意向次第だ。しばらくは王都の屋敷にいてもらう予定だが、な」


 世間的には当然だろう。

 しかし、これが政略的なものであるのは周知の事実である。


 ラディが口を開く前に、アレンがぽつりと言葉をこぼした。


「子供を作るなら、しばらく一緒にいる必要があるだろ」


 そのセリフを聞いて初めて、ラディはアレンが子供を欲しがっていたのだと知る。

 この主人は仕事以外のことはあまり口にしない。それは自身が貧しい村の出身であるというコンプレックスからプライベートの話を避けていたことが原因であり、それを長い付き合いのラディは知っていたからこそプライベートの話をあまりしなかったのだが。


 心中でそれならそうと言えば協力くらい惜しまないのに、と愚痴る。


 ラディはアレンが独立する前からの知り合いであり友人だ。

 成り上がりの商人のくせに、アレンはお金に意地汚くはない。多少ケチの気はあるものの、倹約家という言葉に収まる程度。だからと言って使うべきところは弁えている。お金の有り難みをよく知っている、ただそれだけだ。利益はきっちり追求するが、必要外の利益は取らない。潔癖というほどではないが、綺麗な仕事を好む。

 それで成功しているのだから対したものだ。

 だから仕事に関しては尊敬している。

 簡単に言えば、部下だとかなんだとか差し引いてもアレンのことをそれなりに気に入っていた。






 大きな仕事を全て片付け、部下に任せて結婚式の三日前にリアート領に入った。

 二日間は旅商人風に装って好きに領地を見ることにした。フレアは領地を継がないが、せっかく縁が出来るのならばリアート特産品などないか自身の目で見てみたかった。そうやって見て回っていて、領民たちの笑顔の多さに気づく。

 折角だからと田舎町を通ってリアート家に向かっていたが、多くが穏やかな者たちであった。

 山ばかりで領民が少ないと聞いていたので、生まれた村のような貧しさを思っていたが全く違っていた。貧しいことは貧しいのであろう。話を聞くために行商を少しばかりしたが、売れるのは実用品だけだ。しかも、値切り方がうまい。貧しい村などでは上から脅すような値切り方をする連中がいるものだが、ここの人達は一切そのようなことをしない。穏やかでありながら隙のない交渉事をこのような田舎町ですることになるとは。


 よくよく見ると、街の人間は協力し合っていることがわかる。

 自分のもとに買い物に来た客の中に、数人の小さな子供を連れた少年が来たときのこと。

 少年は買い物ついでに子供たちに勉強を教えていた。買い物の計算の仕方、物価や買い方。例えば塩はこのあたりでは貴重品だ。それが分かっているから春と秋の商隊は大量に入荷し、それを安値で売ってくれる。急ぎでない限り、その商隊で買うほうが得である、とか生ものは期限があるから値切りやすい商品だとか。


 ここの領地の人間は、頭がいい。

 貧しく、厳しい土地でどう生きていくか考えている。


 アレンの生まれた村は、ただ昔からの暮らしを守るだけだった。

 畑を耕し、税を納めて。災害が起これば作物が収穫できず、飢餓に苦しむ。土がやせ細っても畑を耕し、それ以外の術は知らないかのようにただ生きていく。

 自分の親は頭が良くはなかった。

 作物の実りが悪くなってきても、同じことを繰り返すだけだった。肥料を変えてみたり、別の作物を作ったり、別の何かを作ったりということはしようともしなかった。そして、村の人達と協力するということも必要最低限しかしなかった。


 アレンが十三の歳に、村は嵐にやられて両親は他界していた。

 十五歳になった時に一度村に寄ったときに知り、両親の土地を受け継いだ兄と妹が細々とした暮らしをしていた。

 商店に戻り、主人に土下座して村に物資を届けてもらえるようお願いした。縁が切れたに等しいと思っていたが、見なかったことにはできなかった。だが、その細々とした暮らしに、多少の援助はしても顔を出すことはできなかった。


 商人として成功したのは己の努力の結果だ。

 だが、自分と兄妹の生活のあまりの違いに身内から拒絶されるのは怖かった。



 前日にリアート家に到着し、挨拶を済ませる。

 家の中に招かれた時にふと、貴族はあまり好きではなかったのに、その貴族と結婚するなんてなぁなどと呑気なことを思った。


 婚儀の打ち合わせのあと、町へと戻る。

 泊まるように言われたが今日は宿に泊まると言って出てきた。

 最後の独身生活を楽しむのだろうとでも思われたのか、わりとあっさりと外に出してもらえた。別に夜遊びをしたかったわけでもないのだが、わざわざ言うと逆に怪しまれかねないので素知らぬ顔で戻ってきた。


 花嫁には会ってはいない。

 せっかくだから花嫁衣装を着た一番美しい姿を、と言われてしまえば了承する他ない。


 なんとなく街の商店を冷やかしながら宿まで戻り、明日の準備をする。

 とはいえ、自分は多少身だしなみを整えて明日の朝一番にリアート家に行くだけでいい。あとは向こうがすべてを用意している。

 気楽なものであった。


 明日。

 ぼんやりと宿の窓から空を見つめる。

 夕暮れ時の薄闇が広がる空。貴族になりたいと思ったわけではないが、周りは貴族になるためにリアート家の娘を金で買ったと思うのだろう。子供のことを思えば、という動機がその考えに否定をさせてはくれない。金で地位を買う、それは事実だ。

 そして、リアート家はこう言われるのだ。

 金のために、娘を売ったと。


 言い訳もできない事実だ。


 








 フレアは婚礼の日の前日、屋敷に訪れた男を遠目で見ていた。

 話は聞いたし、姿絵ももらった。

 絵姿のとおり、見た目は二十六歳というのに年相応だと感じる。商売人らしく愛想の良さそうな顔立ちだ。茶の髪に茶の瞳と目立つところもなく、特徴的な特徴もない。どこにでもいそうな、ありきたりな容姿。自分も人のことを言えないありきたりな容姿だけあり、随分ぱっとしない夫婦になりそうだなという印象。

 

 聞いた話は、やはりお金のことだ。

 随分溜め込んでいるのではないかという噂。財政難とは言え、リアートは名門貴族中の名門貴族であるリリアート家の分家筋。

 素行の悪いものを中に入れるわけには行かない。

 求婚状が届き、それがフレアのもとに行くまでに調査は行われ問題なしと判断されたのだ。

 

 問題なしと判断されるに至るまでの調査書は本日までに読み終わっている。

 出身こそはっきりしなかったらしいが、幼少の頃より奉公人として商店で働き、その間不正に手を染めるようなこともなく順調に独立、そこから成功の道まできている。

 性格もそれほど問題ないようで、女性関係も特になにも出てこなかった。

 何より、彼は婿養子ではなく私を嫁にもらうという。貴族の家に入るのではなく、私が庶民へ嫁ぐことを希望しているのだ。


 なるほど、父が自分の嫁ぎ先に良いとなるわけだ、と感心する。


 嫁ぐことに関しては否やはない。

 むしろ、どこかの老人の後妻や貴族の愛人あたりになるのではないかと思っていただけに、悪いものではないと思ってさえいる。

 資産も大分あるようで、贅沢な暮らしを要求しなければ多少の融通はしてくれると踏んでいる。


 成り上がりの貴族はあまり好きではない。

 贅沢することが貴族だと言わんばかりで派手派手しく、風情の欠片もない人を多く見ているからか。


 夫となる彼もそれに似たり寄ったりになる可能性はあるが、それでもこのまま貧しさに領民を苦しめるよりはいくらもましである。

 ただ、自分はまだしも家族が、金で私を売ったと言われるのは辛かった。


 はぁっとため息が漏れる。


 否やはない。否やはないが……それでも、ただただ憂鬱。

 この家もこの地も離れたくはないし、未だ正面から見たことも話したこともない人と夫婦になるのは気が重い。

 





 翌日の式当日。

 花嫁衣装を身に付け、式が行われるのを待つばかりの頃になって不安が胸中に広がった。

 本当にこれでよかったのだろうか、と思ってはこれが最善の策だと自身に言い聞かせたり、相手は若いとは言え十も年上で何を話すことがあるのだろうかと思ったり。

 なにより、自分が花嫁として何を求められるのかが怖くなった。


 それでも時間は止まってくれることなく、迎えに来た父の手を取らざるを得ない。

 娘の緊張に気づいた父親は、自分の不甲斐なさに申し訳なくなった。


「フレア。家も領地も大切だが、一番大切のなのは自分の心だ。嫌だと思ったなら戻ってきていいんだよ」


「……はい」


 本当に怖いと思えば、家に戻ろう。

 でも、きっと大丈夫だ。父が大丈夫だと思った人だもの。


 言い聞かせて式場へと足を踏み出す。

 結婚式は本当に身内だけしかいないものだった。それは地位と結婚する男とお金と結婚する女の結婚式だとわかっていたからだ。


 けれど。

 父の手から、初めて真正面から見る花婿であるアレンの手を取る。


 最初に思ったのは、温かい手だな、ということだった。

 思ったよりも優しく手を取られ、そっと彼の顔を見上げる。絵姿と違って口は引き結ばれ、戸惑ったような目をしていた。

 宣誓を聞き、誓いの言葉を口にする。

 茶番でしかないと思っていた誓いの言葉だけれど、この一言で私の人生は大きく変わる。

 そうとわかって、私が口にしたのは定番の「誓います」という言葉。


 初めて出会った人と誓いのキスを交わす。


 お金のように、冷たい人だと思っていた。

 勝手な思い込みだけれど、どこか彼も覚めた気持ちなのだと思っていた。

 けれどそのキスはとても優しくて、なぜだかわからないけれどとても気恥ずかしくなってしまった。



 式場をあとにして、ささやかな祝宴となる。

 リアート家の家族と数少ない使用人、リリアトート家当主代理と領内の重臣を幾人か。たったそれだけ。

 アレンの身内は一人としていなかった。

 話には聞いていたけど、実際に一人もいないのはなんだか寂しかった。

 そこそこの時間で数人の使用人とともに祝宴を後にし、湯殿へと連れられる。私も無知ではないので、それは非常に気恥ずかしい思いをした。

 なにより、ここは嫁ぎ先の家ではなく実家なのだ。

 そういえば寝室はどうなるのだろう。初夜は今日になるのだろうか……それは是非とも勘弁願いたいところである。

 今更わがままを言うつもりもなく、促されるままに従ってはいるが。


 時間をかけて支度をし、いつもと違う部屋へ通された。

 つまりは客間、アレンの使用する部屋である。私はお客さんになってしまったのかとどこかで澱んだ重いものが胸に積もる。

 これからの私の主人はアレンであり、父でも母でも兄でもないのだ。

 部屋の中に水差しと果実酒を置いて使用人が出ていく。出て行く際に見えた彼女の表情は優しくて、心配そうだった。


 力なくベットに腰掛ける。

 ぐるぐると、式のことが頭を巡る。引き結ばれた口、戸惑ったような瞳。優しいキス。

 求婚の手紙は、恋文ではなかった。

 甘い言葉は何もなく、彼の商店のこと、売上は順調であり貯蓄があること、自身との婚姻を結ぶことの利益と損失のことが書かれていた。

 だから、私はおまけでしかないのだと思っていたのだ。


 もうすぐ、あの人が来る。


 丁寧な、見本のような字を書く人。

 思ったよりも背は低かった。特徴的なところのない、平凡な人。


 愛も恋もまだ知らない。

 父と母のように穏やかな時間の中で育む愛があればいいと願った。

 

 彼を、愛せるだろうか。

 彼に、愛されるだろうか。




 コンコンコン、と控えめなノック。


 はい、という返事はしたが、声は掠れていて扉の向こうには聞こえたかどうかわからない。


 しばらく経ったのかすぐであったのかの感覚さえ曖昧な中。


「アレン・ハウアです。入室しても、よろしいでしょうか?」


 穏やかなで丁寧な声だった。

 式の最中、祝宴の最中と彼の声を聞いたはずだが彼はこんな声だったのか、などと頭の隅で思う。


 深呼吸をひとつ。

 今度はしっかりと声を出して、はい、と答えた。


「……では、失礼します」


 ゆっくりと開く扉。

 こくり、と唾を飲み込む。


 先ほど目にした通りのやわらかい茶の髪に茶の瞳。

 ほんのり頬が赤いのは酒のせいか。どことなくぎこちない笑みを浮かべて慎重に入室してくる。


「…………フレア嬢、でお間違いありませんか?」


 こんな時にこんな質問をしてきたことが、なんとなく面白かった。呆れたとういうのもある。

 緊張が一気に緩む。

 そして、今自分は別途に腰掛けたままであることを思い出し立ち上がると、頭を下げた。


「はい。リアート家長女、フレア・リアート改めフレア・ハウアです。どうぞよろしくお願い致します、旦那様」


「はい、よろしくお願いします」


 顔を上げると、先ほどよりは幾分柔らかい表情で笑っていた。

 どことなく安心するような、柔らかい空気をまとう人だ。


「…………」


「…………」


 お互い微笑んだまま、会話がなかった。

 母から初夜の習わしは聞いていたし、覚悟もしていたが。それに至るまでのことは考えていなかった。

 こういう時はどうすれば良いのだろう。

 そのまま世間話から?


「……あの、取りあえず座りましょうか」


「あ、はい」


 同じように困ったような表情を浮かべた彼が、水差しと果実酒の置かれたテーブルと二脚の椅子を指す。

 なるほど、これで少しは打ち解ければいい、ということか。


「お酒はどうします?」


「あ、あの……少しだけ頂きます」


 断ろうかと思ったが、慣れないこの空気に少しばかり酔ってしまった方がいいかと思い直した。

 彼も飲むようでどちらのグラスにも果実酒が注がれる。

 ボトルを傾けるその仕草はとても丁寧だった。彼はどうやら、とても丁寧な人らしい。


「ありがとうございます」


「いえ」


 無言のまま、二人で杯を合わせる。ガラスの音が涼やかに鳴った。









 こくり、と酒を飲む彼女を見る。喉がかすかに動く、ただそれだけのことなのに目が惹きつけられる。

 花嫁衣装を着た彼女を見たときは、その可愛らしい姿に動揺した。

 おそらく容姿は特筆するものはない、美人でも不美人でもない、そんな評価が正しいだろう。ただ、純白のドレスをまとった彼女の手を取るのが自分だということが申し訳なくて仕方がなかった。もっと彼女を幸せにしてくれるであろう男が、きっとたくさんいただろうことが想像に難くなかった。


 手を取れば、迷いなく自分について歩いた。

 誓いの言葉も躊躇わず、自分を受け入れた。その姿が、どうしてか愛しく感じた。


 貴族になりたいとは思わなかった。

 ただ、自分の子供が由緒正しき血を受け継げればそれでよかった。妻になる人のことは、あまり深く考えていなかった。

 自分のことをよく知っているラディは一体どんな求婚をしたのかと興味を示したが、自分が書いた内容を思い出してとても言えないと口を噤んだ。

 言えるわけがない。

 本来の求婚状とは全く異なる、売り込みのような内容だ。

 

 あのような内容で了承してくるのだから、よほど困っていたのか嫁の貰い手がなかったのか。

 そんな失礼なことを考えていたために余計罪悪感が増した。

 

「アレン様は、商人とお聞きいたしました。アレン様のお店のことは勉強いたしましたが、お恥ずかしながら商人様の暮らしは存じておりません。何か……習慣や暮らし方などお教え頂けますか?」


 沈黙が耐えられなくなったのか、困ったような表情で問うてきた。

 そういえば彼女は自分のことをあまり知らないのだ。酒で少し頭がぼうっとしていたらしい。


「暮らし、ですか。私も、その……自分のことは答えられるのですが、その、商人の妻がどうしているかはあまり……」


 なんとか返答しようと思ったが、情けないものになった。

 それでも何も答えないわけにはいかない。


「お答えする前にまずは、貴方に聞きたいことがあります」


「はい」


「その、本日より私たちは夫婦となりますが」


 夫婦という言葉がなんだか気恥ずかしい。どことなく声が小さくなる。

 彼女も同じなのか、わずかに顔を赤らめて下を向いてしまった。グラスを傾けて口を潤す。

 今から言う言葉もかなり恥ずかしいからだ。こっそり深呼吸し、顔を上げる。


「あー……、その、私は子供が、欲しい、のです。出来れば貴方に子供を産んで、いただきたい。それで、その、出来れば貴方には本店のある王都の家に来ていただきたいのです。ですが、私は仕事であまり家には戻ることがなく……ですから、リアート領で過ごしたいというのであればそれは、別居という形をとることも考えていますが。まずは一度、王都にお出でいただきたいのですが、それはご了承いただけますか?」


 途中、自分で何を言っているのかわからなくなった。

 十も年下である女性相手に情けない限りだ。


 彼女を伺い見ると、ぱちりぱちり、と瞬きを繰り返したかと思えばぼっと音でもなりそうな勢いで顔色を真っ赤に変えた。

 けれど、どこか可笑しそうに目を細めて口元を抑える。


「勿論、アレン様が宜しいのでしたら王都の家に行きます。その、私も子供は欲しいですから……」


「そう、ですか。よかった」


「アレン様は今や私の夫。あまり気を使わないでください」


「それはそうですが、はい、まぁ。そのうち慣れると思いますので、少し時間をいただけると有難い」


 なんとも締まらないセリフだったが、彼女は花がほころぶような柔らかな笑顔を見せた。

 不純な動機からの求婚だった。

 けれど、彼女のそんな笑顔を見てよくぞ求婚したと自らを褒め称えたいような、そんな感情が駆け巡る。


 それからは他愛のない話もした。

 朝が早いこと、今まではどれくらいの頻度で家に戻っていたかという暮らしのこと。

 ラディや信頼できる部下のこと。

 今後のリアート家への援助のこと、リアートの領地を見て回ったこと、感じたこと。


 少し話しすぎて、結局そのままお互い睡魔に勝てず眠りにつくことにした。

 惜しいことをしたという気持ちと、もっと自分を知ってもらってからという気持ちをを抱えて彼女の寝顔を見つめる。

 王都に戻ったならば、スケジュールを見直して家に帰れる日を増やそう、と心に決めて目を閉じた。





アレンさんがやり手の商人には見えない不思議。

きっと仕事中とプライベートは思考が違うんです。仕事スイッチがあるんです。多分。

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