R49,忍者は忍ぶ者(今更感あるけど)
小鳥がこれでもかと囀る爽やかな朝。
「あー……だるっ」
爽やかさが枯渇気味な顔で、ガイアはつぶやいた。
築四〇年越えのボロアパートの一角である自室玄関に鍵をかけ、「お前はおっさんか」と言われても仕方無い重めの溜息。
昨夜はレポートの作成に時間を取られてしまい、やや睡眠不足気味なのだ。
追い打ちをかけるが如く、本日の講義は一限から四限まで。そしてその後はバイトのカラオケハウスへ直行と言う鬼畜コース。
大学生が体力をごっそり削られる、一種のあるあるコンボである。
「……ん? 何だ、このベニヤ板」
何だろう。
何かやたらに分厚いベニヤ板が、ガイアの部屋のすぐ傍の壁に立てかけられていた。
本当、すごい分厚い。拳銃の枠に収まるくらいの口径での射撃なら、普通に防げそうなレベルの厚みだ。
「?」
お隣さんが何かに使うのだろうか。
棚を作るには厚過ぎるし…木彫りの彫刻でもやるのか。
(確か、こっち側のお隣さんは美大生だったっけか……)
ベニヤ板の用途を芸術方面で色々と想像するが、寝不足気味であんまり頭が回らない。
ガイア自身元々、芸術方面にかなり疎いと言うのもあるだろう。
結局、「まぁ、どうでも良いか」と言う結論で片付けることにした。
てな訳で、鍵を掌で遊ばせながら、ガイアが大学へ向かうべく歩を進め…ようとした直後。
ガイアの鼻先をかすめて、黒い何かが高速で飛来。アパートの外壁に突き刺さった。
「………………!」
気だるさが、一気に吹き飛ぶ。
同時に血の気も引く。
ガイアは青ざめた顔で飛来物を確認。
壁に突き刺さっていたのは、一本のクナイだった。
そう、クナイ。
本来の用途は掘削器具だが、近接・投擲武器としても活用できると言う、サバイバルナイフに近い運用思想を持つ便利用品。
使用する人物の職業は大体、忍者。
そのクナイの柄の部分には、何やら紙が巻き付けられていた。
おそるおそる、ガイアはクナイを引き抜き、その柄の紙を解く。
細く畳まれたコピー用紙、その紙面には達筆の筆字で『寝不足とは感心しないわ』と記されていた。
「……………………」
手紙を眺めながら固まるガイア。
またしてもガイアの鼻先をかすめ、クナイ二投目が飛来する。
そのクナイに巻き付いていた文書は……
『申し遅れたわね。私は真の忍者、ホタルビ・ランパ。よろしく』
「………………………………」
フッ、と静かに笑い、ガイアは激しく動揺する。
来た。来ちゃった。
このタイミングで真の忍者…十中八九、先日カゲロウが言ってた奴だ。
とにかく、動揺を悟られぬ様に笑顔を保ったまま、ガイアは自らの額を人指し指で三回叩く。
カゲロウに設定してもらった、忍者テレパシー回線を開く合図だ。
しかし、
『ブーッ。すまん。ただいま健やかなる睡眠中のため応答できん。用があるならばピーッと言う謎の怪音の後に…』
「役立たずがッ!」
ガイアの叫びの直後、クナイ三投目。
『あんたがガイア・ジンジャーバルトね。急な訪問で申し訳ないけど、まぁ勘弁しといて。さて、早速本題よ。先日、私はニンジア家の紹介であんたとの縁談を持ちかけられていた訳だけど、あんたがその縁談の席から逃走したのは何故?』
「何故って……」
ガイアが読み終わると同時に四投目。
その紙面には、やや荒れた文字で、『私の何が気に入らない訳? つぅか、会ったことも無いのに私の何がわかると?』と記されていた。
どうやら、大分お怒りのご様子だ。
それもそうだ。初対面すら果たしていない相手に一方的に縁談を破棄された挙句、謝罪も何も無しに逃走された。
普通、自尊心が傷ついて当然か。
「……ってか、何でさっきから頑なにクナイ文?」
会話のテンポが悪くてしょうがない、と思っている最中に五投目。
『私は極度の人見知りであり口下手なの。だからこう言う形式で行かせてもらうわ。煩わしいだろうけど、付き合って頂戴』
「人見知り……?」
人見知りで口下手と言う複合要素は、かなり内向的な姿を彷彿とさせるモノだ。
例えばコウメの様な、声が小さくていつもやたらとおどおどしてるタイプに近い人物をイメージしやすい。
でも、クナイ文の文調は気の強そうな感じがする。
イメージとしては、いつぞやの海で出会った快活で豪快な女海賊さんが適しているか。
なんだろう、ネット弁慶的なアレなのだろうか。
それとも実は腹黒系か?
などとガイアの思考が脱線している所で六投目。
『そんなことよりも、さっきの質問に答えてくれる? 事の次第によっては、次のクナイがどこへ向かうか保証しかねるわよ』
「………………」
……まぁ、何だ。
これ以上、クナイを投げつけられてはアパートの壁がヤバい。
場所を変えた方が良いな、そしてついでに振り切れたらイイな。
そんな淡い望みをかけ、ガイアは全力で走ることにした。
繁華街の路地裏。
息を切らしてそこに駆け込んできたのは、極厚のベニヤ板を抱えた青年。
ガイアだ。
「はぁっ…はぁ、はぁぁっ……!」
人間死ぬ気になれば頑張れるものだ、冷や汗まみれで力無く笑うガイア。
抱えた極厚のベニヤ板には、無数のクナイが突き刺さっている。
このベニヤ板、咄嗟の判断で、勝手に盾として持ち出してしまったが……どうしよう、クナイだらけの穴だらけである。
生命がかかっていたとは言え、何か申し訳ない。
だが、まぁ、とりあえず、だ。
お隣さんにどう謝るか考えるのは後だ。
「か、カゲヌイは……」
カゲロウが頼りにならない以上、もう頼りはカゲヌイしかいない。
と言う訳でガイアは逃げながらカゲヌイを探していた。
しかし、いくら念じても出て来ないし、これだけ探し回っても見つからない。
……となると……
「……さてはあいつ、面白がって観察してやがるな……」
「おや、バレましたか」
カゲヌイはひょこっとガイアの背後から顔を出した。
「やっぱりか……」
「はい。ぶっちゃけ割と早い段階で面白そうな気配を察知し、傍観してました」
「お前な……」
「ちなみに、この展開を予測し、そのベニヤ板をガイア氏の部屋の前に置いといたのも私です」
「早い段階ってそこから!? つぅかそこまでするなら素直に助けろよッ!」
「まぁ、ホタっちも本気で殺す気は無い様ですし、直接手を出す程の事では無いかな、と」
彼女が本気で殺しに来てたらこんな板っきれでは防ぎきれませんよ、とカゲヌイは薄い笑みで語る。
そんなやり取りの最中、どこからかクナイ文が飛来。ガイアの持っていたベニヤ板に突き刺さった。
『何故に回答を渋り、そこまで必死に逃げるの? 何か、やましい理由で縁談を破棄したってこと? あとヌイちゃん久しぶり』
「お久しぶりです。ほら、ガイア氏。ここは男らしく回答してあげましょうよ。大魔王よりはマシなだけの魔王の様な女とお見合いなんて冗談じゃねぇと逃げ出しました、と」
「うぉおおいッ!? オブラート! オブラートって大事! ぼんたん飴とかもうオブラートありきだよってほぁっす!?」
瞬間、ガイアが抱えていたベニヤ板が、まさしく木っ端微塵に弾け飛んだ。
文も何も付いていない、シンプルなクナイによる投擲で破壊されたのだ。
ああ、殺される、とガイアは己の死期を悟る。
「…………?」
しかし、何も起きない。
「む? ちょっと様子を見てきます」
そう言ってカゲヌイは姿を消した。
そして数秒後、帰還。
カゲヌイはガイアを指差し、
「あーあー、泣ーかしたー、泣ーかしたー。せーんせいにー言ってやろー」
「泣いてたの!?」
「そりゃもう。『魔王って何よ!? 一体私の何を聞いたらそう思うのよ!?』と小声で叫びながら、クナイでアスファルトを掘削しつつさめざめと」
小声で叫ぶってどう言う発声方法だ、とどうでも良い所に興味を持っていかれかける。
「まぁ、あれですね。私と兄があなたに植え付けた偏見が、こんな形でホタっちを悲しませるとは……」
「……何か面白がってないか、お前」
「私に取ってのホタっちは、ガイア氏に取ってのテレサ氏です」
成程。ひょいひょいと掌の上に乗ってくれて、尚且つ全力で踊り狂ってくれる…そんなとても良い玩具と言った所か。
そりゃ楽しい訳だ、とガイアは納得。
「ガイア氏、今、ちょっとホタっちに直接会ってみたいと思ったでせう?」
「……否定はしない」
ガイアはテレサを嵌める時以外、極力嘘は吐かない主義だ。
ホタルビがどれくらい弄りやすいのか、直接会って確かめてみたい。
そう思ったことは紛れもない事実である。
「前々から思っていましたが、ガイア氏も中々良い趣味してますよね。握手します?」
「お前にだけは言われたくねぇ」
と、ここでクナイ文が飛来。
カゲヌイがそれを人差し指と中指の間で掴み止める。
「今日はもうお家帰る、だそうです。ふむ、どうやらダメージを入れ過ぎてしまった様ですね」
「そこまでショックだったのか……」
「まぁ、純な子ですから。お見合いの話が出た時は『少女漫画か』って感じのキラキラを撒き散らしてたと聞いてますし」
そんな乙女チックドキドキ状態で待機してたら一方的な縁談破棄。
そしてその理由は謎の風評被害。
そりゃあ、もう帰って寝たくもなる。
「……何か悪いことしたな……」
トゥルー忍者=厄介者、と言う勝手なイメージで、そんな弄り甲斐のありそうな純粋な子を滅入らせてしまった。
俺としたことが……とガイアは反省。
「ガイア氏、今、『俺としたことが……なんて勿体無いことを……!』とか思ったでせう?」
「心読むのやめろ」
「大丈夫ですよ。ホタっちは阿呆な程に素直と言うか、視野の狭い子です。ガイア氏が縁談を破棄した理由が単なる誤解だと判明した以上、その誤解を解くべくまたガイア氏との接触を試みるはず」
「! その時が……」
「はい。ガイア氏に取って新たな玩具を確保するチャンスと言うことです。そして面白そうなので私も協力しませう。共にホタっちを弄り倒しませう」
この日、ガイアは初めて、カゲヌイと心の底から親愛の握手を交わした。