ライダー、もしくは、鍵人間功太郎
0.
隕石と言うものは地球全体で年間10個ぐらいは普通に落ちるので、特段珍しい現象ではない。
だが、2013年12月1日午後6時30分、ごく微小な隕石がA知県N古屋市の、東の外れの、東山の辺りに落ちた事で、人類は大きな転機を迎える事になる。
1.
どうしてこうなったのか。
鍵山功太郎は、ブルブルと震える頭で、自分の部屋を見回していた。
部屋の内部は嵐が吹き荒れた後の様にぐちゃぐちゃにかきまぜられ、部屋の中央で女子高生が大泣きしていて、功太郎は彼女に騎乗されているのだ。
そう、騎乗、功太郎は英語で言うならライドオンされている。誤解無きように言うのであれば、功太郎が彼女に馬乗りになっているのではなく、彼女が功太郎を馬乗りにしているのだ。その癖、「こーちゃんしっかりしてよぉ」と來田二厘、十六歳処女、原付免許取立ての、文字通り功太郎の彼女が大泣きしているが、功太郎のぶるぶる震える身体は、自らの意思とは無関係に震え続ける。
熱いのだ。
ぐっと彼女が功太郎の肩をつかみ、捻った時から。自らの肉体に蓄えられたエネルギーが、内臓された2ストローク機関によって否応なく燃やされるのだ。
「ブルォオオン!!」
功太郎は、雄叫びを上げた。
「こーちゃん!?」
功太郎は走り出す。荒れ果てた安アパートの部屋の窓から飛び出して月夜、彼女を乗せて星夜。夜の街を駆け抜ける一陣の風になった功太郎は、
――どうしてこうなったのか。
功太郎は時速六十kmで流れる視界のなか、わずか数分前の事を思い出していた。
そうだ。
始まりは、尻だったのだ。
2.
ドカーン、と爆発するような音と共に、鍵山功太郎の目から、驚きの星が出た。
功太郎の尻が、ゴワっとした分厚い生地のジーンズを突き破り、深々と突き刺さる原動機付自転車の鍵の感覚を生々しく捉えていたからだ。
古典的なネット上の作法にのっとるなら『ア゛ッー』というという、叫び声か喘ぎ声か判別のつかない声をあげる場面ではなかろうか、と功太郎は一瞬思ったが、思うよりも先に声がきっちりと出ていた。作法通りではなく『ア゛ーッ』という叫び声だ。
だがしかし、功太郎にとって幸いなことに、鍵が刺さった個所は尻の穴ではない。
いや、不幸な事かもしれないのだ。
何しろ一つしかない尻穴が二つに増えた、としか表現の出来ない位置に、原チャリの鍵が深々と突き刺さっているのである。
ヤバイ、どうしてこうなった。
功太郎は己の置かれた状況を、再び振り返る。
七面倒くさい大学の講義を受けおわり、すわ、深夜バイトまで下宿で一休みすんべぇ、と六畳一間のワンルーム、その一角を一人暮らしを始めて三日目からずっと敷きっぱなしになっている煎餅布団の上に無防備に体を投げ出した、ここまではほぼいつもの話である。
ただ、いつもと違っていたのは、原動機付自転車のPondaのTomorrow(50cc)の鍵がジーンズの尻ポケットに入っていた事である。いかなる神の采配か、悪魔の悪戯か、ラプラスの魔の気まぐれなのか、不可思議な角度で功太郎の尻に突き刺さったのだ、と言う事である。
そうとしか考えようがない。むしろ、そう信じたいのだ。
痛みは不思議となかった。が、どうにも鏡を見る気が湧かない、さりとて、(便宜上)尻に刺さった鍵を自ら引っこ抜くのも恐ろしい。功太郎は恐る恐る119番へと電話しようと、携帯に手を伸ばした。その時である。
ペンポーンと、築四十年、功太郎よりも倍ほど年を取ったインターフォンが、これまた非常に古臭い音を鳴らした。
誰だ。功太郎は必死に来客予定を振り返る。バイトまであと4時間半。丁度一眠りするつもりだったから、誰とも約束をした記憶はない。功太郎の記憶のメモ帳では、今日は誰も下宿を訪れない。もう一度何ともペンポンなインターフォンの音と共に「こーちゃあん」という生温い声が聞こえて、ようやく功太郎は来客が誰かを悟った。
來田二厘だ。
小学生の頃から世話を焼いていた、後輩、兼、功太郎の彼女である。
もっとも、世話を焼いていたのは、功太郎が小学校を卒業した頃までで、中学校、高校、大学、と功太郎の年齢が上がるにつれて、逆に世話を焼かれるという状況になっていたのは仕方がない。
地元の中学のちょっと野暮ったいセーラー服を初々しく着込んだ二厘が、功太郎の部屋の掃除をちゃっちゃっちゃとやるようになって、母親にも見つかったことのない少々特殊な性癖のエロ本を発見された時にはもう、功太郎はこいつを殺して自分も死ぬか、嫁にするかどちらかしかない、と究極の選択を迫られる気分になる程度には世話を焼かれていたという始末だ。
あの時僕は若かった、と功太郎は思う。
また、こうとも思う。
男子はそういうものなのだ、と。
なお、この話を功太郎が親友にすると漏れなく「リア充爆発しろ」といわれるのだが、気が付いたらオカンが二人に増えたような話で、問答無用の外堀を埋められる感覚って言うのは、真綿で首を絞められる感覚に似ているのだがどうよ、と功太郎は思う。実際にそのことを口に出して言うと功太郎の親友は「リア充末永く爆発しろ」とかなりマジで怒る。
それはさておき、二厘の声だけである。声だけで十分である。猶更二厘にはこの姿を見せられない、と功太郎は思う。
何しろ功太郎の尻には原チャリの鍵が刺さっている。
厨房の頃に見つかった少々特殊な性癖のエロ本の時でも気まずかったのだ。
どう控えめに見ても、功太郎が特殊すぎるプレイに失敗したのでは、と二厘が思うのは間違いない。その上、さっさと119番をせねばならない程度に、鍵が体内に差し込まれているのだ。痛みは無いにせよ、異物感は恐ろしいほどにあった。
「二厘、ちょっと、ちょっと入るのは待ってくれよ」
「こーちゃん、入るよー」
声こそ間の抜けた、ガチャガチャと鍵を差し込み、回す音に、功太郎は覚悟を決めた。
――抜こう。鍵を。
功太郎は尻に突き刺さった鍵に手を伸ばした。
そして、堂々と二厘の前に出よう。
尻から鍵人間からは脱却して、病院に行くのだ。ぶっちゃけ二厘にこれ以上の弱みをつかまれたくない。まだまだ功太郎は亭主関白の夢を見ていたいのだ。どれだけ客観的に無理があることであろうと!
ガチャリ、と二厘が扉が開くのと、フンヌと功太郎の手が、突き刺さった鍵を引き抜くのではなく、フルスロットルで尻の鍵を捻ったのは同時であった。力の加減を入れ間違えたのだ。抜くのと捻るのじゃあ動作が全然違うだろう、と冷静に功太郎の意識は指摘したが、捻ってしまったものは仕方ないのだ。
功太郎の尻がブルンと力強い脈動を発した。
屁が、排気ガスの如くぶるん。ぶるん。ぶるるるると、大気に放出される。
例えるなら、50cc二気筒のガソリンエンジンが力強く、刺さった尻のあたりから功太郎の体内を侵食するように震えだしたのだ。
これは、功太郎の体内に約7.2馬力の猛烈なエネルギーが循環し始めた事を意味する。
どうしてこうなったのか、科学的に功太郎が説明することは難しい。
ただ、尻に刺さった鍵を捻ったら、理屈抜きにものすごい力がわいてきたのである。
二厘の黄色い悲鳴が、功太郎の部屋に響いた。
「こーちゃん、そのお尻ーっ!?」
功太郎の人生は、二度終わる。
まぁ、この場合の人生終わったという表現こそ、例えるならだれからも隔離されている冷暖房完備の小部屋に入って、思う存分引きこもりたいという事に例えれるのだが。
「ブルォオオオオオン!!」
――功太郎は、力いっぱい哭いた。
3.
功太郎にとって幸運だったのは12月と言っても雪が降らぬ地方である為、アスファルトが凍てつく事は無いという事である。
だが、それが何の慰めになるだろうか。
暗闇を走り抜けた功太郎の手足はアスファルトに切り割かれ、血まみれになっていた。
当然だ。一般道は素手や裸足で走ることを想定されていない。それでも功太郎の疾駆は止まらない。功太郎にまたがった二厘の顔は、フニャっとした笑顔がへばりついていた。彼女が功太郎を尻に敷いて、御しているのだ。
最終的に小一時間ほど二人がライドした後、星ヶ見丘(地名)の星ヶ見丘の丘に(功太郎のお気に入りの場所)に到着した頃には、功太郎は尻から出る屁もありゃしないほどにガス欠だった。
そう。ガス欠で止まったのだ。
功太郎の全身の脂と言う脂は燃焼しきり、試合の前の拳闘士もかくやと言うほどに筋張っていた。ごくごく普通の大学生であったはずの功太郎は今や減量に減量を重ねたボクサーもびっくりな具合である。
止まった功太郎のケツから鍵をごくごく自然な勢いで引き抜いて、二厘は星ヶ見丘の丘から空を見て深呼吸。
名前負けしているよね、と以前のデートで二厘がボソっとつぶやいたこの丘は、今日は名前に負けない程度に星降る夜の丘である。二厘は功太郎に向かって言った。
「こーちゃん、名古屋コーチンもビックリな具合だねぇ」
「いや、その例えはおかしいだろ」
最終的に平均時速60kmの功太郎を御しきった二厘は、別人の如く痩せ細った功太郎を見て笑った。実に爽快な笑みであった。
「まさか右肩を捻ったら加速して、左肩を捻ったらブレーキとは思わなかったよ」
「ちょっとまて、それは止まろうと思えばいつでも止まれたんじゃないか」
「そうだよ?」
人が時速60kmで走ろうと止める法など無いが、止めてくれてもいいじゃないか。功太郎が叫ぶ前に、テヘっと舌を出して二厘が言った。
「最近ちょっと太ももがぷよっとしてきてた気がして」
丁度乗馬マシンみたいで、ダイエットになったの、と地面に倒れ伏す功太郎を良い笑顔で笑う二厘は、更にほざきつづける。
「ねえ、こーちゃん」
何だ、と功太郎は二厘の問いにこたえようとした。
「この鍵、ちょっと臭いね」
「知らねぇよ!?」
一息の熱狂が終われば、ボロボロになった手足が痛む。
「ねぇ、こーちゃん」
「何だよ、手と足が割とマジで痛いんだって」
「ちょっとお尻を確認させてね」
二厘は、身動きの取れない功太郎のズボンのベルトを、ガチャガチャと下ろし、功太郎の桃尻をアッーという間に外気に露出させた。功太郎の人生は三度終わる。何もこんな野外でプレイしなくても、という意味合いで社会的にも死にそうだ。
「あー、新しい穴が出来てるのかぁ」
「なん……だと……?」
「やおい穴じゃあないみたいだね」
二厘の細い指が、功太郎の第二の尻の穴をつつく。幽かに伸びた爪が、尻に出来た鍵穴をひっかく。おおぉぉ、と功太郎が妙な喘ぎ声と、新しい特殊な性癖を開化する直前、もう一度ブスリと原チャリの鍵が突き立てられた。
「ア゛ッー」
ぶるんぶるんぶるん。功太郎の尻が再び二気筒のエンジン音を立て始めた。
が。
ぷすん。
直ぐにガス欠。功太郎の意識も暗転。
4.
目が覚めたら功太郎は見知った部屋で、うつぶせに寝そべっていた。荒れ果てた功太郎の部屋だ。夢だと思いたいが、第二の尻の穴には見知らぬ感覚が鎮座していた。加えて、人一人の重量。男の部屋の、饐えた様な臭いとは別種の、甘い匂いがほのかにただよう。
「こうちゃん、落ち着いて聞いてね」
ねっとりと甘い声が、功太郎に届く。二厘がうつぶせになった功太郎の上に、二厘が乗っかってるのだ。ご丁寧に、座椅子も括り付けている。道理で重量だけが功太郎にかかっている訳だ。
「こうちゃんは、鍵人間になってしまったのです」
痛い位の沈黙が、部屋を支配した。
一体何だ、鍵人間って。功太郎の疑問は尽きない。
二厘が酔っぱらったような、いつものふわふわとした口調に加えて熱。
「原理はやっぱり判らないんだけれども――なんだか、心のありようが、人のありようや、世界のありようも変えちゃうウイルスとかなんとか、私の頭の中で何かが語り掛けてきておしえてくれたの」
二厘の説明は、本人が理解していないことを、無理やり説明しようとしていた為に、非常に判りづらいものであったが、功太郎は一つ理解した。
心のありようで、形が変わるのであれば、功太郎はあんな原付の様なちっぽけな心の持ち主であったのか、と。
功太郎の落ち込む様を察した二厘は、優しく頭をなでる。
「それはともかく、私は考えました。こうちゃんは、もうちょっとビッグな男だと」
二厘は熱に浮かされたように、功太郎に語り掛ける。
「もしかしたら、飛行機の鍵があれば、こうちゃんは空を飛べるのではないかと」
急激に、功太郎の背筋に悪寒が走った。
もしかすると、いま、功太郎の尻に刺さっている、異形の鍵は――
「おとーさんが、セスナの鍵をたまたま持っていた訳で」
やめろ、むりだ。叫ぼうとした功太郎は、声が出ないことに今更気が付いた。
「今、こうちゃんの鍵穴には、飛行機の鍵がぶっ刺さっている訳です」
やっぱりか! 功太郎は絶望的な気分に陥る。更に畳みかけるように、二厘は言った。
「そして、とりいだしましたるは、このスピリタス」
酒だ。アルコール度数96%の、馬鹿みたいな飲料用アルコール。功太郎の部屋の冷凍庫でギンギンに冷やされて保存されていた逸品だ。ちなみにビンは、丁度ビール瓶の様な様相を呈しており、つまり――
「アルコール燃料なら、きっと上手く燃焼できるのではないかと」
それをどこに差し込むつもりだ、と、功太郎は首を全力で捻り、自らの尻を見た。丸裸にされていた。普段はとろい二厘が、功太郎の思った以上に素早い動きで、本来は出すべき場所に、スピリタスのたっぷり詰まったビンがグボっと突っ込んだ――
声なき絶叫。染み渡るアルコール。
功太郎の全身が一気に酔った。
もう何も怖くない。功太郎が見れば、二厘も顔が真っ赤である。手にはこれまた、功太郎の秘蔵のウォッカ。二厘もアルコールに酔っていた。
二厘が功太郎のケツの鍵を、力いっぱい捻った。
功太郎のケツが、テキストロン・ライカミング製のエンジンが、うなりをあげて、世界に羽ばたく為の力を放出する――
「さぁ、こうちゃん、飛ぼう! 世界へ! うぃーーきゃーーんふらーーい!」
「BRUUAAAAAAAAAAAAAAA!!」
満月の夜に、男女二人が飛び立った。それはとても、綺麗な夜で。百万ドルの夜景とはいかないものの、N古屋市の夜景はキラキラと煌めいて。夜を見上げた通行人たちは、二人の影を見た。
5.
功太郎は文字通り生身で飛行した、初の人類になった。
6.
功太郎の初フライトから、一か月位後には、生身で空を飛び、生身で航海し、挙句の果てには、生身で宇宙へと飛び立つ人間が続々と登場した。
世界中の人間が、己の世界を変革して、思うが儘に世界を変えたのである。
7.
――ところで、人の形を変えるウイルスと言うのなら、二厘は一体何に変わったんだろう?
功太郎が、急激に変化していく世界の中で、唯一変わりない恋人に問いかけた。
彼女は、いつも通りの笑顔で。
「え、わたしは、あの時から、こうちゃんのライダーになったんだよ?」
と。功太郎に跨りながら、言うのであった。