05 【二頭の馬】
王都に到着して四日が過ぎた。
急所を逸れていたためか、それとも強運のなせる技か、ラルザハルの怪我は思ったよりも早く回復のきざしをみせていた。昨日からは寝台の上でなら起き上がれるようにもなり、少しずつ食欲も戻り始めている。
「なんの用だ?」
リーナンの給仕で遅い朝食をとっていたラルザハルは、思いがけなく部屋に現れた人物に気づき、とたんに不機嫌な表情になった。
「用などない。ただ死にぞこないの顔を見に来ただけだ。暇つぶしくらいにはなるだろうと思ってな」
真顔で言い、思い出したように付け加える。
「腹の傷はどんな具合だ?」
傷を付けた当人は悪びれたようすもない。ラルザハルの冷ややかな物言いにも、刺すようなリーナンの視線にも、ジャレスは平然としていた。
「見ての通りだ」
世間話でもするような気安さで、だがどこか突き放すようにラルザハルは答えた。
憎しみはいまだ消えていない。憎悪も復讐心も変らず胸にある。同時に一番効果的な時を待つだけの冷静さも。仕損じるつもりはない。それまでは、胸のうちの感情を正直に表に出すつもりもなかった。
両親と妹が反逆罪に問われて処刑されたにしては、ラルザハルに対する処遇は驚くほど甘かった。てっきり投獄されると予想していたが、どういう理由か王宮の中に二間続きの一室を与えられている。
広さ、間取り、室内に揃えられた調度品は豪華なものばかり。上品で趣向を凝らした最高級品である。王宮の中でも最深部に位置し――ラルザハルは知らなかったが――湖水宮からもそう離れていなかった。
「なぜ俺を牢に放り込まない?」
納得がいかなかった。支配階級の人間に剣を向ければそれだけで大罪になる。首がつながっているほうが不思議なくらいだった。それとも何か裏でもあるのだろうか?
「理由などない。ただの退屈しのぎだ」
こともなげにジャレスは答えた。唇にどこか皮肉な笑みを浮かべて。
いつのまにか、ジャレスは毎日のようにラルザハルの居室を訪れるようになっていた。
自分が歓迎されていないのは承知しているようだが、王子という特種な身分のためか、もとからの性格なのか、それを気にするようすはどこにもない。
供も連れずに現われたジャレスは扉の前で立ち止まった。
「なんだ、もう歩き回っているのか」
ゆっくりとした足取りで近寄って、着替えを終えたばかりのラルザハルの手前で足を止める。
形のよい、だが心持ち神経質そうに見える顎をジャレスは上向けた。うわめづかいとは明らかに違う、強い視線だった。支配階級の者特有の、尊大で、自信に満ちた仕草だ。
「腹はもういいのか?」
来る度に、ジャレスは判で押したように同じ問いを口にする。
日に一度、前触れもなく現れては半分憎まれ口のようなことを言い帰っていく。会話がはずむはずもない。ジャレスが部屋にいるのはごく短い時間だった。
「歩けるくらいまでは回復した」
「それなら少し付き合え」
返事も待たずに、ジャレスはきびすを返すと部屋を出て行った。
ラルザハルは一瞬どうしようかと考えて後を追うことに決めた。
ジャレスは細長く続く回廊をわき目も振らず歩いてゆく。歩調はそれほど速くなかったが、脇腹の傷がまだ完全にふさがっていないラルザハルには少々きつかった。
階段を下り、渡り廊下を抜け、庭に出たところでジャレスはようやくラルザハルの方を振り返った。
「ここだ」
風通しのよい、木造平屋建ての建物が目の前にある。厩舎だった。
開け放したままの敷居を越えて中に入ると、数頭の馬が繋がれていた。それぞれがゆったりと飼葉を食んでいる。
その、いちばん奥。静かな一角に繋がれている馬にラルザハルは見覚えがあった。濃い葦毛、漆黒のたてがみ、目の上から鼻腔にかけて落雷を思わせる白斑がある。
「なぜ雷光がここに?」
「屋敷の敷地内をうろついていた。気が荒いが良い馬だな」
「ああ、自慢の馬だ。なにしろレガリア産だからな」
レガリアは国土のほとんどが草原の国である。家畜を放牧し、毛織物を始めとするさまざまな特産物や革製品などを近隣諸国に輸出している。なかでも馬――とりわけ質の良い軍馬を産出することで知られていた。
「レガリアまで買い付けに行ったのか?」
馬に興味があるのだろう。ふいに年齢相応の表情がのぞいた。
「そうだ。この目で確かめたかったからな」
ジャレスは言った。
「捕まえようとしたんだが大暴れをしてな。けっきょく手におえなかった。だが、後を追って来たので、なだめすかして連れてきた」
「ここまで?」
驚いてラルザハルは尋ねた。さぞや忍耐力のいる作業だったに違いない。
「そうだ。もう一頭の白馬と共にな」
「もう一頭の、白馬……」
心当りは一頭しかない。深雪だった。
「白馬のほうは処分してくれ」
「処分?」
「適当に売り払ってくれていい」
「あれほどの馬をか? 簡単に言うが、そうそう手に入るたぐいのものではないだろう」
念を押されるまでもない。不思議と凪いだ気持ちのままラルザハルは頷いた。
「かまわないさ。どうせ、あれの主人はもういないんだ」
「……そうか」
短い沈黙が流れ、静かな声でジャレスが言った。




