18 【裏切りと真実】
王宮は騒然としていた。
本来なら騎乗して三日の距離を、ラルザハルは雷光から深雪に乗り換え、一日で駆け抜けた。到着したのは夜明け前、まだ闇が世界を支配する時刻である。
「ああ、来てくれたのね……!」
「ラシェイ、話は後だ。いまは時間がない。ジャレス王子の居場所を教えてくれ」
「湖水宮に、レダニエさまのところにいるわ。カーゼイ大司教も一緒に立て篭もっているの。……父もそこに」
「ふたりは無事なのか?」
「ええ。……いいえ、判らないわ」
言葉を交しながらふたりは走った。長い回廊をいくつも抜け、湖水宮のある棟へと向かう。人の姿は見えないが、扉の向こう、あるいは壁の影から不穏な気配に脅える人々の息遣いが聞こえてきそうだった。
「教えてくれ。俺がいない間に何があった?」
「湖であがった死体、あれは湖水宮に仕える侍女だったの。身元の保証をしていたのはカーゼイ大司教よ。彼の周囲で、そんな娘や子供が何人も消えていたわ。女や子供……特に身寄りのない小さな子供ばかり、もう何人も」
ラシェイは苦しげに続ける。
「父は、すべてをジャレス王子に関連付けるつもりよ。主だった有力貴族への根回しも終っている。陛下の御崩御に乗じてジャレスさまを……。お願い、ジャレスさまを助けて。わたしでは父を止められない」
純白の翼を広げ湖面に浮かぶ水鳥。到着したばかりの湖水宮はそんな印象だった。怜悧な刃にも似た新月を映した水面に、あわくさざなみがたっている。
王都の正規軍の兵士に包囲された湖水宮は、あの日のカラミアの屋敷を思い起こさせる。炎に焼かれ、駆け付けたときには何もかもが手後れになっていた、もはや遣り直しのきかぬ過去の残像。ラルザハルはあの日と同じように石段をあがってゆく。
湖水宮の周囲はすでに固められ、ダファル候の手の者が内部にまで入り込んでいた。ジャレスたちはレダニエの私室に立て篭もり時間を凌いでいたが、どう転んでも事態が好転するとは考えられない。
「ダファル候の狙いは私だけのはずだ。いまならまだ間に合います。姉上は投降なさってください」
迂闊だった。ロザハ三世崩御からわずか二日後、ダファル候を始めとする有力貴族の間に不穏が動きがあることは感づいていたのだ。
「わ、わたしも。もともとわたしは無関係ですからな……レダニエさま、御一緒させていただきますぞ」
「姉上を頼む……カーゼイ大司教」
「も、もちろんですとも」
この部屋へ逃げ込むときの小競り合いでジャレスは手傷を負っていた。斬りつけられた右手がひどく痛む。止血だけは自分ですませたが気休めていどでしかなく、利き腕をやられ剣を握るのもおぼつかない。
「姉上、お急ぎください」
レダニエは動かなかった。繊細な装飾を施された小箱を胸に抱えたまま、優雅に小首を傾げてみせた。
「なぜ、わたくしが?」
箱の中、貝殻が清んだ音を響かせる。
「おわかりでしょう……。さあ、それをこちらに……」
「わたくしに気安く触れないで」
ジャレスが手を伸ばすと、レダニエはするりと身をかわした。素早く部屋を横切って奥の寝室に向かう。
「姉上……っ!」
部屋の扉が破られたのは、そのときだった。
怒声とともに幾人もの兵士が部屋に雪崩れ込んでくる。兵士に取り押さえられたカーゼイ大司教の悲鳴が部屋に響いた。
ダファル候は後々の憂いを取り除くため、あらかじめ兵士に指示を出していたのだろう。兵士は剣を抜き、ジャレスに斬りかかった。
「きさまら……」
ジャレスは一度は攻撃を受け止めた。傷を負った腕に激痛が走る。乾いた音を響かせて剣が床に転がった。兵士が剣を振り下ろすのが、やけにゆっくりとした動作に感じられる。ジャレスは動くことも忘れ茫然と見入った。そのとき怒声が鼓膜を震わせた。
「やめろ!」
ふたたび衝撃がジャレスを襲った。腕の激痛が蘇りジャレスは低くうめいた。目にしながら、信じることができない。
「お前……どうして」
「黙れ!」ラルザハルはジャレスに背を向けたまま、怒ったように言う。「そんなこと俺に訊くんじゃない。お前がどうなろうと俺の知ったことか。だが、誰かが死ぬのはもう沢山なんだよ! ……それだけだ」
「嘘つき」
剣を手に、ラシェイが笑って言った。
「来るな、と忠告をしたはずだ」
「ああ。だが俺も意志表明くらいはしなとな」
苛立ったようすのダファル候に、ラルザハルは頷いて見せる。
「貴方が探していたものはこれだろう」
ラルザハルは懐から金の指輪を取り出した。ゆっくりとした足取りで、窓の側に立つダファル候の目前まで歩み寄る。
「とうとう見つけたのだな!」
「ひとつ尋ねたい。ダファル候、貴方がこれを考えついたのは陛下の御崩御が近いと判ったときか? それとも俺が生まれたときからか?」
いったん言葉を切り、続ける。
「カーゼイ大司教に俺の情報を流したのは貴方だ、ダファル候」
「本当なの、お父さま……っ!」
ダファル候は娘に視線を向け、息をつくと肩をすくめた。
「なぜ解かった?」
「産まれたばかりの赤子が生きていることを知っているのは王自身と、密かに匿っているカラミア領主の父と母、そしてすべての手はずを整えた父の親友である、貴方だけだ」
ラルザハルの言葉にダファル候は頷いた。
「その通りだ。この私がカラミアの屋敷を襲わせるよう仕向けた」
「なんだと……!」
気色ばむジャレスを手で制し、ラルザハルは続ける。
「次代の国王になるジャレスのもとで神殿が勢力を伸ばすのを良しとしなかったからか、更なる権力を求めてのことかなど、俺にはどうでもいい。……犠牲が出る前に駆け付けるつもりだったのか、最初からそれをも予定のうちだったのか……真実を知ったとしても死んだ者は帰って来ない。だが忘れるな、二度とはないと思え」
金の指輪に彫り込まれた双頭の獅子。燭台の灯りに影が赤く揺らめいた。
「まだ言っていなかったな……これが俺の答えだ」
手に持っていた指輪をラルザハルは窓の外に投げ捨てた。金の輝きが放射線を描いて落下する。水音を響かせ、指輪は闇の彼方へ消えた。
「王になれるのだぞ」
「俺がいつそんなことを頼んだ?」
ラルザハルは吐き捨てた。
「さあ、茶番は終わりだ。それから薬師を呼ぶんだ。ジャレス王子の傷の手当てを頼む。……おい、立てるか?」
「私のことより、姉上が寝室に」
「大変です。レダニエさまがどこにも……」
寝室を調べた侍女が言った。ラルザハルはレダニエの寝室に入って行く。
「見つかったか?」
ラルザハルの問に皆は一斉に首を横に振る。しらみつぶしにあたってみたが、部屋のどこを探してもレダニエは見つからなかった。
「そんなはずはない。もう一度よく探せ。出入口は一個所しかないんだ。忽然と消えるなどありえない」
そこまで言って言葉を飲み込む。ふいにあの夜の光景が脳裡をかすめた。ラルザハルは寝室を出ると部屋の外に向かった。
「どうかしたのか」
「心当りがあるんだ……たぶん」
「待て! 私も……」
「お前は傷の手当てが先だ」
慌てて後を追おうとするジャレスを制し、ラルザハルは湖水宮を飛び出した。そのまま王宮の前庭まで走り、周囲を見回す。深雪はすぐに見つかった。さっき残して来た場所でゆったりとくつろいでいる。
「来い、深雪!」
駆け寄って来た深雪の背に飛び乗る。
湖水宮から徒歩で近道を行くのと馬で遠回りするのでは、どちらが速いだろう。少なくともいつ見つかるか判らない、隠し通路を探すより数段速いはずだった。




