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16 【呪われた真実】



 ロザハ三世崩御の通告がなされたとき、ラルザハルは父、ラーバルドの書斎にいた。

 羊皮紙にしたためられた文に目を通し、窓越しの風景に目をやる。修繕を終えたばかりの前庭は静かで、人の姿はない。

 屋敷内に放たれた火は取り返しのなくなる前に消し止められ、いったんは散り散りになった使用人たちも、新たな主人の帰宅を聞き付け戻ってきていた。

 ひさしぶりに戻った屋敷は修繕しなくてはならない個所がいくらでもある。

 新たな主人を迎えたばかりのカラミア家は、徐々に活気を取り戻し、日常へとかえって行った。ただひとり、ラルザハルを除いては。

 いなくなった人々が帰ることはない。

 レパルの姿はなく、両親の寝室は空いたままだ。メイアが騎乗していた深雪はとうに売り払われ、厩にいるのは雷光だけだった。

 国王の葬儀は五日後となっている。

 国葬が滞りなく行われた更に十日後には戴冠式が控えていた。ラルザハルはカラミア領当主として、両方に出席することが決まっていた。

「何かお飲物でもお持ちしましょうか?」

「ああ、いや、いまはいいよ。すまないな」

 リーナンは歳若いながら先代の執事、レパルの代わりを務め、立派にカラミア家の細事を切り盛りしていた。

 あいかわらずラルザハルの身の回りの世話を焼く彼女に「余計な仕事が増えるから誰か他の者にでも」と申し出たが、どうやら他人に任せるつもりはないらしい。リーナンはただ微笑んで首を横に振った。

「王都へは明日の朝、お立ちになるのでしたよね。お支度はもうすんでいます。それから、いましがたダファル候の使者さまが到着なさいました」

「ダファル候の使者?」

「はい。ダファル候からの書簡をお持ちだそうです。ラルザハルさまに直接お渡しせよ、と申し付かっているとか。すでに客室にお通ししています」

「そうか。すぐに伺うとお伝えしてくれ」

「かしこまりました」

 リーナンは一礼すると、部屋を出ていった。




 心当りがなかったわけではない。

 ダファル候に伴われて王宮の奥深く、死に瀕していた老人に引き合わされたとき、既に予感めいた奇妙な思いはあったのだ。

 受け取った書簡を手に、ラルザハルは書斎に戻った。ここより他に心当りはない。書架を横にずらし、隠し部屋の扉を開ける。

 明かり取りの窓ひとつない室内は闇につつまれていた。淀んだ空気が流出し、つん、とかび臭い刺激臭が鼻を突く。

 ラルザハルは燭台を手に部屋の奥に入っていった。

 小さな書棚と紫檀の机があるだけの殺風景な部屋だった。

 数年間、一度も足を踏み入れなかったらしい。うっすらと積もっていた埃が空気に煽られて、ふわふわと空中を漂った。

 こときれる寸前、母が口にした言葉の意味がようやく判った。

 ファーニティアが伝えようとしたもの。

 それはメイアの居場所ではなかった。

 書斎の奥に隠された、この部屋の存在そのものだったのだ。

 机の引き出しには鍵の掛かった書類箱が入っていた。鍵は見当たらない。ラルザハルは持っていた短剣で鍵を抉じ開け、箱の蓋を外した。

 中身は薄布で丁寧にくるまれていた。

 双頭の獅子の象嵌がほどこされた金の指輪、そして一通の手紙が収められている。手紙にされた封蝋もまた獅子の紋章をしていた。

 手紙に書かれた内容を読んでも、すぐには言葉がでてこない。

 そこにあるのは二十年近い過去の、ひとりの男の後悔と懺悔だった。

 侍女との身分違いの悲恋と、誕生と同時に母を亡くした嬰児――本来なら王位を継げないまでも、生まれたばかりの子供は庶子として認知されるはずだった。

 ちょうど政略による婚姻で迎えたばかりの、王妃の祖国との微妙な関係さえなければ。

 密かに闇に葬られるはずだった赤ん坊に手を差し伸べたのは、王の親友であり、良き理解者でもあったラルザハルの義父――ラーバルドだった。

 彼は新妻と共に王都から遠く離れた故郷、カラミア領に引きこもり、静かな田舎町で実の息子としてラルザハルを育ててきたのだ。

 死の間際に、そうとは知らされず、一度だけ引き合わされた実の父――自分に宛てて切々と感情を訴えた手紙はだが、ただの遠い出来事のようにしかうつらなかった。

「手放すしかなかっただと」

 ラルザハルは笑った。

「いずれ必ず? これが貴方の唯一父親らしい愛情というわけか。冗談じゃない!」

 苦いものが込み上げてくる。

 ラーバルドが何を思い、ラルザハルを育てることにしたかは判らない。

 だがラルザハルの知る限り、義父は地位や権力とは無縁のひとだった。

 反逆の汚名を着せられて処刑される前、ダファル候との交流はなかったはずだ。

 そのラーバルドが殺され、ファーニティアが殺され、レパルが、幾人もの罪のない人々が……メイアまでが無残な死をとげた。

 権力を捨て、将来王位めぐって争う恐れのあるラルザハルを匿うことを選択した義父。

 ラーバルドは自らの家族を危険な立場に置く危機感を覚えはしなかったのだろうか。

 ダファル候の使者から受け取った書簡には短い文面で、しばらくのあいだ身を隠すように、と書かれていた。

 国王崩御に乗じて、神殿と通じ愚行を繰り返すジャレスを排し、その代わりにラルザハルを王位につけるつもりなのだろう。

 そしてダファル候の言う『切り札』は実在する。

 このさい、ラルザハルの意思はどうでもいい、というわけだ。

「俺か! 元凶は俺自身だったのか……!」

 机の上から書類箱が落ち、派手な音を響かせて中身が散乱した。荒れる感情のままラルザハルは言い放ち、手紙を破り捨てる。

 ダファル候はぬかりなく、すべてを実行するだろう。

 カーゼイ大司教を殺し、ジャレスを殺し。

 計画を実行に移すための下準備もおこたりなく整っているはずだ。

 ダン、と机に両手を叩きつけ、ラルザハルは下を向く。

 さっき自分が床に落とした包みが外れ、その下から一枚の肖像画を発見した。

「……!」

 風景に見覚えがある。

 海を模倣した装飾庭園にある湖だった。

 肖像画には三人の子供が描かれていた。

 そのうちのひとりはすぐに誰だか判った。ジャレスだ。まだ幼い、ほんの三歳か四歳といったところだった。

 いつのまにか手が震え出していた。

 少女をラルザハルは知っていた。

 あの夜の湖でみた少女だった。

 絵の右下に名前が書かれている。フェリニオン、レダニエ、ジャレス――三人ともロザハ三世の子供たちだ。

『亡くなったフェリニオンさまの亡霊の仕業だろう、って……』

 あの湖で少女が何を探し、ジャレスがなぜ倒れたのかようやく判った。

 指輪を懐に仕舞う。

 ラルザハルは厩に向かった。雷光に鞍を着けて厩から連れだして騎乗する。

 屋敷の前庭にさしかかったところで、リーナンとでくわした。

「俺は王都に行ってくる。リーナン、後のことは任せるぞ!」

「はい!」

 背後からどとくリーナンの声に、ラルザハルは片手をあげて応えた。

「頼んだぞ、雷光!」

 馬の首の後ろをかるく叩いてから、脇腹を両脚で圧迫して発進の合図を送る。

 心持ち手綱をゆるめてやると、雷光はおもいきり走れる喜びに馬体を揺すり、短くいなないた。



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