13 【光と影】
ジャレスがまだ幼いころ、彼には二歳年上のフェリニオンという名の兄がいた。
フェリニオンと姉のレダニエが並ぶと、どちらがどちらなのか、誰にも見分けることができないほど二人は似通っていた。
二人は仲がよく、互いだけに通じ合う目に見えない言葉を持っていた。
兄と姉は双子だった。肉体においても魂においても彼らはひとつ、目に見えない何かで繋がっていた。どちらかが病気になれば、もう片方も熱をだす。互いが必要で、互いだけがあれば満ち足りていた。
そう、嫉妬を覚えるほどに。
片方を無くせば残された方も意味をなさない、一対の、うつくしい耳飾り。それがレダニエとフェリニオンだった。
その兄が装飾庭園の湖に沈んだのは、ジャレスがちょうど四歳のときだった。フェリニオンが目の前で、青い水面にのまれて消えた日のことを、いまでも鮮明に覚えている。あの場にいたのは子供たちだけ。最初に溺れかけたのはフェリニオンではなく、ジャレスの方だった。
姿の見えない子供たちを捜しに来た侍女に湖から引き上げられ、ジャレスは一命をとりとめた。兄の遺体はほどなくあがったが、その間、ジャレスは生死の境をさまよい、レダニエはひどく取り乱して泣くだけだった。
大人たちの配慮からフェリニオンの葬儀に二人は出席せず、遺体に面会する機会もなかった。ジャレスが意識を取り戻し、ようやく寝台から起き上がれるようになったとき、すでに何もかもが終わっていて、手遅れになっていた。
双子の片割れ、残されたレダニエは文字通り半身を失い、それと一緒に彼女自身も何かを亡くしてしまった。ジャレスがふたたび会ったとき、レダニエは完全に崩壊していた。そこにあるものはレダニエの姿をした骸、精巧に造られた人形のようにうつくしく、だが魂を持たぬ人の残骸でしかないものに変貌をとげていた姉の姿だった。
ジャレスが姉に言い尽くせぬ想いを抱くのと同じ強さで、レダニエは水面に消えた半身を想い、フェリニオンを失う原因となったジャレスを憎んだ。レダニエにとってのジャレスは、たったひとり残された弟などではなく、フェリニオンを殺した殺人者でしかなかった。
弟を殺人者と糾弾しながら、だが混濁した意識は、ときに双子の兄の死を受入れることを拒んだ。
湖水宮に隔離され、フェリニオンと引き離されたと信じることもまた彼女には必要だったのかも知れない。フェリニオンは死んだのではなく、ジャレスとその側近によってどこかに幽閉されているだけなのだ。そう、ちょうどいまの自分のように。相反する事実の一方で、レダニエは本当にそう信じていた。
正気を失った思考が、望む通りの答えを導き出す。
薄紅色をした貝殻を熱心に集め、幼くして亡くなった兄にどこか面差しの似通った幼子を、いつもレダニエは手元に置きたがった。死んだ兄も、レダニエやジャレスと同じ黒髪をしていた。なのに明るい色をした髪の子供を好むのは、自分への憎しみの現われかもしれない。そうジャレスは思っていた。
彼女のような人々をロサの信仰では〈ロサの子供〉と称し尊敬の念を持って大切に扱う。
幼子のように純粋な心を持って、彼らはロサの言葉を聞き、ロサの民に天恵を与え、ときにはロサの雷をもって、民に教えを説く。
高貴な身分であるレダニエは〈ロサの乙女〉として、神殿に、とりわけカーゼイ大司教には大いなる貢献をはたしていた。
姉に言われるまま、カーゼイ大司教の手勢を率い、ジャレスはカラミアに赴いた。屋敷に火をかけ、反逆者の一家にロサの神罰を下すために。〈乙女〉の意志はロサの意志。ロサの声を下々に伝える〈ロサの乙女〉の言葉は絶対で、何にも増して尊重されるべきものだった。同時にレダニアの意志はジャレスにとって、唯一、特別な重みを持っていた。
ジャレスにとって真実それが啓示であるのかは、すでに重要ではなくなっていた。
姉の言うまま、愚行に手を染めるのは初めてではない。いままでに幾度も繰り返してきたことだ。何にもまして、兄を死なせ、レダニエをあんなふうにしてしまったのは他の誰でもない、まぎれなくジャレスだった。どちらにせよ、自分の手はもはや取り返しのつかないほど血で汚れきっている。
最後に手をかけた少女のことをジャレスは思い出していた。背に二本の毒矢を受け、死ぬ運命に脅えていた少女。
この毒は遅効性だ、とカーゼイ大司教は自慢気に説明していた。
人体を内側からゆっくりと腐らせるという珍しい毒薬で、完全な死に至るまでは何日も、ときには一季節をめぐるほどの日数を苦しみぬくことになるという。取り寄せるのには苦労をしたのだ、とそう言った。
効果を実際に試せる機会を得たことに、彼は満足していた。
『聞きたいことがあるのだ』
それが何を指すのかを、後にジャレスは知った。
カーゼイ大司教が自らカラミアを訪れた理由にも大よその察しはついていた。
少女は答えることを拒み、ロサの教えに反して自ら生命を絶とうとした。バルコニーの手摺りを乗り越える力が残っていたら、きっとそうしていただろう。たおやかで気高く、そして強かった。
バルコニーに続く廊下で、争う物音が聞こえてきた。
そのとき少女から一番近い位置に立っていたのはジャレスだった。廊下を駆けてくる足音に少女が気づき、訴えかけるような瞳がジャレスを見上げる。
言葉はなかった。どちらも何も言わなかった。だが沈黙のなかで互いの視線が絡み合ったとき、少女が何を望んでいるのか気づかされた。
現われようとしているのは、少女がもっとも待ち焦がれていて、同時に一番来て欲しくない人物――ラルザハルだったのだ。




