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11 【亡き父の親友】



 ラルザハルが到着したとき、すでに死体は岸辺に引き上げられていた。

 木の板に乗せられて体の上からすっぽりと布で覆いがされた姿は、外側からでは男女の区別も付けにくい。胸の膨らみが、かろうじて彼女が若い女性だと告げている。

 死体の見つかった岸辺には見張りが立ち、無言のまま野次馬を牽制していた。何人もの青い制服に身を包んだ近衛があたりをくまなく調べている。とてもではないが死体に近づけるような雰囲気ではなかった。

 せめて髪の一房でも目にすることができれば、とラルザハルは思った。そうすれば彼女かどうかはっきりするだろう。

 さてどうするべきか、と思案していたラルザハルは、ふと視線に気づき顔を上げた。

 見知らぬ壮年の男がこちらを見詰めている。

 見張りに立つ近衛の向こう、てきぱきと指示を出すようすから、男が指揮官であるのが判った。互いの視線が絡んだあと、横にいた部下に何ごとかを短く告げ、男はラルザハルの方へ歩いて来た。

「見たいのかね?」

 声を掛けられたことに驚いて、ラルザハルは男をまじまじと見返した。

 精悍な顔つき。よく鍛えられた手足。陽に焼け赤みがかった茶色の髪は、いかにも軍人らしく短く刈り上げてある。長身であるラルザハルと比べても身長はそれほど違わない。

「見たいのなら特別に見せてあげるよ」男が言った。「どうするかね?」

「お願いします……」

 半信半疑でラルザハルは頷いた。こんなところで躊躇してもはじまらない。

「付いてきなさい」

 背を向ける男の後にラルザハルは続いた。




 男の合図で覆いが取り払われ、その顔があらわになる。ラルザハルは息を吐きだした。彼女じゃない。

 見たこともない少女だった。侍女のお着せを着ている以外には、これといった特徴は見当たらない。明るい色の髪を乱し、うすく目を開けている。背後から頭部を重い何かで打たれたらしく、絡みあった金髪に血がこびりついていた。

「これは……」

「そう、爪がないんだよ。争った形跡はないのだが……不思議なことにね」

 言葉のとおり、少女の左手の小指には爪がまるきり欠けていた。どこかに引っかけて、爪を剥がしでもしたのだろうか。

 しばらくして男が言った。

「気がすんだかね?」

「あ、はい。……ありがとうございます」

 誰だと思ったのか、とは男は尋ねなかった。この死体になにか心当りでもあるのかとも。

 その代わりに男は言った。

「では、引き換えに、私の頼みもきいてもらうとしよう」

「なんですって、そんな話は何も」

「聞いていないって?」男は笑った。「基本的には親切心からだが、見返りを要求されないとでも思っていたのかね」

「それでしたら」

 ちょっと待って欲しいな。手を振って言葉を遮り、男は言った。

「私は金に不自由はしていない。とにかく来なさい。なに、たいした手間は取らせないよ」

 穏やかな笑みすら浮かべながら、有無を言わせぬ強さがあった。否は通じそうにない。仕方がなくラルザハルは従うことにした。



 レーゼイ・アル・ダファル――男は自らをそう名乗った。

「……ダファル候」

 ダファル家といえばアカルジャでも広大な領地を持つ名門中の名門である。とうぜん王家との縁も深く、現国王ロザハ三世の信頼も篤い、アカルジャ屈指の大貴族であった。

 そのダファル候と共にラルザハルは王宮の奥まった回廊を歩いていた。いくつもの角を曲がり、さらに奥まった回廊を進んでゆく。どこまで行くつもりなのか、とラルザハルが危ぶみだしたころ、ようやくダファル候は足を止めた。

 王宮に出入りの許された貴族たちですら、おいそれと立ち入ることの許されない静かな一角である。侍女や女官たちの陽気な笑い声もここまでは届かない。

 横に並んで立つ二人の前には、衛兵に護られた扉があった。真鍮の取っ手の付いた重厚な二枚組みの扉には、最高級の白木のラダ材が使用され、彫刻の施された雪花石膏が嵌め込まれている。

 ダファル候の合図で、衛兵はいったん扉の前で交差させた房飾りの付いた長槍を収めると、二人に道をあけた。

 先触れが彼らの来訪を告げ、次いで扉が内側から開かれる。

 薄布で帳のされた室内は薄暗く、かすかにすえた匂いがした。女官や侍女が二人に一礼し、無言のまま部屋を退出してゆく。

「さあ、こちらへ」

 ラルザハルはうながされるままに、天蓋の付いた寝台に近づいた。理由わけが解らない。これはどういうことなのだろう。

 寝台には、痩せ細った老人が力なく横たわっていた。土色の肌、枯れ枝を思わせる手、どれもが、すぐそこまで死期が迫っていることを告げている。部屋には濃厚な死の匂いが染み付ついていた。

「カラミア候の……ラーバルドの息子を連れてまいりましたぞ」

 はっとして、ラルザハルはダファル候の顔を凝視した。

「父を知っているのですか?」

 それには答えずにダファル候はラルザハルの手を取ると、老人の骨と皮だけになった手のひらに重ねた。すると老人の閉じられていた瞼がゆっくりと上がった。

「呼びかけておあげなさい」

「……ですが」

「声をかけてあげるだけだ。何でもいい。さあ、早く」

 ダファル候の真剣な面持ちに、ラルザハルは仕方なく口を開いた。

「ラルザハルと申します」

 声にならない言葉で何かを言い、老人は涙を流した。思いがけなく強い力で手を握られて、ぎょっとなる。どうしていいか判らずに、ラルザハルは助けを求めるようにダファル候の方を見た。




 部屋を辞し、もと来た回廊を戻る道すがら、ラルザハルは気になっていたことを尋ねた。

「あの方はもしや――」

「待ちなさい」

 だが最後までを言う前に制止をかけられる。

「すまないが今はまだ答えることはできない」

 いずれ明らかになるだろう。尋ねたいことはまだあったが、ラルザハルは口を閉ざし、話題を変えた。

「父をご存知なのですか?」

 問いに、ダファル候は笑みを見せた。

「そうだよ。君の御父上が王都に出仕していたころ、私達は無二の親友同士だった。よく明け方まで酒を酌みかわしたものだよ。ラーバルドが家を継ぐために故郷に帰ると言い出したときには、寂しい思いをしたものだよ。ここからだって統治はできるのだから、と説得を試みたのだが、あの頑固者は、最後まで首を縦には振らなかった」

 いったん言葉を切り、口惜しそうに続ける。

「ご家族にはおきのどくなことをしたね」

「父は本当に反逆を企てていたのでしょうか」

 ずっと胸の内にわだかまっていた思いをラルザハルは口に出した。

「どう言えばいいのかな」

 ダファル候は吐息をつくと、ラルザハルの方に向き直った。

「結局のところ反逆の証拠は何も見つからなかった。御父上を知っている私個人としては、彼が反逆を考えるなどないと信じているが、ラーバルドにその力があったのもまた事実なんだよ。彼には切り札があったしね」

「切り札ですか……?」

「カーゼイ大司教を知っているかね」

「はい」

 ラルザハルは頷いた。忘れるはずなどない。

「妹が殺された場に居合わせましたから」

「彼はジャレス王子の強力な後ろ楯だ。カーゼイ大司教にとっては、いまの体勢を崩したくはないのだろう。反逆を一番恐れているのは彼なんだよ」

 屋敷が炎に包まれて皆が無残に殺されたとき、あの場にいた兵士のほとんどは、神殿の純白の鎧を身に付けていた。胸にあった太陽の紋章が今も目に焼き付いて離れない。

「あのとき君は意識がなくて覚えていないかも知れないが、私は遅れてあの場に到着したんだ。もう少し早く駆け付けることができれば、と思うと残念でならないよ」

「そのお言葉だけで充分です」

 ラルザハルはリーナンの言葉を思い出した。屋敷の炎を消し止め、家人を埋葬したのは王都の正規軍だったはずだ。

「あなたが私の傷を手当てを?」

 ダファル候は頷き、それに、と付け加える。

「ラシェイは私の娘だ。どうだね、なかなか良い娘だろう」



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