表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/21

09 【装飾庭園】



「おい。いったいどこへ行くつもりだ」

 背後から聞こえてくる声を無視して、ラルザハルは心持ち足を速めた。

「おい!」

 不機嫌な声が大きさを増す。声は、ちょうど二、三歩ほどの距離を置き、歩調を合わせてラルザハルの後を付いてくる。

「聞こえないのか。どこへ行くのかと聞いているんだ」

 諦める気はないらしい。面倒なことだ。ラルザハルは肩をすくめた。足を止め振り返る。

「付いて来いと言った覚えはありませんがね」

 嫌味たっぷりに言ってみても、効果はまるでない。ジャレスは平然として胸をはった。

「それがどうした。私は私の好きなように行動する。誰の指図も受けはしない」

「はいはい。どうぞご勝手に」

「なんだ。何か言いたいことでもあるのか」

 傲慢そのものの口調。待ってましたとばかりに、ジャレスが食らい付いてくる。

 いつものように嫌味の応酬になりそうな気配に、いい加減ラルザハルはうんざりしてきた。正直、またか、の心境である。

「何もございませんよ。王子さま」

 その気がない、と言外に告げれば、忌々しげに舌を打つのが聞こえた。行儀の悪い王子もあったものだ。

「ふん。こんなときばかり丁寧な言葉など使いやがって。だいたい、おまえは……おい、聞いているのか」

「聞いてますよ。ちゃんとね」

 なおも文句を並べ立てるジャレスをそのままに、さっさと歩き出す。ラルザハルは昨夜通った道程をたどっていった。本音を言えばジャレスが一緒なのは願い下げだが、それを口にしようものなら、我の強いわがまま小僧のことだ、意地でも付いて来ると主張するに決まっている。仕方がない、とラルザハルはなかば諦めて自分を納得させた。勝手にしろだ。うるさい餓鬼は無視するにかぎる。

 ラルザハルが向かっているのは、昨夜訪れた装飾庭園にある湖だった。

 昨夜見たもの、あれが現実のことだとは、にわかには信じがたい。本当は自分は寝室で眠っていて、夢を見ていたにすぎないのでは。真夜中のことだ。見間違いかもしれない。けれど、あのとき逢った少女の顔は今もはっきりと覚えている。

 会話らしい会話を交す前に、逃げるように夜の向こうへ消えた少女。あっという間のできごとで、名前を尋ねることもできなかった。闇に浮かぶ陶器のように白いおもては壊れそうなほど儚げで、とても血の通った普通の人間とは思えなかった。頬を濡らす涙の跡がちらついて脳裡を離れない。供すら連れず、彼女は何を探していたのだろう。

 もう一度、確かめたい。昼の太陽のもとで。昨夜と同じように岸辺に立てば、あれが夢なのか現実なのかはっきりするだろう。

 厩舎を抜けて馬場を通り過ぎて歩くうち、さっきから文句を並べ立て、うるさいくらいに自己主張をしていたはずのジャレスは、いつのまにか口数が減っていた。会話――それは、ほとんど一方的なものだったが――が途絶え、二人はおし黙ったまま歩き続ける。自身の考えに熱中していたために、ラルザハルは妙な雰囲気に気が付かなかった。

 装飾庭園の入口にある白いアーチの前に到着して、ジャレスは初めて口を開いた。その声はどことなく沈んでいる。

「この奥へ行くつもりなのか」

「ああ。それがどうかしたのか?」

「いや、べつに……」

 いつもの毒舌ぶりはどこへやら。返って来た答えは、いやに歯切れの悪いものだった。

「嫌なら、無理に付いてくることはないぞ?」

「嫌だとは言っていない。たんに気が進まないだけだ」

「なんだ、この先に何かあるのか?」

「何もありはしない」

 きっぱりとした否定が返って来た。




 昨夜と同じ道をたどり、四阿に到着した。

 奇妙なほど閑散としている。広大な規模の装飾庭園には、日中だというのに誰もいない。庭園をそぞろ歩く貴婦人も、木陰で戯れる恋人達も、庭師の姿すら見当たらなかった。

 ラルザハルは枝葉をかき分けて、昨夜の湖へ続く小道を下ってゆく。ジャレスは相変わらず押し黙ったままだ。いつしか、その歩調までが遅れがちになっていた。

「やはり夢じゃない……」

 湖は幻などではなく、思ったとおり実在した。鏡のように凪いだ湖面は深い蒼をたたえ、昨日と同じように周囲の景色を映して揺れている。そこに足りないものは、あの少女の姿だけだった。

 ラルザハルは深呼吸をひとつした。広々とした景色を見回すと、澄んだ水面に向けて歩を進める。水に濡れるのもかまわずに、昨夜少女が立っていたあたりまで水に浸かった。視線を落とし、足元を見ようと前屈みになったとき、革のベルトで吊っていたはずの短剣が滑り落ちた。水滴がはね、水面が揺らぐ。抜き身の刀身が水の中で反射する。

 叫び声がしたのは、そのときだった。

「やめろ……っ!」

 喉を震わせるのは明らかに悲鳴だった。ジャレスはひどく取り乱していた。遠目にも、顔が蒼白になっているのが見て取れる。

「どうした?」

 てっきりすぐ後ろを付いて来ている、と思い、関心を払ってもいなかった。

 小道の出口に近い古木の陰に立ち止まったきり、ジャレスはその場を一歩も動かない。いや、動かないのではなく、動けなかった。

「やめろっ……行かないでくれ……」

 普段の彼からは想像も付かない。今にも泣き出しそうに顔を歪め、ジャレスは懇願した。恐怖に彩られたおもては色を失い、死人のそれのようだった。

「ジャレス!」

 ふいに少年の身体が傾いた。

 ふつり、と糸が切れるように意識を失い、ジャレスはその場所に倒れ込んだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ