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狂奔と朝日と少女

 紅い光が揺れていた。朧気に滲んだ光が誘うかのように闇の向こう側でゆらゆらと頼りなく。


 霞んで消えてゆくそれをアイアンサイトの向こうに眺めながら、元防人達の長は引き金に掛けていた指を震わせた。


 感情が語りかけてくる。撃て、殺せ、駆けだして奪い取れと。


 しかし冷静な自分が囁くのだ。目算で距離は幾らか? あの淡い光、車のテールランプまでの距離は五〇〇は下るまいと。弾は届こうが最早小銃の距離では無い。貴重な5.56mmを弾倉一つ分奢ってやって、奪える物は何か?


 当てることはできるだろう。弾も届くだけなら届き、彼の技量であれば適うはずである。しかして得られるのは、首尾良く行ってリアウィンドウ一枚とタイヤの一つ二つ。最上で後部座席の一人二人という所であろうか。


 到底支払った代金に見合う買い物では無い。払底しきった弾丸を支払うだけの価値など……。頭では分かっていた。


 それでも、それであっても引き金から指が離せなかった。未だ訓練された防人としての冷徹な部分が筋肉の挙動を抑えているが、そうでなかったなら既に弾丸は放たれていただろう。


 例え、過半が意味も無く虚空をかき混ぜるだけに終わっていたとしても。


 「隊長」


 そんな彼の肩に手が掛けられる。指先が切り落とされた手袋に覆われた手は、血に濡れていた。


 「……逝ったか」


 「はい。戦死です」


 振り返れば、簡素なバリケードが築かれたホームセンターの窓際、その向こうに広がる迷宮の最外縁に一人の男が横たえられていた。野戦服を着た年若い男であるが、彼の胸はもう呼吸で上下することは無い。鍛え上げられた体が、今後元防人からの呼称に応えて鋭敏に動くことも無いのだ。


 「……監視斑は」


 「侵入口をカバーしていたA斑は射角の外で、第二ポジションに移る最中に死体に阻まれ現在は離脱中です。屋上及び北西面を監視していた第B斑は敵の小銃手と交戦。現在通信途絶状態でして……」


 「戦死か」


 「恐らくは……」


 状況を聞いて、元防人の曇っていた表情は更に崩れかける。ドーランで覆われた表情は、久方ぶりに稼働した明かりに照らされても鮮明では無かったが、何かを耐えるように歪んでいた。


 ともすれば、今にも泣き出しそうな童子のように。


 一晩で信頼していた、今となっては残りも少ない部下を三人も失ったのだ。二人は屋上に出てくる、或いは何処かの窓から逃げ出そうとする者を待ち受けるために伏せさせていた斑。


 そしてもう一人は、迷宮の突破でブービートラップに掛かって果てた。他ならぬ自身の手が及ぶ範囲で。


 罠自体は単純な仕掛けであった。ビニールシートの下に隠された起動スイッチを踏めば、壁にされた棚の合間に押し込められていた木の棒の“しなり”が解放されて、横殴りに襲いかかってくるシンプルな罠。


 悪く言えば子供の悪戯レベルだ。高さが丁度人間の胴を狙い、襲いかかる角度から防弾プレートをかいくぐって横っ腹に突き刺さるよう尖った金属片が括り付けてなければの話だが。


 発動の機構は隠され方こそ杜撰であったが、巧妙でもあった。一度踏んだだけでは発動せず、二度目に踏まれて始めて発動する。


 エンジン音を聞いて慌てて迷宮の突破を図った元防人は、気付けなかったのだ。もしも彼が冷静であり、時間を掛けていれば斯様な罠は、今まで解除してきた罠と同じく訳も無く潜り抜けられたであろう。


 しかし彼は焦っていた。焦ってしまっていたのだ。敵の真意を建物の外から響いてきた車の始動音で報され、剰えその方面に置いた監視斑からの連絡が途絶したことで。


 結果はこの様だ。KIA三名、そして今、敵はアイアンサイトの向こうに悠々と逃げ去る尻を晒している。


 滲むような淡いテールライトの光は、まるで彼等を馬鹿にしているかのように消えていった。


 見誤っていた。敵は今までと同じく、この生き残るのに適した場所を捨てる筈がないと。死ぬまでしがみつき、無様に最後まで戦うと決めてかかってしまった。


 今までがそうであったからだ。誰もがやっとの思いで掴んだ、生存に適した場所を手放すなどとは思いもよらなかったのだ。それはいわば、嵐の中でやっと掴んだ板きれのような物なのだから。


 だが敵は敢えて板から手を離して、もっと良い船を探しに向かった。何時沈むかも分からぬボロなどくれてやると言わんばかりに。


 戦略を見誤り、彼我の勝利条件にあるズレを見抜けなかった己のミスである。彼等は自己の宗教を信じ過ぎたのだ。


 生きるには敵を殺し尽くすしかないという、彼等が受けた仕打ちから生み出された宗教に。


 敵の目的は生き延びることだった。逃げ延びた先で、また生きる術を探せば良いと割り切って賭に出た。仲間を殺した憎い敵であろうとも、報復に殺してやろうなどと考えず。


 理不尽を振るわれた彼等が振るう側に回ったが故に、その発想が出てこなかったのだ。必ず応報はせねばならないと考え、実行に移してきた彼等には考えも及ばぬ行動。


 なればこそ、この光景もまた当たり前の帰結であったのかもしれない。


 「処置は?」


 「は……?」


 暫し横たわる配下を呆然と眺めていた元防人であるが、不意に部下に問うた。突然の返答に彼は窮し、間抜けな声を上げてしまう。


 「処置はしたのかと聞いた」


 詰問する彼の目はいつももより尚暗く、暗渠のその奥、覗くだけで奇妙な不安を掻き立てられる闇のようですらあった。


 果たして人間の目は、こんな色をしていたのだろうか。一瞬思考を絡め取られかけた配下であるが、上官のおぞましい色味を帯びた瞳に押されて何とか返答を為した。


 捻り出すような掠れた声は、否定のそれだ。答えを得た彼は特に迷うこと無く、そうかと応えて息絶えた配下の傍らへ向かう。


 そして、半端に開いた目を閉じさせてやったかと思えば、唐突に倒れた配下の腰元からナイフを抜いて首筋へと突き立てた。地面に縫い付けるかのように、頸椎を断ち割る角度で。


 ドラマや映画のように劇的な音は響かない。ただ静かに、肉に埋められる刃に触れた血液が小さな水音を立てただけ。そして、既に鼓動の失せた体からは血潮が溢れることも殆ど無かった。


 これは死体が蘇らぬようにしてやるために必要な処置である。されども、共に有った人間にするには実に覚悟の必要な作業でもあった。


 特に彼等が狂うに至った発端は、仲間と共に生き残る為であったと言っても良い。果てた仲間の処理は、何よりも辛く、簡単ではなかった。常に葛藤と共に、言葉を贈り簡素ながら葬送として為してきた。


 しかし今、処理は驚くほど呆気なく為された。


 迷わず追ってきた上官の背中。自分たちが、否、自分たちを生き残らせるためにどんな悪事にも手を染めた頼りがいのある、いつも見ていた上官の背中……。


 それが、酷く遠い物に感じられた。あの暗渠のような瞳も相まって、今までギリギリで嵌まっていた……いや、抜け損ねていた最後の箍が外れてしまった。そんな風に見えてしまったのだ。


 「回収斑は」


 「え……はっ、はい、突如活動を再開した死体を避けるように向かっています。直にこの前に来るかと……」


 「そうか」


 元防人は立ち上がりながら、倒れた部下の小銃を取り上げた。亡骸には無用の物であるからだ。今までもそうしてきたが、何かが今までと違うように感じられて仕方がない。


 「装備を回収しろ。体勢を整えて即座に追うぞ」


 「はっ……? し、しかしここは……」


 「後で来れば良い。どうせ誰も残ってはいまい。何時でも好きに出来る……が、あれを殺せるのは今だけだ」


 自分の小銃と果てた配下の小銃を担ぎ、バリケードを破壊した窓から元防人は外に出た。背後に施設の明かりを受けつつ臨んだ外は、暗闇の中で蠢く無数の人影が嫌に目立つ。


 踊っているようにも見えた。肩を組んで横列を作り、愉快そうに体を左右に振っているように。


 誘っているのだろうか。どうしてそこにいる? どうしてそこにしがみつく? 遅かれ早かれ、こっちに来ることになるのにと。


 虚妄の呼びかけが洞のような精神に響き渡ったが、略奪者は応えなかった。ただ腰元から発煙筒を引っ張り出し、回収斑に場所を告げるべく火を熾す。


 赤々と燃え上がる光に照らし出された表情には、無謬の冷たさだけが塗り込まれていた。全ての顔面筋が機能を凍らせたような無表情。


 しかしながら、装備を回収して後を追った配下には泣いているように映った。例え言葉に出すことは無くとも、皆がそう思ったのだ。


 何度も心が折れて此処に来た。心が折れる度に彼等の指揮官は壊れ、適応していって苛烈になった。


 では、今回再び心が折れたことで何が起こるのであろうか。


 「奴らは皆、悉く殺す。ここも焼き尽くしてやる。それこそが今宵果てた戦友の弔砲になる」


 宣言であり、自己暗示のような一言。殺すために生き、報いるために殺し、殺すために殺す。最後まで折れて、行き着くところまで行き着いた結果、自分たちには何が残るのであろうか?


 蕩尽するような数多の殺しを受け入れた彼等が、始めて疑問に思った。チップとして羅紗に放り投げてきたのは、他ならない自分たちの命だ。しかし、盤面から転がり落ちていった物も全ては……。


 頼りがいのある背中を追ってきた。自分達を背負ってくれる背中を一心に追従してきた。だが、その背中が進む先を今までまともに見ていなかった自分たちに気がついてしまったのだ。


 「一度撤退し、体勢を立て直す。その後、追跡斑を編成し奴らを狩り殺す。残りはここを制圧、物資を全て回収し尽くした後に追従せよ」


 敵の移動に合わせて、果てしない追撃戦が始まろうとしていた。あれだけの車列だ、死体を蹴散らしながら移動する他無く、破壊された死体は明確な目印として足跡と化す。その一つ一つを始末する訳にもいかぬだろうから、振り切るのは楽では無いだろう。


 かくして銃口はもたげられ続ける。殺意に押されて途切れること無く。


 しかし何時の日か……丸い暗渠は別の場所を指向するであろう。きっと何時の日か、彼等の宗教が続けられなくなったその時に…………。












 明けない夜は無く、沈まない陽も無い。何があろうと世界は平等に理不尽であり、誰かが待ち望んだ明日も、明けてくれるなと祈られた朝も問答無用でやってくる。


 一夜の狂騒は終わったのだ。破壊されたフェンスや、壁に前面を突っ込んで止まったトラック。その全てを清めるかのように朝日が浚っていく。


 自然の運行は地上の何者にも頓着はしない。どれほど痛ましかろうと、どれ程凄惨な光景であろうとも構わず照らし出す。燃料が切れたのか、いつの間にやら明かりが落ちたホームセンターはいつもと違う朝をいつもと同じように迎えたのだ。


 しかしながら、そこにはもう普段の騒がしさは無い。朝食の準備を始める喧噪も、起き出した子供達の声も。


 あるのは光に追われて入り込んで来た死体の恨めしそうな呻き声と、様々な障害物にぶつかって立てる不快な音のみであった。


 此処にはもう、生者は残されていないように思われた。誰も彼もが生きるため、今まで縋ってきた場所を擲った。いずれ時間が過ぎれば、大勢が暮らした建物は他の建物と同じく忘れ去られ、誰が過ごしていたとも知られず朽ち果てることであろう。


 だが、朝日が窓から差し込んだ踊り場だけは違った。屋内に蟠る闇を切り裂いて、換気用の小窓から差し込んだ光に照らされて微かな呻き声が溢れる。


 死体の声ではない。正しくあの世から響いてくるような声では無く、紛れもなく生者の発する意志ある声であった。


 「ん……朝……? ……てか、生きてる……」


 ざんばらに斬られた金髪が揺れ、合間より除く異国の瞳が半眼で開かれた。暫し寝起きの低血圧と大量の出血による脱力感に苛まれつつ、視界は落ち着くこと無く周囲を彷徨う。


 「……あ? ……踊り場……?」


 ぼんやりとした思考が纏まらず、視覚神経から伝えられる曖昧な情報を咀嚼した結果、自分の居る場所への理解が及ぶのに多少の時間を要した。


 やっとの事で唯一の生者。恵まれた体躯によって何度目になるかは分からぬが、命を拾われた少女は覚醒を果たした。


 「……おお、やったぜ。くたばり損なってら」


 血は足りていないが、目が覚めて巡ってくれば幾分か思考もマシになる。訝りながら体を起こすと、雑にかけられていた断熱シートが滑り落ちる。


 避難用品セットによく見られる、大きな銀色の断熱シートであった。少女の長駆を半分に折りたんだ合間に挟むように敷かれたそれは、紛れもなく誰か別の人間の手による物だ。


 地面に吸われる体温と大気の冷たさから護るようにかけられたシート。言うまでも無く、足に一発貰って気を失った自分が用意できるはずも無い。


 そもそも、普通であれば今頃は外気と体温が同じになっていた筈だ。ほぼ全裸で春も遠い屋上に寝そべって、しかも太ももに大きな風穴空けて寝入った人間が翌朝を迎えられる道理が何処にあろうか。


 とはいえど、戦うように命じられて屋上に上がり、脱出を支援するために戦ったのだ。倒れながらも、「まぁ助けてくれるでしょう」という打算を抱いていたことは覚えていた。


 ただ、此処に生きて横たわっている意味が分からなかった。どうしてこんな、誰も居ない上に寒々しい所へ転がされているのか。


 此処は踊り場。見上げれば昨夜死闘を繰り広げた屋上への鉄扉があり、紛うこと無き我らがホームから移動していないと教えてくれている。


 「……何でこんなクッソ寒いところに置き去りに?」


 起き上がって確認しようとすると、自分が服を着せられている事に気がつく。脱ぎ捨てた筈のシャツとジャケットをきちんと身に纏い、下半身は肌着以外を身につけて居なかったのだが、弾を貰った太股には丁寧な治療の痕が見受けられる。


 急いでやったであろう野戦縫合ではあるが、傷はきちんと閉じられており、貫通した裏側にも丁寧に処置がされている。痕は残るだろうが、抗生物質を取って栄養さえ気を付ければ大事には至らぬよう配慮が為されていた。


 こんな事ができる人物は限られている。都合良く多種多様なエキスパートが集まる映画と違って、医療関係者など居もしないこの場で縫合が出来るのは、緊急治療の訓練を受けた自衛官くらいのものである。


 「一体何が……ん?」


 傷を庇いながら立ち上がろうとすると、シートの傍らにメモが置いてあるのが目に付いた。走り書きが踊るメモには、何故か錠剤の入ったシートとキーホルダーにぶら下がった鍵がテープで止めてあった。


 男性の荒い字体。見覚えのある筆跡だ。


 「おやっさん?」


 本調子にはほど遠い頭で、メモの内容を読み解くと、そこには簡潔な事態の説明と詫びが書き残されていた。


 記されていたのは、昨夜実施された作戦の全容だ。敵をデッドエンドと化した迷宮中央まで誘い込み、後は用意した車両でケツをまくる。


 全て少女が監禁されていた間に描かれた図面であり、おやっさんが言う「お前の思い通りにはならんぞ」の言葉が正しく形になったものだ。


 少女は全てを巻き込んでの総力戦を画策した。自分たちだけで逃げ出すことが出来ないのなら、戦闘力に優れる者が囮をすりつぶして敵を漸減すればいいと考えて。


 だが防人は戦略目標を変えたのだ。避けられぬのならば総力戦も上等。ただしやるなら大勢が生き残れる方策を探す。それこそが防人の軍方であるとばかりに。


 しかして作戦の結果、撤退の血路を切り開いた少女は“全員”の範疇から省かれた訳である。


 より安全な拠点を求めて此処を発つにあたり、悪いがお前さんは不確定要素として危険すぎるので置いて行かせて貰う、と書き置き……否、絶縁状は締めくくられていた。


 酷だとは思うが、分かるだろう? その一言を見て、少女は悟る。ともすれば、自分が全員を死なせてでも一人で生き残ることを画策するような人間であると、重々理解されていたことを。


 少女もまた狂っている。静かに淡々と、当たり前のように狂い、当たり前のように自身の狂気を受け入れている。


 なればこそ理解できるのだ。斯様な人間を一体どうして仲間として“皆”という範疇に受け入れられようかと。


 狂いながらも妥当な計算をはじき出す頭が告げる。不確定要素、危険な要素は切り捨てられるのだ。自分がやってきたのと同じように。


 結局、彼女は此処に至るまで誰の仲間ですら無かったのだ。利用し、結果的に利用されていただけに過ぎない……。


 気絶しているのを良いことに、ここぞとばかりに頸椎をねじ切らなかったのは、きっと今までの働きに対する駄賃なのだろう。


 「かー……やられた。きっついね、おやっさん……ま、いいんだけど」


 しかし、何だかんだ言っておやっさんは甘かったのだ。


 本当なら殺しておいた方が良かった。いや、殺して然るべきなのだ。


 中途半端に置き去りにして恨み骨髄で追いかけられたなら、無駄な被害が出る可能性もあっただろうに。


 とはいえ、少女がそういう“タマ”でないと分かっていたからトドメを刺さなかったとも言えるが。


 あの男は骨の髄まで武人であり、防人なのだ。殺す必要があれば殺す。事実必要な時に彼は何時だって引き金を引くことを躊躇しなかった。


 もし僅かなりとも少女が復讐に走るようであれば、今頃は屋上に擲たれていたことであろう。


 実際、そんな無駄に労力がかかる上、上手く行っても“楽な生き方”と呼べない茶番に労力を傾ける気は更々なかった。


 結局、彼女は狂っているのだ。普通の人間であれば腹を立て、多少は採算を度外視しても復讐を企てるような事があっても最優先目標が果たせるのであれば「ま、いいんだけど」で済ませられる。


 楽に生きて行けそうであれば、極論彼女は何だって良いのだ。そして今は、存外悪い状況でもなかったのである。


 剰え気まで遣われたとあっては、復讐なんぞ考えつきすらしなかった。


 「物資倉庫の鍵と……バイクの鍵ね」


 持ち出せなかった物資を集積し、纏めてあるというのだ。その中には優先して多くを積み込んだが、移動中の食料との兼ね合いでどうしても置いていくしか無かった武器もあるという。


 何とも有り難い話である。頑張りと太股に風穴作った駄賃とみれば妥当な方だろう。


 鈍く輝く鍵の光を見て、少女は一つの慣れた感覚を感じ取っていた。これは悪い流れでは無いと。自分は今、確実に生存に楽な方へ流れつつある。


 確かに一人で生き残るのは大変だ。全てを一人でやらねば成らず、便所に居る時も眠る時も警戒しなければならない。今まで頼っていた数の便利さに一切頼ることができない。


 しかし、今は移動にちょうど良い時期だ。死体は出て来ていないし、一人であれば行こうと思った所へ好いたように行ける。そして此処よりも楽に生きられそうな所を探せば良いのだ。


 確かに他の見張りが居るから、安心して眠れる環境というのは良い物だった。だが、それが枷になるようでは楽とは言い難い。大勢での移動の旅も、きっと困難なものになったであろう。


 「いい機会、そう思おうかしらねっと」


 少女は独りごちて起き上がり、ジャケットのポケットを漁った。目当ての物が指先に触れる。


 体重で潰れたソフトパックの煙草。指先で口をこじ開け、数度揺すると焦げ茶色のフィルターが飛び出す。冬の乾燥にも負けずに瑞々しい唇でそれを咥えると、少女はご丁寧に傍らに立てかけられていた愛銃を手に階段を上った。


 肉付きの良い下半身を晒したまま、ぺたぺたと足音を立てながら扉を開け放つと、その中央には昨夜自分が作った血だまりが取り残されてあった。


 自身を引きずって運んだ跡と、酸化して黒ずみ、粘りを帯びた血痕。風で倒れたマネキンと戦いの跡を踏み越えて、屋上の縁へと歩を進める。


 縁から臨むそこは、酷く伽藍としていた。


 脱出のために集められ、放置していると見せかけるために分散していた車両達は全て姿が失せていた。残っているのは、部品を取り去られて骸を晒すスクラップ車両ばかり。


 「おーおー、綺麗に逃げてくれちゃってまぁ」


 いっそ清々しいまでの光景であった。誰も残っておらず、綺麗さっぱり逃げ去っている。少女は楽しそうに表情を歪めながら、煙草に火を灯す。そして、クセになりつつあるニコチンの慰撫に身を浸し、無情に昇る太陽を見つめるのであった。


 「アンタは変わらなくていいねぇ……たまにゃ仕事休めばいいのに」


 余計なお世話だと言わんばかりに風が吹き、少女の短い髪を煽る。澄んだ早朝の空気を煙草の煙で敢えて汚しながら肺に取り込む贅沢を堪能しつつ、少女は呟いた。


 「んー……生きてる! さいっこう!」


 生きている。楽な方へ流されながら。これほど気持ちの良いことは、彼女にとって他に無い。何十という自分が直接・間接的に手に掛けた人間が足下に居ても関係ない。


 死者に何ができるのか。この清々しさは少女だけのものだ。たとえ余所から狂っていると言われようと、何するものぞ。


 結局の所、世界なんぞ知覚できる己の内側のみで完結し得る狭い世界に過ぎないのだから。


 紫煙を吐き出し、感慨深そうに少女は笑おうとして……失敗した。


 「……あん?」


 その鋭い視覚が、ある物を発見してしまったからだ。


 眼下に広がる疎らな町並み。その中を光から逃げようとしてふらふら歩く背中を。遠目に見ても腐汁で薄汚れた背中は、見間違う筈も無く死者のものである。


 火が付いたばかりの煙草が、ぽろりと溢れた。


 「な、なして……?」


 次の瞬間、唇から溢れた煙草の先端が少女の晒された足に触れ、大気を引き裂くような悲鳴が上げられた…………。











 「ふざけんなよう、畜生。前提が崩れた……死体が起き出したとか聞いてないし」


 倉庫、元は掃除用具入れとして使われ、暫くは武器保管庫になっていた残り物を集めた倉庫の中で、少女は携行栄養食を咥えながら呻いた。


 流石に反省したのか寒さに負けたのかは分からないが、きちんと傷に障らないようゆったりとしたズボンを履いているが、その表情はあまり思わしくは無い。


 片足は万全に動かず、旅の準備を進めねばならないので時間も然程無い。しかし、死体が起き出しているというのは重大事だ。


 アレが出てくると前提が変わる。死体は食事がある場所を敏感に察知し押し寄せる。それがただの一人であっても大勢が呼び寄せられるかは分からないが、必ずやってくるだろう。


 となれば移動は困難となり、バイクで移動できるか怪しくなってくる。大型車両であれば多少強引に進むことも能うが、ゲームのようにバイクで人にぶつかったならば、状況は悲惨を極める。


 それこそバイク事故の情景が“トマト”と揶揄される理由を我が身を以て示すことになりかねない。


 車と異なり搭乗者が固定されないバイクという物は、何よりも衝撃に弱いのであるから。


 「あーもー、どうするかなー……というか、割と銃置いてったなおやっさん」


 文句を言いながらも、残された物資を漁る手は止まらない。倉庫には、思っていたよりも大量の銃器が取り残されていた。


 良くて一挺二挺と想像していたのだが、存外多くの銃器が取り残されていた。流石に89式は一挺も無いが、五挺の短機関銃と三挺の拳銃。更に弾は数百発はある上、ぱらぱらと拾っていた38口径の類いは、銃と共に殆どが残されていた。


 確かに元々の数と比べれば微々たる物であるが、かなりの量だ。


 弾丸なんぞ個人の背嚢に入れさせればかなりの数を運べるであろうに、これだけ残した理由は何であろうか。単にそのスペースすら惜しんで食料と日用品を運んだか……。


 「管理しきれる限界しか持ってかなかった、ってことかな?」


 或いは内部崩壊を恐れ、確実に管理できなくなる数以上は置いていったと見るべきだろう。


 人は武器があれば強気に出るが、無いとなると大人しい物だ。相手が強力な火器を有しているとなると顕著であり、奪いがたい状況であれば過酷でも大人しくなる。


 状況をコントロールするのであれば、武器は必要であれど、あればあるだけ良いという話ではなくなる。


 むしろ過剰な武器は状況を引っかき回してくれるのだ。自分達が離反したグループに武器を持って行かれて、大変な苦労をしたのと同じように。


 「ははー、あっちはあっちで苦労しそうだ。頑張れおやっさん、祈るだけなら無料だから応援しちゃるぜい」


 正しく今となっては他人事となってしまったので、他人事のように宣って少女は弾丸に手を伸ばした。


 暫く出来なかった、弾倉へのフル装填を果たして満足そうに微笑む。弾倉には5.56mm弾がたっぷりと。腰の裏にスリングで回したMP5や、ベルトにねじ込んだ9mm拳銃にも弾丸は満載だ。


 たったこれだけで、この世の中に不可能は無いと言う気持ちにさせてくれるのだから銃という武器は偉大だ。


 だからこそ世界中に行き渡り、同時に規制されていたのであろうが。


 最後にお守りがてら、フル装填の38口径をジャケットのポケットへと放り込み、少女はカービンを担ぎ上げる。


 「さぁて、じゃあ旅立ちの準備と行きますか! 宝物庫荒らしは勇者の特権だぜぃ」


 溌剌とした笑みと共に槓桿が引かれ、景気良く金属音が響き渡った…………。

後2~3回で終わります(半年ぶり3回目の発言)

……もしかしたら4回になるかもしれません(予防線)

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