第七話 雨宿りと
「あーもう!! ほんっとついてない!!」
「うるせぇよ。大声出さなくても聞こえるっての」
「こんなとこで足止めとか……ほんとしんっじらんない」
リリーが力なくその場に座り込んだ。さすがのルイスも一言返しただけでそれ以上絡んでくることはない。
俺たちは今、雇い主の自宅まで行くため街を出て森の中を歩き回っていた。しかし、途中で雨に降られて洞窟に駆け込み、今に至るわけ。
今回は俺とリリー、それにルイスとマイス、クレイまで一緒だ。どうやら面倒な仕事のようだ。
俺は冷たい洞窟の壁に背中を預けて、仲間たちの顔を見た。疲れてはいないようだが、濡れた服や武器、リリーとルイスは特に髪を気にしている。
「それにしてもここまで順調だったのにな」
「あぁ……まさか迷うとはなぁ……おかしいな」
俺の向かい側にいるマイスが自分のレイピアの水気を払って鞘に納めるのを横目で見ながら俺は右手を顎にあてる。
そう、マイスの言った通りここまで順調だった。けど、森に入った途端何かが狂ったかのように迷い込んでしまったのだ。何度も来ている森だというのに。
足元に視線を落とし、考える。なんで迷ったんだ?
「俺もロアが道に迷うのはかなり久しぶりに見た気がする。……もしかしたら」
「え?」
「実は前に聞いたことがあるんだが……」
マイスは俺と同じように背を壁に預けると腕を組んだ。俺は口元に当てた手を下ろしマイスに視線をやる。
「何の話だよ?」
「急かすなって――なんでもこの森には雨が降ると女の霊が出るらしい」
「え……」
声をもらしたのはクレイ。わずかに声が震えている。クレイを見やるとあからさまに怯えていた。髪の先が細かく震える。
「幽霊……? それ本当ですか?」
「何、あんたビビってんの? 子供ねぇ」
リリーが半分呆れて、半分茶化しながら片目だけでクレイを一瞥する。リリーの言葉にルイスが重ねるように言った。
「まぁ、子供だしな」
「んなことわかってるわよ!! あたしのこと馬鹿にしてんの!?」
「いや~べつにぃ~」
さっきまでの静かさはどこに行った。
俺はため息をついて、それからまたマイスを見た。
「その話、本当なのか?」
魔術とか呪いとかそんなのは日常茶飯事だけど……俺たちを『迷わせるため』だけに女の霊が出るとは思えない。
「さぁな。俺は霊体を信じないタイプだ」
「じゃあ話すなよ……」
「でもありがちな話だ。霊が雨や霧の日に現れて旅人を連れていくってのは」
「ないわね。ありえない」
リリーが洞窟の入り口から少し顔を出して外の様子を窺う。雨は木々を、葉を揺らし、ざわざわと音を立てながら落ちてくる。雨のせいで視界が悪い。
「そんなの迷信に決まってる。旅人とか、商人がいなくなるのはあたしたちみたいに迷い込んで魔物に食われるからでしょ? その辺に骨とか落ちてたりして……」
「そ、そんなこと言わないで下さいよ!!」
やっぱり怖いのか。
大きく丸い目にうっすらと涙を浮かべたクレイの大声がある程度掘られている洞窟内で反響した。
俺はクレイを見、リリーを見て少し頭を抱える。
とにかく、リリーは子供を弄るのをやめた方がいいと思う。口元だけに薄笑いを浮かべて笑っているリリーになんだかガキ大将のような面影を見たのは気のせい――だよな。
「とにかくだ」
マイスがぱんぱんと仕切りなおすように手をたたく。
「雨はもうすぐ止む。止んだら少し急ごう。今日中に着かなきゃ意味ないからな」
「そうだなぁ……せっかくの仕事を棒に振るのは勿体ねぇしな」
「そういうことだ」
ルイスが自らの白い服に着いたほこりをたたいて払い、壁に立て掛けていたレイピアをベルトにつけた。
俺も倣って剣をベルトにつけなおした。
「あ、雨も止んできたみたいよ」
リリーがまだ雨が少し降っている洞窟の外に進み出る。そのあとに続くようにルイスが洞窟を出た。
二人が出た洞窟の入り口に木漏れ日が落ちる。どうやら完全に雨はあがったらしい。さっきまでざわざわ言っていた葉が雨上がり独特のしっとりと重い風になびいて落ちていく。
雨はあがった。出発だ。
俺は剣の柄に手を置いてゆっくりと外に出た。
雨が上がった森は視界を遮る霧や光が届かず見えづらい場所はなくなり、少し進んだところでいつもの遊歩道に出た。どうやら俺は霧に翻弄されたみたいだ。情けないな……
この森に魔物は出ない。だから、周りに警戒を配ることもない。
森からはあっという間に抜けることができた。
「なんであんた迷ったのよ。時間が無駄になったじゃない!」
と喚きながらリリーが俺の隣に来てキッときつく睨んできた。思わずムッとしてしまう。
「うっせーよっ。仕方ねぇだろ、俺だって完璧じゃないんだから!」
「あーあーはいはい、喧嘩しない」
いがみ合った俺たちの間に入ったのはマイス。マイスはぽんと俺たちの頭に手を置くとぐしゃぐしゃとなでてくる。
「仕事先で喧嘩すんな。今日はチームワークが必要なんだからな」
「…………」
「まぁ……そうだな」
リリーは短気だからっていうのは分かっている。でも俺が地理に長けているからって完璧じゃないのは分かってほしい。俺だって迷うときくらいある。
俺はツンとそっぽを向いてしまった相方を見て大きなため息をつく。
「街、あれじゃないか?」
ため息をついた俺の隣でルイスが目の前に小さく見える街を指差す。平原にまっすぐと伸びた細い道の先にある街だ。
「うん、間違いない。あの街が『フローライト』だ」
大きく頷いたマイスの隣で水筒の水を飲んでいたクレイがマイスを見上げる。
「マイ兄、今日の仕事は何なんでしょうか?」
「さぁ……まぁ俺たちみたいな民間人に頼むくらいだ。雑用……だろうな」
「父さんはどんな仕事も引き受けちゃうからねぇ……仕方ないわ」
半分諦めたように首を振ったリリー。さっきまで機嫌が悪かったのに少し良くなったのは街が見えたからだろう。リリーは短気でめんどくさがりだが仕事は意外とまじめにこなしている。裏にある真意はともあれ、まじめに取り組んでいるのは本当だ。
「んじゃま」
少し先を歩いていたルイスが大きく伸びして俺たちを振り返る。風が吹き、草と砂を巻き、髪と服を揺らす。その風はそっと背中を押した気がした。
「さくっと終わらせて帰ろうぜ。社長が一人寂しく待ってる仕事場にな」
ニカッと笑ったルイスの言葉にみんな笑う。
風がまた吹いて、空へと帰って行った――