第二話 賑やかな家
「ん? なんだロア。髪切っちまったのか?」
「せっかく長かったのに勿体ねーな」
婦人のとこから仕事場兼自宅に帰ってきた俺を迎えたのはそんな二つの言葉だった。
後ろ手にドアを閉めながら溜息を吐く。
「うっせ。イメチェンだよ」
「どうせリリーシャにでも切られたんだろ」
笑いを含んだ声音。少しイラッときて俺は思わず眉間にしわを寄せる。そして少し睨むようにして声の主を見た。
俺の目に映ったのは依頼を受けるために作られたカウンターに堂々と腰を下ろす、綺麗な若草色の髪をした男。こいつはここ――メルスタリオンの仲間、ルイス。整った顔をしているのにニヤけたような笑みのせいで全部台無しだ。
切れ長の銀の瞳を細めたルイスを見るとなんか脱力する。こいつの女ったらしがあからさまに見えるからだ。俺は大きな溜息をついてうなだれた。
「いーだろ別に。俺の髪なんだから」
「ま、そりゃそうだ。正直すっきりしただろ?」
「…………」
確かにその通りなんだけど。
「でもまぁ、ルビアン夫人の依頼、お疲れ。オレあの人苦手なんだよなぁ」
ルイスの隣でカウンターに背を預けながら思い出したように言った男に俺は肩をすくめた。
「それ、その人の仕事終えてきたやつの前で言うことか? つーか俺ら昨日も仕事に出てたんだから、普通マイスとルイスの番だろ?」
「違いねぇ」
そう言って盛大に笑ったのはルイスではない。ルイスとまったく同じ顔をしている男――マイスだ。
まぁ簡単に言うとこいつらは双子。
マイスは笑いを引っ込めるとルイスと同じ若草の髪をぐしゃぐしゃと掻いた。
「だってあの人オレ等のこと完全にメイドとか家政婦とかだと思ってるっぽくないか? 頼んでくる依頼は今日みたいな『犬探し』とか『物探し』とかしまいには『庭の掃除』だ。オレたち傭兵を何だと思ってんだよあの人……」
「でも依頼を寄こしてくれるだけありがたい。そのおかげで食っていけるんだから」
俺は婦人から受け取った金の入った袋をマイスに放って預けた。そして二人の前を通り過ぎてカウンターの左手にあるドアを開く。
「それ、父さんに届けておいてくんない? 俺、走りすぎて足ぱんぱんなんだわ。部屋で休んでくる」
二人に視線を送りながらそう言って俺はドアの向こう――俺達の部屋がある二階へと続く階段がある少し長い廊下を歩きだした。
もうとっくに日は落ちて、テーブルには温かい食事が並んだ。
リリーに部屋から引っ張り出された俺はとりあえずイスに座り、スプーンをくわえてぼーっとする。リリーに叱られてしまうかもしれないが、何もする気が起きない。寝起きの所為だろう、物凄く体がだるい。
あー眠い。すっげぇ眠い。
俺の隣のイスが定位置のルイスがパンをかじってリリーを一瞥した。
「んで? なんかイラついたから切っちまったのか? あんだけ長い髪はある意味珍しいのに」
「何? なんか文句ある? ていうか物食べながらしゃべんな!」
もぐもぐと口を動かしながら言ったルイスにリリーの怒声が飛ぶ。
でも俺の耳には入っては抜ける感じだった。三時間くらい自分の部屋で仮眠をとっていたから頭がまだぼーっとする。視界もなんだかぼやけている。
俺は向かい側に座り、ルイスを睨んでいる少女をぼんやりと見た。
リリーはあんな性格だが、メルスタリオンのメンバーの中ではいちばん料理がうまい。そこはやっぱり女なんだよな。そのリリーが作った飯はうまい。でもまだ頭が重い所為か食事がうまく喉を通らなかった。
「どうしたんだいロア。随分眠そうな顔をしているね」
そんな俺を見かねた父さん――優しい栗色の髪を少し長くして緩く結び、紺のローブを身にまとったメルスタリオンの社長のディオがスプーンを置いて俺に笑いかけてきた。
眼鏡の奥の鳶色の瞳が優しそうに細められたのを見て俺は曖昧に返事を返す。
リリーが「ごちそうさま」と手を合わせて席を立った。そして食器をキッチンのシンクへと持っていく。そして食器を洗いながら子供に言うような口調で言った。
「まだ眠いんでしょ? 早くご飯食べちゃってよ」
そんなリリーの背中横目で見てマイスが小声で呟いた。
「……少なからずリリーシャのせいもあると思うぞ?」
「ハァ!? どーゆー意味、マイス!!」
耳聡く聞きとって勢いよく振り返ったリリー。そんなリリーを見てルイスが大声をあげて笑った。
「マイスの言葉のとーりだろ?」
「アンタは黙ってなさい、ルイス! アンタのその口調むかつくのよ!」
「ああ!? なんだよそれ!?」
ああ。うるせー。
でもおかげで意識がはっきりしてきた。
とりあえずリリーの怒りに油を注がないように早く食っちまおう。
俺はこんな夜中でもお構いなしに騒ぐ三人を完全に無視してスープを口へ運んだ。
リリーとルイスの喧嘩はしばらく続いた。もちろん殴り合いなんてことはしないが……リリーの場合は特別だ。危ない。いろいろと。
前にも何か話した気がするけど……リリーはハーフエルフだ。つまりは。
「喧嘩で魔術を使うなって……」
「うるさい!! もう……めんどくさいな」
ダイニングの椅子に行儀悪く座り、長い銀の髪を掻き上げたリリー。そんな彼女を見て俺は大きな溜息を吐いた。
窓の外には大きな月が見える。大分西の方角へ傾いていた。ということは、あと数時間もすれば夜が明けるだろう。
先程の喧嘩の終止符は、リリーの魔術の発動を俺たちが阻止したことによって打たれた。
家ん中で魔術を放たれてはたまったものではない。物が壊れるどころの騒ぎではない。家がぶっ壊れる。
俺がダイニングの壁に背を預けてそんな事を思っているとリリーが思い出したように姿勢を戻し、頬杖をついた。
「あのさロア。明日なんだけど……」
「わかってるよ。街の外の仕事だろ?」
リリーが一瞬眉間にしわを寄せた。そして俺の目を見つめてくる。俺もリリーのターコイズの瞳を見つめた。
――この習慣はいつから付いたのだろう。リリーがいつもこうして最終確認をするのだ。
『俺が壊れないように』
少ししてリリーは澄んだ青の瞳を伏せて唇に笑みを浮かべた。
その危なすぎる雰囲気をまとった笑みに俺は一瞬ひるむ。
「ま、あんたがおかしくなったら殺す気で行くから」
久しぶりに聞いた言葉に、俺は思わずひきつった笑みを返す。
「そ、それは勘弁してくれ……」
十六やそこらで死ぬのはごめんだ。
俺の言葉を聞いて笑ったリリーにつられて俺も笑った。細い肩が小刻みに震える。
俺は、リリーや父さんがいれば壊れないで済む。だってこうして俺に時間をくれるから。
俺たちの笑い声はダイニングを埋め尽くして、下の階のルイスに「うるさい」と言われるまでやまなかった。