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僕らの誓い   作者: 緋花李
第二章 -世界篇-
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第十六話 理想と現実

 太陽が山から顔をだし、地上を明るく照らし始めた。空が美しい朝焼け色に染まり、星がだんだん姿を消してゆく。

 俺は欠伸を噛み殺しながら空を見上げていた。

 結局二時間しか眠れなかったが、気持ち良さそうに眠っているリリーを起こして朝から不機嫌になられるよりは、自分が睡眠不足になる方がマシだろう。そう考えて、彼女は起こさなかったのだ。


(……リリーは寝起き最悪だしな……)


 そんなことを思いながら、グッと背伸びをし、立ち上がる。いつもは腰に差している剣を抱え込むようにして長時間座っていたため、背骨がぼきぼきと音を立ててなった。はあ、と大きく息をつく。

 ユノを起こす、ということも考えたが、相当疲れているのか随分と深い眠りについて居るようだったから起こすに起こせなかった。

 ……なんか、俺も大分酷いお人好しだな。

 一人、ぼんやりと笑ってみた。不意にどこからか風が吹き抜け、木々をゆっくりと揺らす。

 一枚の葉がひらりと舞い落ちてきて、ユノの頬を掠めた。長いまつげが震える。ゆっくりと瞼を持ち上げ、硝子玉のような青い瞳に光が差した。


「おはよう」

「……寝すぎた……?」

「いや、全然。まだ夜が明けたばっか」


 ユノはつっと空を見上げ、眩しそうに目を細める。空はだいぶ青に染まっていた。

 白い鳥が空を横切るのを二人で黙って見送っていると、不意に小さな呻き声が聞こえ、続いてどさりと倒れる音が追ってくる。音がした方を振り返ると、そこにはさっきまで木に背を預けていたはずのリリーが、草むらに寝転がっているのが目に写った。

 さすがに……寝相が悪すぎる。布を掛けていなかったら、見えてるんじゃないか……?

 もう何度も思い至った考えを、頭を振って消し去った。

 とりあえず、起こさなきゃいけない。リリーに近寄り、屈んで彼女の肩を揺さぶって耳元で名前を呼ぶ。


「おーいリリー。おい。起きろって」

「ん……うるさい……」


 そうぼんやりと呟いて、リリーはくるりと俺に背を向けた。ああやっぱり……

 リリーはそのまますぅすぅと気持ち良さそうな寝息をたてる。

 はぁ、と大きくため息をついて立ち上がった。どうしたものかと首を捻る。こういうときは恐らくもう少し放っておけば、自然に起きると思うけど。別に今すぐに出掛けないとまずい訳じゃない。

 ……このまま放っておいて、適当に飯でも作っていようか。

 俺がそこまで考えを巡らせたとき、不意に空気が動いた。

 ふと視線をめぐらせるとユノがリリーの傍らにしゃがみこんでいる。ただじっとリリーの顔を覗き込み、微動だにしない。

 いったい、何をするつもりなんだろう。

 一瞬嫌な予感がしたが、それは杞憂に終わった。

 ユノは穏やかな寝息を立てるリリーの首筋にそっと、自らの手を当てたのだ。そう、当てただけ(・・・・・)。するとリリーはガバッと勢いよく体を起こし、触れられた首筋に手を当てて、何をされたのか訳が分からない、といった様子で周囲を見回した。やがて彼女の視線が手をひっこめたユノで止まり、先ほどまで驚きで見開かれていた瞳が徐々に釣りあがっていった。


「……なにすんのよ」

「もう、朝」

「…………」


 確かに、もう朝だ。俺は内心頷きながら、二人の様子を窺う。返す言葉が見つからなかったのか、リリーは黙ってユノをにらんだだけだ。

 険悪な(一方的にリリーのだが)雰囲気。俺はなんとなく二人から離れて一人旅立つための準備を整える。整えながら、昨日自分が口にした二人の印象を思い浮かべる。

 どこまでも交り合わない。交りあえない。リリーは今のところ、それを望んではいないだろうし、ユノは他人と一線引いている気がする。

 喜怒哀楽のはっきりした少女と、喜怒哀楽のない、人形のような少女。

 俺はどこかで、リリーがユノと仲良くなってくれればいいと思った。それは、帝都を出る前からずっと考えていたことだ。

 今、メルスタリオンのメンバーはほとんどが男であり、リリーはしばらく紅一点で過ごしてきた。そのせいかだいぶ男っぽいしさばさばしてるし、女っぽいところが少ない。

 だから、女の友達ができればいいと思ったんだ。男には話せないこともあるだろうし、同じ女性なら、きっともっと楽しいこともあるだろう、だなんて考えていた。

 ……でも、この調子じゃ、そうはいかないな……

 そう勝手に結論付け、俺ははぁとため息をついた。

 その時。

 急に肌を刺すような感覚が襲ってきた。同時に、キィンと響くような音はしないが、頭痛も起こる。昨日と同じあの感覚だ。

 咄嗟に振り返り、剣に手を置く。リリーもユノも気がついたのか、武器を構える姿勢に入り、目の前に現れた雪のように真っ白なローブを身に纏っている人物を見やる。


(……誰だ……?)


 俺はもう片方の手でこめかみのあたりを押さえて目の前の人物を凝視する。

 あの時、翡翠の都に近くにいた誰かだろうか。敵意は感じない。こちらに怯えている感じもしない。ただ、そこに立っているだけ。

 ――なら、戦う意味はない。

 俺は構えを解いて、すぅ、と息を吸い込んだ。


「驚かせてしまってすみません、俺たちはただの旅人です」


 少し離れたところにいるリリーから、『何を言っているんだ』という、不満げな視線を感じる。だが、相手に敵意はないのだ。無駄な争いは――しないが吉。

 ユノは俺の意図が読めたのが、ロングソードから手を離すとくるりと背を向けて荷物をあさり始める。

 俺はリリーを振り返って、目だけで『頼むから』と言った。リリーは眉を寄せて不満そうに唇を尖らせたが、そんな俺とユノを見つめて、リリーも仕方なくといった様子で構えを解いた。だが、それでも『相手』を睨みつけるのはやめない。リリーも感じているのだろう、昨日と同じ、あの感覚を。

 風が吹いて、空に抜けていった。その後に訪れたのは、静寂。

 その静寂はいったいどれくらいだっただろうか。不意に肌を刺すような感覚が消えた。そして、ゆっくりと空気が動く。

 目元まで深くかぶっていたフードを脱ぎさり、こちらに歩み寄ってくる。腰ほどまでの長くゆるやかなウェーブのかかった明るい青紫ウィスタリア色の髪に、穏やかなエメラルドの瞳、そして――長い耳。

 その姿は、間違いなく『エルフ』の姿だった。


「……エルフ」


 リリーがぼそりと呟く。その呟きを聞いた女性はリリーを一瞥してから、長いまつげを悲しげに伏せて胸の前で手を組む。そして絞り出すようなか細い声で呟いた。


「愛しい我が一族の血をひく者の……私たちを軽蔑する響きを持ったその言葉を――もう、何度耳にしたでしょうか……」

「…………」


 リリーは唇をかみしめ、視線を足元へと落とした。女性には、リリーが『ハーフエルフ』であることが分かったらしい。女性はまっすぐにリリーを見つめ、そしてまた目を伏せる。どこからか鳥の鳴き声が聞こえた。静寂を破る、美しいともいえる鳥のさえずり。

 その美しいさえずりをした鳥だろうか。一匹の空に溶けてしまいそうなほど澄んだ青色の羽をもつ小鳥が、女性のもとへと舞い降りてくる。女性は瞳を細め、手を伸ばして小鳥を受け入れた。

 女性は指にとまった小さな、小さな小鳥に微笑みかけ、落した視線をつ、と上げて俺たちを見つめる。そして、使っていない手でローブの裾を軽く持ち上げて会釈をした。それだけなのに、気品があって、高貴な人なんじゃないかと思ってしまう。


「驚かせてしまったのはこちらの方です。私は――あなたの言うとおり、エルフです。エルフ族のネモフィラと申します」


 その名を聞いて、ユノが少しだけ反応した。


「ネモフィラ……エルフ族の、姫……」

「……良くぞご存じで」


 ネモフィラさんは驚いた、というように目を見開いた。ユノが屈んだままゆっくりと振り返り、そしてすっと立ち上がると半身になってネモフィラさんを見つめる。

 ネモフィラさんはそのまっすぐな視線を受け止め、そしてゆっくりと会釈をしてきた。俺は慌てて会釈を返す。

 まさか、本当に位の高い人だったとは。驚きから動揺してしまう。エルフ族と言えば人間よりもはるかに知能が高く、そして長い年月を生きるということで有名だ。そしてなりより、俺たち人間が扱うことのできない、『魔法』を使うことができる。そのために、人間はエルフの力を欲し、それは何度も争いを招いた。結果、現在人間とエルフは相容れぬ存在となってしまった――人間とともにあるべきだ、という思念を抱いたエルフたちを除いては。

 そんなエルフ族のお姫様だって? 俺が今までに出会ってきた人の中で、一番くらいの高い人だろう。一市民が出会えることなんてまずないだろうに。

 ネモフィラさんはユノに当てていた視線をゆっくりとリリーへと送る。リリーはその視線に気がついてつい、と目をそらしてしまった。ここからでは彼女の顔は見えないが、きっと眉を寄せて嫌悪の表情を浮かべているのだろうと思う。握られた拳がそう語っていた。

 彼女はエルフを極端に嫌っている。俺と出会う前に何かあったのだろうけど、今までそれを探ろうとは思わなかった。なんとなく、暗黙の了解だったのかもしれない。俺はリリーと出会う前の記憶をほとんど失っているからわからないが、彼女は違うのだろう。もしかしたら、何かトラウマがあるのだろうか……

 結局、一番そばにいるはずなのに何も知らない自分が歯がゆかった。

 その時、ネモフィラさんが指に止めていた小鳥にふっと息を吹きかけ、空へと羽ばたかせる。天に向かって伸ばした手を胸の前で組み、何かを決意したように唇を強く結んだ。


「……なによ。お姫サマが『ハーフエルフ』のあたしに、何か用でもあるわけ?」


 ネモフィラさんの視線を受け続けたリリーが、そっぽを向きながら放ったのは随分と挑発的な言葉。人を近づけさせない、そんな雰囲気を持った物。

 その言葉に先ほどの決意が揺らいだのか、ネモフィラさんは一度視線を泳がせ、怯んだように見えた。だが、それは一瞬のことで、あっという間にその怯えは消えうせる。

 そして一歩踏み出して、ネモフィラさんは指を強く握りこんだ。


「エルフは――いえ、私たちは貴女方ハーフエルフにとって、許しがたい存在であり、憎むべき対象でしょう。私たちが貴女方を差別し、見捨てたのですから。だから私は、貴女方に許しを請うことはしません……許しを請う資格などないからです。私たちの行為が、たくさんの人々を傷つけ、たくさんの人々を闇へと突き落としてしまった……」


 しんとした場に響くのは、心苦しそうに話すネモフィラさんの声だけ。その声をピクリとも動かずにリリーは聞いていた。

 ネモフィラさんの言う『人々』とはきっと、ハーフエルフのことなのだろう。エルフとハーフエルフは、人間とハーフエルフよりも深い溝を刻んでいた。エルフは、エルフという血統を大切にする種族だと聞いたことがある。そんな種族からすれば、混血種ハーフなど目ざわりな存在だったのだろう。エルフたちのハーフエルフに対する差別はあまりにも酷薄だった。

 ――人間だって、同じくらい酷薄だが。


「だからこそ、私は変えたい。犠牲の上に成り立つものはまた犠牲を生んでしまう。私は、エルフのあり方を変えたいのです。人間、そしてハーフエルフとともに生きてゆく未来へ……私はこれ以上、誰かを傷つけ、犠牲を生みたくない……」


ネモフィラさんは握りしめた指をふるわせ、俯いた。怖かっただろう。今まで自分たちがしてきた行為を振り返り、言葉にするのは。

 リリーが呆れたようなため息をついたのは、ネモフィラさんが語り終えてからすぐのことだ。

 握りしめていた拳を腰へ当て、鬱陶しそうに髪の毛を払う。そしてそのまま睨みつけるようにネモフィラさんを見た。


「馬鹿じゃないの? 犠牲? 傷つける? 私たちはあんたたちに『可哀想』だなんて思われたくない。あんたたちがあんたたちの『決まり』を守るためだけに、あたしたちはあんたたちから『排除』された。違う? それが今度は打って変わって一緒に生きていける未来ですって? そんなの無理に決まってる。あんたたちのくだらない秩序のために、あたしたちは犠牲になってあげた(・・・・・・)の。そう……人間も、エルフも、強い物が上に立つ。その為には、何かを踏みにじっていかなきゃいけない。その対象が、あたしたち(ハーフエルフ)。一番手っ取り早いものね、うとまれている物を取り除くのが」

「違います、それは――」

「何が違うっていうの?」


 リリーの言葉を否定したネモフィラさんに、みなまで言わさずそう言い放って睨みつけた。リリーは声を荒げることはしなかったが、静かに怒りを膨らませている。俺が見てもわかるのだから、真正面からリリーの言葉を受け止めるネモフィラさんはそれを痛いほど感じているだろう。

 リリーはそれ以上何も言わず、ただネモフィラさんを睨みつけるだけだった。ネモフィラさんはというと、悲しそうに瞳を閉じ、肩をふるわせている。

 また、あたりを静けさが包み始めた。空は完全に青くなり、日は山のはるか上に輝いている。

 不意に、空気が動いた。ユノがゆっくりと歩き出し、リリーとネモフィラさんの間に立って、二人の顔を交互に見る。

 リリーの剣幕も、ネモフィラさんの哀情も少しだけ落ち着いた。


「……リリーシャの言っていることは、正しいと、思う……でも、姫の言う『未来』を否定しては、いけない」

「…………」


 ゆっくりと目を瞬いてユノはため息をつくようにそう言った。リリーは黙ってその言葉を聞いている。


「姫が、なぜここにいるのか……言うだけなら、エルフの里の中だけでもいい……でも、ここは魔物も存在する、所謂いわゆる外界……自らが傷つくかもしれない場所に、わざわざ出向いているってことは――」

「自分の言葉を実現するために、行動しているってか?」


 ユノは俺の言葉にゆっくりと頷いた。長い金髪がさらりと流れる。


「わたしが知っている中で、エルフの里の人たちが……外界に出ることはなかった……ましてや、姫だなんて――でも、姫はここにいる。中で吠えているだけじゃ、世界は、変えられない――」

「……本当に貴女は、何でも知っているのですね」


 ネモフィラさんはまた驚いて声を上げた。そして俺を、リリーを見て深く頷く。そして両手を広げて訴えた。


「私は、エルフたちに説くだけでは意味がないと考えてきました。しかし、里の外へ出ることはできなかった……許しが得られなかったのです。けれど、そんなことだけで引きこもり、叫んでいるだけでは何も変えることなどできない――たとえ、わが身が傷つき、命を落としても、未来を――誰もが手を取り合って生きて行ける未来を創るために。妬みあい、憎しみ合っていてはいけないと。それはやがて悲劇を招く――もう二度と悲劇を繰り返さないためにも、私は出来る事から始めようと考えました」


 彼女の言う『悲劇』は、エルフと人間が互いの利益のために招いた大戦乱のことだろうか。俺たちが生まれる、ずっと昔の話だ。その結末は今や物語として語られている。結末は――魔力の暴走を止められなかった、一人のエルフ族の男が引き起こした大規模な地震と、その強力な魔力を間近に浴びた生物の変異と暴走。これにより人間の兵士のほとんどが死にいたり、エルフにも大きな犠牲が生まれた――これが、その大戦乱の結末だと言われている。

 俺はネモフィラさんの顔をそっと見やる。

 今は強い意志を瞳に秘めている。さっきから怯んだり、決意したり、迷ったり――まだ、自分がやっていることに自信がないのかもしれない。そう感じた。

 ただ、俺は。俺は彼女の行動が間違いだとは思わない。

 俺はついてもいないほこりを落とすようにズボンをはたいた。


「俺は、貴女の行動は間違っていないと思います。何もしないでぐずぐずと地団太踏んでるよりはましだ」

「……あたしは、無駄だと思う。絶対に……」


 目をそらしながらリリーが呟くように言った。暖かな木漏れ日が俺たちを照らす。風がゆるゆると吹いてきた。そのやたらと優しい風に俺は思わず空を仰いで目を細めた。


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