第一話『雨の日の拾いもの』
六月十日の金曜日。
山口県南東部にある風篠市。周防灘に面する人口十五万人超の市だ。そんな風篠市は梅雨の真っ只中。空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうになっている。空気はじめじめとして蒸し暑くなり人々の不快を誘い、それから逃れるように部屋の中にある除湿器やエアコンを起動させて湿気を除こうと試みる。
だがそんな行動を選択できない者達がいた。 彼らは一つの部屋に押し込められ、前に立って弁を振るう年上の人物の話をしっかりと聴いて学ぶという仕事があるのだが、如何せん蒸し暑い空気のせいで彼らのやる気は著しく下がってしまう。そのため、机に突っ伏して睡魔に負けてしまう者もしばしば。
「おーい、起きろー」
二年三組の教室での六時限目の授業中。回ってきた教師に教科書で頭をパカッと叩かれ伏せていた生徒達は渋々頭を上げる。
「梅雨で気が乗らないのはわかるが俺だって怠いんだ。後十五分だから頭上げてろ」
「ふわぁ……」
国語教師の台詞に尾賀純一は欠伸をしながら目を黒板に向け、意識を失っていた間に進んだ所をノートに写し始める。彼は前から四列目、窓際というよさ気なポジションに座っていた。(面倒臭い……)
純一はため息をつきながらさっさとノートに写していき、それを終えると窓の外へと視線を向け何とは無しに視線を下へと向ける。
マンガみたいに運動場が見えるわけでもなく、視界に入るのは真横に建っている理科棟だけだ。
今は六時限目、つまりこの後は十五分間清掃して下校となる。残り十五分、授業に集中する気もならず、前に立つ教師の目を盗んで携帯電話を机の下で開きニュース一覧を開いた。
(占いか……)
画面の下に表示された星座占いのページにリンクしたアイコンを押すと彼の星座であるさそり座の占い結果が表示された。今日は七位らしい。純一がそれを目で追っていくと、こんなことが書かれていた。
人生の転機が訪れるかも。日頃と違う動きをすれば、貴方の道はころっと変わってしまいます。それがいいこととは限りません。いつもと同じ行動を心掛けましょう。
(人生の転機、ねぇ……)
読んだ割にそこまで深く考えずニュースの一覧に戻り、適当に流し読みしていく。まあ占いなどそんなものだろう。
「はい、今日はこれで終わり。学級委員」
起立、気をつけ、礼の三単語を学級委員が唱え、クラスメートはそれに倣って礼をする。
いつも通りの生活だ。そう、純一は思った。わざわざ心掛けるまでもなくいつも通りに今日も終わる。清掃場所がトイレの純一はさっさと終わらせるために教室を出た。
彼の通う神代高校は一学年八クラスで各学年三百二十人の学校だ。七組までが普通科、八組は理数科で構成され、普通科は二年になると文理選択によって理系と文系にクラスが別れる。ちなみに純一は文系だ。
三年生は第一棟に、一年生と二年生は第二棟に教室があり、第一棟と第二棟の間に職員室や保健室などがある本館、体育館が建てられているのだ。だが二年生である純一達が利用する第二棟は現在耐震工事をしており、そのため彼が今いる校舎はその工事の間仮設されたプレハブで、いかにも仮設といった感じに壁が薄く、隣の教室での授業や休み時間の生徒達の声が丸聞こえになっている。
純一が向かったのは隣の理科棟、その二階にある男子トイレが彼の清掃場所だ。本来トイレは三人で清掃をするのだが、純一以外の二人はごみ捨てと称してエスケープを決め込んでいるためここの清掃はいつも彼一人でやっている。
別段尾賀純一が生真面目人間というわけではない。一人になってもきちんやるのは他にやることがないからで、清掃も便器の水を流しながらブラシを擦るだけで大きい方をする便器などやってすらいない。
一通り便器を擦ると純一は首を横に捻った。パキッと小気味良い音が鳴る。
(こんなもんか)
勉強、運動は並。面倒臭がりで積極的に何かをしようとすることはなく、冴えないとまでは言わないものの、かっこいいとは誰も思わないような容姿。
そんな普通で地味な高校生をやっている純一はブラシを掃除ロッカーに戻して廊下へと出た。
トイレの入り口にある手洗い場。その上にある窓越しに見えるのはザーザーと地面に向かって降り注ぐ無数の線。
「面倒臭……」
ため息とともについそんな言葉が口から漏れた。理由は簡単、帰りに濡れるのが面倒臭いのだ。今日は金曜日だからいいが、神代高校の生徒、略して神高生の持つ青色(女子は紺色)の神高バッグが濡れてしまい、さらに次の日が平日なら急いで乾かさなければならないからである。
残念そうに肩を落とした純一は下の階に降り、プレハブ校舎へ戻ると自分の神高バッグを肩に掛け、下駄箱で靴を履き黒い色の傘を持って外へ出た。
清掃十五分の間にかなり降り出したようで、地面にたたき付けられた雨水が上に向かって跳ね上がっている。おかげで上からの水は防げても下からの水は防げず、ズボンの裾があっという間にびしょ濡れになってしまった。
「これじゃあ岩徳も動きそうにないな」
純一はこの風篠市の神代にある神代高校に通ってはいるが、住んでいるのは隣の市の上松市だ。人口五万超の上松市は南部の海岸線沿いを山陽本線と国道百八十八号線が、中央部をJR岩徳線と国道二号線が走っており、彼はいつも岩徳線に乗って登校している。ただ、岩徳線は一時間に一本くらいしか動かず、雨にも弱いためすぐに止まってしまうというなかなか不便なもので今日のような天気の日はバスに乗るしかない。
バスは岩徳線に比べるとやはり遅いのであまり乗りたくはないのだがこの際しかたがない。
神高前のバス停で立ち尽くすこと数分。彼の住む団地、西陽団地へ向かうバスが神代駅のほうからやって来た。
このバスは三・四時間に一本しか来ないのだが、学校が終わって少しの時に一本あるため、帰宅部の彼は長時間待つことなく乗ることができるのだ。
傘を閉じて乗り込むと、ほとんどの座席が埋まっていた。何人か前のほうで吊り革や手摺りを握っている者もいる。バスカードを差し込み口に入れて再び回収すると、空いている席がないか首を巡らせた。運よく右側の二人掛けの席が空いているのが見つかり、窓側に詰めて座って傘を膝の横に、神高バッグを膝の上に置く。
純一はバスがすぐに発車したのを体で感じながら神高バッグからイヤホンを出すと耳に付け、それをウォークマンに繋げて音楽を聞きはじめる。
最近はポルノグラフィティの歌をよく聴いている。深い理由があるわけではなく、何となく今の純一のブームなだけでまた少ししたら変わることだろう。
バスに揺られること数十分。西陽団地のバス停に着き純一は降りた。 バスが走っている間に雨はひどくなっていて開いた傘に弾丸のように降り注いでくる。強い雨とむっとくる湿気の臭いに辟易しつつ家へと向かう純一。
「帰ったらシャワーだな」
そんな無駄な決心を固めて純一は歩く。
しかし、彼のその決心はすぐに無駄に終わることになる。
「何だあれ……?」
彼の家の壁に大きなぼろ雑巾が落ちていた。雨でびちゃびちゃになったそれはもこっと膨らんでいることから何かを包んでらしい。
誰かごみを捨てていきやがったなと顔を渋くするが、放置しておいても気分のいいものではない。持って入って処分するため純一はそれに近づきぼろ雑巾を持ち上げる。
「……は?」
思わず出た言葉がそれだったのはしかたのないことだった。まさかそんなものが落ちているとは誰が考えるだろうか。
最初に目についたのは水を吸って無造作に散らばった灰色の長い髪。その長い髪が纏わり付いた本来は白くてかわいらしいであろう青ざめた小さな顔。
「人……間……?」
落ちていたのは、ぼろ雑巾以外何も身に纏っていない小さな女の子だった。




