第9話:影の配達線
「ミヤさん。 お仕事ない。」
「ノアちゃん。おはよう。」
フロンティア・ノルド連邦クエストの件、完達と言ってくれたから自信が少し持てた。
「今回は嶺北王朝への郵便よ。」
ミヤが一通の手紙を差し出す。
ーー 嶺北より、ジュイの書簡 ーー
先日お送りいただいただんまつについて、
この地の市場でも評判は上々でございます。
露店の者たちも扱いやすいと言っており、
特に若い衆の間では、ひかる画面を面白がって
何やら遊びの道具として広まりつつあります。
ただ、ときおり音がわずかに乱れるとの声も聞きました。
もし調整が効くようでしたら、次の便でお知らせください。
受け渡しの段取りにつきましては、
例の地点は今も人目が少なく、
前と同じ“声”で合図を送れば問題ないとのことです。
風が落ち着きましたら、また荷を受け取りに参ります。
どうかご自愛ください。
ーー 嶺北の友、ジュイ。
読み終えたノアは、思わず眉を寄せた。
「……なんで、これ見せるの?」
ミヤは肩をすくめ、いたずらっぽく笑う。
「別に深い意味はないよ。
でもね、ノアちゃんがこのまま届けたら……“ちゃんと通じる”から。」
「通じる……?」
「うん。暗号は、このままでいいの。」
その笑みは、意味があるようで、やっぱり意味がない。
けれど——
“ノアが気づくこと”だけを期待しているようにも見えた。
まずは、嶺北王朝に向かう。
嶺北王朝は、玄嶺帝国の属国にあたる。
技術水準は高くないが、帝国の制度や機材がそのまま持ち込まれていて、
“外側だけ帝国風”に整えられたような国だ。
監視は強い。
けれど、それは外国人というより――
“自国民が帝国に敵意を持たないか” を監視している空気に近い。
ただし、入国者への扱いは驚くほど緩い。
観光や市場取引で外貨を稼ぐのが重要らしく、
外国人には妙に親切で、警戒も薄い。
(……外貨は欲しい。でも、自国民は外の世界を見せたくない。)
そんな矛盾が、この国の景色ににじんでいる。
産業の中心は農業。
国内で消費する分より、むしろ帝国に献上する食料のほうが多い。
国土は広くないのに、農地だけがやたらと広がっているのも、そのためだ。
(帝国への“食物供給基地”なんだ……。)
だから、政治的な緊張はあるのに、
旅行客に対しては不自然なくらい表向きは平穏。
でも街のあちこちに、帝国式の監視塔や無人カメラが設置されている。
外の人間は歓迎されるのに、
国内の人は――外へ出る道をほとんど持たない。
そんな国に、私は手紙を届ける。
入国ゲートは、噂どおり“帝国式”だった。
光学膜、無言の係官、無表情の監視カメラ……
外貨欲しさに観光客は歓迎されるけれど、
“何を持ち込むか” だけは徹底的に調べる。
(帝国とそっくり……というか、ここまで真似する?)
検査台に手紙を置いた瞬間、
係官が私を見上げた。
「この手紙の内容は?」
「私は、内容についてお答えする立場ではありません。
依頼された手紙を、依頼どおりに届けるだけです。」
係官の目が細くなる。
帝国のような“疑い”というより、“作業的な圧”がある。
「……“ジュイ”とは誰だ?」
「さぁ……商人じゃないですか?
宛先が“ソコウ”ですから、貿易商人では?」
係官は一度だけ短く鼻を鳴らし、
手紙を光に透かし、角を押し、紙の繊維まで確かめる。
(監査した紙なのに……。帝国に似てるけど、こっちは“真似てる”だけだ。)
別の係官が近づき、手紙の裏面を機械に通した。
「ふむ……“ソコウ”は確かに貿易商だな。
帝国系の商人に宛てた手紙のようだ。」
「問題はないと?」
「内容を読めない限り判断はできないが……
“危険性なし”と記録して通してよい。」
淡々と言いながら、係官は手紙を丁寧に折り直す。
だが、その手つきがどこかぎこちない。
(帝国なら“規則だから徹底する”。
でも嶺北は……“徹底するふりをしている”。
そんな感じだ。)
手紙が戻される。
「国外者なら構わん。通れ。」
歓迎も敵意もない。
ただ“外貨を落としてくれる客”として扱われるだけ。
私は小さく息を吐いて、ゲートを出た。
ふわりと――潮の香りがした。
帝国のあの乾いた空気と違い、ここはどこか清々しい。
(……リゾート地、みたい。)
海が近いせいか、空気が柔らかい。
空港の前には、水平に広がる海。
その奥に小さな街並みがあり、さらに遠くには
みかんの木が段々畑のように並んだ山が続いていた。
山というより、丁寧に手入れされた果樹園の壁。
帝国の“人工的な統制”とは別の、
人の手が届いた田舎の風景が広がっている。
(観光用に見えるけど……多分ほんとうに農業の国なんだ。)
今回向かうのは、貿易商人のソコウ。
手紙の宛先でもある人物だ。
(商人なら、街の市場に店があるはず……。)
案内板を見ると、
“港前商路” と書かれた通りが目に入った。
どうやら海沿いが商業地区らしい。
私は荷物を抱え、街の中心へと歩き出した。
「……おぃ。」
不意に、背後から低い声が落ちた。
振り返ると――
黒い長衣。
嶺北の柔らかい色合いの服とは明らかに違う、帝国式の黒布。
(……帝国の人?)
「何か、ご用ですか?」
「手紙を見せろ。」
短く、刺すような口調。
嶺北人の話し方とはまったく違う。
「あなた、嶺北の方ではありませんよね。」
言った瞬間、黒服の男が舌打ちした。
「……ちっ。」
図星らしい。
嶺北の街の雑踏の中で、黒服だけが不自然に“影”のように立っている。
周囲の住民は近づかない。
視線すら合わせず、距離を取って通り過ぎる。
(やっぱり……帝国の監察士。
どうして属国の入国ゲートじゃなく、街中で声をかけるの?)
私は落ち着いて、手紙にそっと触れた。
「手紙は監査済みです。帝国でも、郵便団の監査は有効のはずですが。」
「……監査がどうだろうが“帝国の利益”は別だ。」
(帝国語のアクセントだ……ほぼ本国の人だ。)
黒服はさらに一歩近づき、低い声で続けた。
「宛先は誰だ。」
「それは守秘義務です。内容や送り主について、私からお話しすることはできません。」
「知らない、だと?」
「ええ。それが郵便団の規則です。」
黒服の眉がわずかに動いた。
“怒り”でも“驚き”でもない、
『思い通りにならない』 ときの帝国の表情。
しばらくノアを見つめたのち、
黒服は舌打ちをもう一度して、視線を外した。
「……勝手にしろ。
ただし――
“嶺北で何を見たか”は、国を出るまで口にするな。」
脅しのようで、命令のようで、
でも“帝国式の警告”はこんな言い回しだ。
黒服はそのまま、露店の影に溶けるように歩き去っていった。
(帝国、本当にどこにでもいる……。
監視してるのは嶺北じゃなくて、“嶺北の帝国人脈”なんだ。)
胸をひとつ大きく息を吐いて、
私は再び港前商路へ歩き出した。
(……急がないと。ソコウの店、どこだろう。)
黒服が去っていくのを確認してから、
私は市場へ向かって歩いた。
港前商路は、観光客向けの通りらしく、
香辛料の匂いと海風が混ざった空気が漂っている。
露店には山積みの柑橘と、
その隣には──なぜか画面が光る“だんまつ”が並んでいる。
(……本当に流行ってるんだ。)
子どもたちが楽しそうに画面を叩き、
露店の主人が誇らしげに説明している。
まさか、あの手紙の暗号のキーになるとは思いもしない。
通りの奥に、木の看板がぶら下がった店が見えた。
《ソコウ商会》
(ここだ……。)
扉を開けると、冷たい風鈴の音が鳴った。
店内は古い木造で、外より少し暗い。
カウンターの奥で、白い布の帽子をかぶった男が帳簿をめくっていた。
「すみません。ソコウさんですか?」
男は顔を上げ、ノアを一瞥する。
「……郵便団か。」
口調は穏やかだが、目だけが鋭い。
帝国人の鋭さではなく、
“商人独特の相手を値踏みする視線”だった。
「はい。手紙のお届けに来ました。」
私はカバンから封書を取り出す。
ソコウの眉がかすかに動いた。
「……ふむ。その手紙、見せてみろ。」
(さっきの帝国の人と同じこと言う……。)
でも、ソコウの手は丁寧だった。
封を開けず、紙の厚みと質感だけを確かめる。
「確かに……これは“あの人”の紙だ。嶺北では作れん。」
男はそのまま、静かに頷いた。
「中身は見ていないのだな?」
「内容について、私からお話しすることはできません。」
「……なら、いい。」
ソコウは、店の奥にある小さな箱を開けた。
古い金属製の受け皿のような箱。
「そこに置いてくれ。手渡しはせん。」
「えっ?」
「嶺北では“手渡し”は監視対象だ。
置かれたものを誰が拾うかまでは、監視は記録しない。」
(……そういう文化なんだ。帝国の影響?)
私は言われたとおり、静かに手紙を皿の上に置いた。
「……確認しても?」
「どうぞ。」
ソコウは封を開け、
ゆっくりと中身を読み始めた。
(読まれる瞬間、いつも緊張する……。)
長い沈黙。
表情は動かない。
なのに、目の奥がわずかに揺れたように見えた。
「……なるほど。」
読み終えたソコウは、
紙を丁寧に折り畳んで、懐にしまった。
「届けてくれて感謝する。
あなたの完達、確かに受け取った。」
「ありがとうございます。」
頭を下げて帰ろうとしたそのとき――
「郵便団。」
「はい?」
「それと……」
ソコウは視線を外に向ける。
「外に帝国の影がいたな。」
「えっ……」
(気づいてた……?)
「嶺北の監視より、帝国のほうが厄介だ。
今日はここから、別の道で帰れ。」
「……わかりました。」
「お気をつけて、郵便団。
嶺北は外から見える風景ほど、平和ではない。」
「……はい。」
私は店を出た。
海風が頬に触れる。
(ミッションは達成した。早く戻ろ。)
足早に帰路に立つ。
飛行機が高度を上げた頃、端末が震えた。
通信が入ったのだ。
『ノアちゃん、おつかれさま。今回も完達、大成功ね。』
ミナさんの声だ。
「ミナさん……あの手紙は、何ですか?」
『あぁ、あれ? ただの“言葉遊び”よ。』
「っえ。」
暗号というには素朴すぎる。
でも、ただの手紙にしては、あまりにも意味深だ。
『複雑な暗号はね、受け取る側にも機械や専門家が要るでしょ。
ああいう国じゃ、それだけで目をつけられる。
だから——“分かる人だけ分かる”くらいが、ちょうどいいのよ。』
「……じゃあ、あれって本当に暗号なんですか?」
『そうよ。今回の“裏の文章”は、こう。』
ミナさんは、事務連絡みたいな口調で続けた。
——裏口付きの端末なら市場で動く。
若者が広める。
“前と同じ声”に従え。
受け渡しは例の地点。
『これが、この前ジュイが送りたかった本当のメッセージ。
だんまつの話も、声の話も、市場の描写も——ぜんぶヒント。』
「……え、それ、どうやって?」
『ルールは三つ。』
軽い調子で指を折る気配がした。
『
・清濁変換
・母音シフト
・モーラ切断
この三つを、“だんまつ”以降の濁音語頭の名詞にだけかけていく。
そうすると、さっきの四文に収束するの。
——ね、ただの言葉遊びでしょ?
』
(……いや、ぜんぜん“ただ”じゃない。)
頭の中で手紙の文面をなぞってみる。
(清濁変換に、母音シフトに、モーラ切断……
それ、私一人じゃ絶対に解除できない……。)
それだけじゃない、とミナさんは続けた。
『それにね、あの三つのルール“だけ”じゃ、本当のところまでは辿り着けないわ。』
「……え?」
『あの手紙、わざと“誤字”が混ざってるの。』
端末の向こうで、ミナさんが笑った気配がした。
『本当は“だんまつ”じゃない。
でも、そこに気づくには——まずジュイという人間を知らないといけない。
どんな癖で、どんな遊び方をする人か。
ね? そこまで知ってるのは、依頼人と、ごく一部だけ。』
(……つまり、三つのルールも“完璧な答え”じゃない……?)
『それに、“例の地点”だって、言葉だけじゃ分からないわよね。
本人たちが共有してる場所の記憶がなきゃ、地図にも落とせない。』
何重にも、ミスリードが絡まっている。
それはつまり——
『暗号っていうのはね、ノアちゃん。
“正解に辿り着く鍵”よりも先に、
“部外者が辿り着けない壁”を作る道具なの。』
ミナさんの声は、いつもどおり軽いのに、
言葉の意味はやけに重かった。
(……だから、私が捕まっても、情報は漏れない。)
解除に必要なルールも、誤字の意味も、“例の地点”も、
依頼人と受取人、その周辺にしか分からない。
私にできるのは、ただ——
未達か、完達か。
たったそれだけを、世界に向けて確定させること。
手紙が届かなければ、取引は失敗だ。
受取人は現れない。
追跡もできない。
(そう考えると、私が運んでいるのは“手紙”で、
中身は、最初から私の仕事じゃないんだよね……。)
フライトマップの画面に、出発地からの弧が描かれていく。
(——今回も、ちゃんと届いた。
それだけは、私の仕事だ。)
端末を胸のあたりで握りしめて、
私は静かに目を閉じた。




