第7話:砂漠医師ネレフと消えた差出人
受けつくにつく目があう。
「おはようございます。ミヤさん。」
ミヤは書類からゆっくり顔を上げた。
その目に、いつもより深い影が差している。
「ノアちゃん。今日のミッションは……少し、特別よ。」
声は穏やか。でも、芯が硬い。
ミナさんの“軽い特別”とは違う。
これは、本部が動くときのトーンだ。
(……うわ、絶対に“普通じゃない”やつだ。)
「はい。今回のミッションはこれね。」
フロンティア・ノルド連邦にいるユーゼン・レイシュ宛ての手紙よ。
差出人は――玄嶺帝国の高官、エイラン・レイシュ。」
ノアの心臓が、ひとつ強く跳ねた。
「ノアちゃん。あと隠密渡達ね。」
新しい条件が加えられた。でも研修はしている。
手紙を受け取りフロンティア・ノルド連邦に旅立つ。
雲の切れ間を抜けた瞬間、
視界いっぱいに“光の大陸”が姿を現した。
鋼鉄ではない。
ガラスと光と空気が折り重なる、巨大な構造体。
(……すご。)
地上には、無数の直線が走っていた。
道路ではない。
**“誘導光路”**だ。
車両は一台も見えない。
すべてが、光のレーンに沿って
浮かぶように移動している。
フロンティア・ノルド連邦らしい、
“合理と力強さ”がそのまま都市になったみたいだった。
飛行機が高度を下げると、
空港らしき建物が視界に入った。
ただ――空港なのに、滑走路がない。
「……どこに降りるの?」
思わず小声が漏れる。
機体の外側を囲むように
六本の白い柱が立ち上がり、
その先端から“重力制御膜”が展開された。
機体が膜の上でふっと減速し、
まるで雲に落ちるみたいに柔らかく着地した。
(え、なにこれ……。和蘭の静けさと全然違う。)
アナウンスは短く、
必要最低限の単語だけが並ぶ。
「フロンティア・ノルド連邦へようこそ。」
「通行許可のある方のみ、こちらへ進んでください。」
淡々としているのに、
どこか命令されているような響き。
ドアが開くと、
暖かい風と冷たい人工空調が混ざり合った
独特の空気が流れ込んできた。
ターミナルに足を踏み入れると、
すぐに巨大なホログラムが目に入る。
青い地図が宙に浮かび、
到着した乗客を自動的に照合して
矢印が進行方向を示す。
(……導線が自動で出るのは和蘭も同じだけど、
こっちは“誘導されてる感”が強いな……。)
足元の床は黒曜石のような深い黒で、
その上に走る細い白ラインが
乗客の歩く方向へ静かに伸びていく。
ラインの色がふっと変わった瞬間、
目の前の壁がスライドして開いた。
入国ゲートだ。
金属ではなく、
透明な“圧力膜”のようなものが
三枚、重なるように並んでいる。
係員が立っているが、
人間とは思えないほど動作が一定。
「目的は。」
短い。
必要以上の語がない。
「国際平和郵便団です。手紙の受け渡しに。」
IDカードをかざすと、
係員の目が一瞬だけ細くなった。
(……あ、これ知ってる。
“郵便団を確認したけど、目的は追及しない”って目だ。)
玄嶺帝国が“疑う目”なら、
和蘭は“静かに見守る目”。
ここは――
“制度として扱う目”。
郵便団はただの国際枠で、
感情も警戒もない。
ただの“処理対象”。
「通行許可、了承。
貴団のルートは青ラインに従え。」
圧力膜を抜けた瞬間、
耳にふわりとデジタル音が触れた。
音というより“認証に成功した感覚”。
その奥に――
真っ白な静かな空間と、
“自動で動く床の帯”が広がっていた。
(……これがフロンティア・ノルド連邦。
アメリカが未来になったら、こうなるのか。)
ノアは小さく息を吸い、
案内の光ラインに足を乗せた。
(さて、隠密渡達だ。買い物しようっと。)
案内は自分の端末でルートを指示するだけ。ナビ機能を使えばいい。
光ラインが周りには見えてしまうから、相手によっては行きたいところがわかってしまう。
まぁ観光客むけだから気にはならない。
吹き抜けの天井に光が走り、
店舗の看板はどれも薄い透過パネルで表示されている。
(わぁ……やっぱり和蘭より派手だ。)
一番近くの店の前で足が止まる。
甘い香りが風に混ざって届いてきた。
「……クッキーの匂い?」
自動で開いた扉の奥には、
カラフルな焼き菓子が並んでいた。
チョコ色、ミント色、青い……?
青いクッキーまである。
(こんな色、食べて大丈夫なのかな……。)
でも、匂いはすごくおいしそう。
店員らしきロボットアームが、
視線を感知したのか、サンプルを差し出してきた。
「試食をどうぞ。」
声は柔らかいのに、アームの動きは完璧に機械だ。
(……食べていいのかな?
でも、隠密渡達だし……ショッピングくらいはいいよね。)
一口食べると、
口の中でふわっと溶けた。
(え、なにこれ……めちゃくちゃおいしい。)
気づけば小さな箱をひとつ買っていた。
袋を抱えて歩いていると、
(あ、アラームだ。)
『ノアちゃん、つまみ食いはいいけど……先に着替えてね。』
(……いつも思うけど、監視されてるわけじゃないのに、なんでタイミングが完璧なんだろう。)
他の国と違って、ここでは通信がずっと繋がっている。
危険がなければ、こうやって普通に会話できるのだ。
(会話しながらって、ちょっと不思議だな……
……でも、こういうのも嫌いじゃない。)
ショップの奥で、
シンプルなパーカーが目に入った。
落ち着いたネイビー。
タグには〈ローフレックス素材〉と書かれている。
触ると、綿みたいに柔らかいのに、
妙に軽くて、音がほとんどしない。
(これ……普通の服に見えるのに、性能いいな。)
端末が振動した。
『ノアちゃん、それいいわね。
“いかにも隠密です”って感じが出ない。』
(あ、アメリカっぽい格好がいいんでしたよね。)
『そう。
フロンティア・ノルド連邦は、普通の格好が一番隠れるの。
派手でも黒すぎてもダメ。
“どこにでもいる子”になるのが隠密渡達の基本よ。』
私は頷きながらパーカーを抱えた。
次はボトムス。
棚にはジーンズがずらっと並んでいる。
ただ、その中にひとつだけ
“暗いチャコールグレーで、やたら伸びるジーンズ”
が置かれていた。
(あ、これ動きやすい……。)
『〈モーションデニム〉ね。
動きやすいし、見た目は完全に普通のジーンズ。
ノアちゃん、黒よりそっちの方が似合うわよ。』
「ミヤさん、私、ジーンズ似合いますか?」
『かわいいわよ。
……仕事用って言わなければ、普通に遊びに行く服ね。』
少し照れながら、
チャコールのストレッチジーンズを選んだ。
最後に靴。
壁に並んだスニーカーの中から、
グレーのシンプルな一足を取る。
底はゴムだけど、触るとすごく静かだ。
『それは静音ソールね。
走っても音が響かないタイプ。
アメリカだと普通に売ってるから、全く怪しまれないわ。』
(へぇ……こういう普通に見えるのが一番強いんだ。)
ミヤのOKサインが出たので、私はウェアブルカメラを首元に装着した。
カバンには、普段使いのデイバッグに見える偽装カバーをかぶせる。
(……よし。これなら“ただの観光客”だ。)
端末がまた震えた。
『とりあえず買い物しましょ。息抜きよ。』
(……ミヤさんが“息抜き”なんて言うの、珍しいな。)
続いて、少しだけ声が弾んだ。
『さっきのクッキー、美味しいのよね。お土産にお願い。一つならかさばらないでしょ。』
(……完全に楽しんでる。)
デスクの上でお茶を飲みながら、
“リーモー通話”で私の視界を見ているミヤさんに対して、
私はロボットみたいに淡々と付き合う。
(会話はしていいんだけど……独り言を喋ってるみたいに見えるのは、ちょっと……。)
ノアは結局、無口に徹することにした。
「ちょっとノアちゃん。つけられてない?」
ミヤの声が急に低くなる。
(……なぜ見える?)
一瞬だけ背筋が冷えた。
でもすぐに理由は分かった。
この国のショッピング街は“公開カメラ区域”。
観光客向けに安全のため、映像が一般公開されていることが多い。
つまり——ミヤは
“ノアの視界”ではなく、“街の監視映像”から見ている。
(ほんと、何でも見える国だな……。)
私は自然を装いながら、
人通りの少ない路地へ足を向けた。
「ミヤさん。つけられたみたい。帝国の人間ぽい。」
『じゃあ撒いちゃおうっか。』
まるでゲームの話でもしているように、
少し楽しそうなトーンで返してくる。
(行動するのは私なんだけど……。)
でも、こういう国では逆に撒きやすい。
交通が“完全に自動化されている国”だからだ。
私はフロートウェイ・トラムの停留所に向かいながら、
頭の中で手順を整理する。
(まず一台に乗る——追跡者も同じように乗る。
でも、次の降車駅を“あえて時間のかかる場所”にする。)
フロートウェイは便利だが、
“次の車両を呼ぶまでの数十秒のタイムラグ”がある。
(そこで降りる。
そして、あらかじめ別の場所に“配車を複数予約”しておけば——)
追跡者が同じ停留所に降りたときには、
私はすでに別のトラムに乗り換えている。
追跡者は“到着待ち”で完全に足止め。
この国の制度を使った、
一種の“合法的な巻き方”だ。
(……よし。)
私は視線を上げ、
すぐ近くに停まったフロートウェイへ乗り込んだ。
(撒くなら今だ。)
フロートウェイが静かに動き出した。
揺れない。音もしない。
まるで空気の上を滑っているみたいだった。
(……撒けた、かな。)
『大丈夫よ。十本予約したからね。
追ってくる人、ほとんど“待ち時間”で積むわ。』
(いや、十本はやりすぎでは……。)
費用はノアの負担じゃないので文句は言えない。
ミヤの声はいつもより軽い。
『ノアちゃん、目的地は“サード・ブロック”よ。
観光客と学生が多い、にぎやかな区画。
そこで一度降りて。バーがあるから。』
「バー……?」
『未成年でも入れる“カフェバー”ね。
昼は普通のカフェ。夕方から甘いカクテルが出るタイプ。
スパイや取引は、そういう“混じる場所”が一番安全なの。』
(……なるほど。)
私は端末に表示された地図を横目で見ながら、
トラムの窓の外に広がる街を眺めた。
道路はどこにも無いのに、
建物と建物の間を、人や荷物が滑るように流れていく。




