第5話:入国査問と“内政干渉”の境目
「ノアちゃん。おはよう。」
いつものミナさん声だ。
「ミナさん。今日は何かある?」
「ううんとねぇ。これに挑戦しようか。」
玄嶺帝国の収容所への手紙がミッションだ。
入国は禁止されていないが、渡航危険レベルは2。
観光客に危険はない──建前では。
「初めての国・・・。」
少し不安が頭によぎる。
「ノアちゃん、大丈夫よ。玄嶺帝国は……まあ、国外の人は“滅多に”殺されないから。」
ニコッと笑って殺されないからって、負傷くらいいいよねて言われても困る。
「ぁあ。うん。じゃぁ行ってくるね。」
今回のミッションは行く場所と名前もわかる基本的なミッションだ。
「いつも通りに飛行機に乗る。」
雲の切れ間を抜けた瞬間、視界いっぱいに奇妙な都市が広がった。
路地が上へ上へと積み重なり、建物同士が噛み合うように伸びている。
まるで都市そのものが“過密”を極限まで進化させ、
上空へ向けて増殖している生き物のようだった。
屋上には無秩序に張り巡らされた配線や配管がむき出しになり、
くすんだ金属とホログラム広告が、薄い霧の中でぎらりと光る。
無許可で増築された部屋や通路が蜂の巣のように積み重なり、
アパートの外壁は本来の形を失っていた。
地上に落ちるはずの光は途中で遮られ、
下層へ行くほど空は細い帯にしか見えない。
飛行機はゆっくりと高度を下げる。
だが、近づけば近づくほど、この都市は“建物”ではなく
巨大な集合意識の塊のように見えてくる。
それがノアを飲み込もうと、じっと待ち構えているようだった。
共和国とも和蘭とも違う。綺麗ではない闇が待っている。ホコリっぽいけど静かな場所だった。
いつも通りに入国審査を受ける。
カウンターの向こうで、黒服の審査官が感情のない声を落とした。
「郵便団。目的を。」
「はい。こちらの手紙を届けに来ました。」
手紙はノアの手から滑り取られるように奪われ、そのまま無造作に広げられる。
審査官は光に透かし、角を押しつぶし、紙の重さまで確かめるように指先で弾いた。
隅々を確認しているというより、粗を探す動きだった。
「ただの紙ですよ。」
ノアが言う。
「判別は機械では不十分。紙質、巻線痕、異物混入の可能性……目視検査が最優先だ。」
それだけ告げると、男はまた淡々と手紙を折り直した。
郵便団は玄嶺帝国の査証免除措置がある。
本来なら、入国手続きはもっと簡単なはずだ。
だがこの国では“非干渉”と呼ばれるものまで、すべてが政治の範囲に含まれているらしい。
「まぁいいだろう。」
「あとこれを使いなさい。」
渡されたの通信チップと監視腕輪だ。
私の端末には通信機能はある。でもこういう時用の拡張機能がある。
つまり、国内のルールにし違うためだ。
(ふぅ。終わった……。)
禁止事項をいくつも読み上げられ、ようやく解放された。
これだけチェックが多いと、
他の国から来る旅行客なんてほとんどいないんじゃないかと思ってしまう。
ロビーを見回すと、旅行客と同じくらい黒服がいる。
目立たないようにしているのか、目立つようにしているのか……
どっちにしても目立つ。
人のことは言えないけど、私は制服で元から目立ってるからいい。
黒服の集団は周囲と明らかに違う存在感なのに、
影に入ると妙に見えづらくなる。
(隠れたいのか見せたいのか、はっきりしてほしい……。)
ターミナルには最新式のフロートウェイ・トラムが並んでいた。
和蘭と違って停留所があるわけではなく、
“どこへでも行けます”という触れ込みらしい。
……いや、嘘だ。
制御が全部リモートじゃん。
乗った瞬間、車体がギュッと揺れた。
(あ、これ知ってる。共和国の荒い運転と同じ挙動だ……。)
不思議と、運転している“人”の顔さえ想像できる。
収容施設まで、いくつもの検問を通った。
“検問を通る”というより、毎回捕まって調べられている──その感覚が近い。
走っている途中でも、容赦なく車は止められる。
都市保全局、国家安全総監、思想安定局……
組織が違えば質問も違うし、同じことを何度も聞かれる。
(共有してくれれば早いのに……いや、むしろ“わざと”共有していないのか。)
行き先はフロートウェイ・トラムで完全に管理されている。
申請も提出済みで、目的だって最初から明確なのに──
3重にも4重にもチェックが入る。
これは“非効率”ではない。
むしろ、この国にとっては正しい運用なのだ。
同じ情報を、別々の組織が別々に確認する。
ダブルチェック、トリプルチェック。
海外では想像できないくらいの多重監視。
(疑っているのは私じゃない。
……おそらく、互いの組織なんだ。)
その考えがよぎった瞬間、
この国の“本質”が少しだけ見えた気がした。
玄嶺帝国を動かしているのは、
たった一人の独裁者の強権でもなく、
民衆の多数決でもない。
もっと面倒で、もっと息が詰まる仕組みだ。
何層もの組織が、互いを監視し、
国民を監視し、
そして“現実そのもの”を監視している。
誰も信用されず、誰も自由にならず、
ただ巨大な機械の歯車みたいに動かされる。
そして──
その仕組みを、国民自身が受け入れている。
(……ここでは、従うことが“普通”なんだ。)
理由は分からないけれど、
そんな空気が、車内の沈黙より重くのしかかっていた。
かなり長い一本道を走り続けた。
帝国の砂漠は国土の半分に広がり、逃げ場はどこにもない。
道を外れれば死ぬ──それだけの場所だ。
(……着いた。)
気づけば、地平線に砂と同化した低い建物が浮かんでいた。
有刺鉄線も見えない。
ただ、砂の上に沈んだコンクリートの影。
ぽつんと停まったトラムだけが現実味を持っている。
ここへ来られるのは、この路線だけ。
徒歩でも車でも来られない。
一本道のあいだ、何度も強制的に停められた。
検問というより、ただ“確認”されているだけ。
分かったのはひとつ。
この道そのものが、もう収容施設の敷地内ということだ。
都心から三時間。
時速二百キロで走っても、砂漠の中ではあっという間に方角を失う。
逃げても助からない。
停留所というより、コンクリートのボックスに入る。
すぐに刑務官がきた。
「要件は。」
「郵便団んです。手紙の受け渡しにきました。」
手紙を差し出す。
刑務官は読む。
「誰からの手紙だ。」
「私には依頼主は聞かされていません。」
刑務官たちの声が急に低くなった。
「“青い鳥”……あの子のコードだろう」
「まだ生きてると伝えてきた……誰に?」
「宛先の囚人は関係者か?」
「外の手引きがいたはずだ。じゃなきゃ脱走なんて無理だ」
(……脱走? 誰の話?)
ノアには心当たりがない。
しかし、刑務官の顔つきが変わる。
「この手紙、どこで渡された?」
「誰から受け取った?」
「お前、差出人と接触してないか?」
矛先が、完全にノアへ向いた。
「……本当に郵便団か? 身分証、もう一度確認する」
淡々とした声なのに、
部屋の空気が引き締まり、出口がさりげなく塞がれた。
手足を縛られ長い時間が立つ。
(手紙取られたなぁ。未達だ。)
思ったよりも気が動転していなかった。
郵便団の研修のほうが、よっぽど拷問だった。
ミナさんのいつもの笑顔は優しいけれど──
本気で怒らせたら危ない人だ、ということだけは分かる。
暗い部屋。
しばらくして、金属の扉が軋んで開いた。
薄明かりの中に、私のカバンが乱暴に投げ込まれる。
「私物だ。」
中身はすべて揃っている。
ただ、その横に“もうひとつ”。
丸い穴の空いた、白いもの。
……ドクロだ。
「届け先は死亡している。」
声だけが淡々と告げる。
私は息を呑む。
郵便団の仕事は、完達か未達かの二つだけ。
けれど“未達”には、いろんな理由がある。
政府が面会を拒否したのか。
改竄があったのか。
受取人が亡くなっていたのか。
つまり──
未達の背後には、必ず“国家事情”が隠れている。
帝国もそれを理解している。
だから郵便団を利用するし、
郵便団の動きを“監視道具”として使う。
完達か、未達か。
その報告ひとつで、相手国に“何かが起きた”と伝わる。
帝国もここに入国されるには郵便団の情報は知らせてある。
だから郵便団を知っているからひどい扱いはされてない。人の感覚の違いだろう。
命令、お願い、頼み 行動されるにはいくつもの方法がある。その違いだけだ。
──だからこそ、この確認が必要なのだ。
「お前に国外退去命令を出す。12時間以内に出ろ。」
そそくさと逃げるように出る。別に恐怖ではない。端末も無事、現金も無事何も失ってはいない。
フロートウェイ・トラムはここで降りままだった、すぐさま乗り込み帰路に向かった。
飛行機から降り立って搭乗ゲートを喰った。
ミナさんがトントンと叩いた。
(なぜそこにいる?)
「ノアちゃん、帰ってきたね。……で、未達っと。」
「うん。相手、死んでたみたい。」
「みたい、じゃなくて“死んでる”のよ。しっかりね。」
軽い声なのに、言葉は妙に重い。
「でも帝国の人たち、すごい勘違いしてたよ。
“青い鳥”が生きてるとか、脱走したとか……」
ミナさんはため息をついて、書類をひらりと渡した。
「それ、それ。正式な死亡報告。依頼主の娘さんね。
亡くなったのは半年前。隠してただけ。」
「じゃあ……あれ。本当にただの手紙?」
「ただの手紙よ。
でも玄嶺帝国は“ただの手紙”が理解できないの。
意味がありそうだと、勝手に物語を作るクセがある。」
「物語……?」
「そう。
逃亡者がいることにしたほうが都合がいいときは、
“生きていること”にされる。
死んでるほうが都合がよければ、あっさり消される。」
ミナさんは笑った。
優しいけれど、その奥に冷たいものが見えた。
「ノアちゃんは巻き込まれただけ。
帝国はね、いつも“想像して勝手に動く”の。
だから郵便団の未達・完達は、あの国にとって格好の材料。」
「……危なかったんだ、私。」
「ううん。郵便団だから無事に返されたのよ。
他の人なら“青い鳥の協力者”にされて終わり。」
喉の奥がひゅっと冷たくなる。
「大丈夫。
でも覚えておいて。あの国では“真実”より“都合”が強い。
次はもっと気をつけよ?」
ミナさんはいつもの笑顔で言った。
やっぱりこの人、優しいけど怖い。




