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第1話:白砂の空港と最初の手紙

※この話は「序章の最終任務」です。

序章(全8話)のラストエピソードになります。

挿絵(By みてみん)

エスカレーターを登る。大理石のある広い空間、人は少ない。足音もない静かな空間で、心臓の鼓動が聞こえるようだ。

真新しいサフランイエローのジャケット、透明な大きな金色のマークのIDカード、プラスチックのほのかな化学臭がする。

つばを飲むのも忘れるくらい緊張して、規則が頭の中を駆け巡っていく。


「あら、ノアちゃん。今日が初出勤?」


見慣れた中年の女性の声。同じジャケットを着た女性が声をかける。


「はい。」


「緊張しなくていいのよ。仕事は用意してあるから、来て来て。」


女性に誘われるように歩き、受付を通り、奥の部屋に入る。


「今回のミッションはこれね。平和な国だから危険はないよ。ちゃんと渡せたら終わり。」


小さな手紙だ。すでに封が切れている、一枚の便箋。手のサイズで、重要性もなさそうだ。


「……これだけ、ですか?」


思わず漏れた声は、自分でも驚くほど小さかった。


「ええ。君の初任務にはちょうどいいわ。」

中年の女性――先輩団員のミナは、穏やかにうなずく。


建物を出る。緊張から解放されて安堵が出る。

今回のミッションは簡単だ。和蘭王国の刑務所で囚人に届けるだけの任務だ。

和蘭は平和な国なので危険はない。ただ渡すだけ。

確送かくそうのミッションだ。


手紙に不正がなく、確実に渡すこと。それだけ。

しかし厳しいのは、暗号の可能性だったり、怪しい文がないかだったりで、受刑者に届かないこともある。

だから本当の難しさは「届くかどうか」にある。


国際平和郵便団のルールに「第五条 入国監査における完全遵法」がある。

これが私たちの強みだ。手紙についても危険なものは届けない。暗号を届けることはしない。

だからこそ、差出人側のチェックも厳格化している。郵送するには、私たちを使うのが一番確実だ。

命令や指示の手紙は届けない。だから安全に伝えることができる。


今回は普通の手紙だ。内容のチェックは監査側がしている。「第一条 内政への非干渉」だから、私は読まない。

内容を知れば気が変わるかもしれない。だから差出人も知らないし、手紙も読まない。

封が開いているのは入国監査のため。読めるけど、読まないのが届け人の決まりだ。


私がすることは、途中で不正がなく、確実に届くことだけを確認すること。


私は空港にすぐに向かう。寄り道はしない。ただ確実に渡すだけ。

手荷物は小さなカバンだけ。どの国より平和な国だ。私は出発ゲートをすんなり抜けた。


和蘭王国の空港に降り立つと、まず空気が違って感じた。

甘いような、冷たいような――人工の香りがほんのり漂っている。

空調の風が一定で、湿度がほとんど揺れない。まるで巨大な温室にいるようだった。


床は薄い光沢のある白磁色で、天井には細い光のラインが幾重にも走っている。

影がほとんどできない、均一な照明。

歩く人の影すら薄い。


「……静か。」


 空港なのに、どこか図書館に近い。

 騒々しいアナウンスはまったくない。

 代わりに、宙に浮かぶような透明のパネルに次の便名が静かに映し出されている。


 音ではなく、光で案内する空港。


人々は整然と歩き、動線を守っている。

無駄な早足も、ぶつかる気配すらない。

空間そのものが「秩序」を形にしたようだった。


入国ゲートは、他の国とはまったく違う静けさを持っていた。

検査装置は金属のアーチではなく、薄い青色の光がゆらゆらと揺れるだけの“膜”のようなものが立っている。


人がくぐると、膜の色が一瞬だけ淡く揺れ、空気がかすかに震える。

音は何ひとつ鳴らない。

まるで水面を一歩だけ踏んだような感触。


係員はすべての動作が迷いなく、手の動きも歩く速度も一定だ。

機械ではないのに、乱れがない。


宙に浮かぶ案内パネルが触れてもいないのにゆっくりと切り替わる。

無音で、風すら立てずに情報だけが更新されていく。


この国の入国ゲートは、道具や機械というより“ひとつの静かな現象”のようだった。


「国際平和郵便団の方ですね。」


声をかけられ、IDカードをかざす。

金色の紋章が光り、ゲートの膜が一瞬だけ柔らかくほどけた。


「どうぞ、お通りください。

 書簡はすでに監査を通っていますので、国内での持ち運び制限はありません。」


丁寧で、機械のように整った口調。

だが冷たさはなく、むしろ儀式のような厳かさがある。


ゲートを抜けると、巨大な吹き抜けのロビーに出た。

透明なエレベーターが静かに上下している。

上の階では、白い制服のスタッフたちが無言でドローン型の自動案内機を調整している。


窓の外を見ると、滑走路の代わりに広い緑化スペースが広がっていた。

空港全体が“静音設計”らしく、離着陸の音がほとんど聞こえない。


未来の空港は、音を消し、光だけで動く都市なのだ。


私は深呼吸して、歩き出した。

穏やかでありながら、どこまでも統制されたこの国に、

これから手紙を届けるのだと思うと、胸の奥がまた緊張で固くなる。


空港を出ると、フロートウェイ・トラムの停留席があった。

席に座ると、車体がわずかに震え、誰も触れていないのにゆっくりと走り出した。


フロートウェイ・トラムは、いわゆるタクシーに近い。

ただし和蘭では、行き先は“指定ポイント”で管理されている。

指示さえすれば、国内のほとんどの場所に行ける。

行けないのは「危険地域」だけだ。


渋滞もなく、専用レーンを走るため信号もない。

私は黙って行き先を入力した。


――無声堡むせいほう留置塔。


特に危険な囚人が収容されている施設で、海底に建設された隔離塔だ。

地上からのアクセスはなく、施設へは“海底ノンネル(海底地下走行路)”を通るしかない。


それでも、面会が不可能というわけではない。

国民であれば規定通りに接見できるし、同盟国内の訪問者も特別な制限はない。

ただし国交のない国からの面会者には厳しい。

今回の囚人に会いに来る者がいる可能性は、ほとんどないだろう。


トラムは透明な管の中を走っていく。

海中の光が差し込み、まるで巨大な水族館を進んでいるようだ。

私にとっては、観光名所に来たような気分で、思わず外に目を奪われた。


やがて、コンクリートで組まれた巨大な塔が見えてくる。

水中から立ち上がるようにそびえるタワー。

水面付近には大きな天井が張り出し、その影に入った瞬間、景色の色がふっと落ちる。


――無声堡留置塔。


トラムは分岐レーンへ滑り込み、無機質な灰色のゲートをゆっくりと潜った。


「……ふぅ。到着した。」


私は息を吐き、小さな手紙が入ったカバンを握り直した。


すると、向かいの扉がすぐに開き、職員が現れた。


「ようこそ。準備はできています。すぐに面会しますか?」


さすが最新式のシステムだ。他の国からの申請だけで、ほぼ何もしていなくていい。

もちろん国際平和郵便団は信用がすべての組織だ。チェックは何もない。


「手紙のチェックをお願いしていい?」

私は緊張しながら尋ねる。


「すでにチェック済みですよ。問題ありません。」

担当官はすぐに答えた。


本来、手紙ひとつの確認には時間がかかる。

私がするべきことは、送り先に渡るまで改ざんがないか見張ること。

場合によっては、届けられない場合もある。

そのときは「不達」として送信元に返す。


ただひとつ確かなのは、

完達=不正なく届けることが、私たちの唯一の使命だ。

完達でも不達でもなく、没収されることだけは許されない。

偽造され、悪用される可能性があるからだ。


手紙ひとつでも、情報は多く漏れる。

紙質、インク、筆跡、混ざった空気の成分――

それだけで土地や環境が推測できてしまう。

だからこそ、届けるまでが責任であり、それ以上の「情報利用」は絶対にしてはならない。


もちろん、送信元でのチェックも厳格だ。

手紙は私たちの国で用意した紙を使い、書く場所も管理されている。

暗号を書いても構わないが、すべて細かく検査され、送信者の動機や身辺調査も行われる。

それが「国に害がないか」「送信者に危険が及ばないか」を確認するためだ。


だから、手紙の内容は自然と

“届かない場所にいる身内へ送るもの”

が多くなる。

もっとも多い利用目的は生存確認だ。


不達で返ってくる場合は、多くの場合――その人はもう生きていない。

しかし配達人がその事情を説明する必要はない。

最低限、「差出人不明」「受け取り拒否」とだけ記して返すこともある。


契約はあくまで完達か不達かの二つだけ。

配達人は必要なら手紙を再チェックしてもいいし、

しなくてもいい。

だが、不達なら必ず手紙を送り返さなければいけない。

返せないなら「没収扱い」になるが、それは極めて異例で、避けるべき事態だ。


国際平和郵便団を利用する多くの人々は、生存確認を目的としている。

一度届けば、その後も何度も使われる。

不達になれば――多くは、静かに諦める。


声の届かない場所へ。

名もなき誰かの最後の砦として。


自分の役目を思い出し、私は面会室へ向かった。


面会室は格子で囲まれてはいない。

少し大きめの部屋で、監視員もいない。

受刑者が入ってきた瞬間、手錠と足枷の磁気ロックが自動で解除された。


「あなたが、カリム・オルセン?」


「そうだ。」


和蘭には珍しい、狼のような鋭い顔つきの男性だ。

部屋には同時通訳が備わっており、話せば自然に翻訳が流れる。

私はもちろんそれを使うが、不正がないかダブルチェックもする。


「では、お荷物があります。」

私はカバンから手紙を取り出し、差し出した。


カリムは恐る恐る受け取り、ゆっくり開いた。

私は内容を知らない。

カリムはゆっくりと読み進める。


気になる。けれど、私たちはこの後することは何もない。

完達したなら、それで仕事は終わりだ。

もう帰ってもいい。

でも、ひと言くらい「ありがとう」があるだろう――そう思っていた。


読み終わると、カリムの目から涙が溢れた。

そして無言のまま、房へ戻っていった。


(っえ。終わり?)


私は面会室に一人取り残された。

声をかけるタイミングを完全に失った。


誰もいない部屋。刑務官も来ない。


「……もう、完了でいいよね。」


そうつぶやいて部屋を出た。

フロートウェイ・トラムはすでに待機している。

出国ゲートも混雑とは無縁だ。

通行人がいるだけで、手続きらしいものはない。

気づけばあっという間に離陸し、

モヤモヤしているうちにもう着陸だった。


事務所に戻る。


「あっ、おかえり。無事に終わったようだね。」


「ミナさぁああん……!」

誰ともまともに話さなかったせいで、思わず声が溢れた。


「ノアちゃん。失敗したの?」


我に返って、「完達です。何も問題ありません。」

それだけ報告すれば仕事は終わりだ。


ここまでの流れ、私はほとんど誰とも会話しなかった。

守秘義務もあるから、詳しく話すこともできない。

でも――モヤモヤだけが残る。


ミナが一言

「完璧だね。次のミッションもお願いね。」


手紙は届けるだけ。簡単だ。

これだけでも生活費は十分で、裕福な暮らしもできる。

子どもでもできる依頼だ。

半日の仕事で十分すぎる報酬。

交通費はすべて事務所持ち。バックアップ体制は完璧。


……何が不満なのか。


こんなに簡単なミッションを、本当に“仕事”としていいのだろうか。


確かに、試験は厳しかった。

でもこれは、フルマラソンの選手に「ゲストで1km走って」と頼むようなものだ。

有名選手なら報酬は高いけど、私は新人。

にもかかわらず、初任務の報酬は初任給より多い。


例えるなら、中学生がフルマラソンを練習して、

本番当日「今日はお祭りだから1kmだけね」と言われて走らされたようなものだ。

走れば走れた。それだけ。

そこに達成感があるのかと言われたら、正直よく分からない。


「今日、レース出てね。田舎の祭りでゲスト出演だから。」

走ってみたら距離は1kmだけ。


……この気持ちは、どうすればいいんだろう。


家に戻り、私は思いっきり枕に顔を埋めた。


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