第一話 整理と願望 -楯条凜-
歴史が春風に攫われた
窓を抜け、空を舞い、地へと落ちた
その程度のものだったらしい
何かの始まりを表すように、椅子が大きく叫んだ
自分の椅子が倒れたのだ
勢いよく跳び立ったせいだ
絶対に手が届かないのに、体が反射で求めたせいだ
視線が下がる、と同時に足を動かす
歴史を拾いに行く
今考えるのはそれだけでいい
汚れる前に拾えば書き直す必要はない
誰かに見られる前に拾えば心に傷はつかない
早く取りに行かない理由はな
「ッ──」
脚が机に当たった
筆箱が落ち、中身を盛大に吐いた
鉄製定規の耳障りな音が教室に響いた
「......」
口の開いた誰かの筆箱、鉄製定規、暗い電灯、倒れた椅子、靡かなかったカーテン、全開の窓、穏やかな春風
その全てが私の味方ではないと告げている
そんな気がしてしまった
そんな訳はない、ただの酷い被害妄想だ
そんなことは分かっている
けれど何故か、何故か拭いきれない
雪がしんしんと草木に積もるように
黒いモヤが脳内に積もっていく
体は先程のように動かない
視線は横たわる筆箱と文具たちに注がれる
頭が重い
当たり前の事だ
頭は重い
しかし私の頭は当たり前と言えないまでに重くなっていた
思考がおぼつかない
積もり続ける黒いモヤが、頭を支配しようとしてきた
黒いモヤの正体はわからない
けれどダメなものだと、なんとなく分かった
排出しなければ、出さなければいけない
力を振り絞り、深呼吸をする
深い呼吸
鼻から吸って口から吐く
鼻から吸って口から吐く
鼻から吸って口から吐く
黒いモヤは出ていった
完全ではない
けれど確かに出ていった
筆箱に文具たちをいれ口を閉じる
机を直し真ん中に筆箱を置く
自分の椅子を立てる
窓を閉めカーテンを束ねる
電灯を点ける
私はそうして教室から出た
少し早歩きで廊下を歩く
誰もいない
障害物はなかった
階段を駆け下り、踊り場を蹴り、再び階段を駆け下りる
下駄箱で靴に履き替え、外へと出る
柔らかな日差しが私を照らした
走る
走って歴史の下へと行く
陽により解けている斑雪が視界に入った
汚れていないでいてくれ
誰にも見られないでいてくれ
願ったその時、到着した
地面に落ちたまんま
近くには誰もおらず、汚れてもいない
急いで散らばった歴史を回収し順番に並べる
『無考観者と吐瀉物煮込み~熟成幼児を添えて~』楯条 凜
一番上の紙の右端二列
そこにはそう書かれていた
「...やっぱ酷いな〜これ。白山羊に食わせるか」
三枚の記入済み原稿用紙と一枚のメモ紙
それらを一瞥しながら、自分に伝える様に呟いた
春風が頬を撫で、桜の花弁がひらりと舞う