あらたな問題 魍魎族1
地下から戻ると、フロルたちが心配そうに集まっていた。
「ノア様、ご無事ですか?」
「おかえりなさい!」
まんまるの目をうるませながら、ほっとした表情で俺を見上げてくるフロルたち。
心配してくれた気持ちがじわじわ伝わってきて、申し訳なく思う。
こうやって心配してもらえるって、ありがたい。
「きゅい」
腕の中で、孵ったばかりの零が小さく鳴いた。
「……ノア様…それは…!」
フロルの長老が目をまん丸にして、副長ベルムも珍しく声を上ずらせている。
他のフロルたちも興味津々で、俺の腕の中にいる白いふわふわを覗き込んできた。
「こいつが結界探知に引っかかった原因だったみたい。隠し部屋で見つけてさ。まだ生まれたばっかりだけど……ほら、怖くないよ」
そう言って零をみんなに見せると、ぱちぱちと大きな水色の瞳でみんなを見上げて、「きゅい」と愛嬌たっぷりに鳴く。
「ふわふわだ……!」「可愛い!」
「さわってもいいですか?」
フロルの子どもたちが遠慮がちに手を伸ばす。
零は最初ちょっと戸惑ってたけど、すぐに慣れて、膝に乗せたフロルの頭をぺろりと舐めてみせる。みんなから歓声が上がった。
そんな中、考え込むように零を見つめていた長老が、おもむろに口を開く。
「……これは、もしかして原初の獣【アークビースト】では…」
長老の言葉に、その場の空気が一気に引き締まる。
原初の獣【アークビースト】…?
なんかすごい名前が飛び出してきたな。
「伝承に語られる、特別な魔獣――いえ、“守護獣”とも呼ばれていたはずです。白い毛並み、青い紋様、額のツノ……特徴がよく似ております。ただ、私も書物でしか見たことがありませんので確かかは……」
さすが長老、意外と物知り。
自信がないような口調ながらも、どこか確信した様子で零を見つめている。
出会い方からしてただの生き物じゃない雰囲気はあったけど――俺の感想はずっと「かわいい」に尽きる。
「本物だとすれば、非常に稀少な存在。吉兆をもたらす、と昔から言われております……ノア様の元で孵るとは……」
(……アリア、零ってそんなにすごいやつなの?)
頭の中でそっと聞いてみる。
『原初の獣【アークビースト】は極めて希少。主人の成長、および魔素変換効率に大きく寄与することが期待されます』
――それ、さっきも聞いたな?
(もうちょっと詳しい情報とかないの? 能力とか弱点とか、今後の成長ルートとか……)
『現段階の魔王レベルおよび能力開放段階では、追加情報の獲得不可です』
……まじか。
ここでも“レベル不足”…。
世知辛いな……。
……まあ、間違いなくレアな相棒を手に入れたことだけは理解した。
どう扱ったもんかとちょっとだけ悩みながら、フロル達と戯れ合う零の姿を見て、まあ――なるようになるだろ、と肩の力を抜くことにした。
「ノア様、ひとつ――気になることがございます。お疲れのところ恐縮ですが、よろしければ執務室でお話ししても?」
フロルたちが零を囲んで盛り上がっている中、長老が曇った表情で声をかけてきた。
なんか……いい話じゃなさそうな空気に、胸の奥がざわつく。
「……わかった。移動しよう」
その瞬間、フロルの子どもたちの膝に乗っていた零が、ぴょんっと身軽に跳ねて俺の肩に飛び乗ってきた。ふわふわの毛並みが頬にふれて心が和む。
「すぐに温かいお茶をお持ちします」
仕事の早いベルムはフロルたちに指示を出し、俺に一礼してその場を後にする。
肩の上でバランスをとる零が「きゅい」と小さく鳴くのを聞きながら、俺は長老と静かな廊下を抜けて、城の奥にある執務室へ向かった。
魔王城の大部分はまだまだ廃墟同然だが、その中で俺の寝る場所と執務場所は最優先で整えられた。
魔物討伐がてら入手した素材は手先が器用なフロル達の手によって様々な物に加工され、椅子やテーブル、棚やカップといった生活道具に姿を変えていた。
ある程度脅威のありそうな魔物を処理できてからは、加工に必要な素材になる奴らを中心に討伐した甲斐もあって、廃墟だった頃の埃っぽい空間とは思えないほど、生活スペースは居心地が良くなっている。課題は山積みだが、現時点での拠点としたら文句なしだろう。
執務室に入ると、窓から差し込む柔らかな光が、磨かれた木製の机に反射していた。フロル特製のちょっと変わった草花が活けてあって、どこか落ち着く香りが漂っている。
「お茶をお持ちしました。森で採れるハーブを使っております。気持ちが落ち着く効果がありますので是非お召し上がりください」
俺が椅子に座るのを見計ったかのように、ベルムがハーブティーを持ってきてくれる。
いつも思うけど、抜群のタイミングで色々出てくるんだよな…。どこかで見張られてたらどうしよう…。
とか思いながらお茶を一口飲むと、長老がゆっくり話を切り出した。
「……ノア様。先ほどの地下での出来事もそうですが――これだけ魔王城が騒がしくなれば、この辺りを拠点とする“魍魎族”が、黙っていない可能性が高いです」
「魍魎族……?」
「この辺境一帯をなわばりにしている戦闘種族です。夜目が利き、炎や幻術に長け、義理堅く仲間思いな者が多い。もともとは先代魔王に仕えていた名門の戦士集団ですが――」
話を聞きながら、俺は湯気の立つカップを両手で包み込む。
フロルたちのおかげで、こうして落ち着いて座れる場所があることに、改めて感謝する。
「魔王不在の今は小さな集団に分かれ、独自の掟で生き残っています。近隣の亜人や魔物からは恐れられていますが、筋は通す連中で、むやみに攻撃してくることはありません」
「ただ……」
副長ベルムが口を挟む。
「最近は特に強い魔物が現れて、魍魎族も手を焼いていると聞きます。こちらに被害が出る前に、対策した方が良いかもしれません」
――なんか面倒な案件きたな……。
「このままだと魍魎族の集落ごと滅ぼされる可能性もあるかと。……ノア様が復活したことで、彼らが“新たな主”として見定めに来ることも考えられます」
うーん、予想よりずっとスケールがでかい……。
戦闘種族とか聞くと、めちゃくちゃ面倒な予感しかしない。
でも、ベルムが言う通り、このまま放っておくわけにもいかないし。
すると、アリアが脳内で補足してくる。
『現状、主人単独での殲滅はリスクが高いため、魍魎族との協力体制確立を提案します』
……いや、その“殲滅”って対象は…?
魍魎族?それとも魔物?
『魔物です。魍魎族はこの辺りで上位の戦闘力を有しています。彼らで手に余る魔物となると、規格外の強敵である可能性があります。早期殲滅が推奨されますが、現段階では単独処理は困難が推察されます』
まあ…そうだろうな。
転生直後よりはレベルアップしたし、大きな結界も張れるようになった。
力の使い方も、最初に比べればいくらかマシになったとは思う。
でも正直、まだ潜在能力の一部しか使えてない実感がある。
この世界の仕組みも分からないことだらけだ。
正直なところ、魍魎族も、そいつらでさえ手を焼いてる強い魔物も、今の俺じゃ手に余るに決まってる。
アリアの回答はしごくまっとうだ…。が腑に落ちる一方で、1つの考えが捨てキレず、即決ができない。
「その魍魎族。長みたいなやつはいるのか?」
「今は複数の集団に分かれていますが、それぞれの集団をまとめる“総長”のような立場の者が、健在のはずです」
「……その“長”が種族内でどれくらい影響力を持っているか分かるか?」
「それは…申し訳ありません。情報がありません…」
「いや、いいんだ。むしろ、ここまでの情報をありがとう」
頼りになる長老に感謝を伝える。
他種族の内部事情なんて、そうそう手に入るもんじゃない。
むしろ、ここまで状況を把握してくれてるだけで十分ありがたい。
勢力同士の調整ってやつは、一番厄介だ。
どんなにトップと信頼関係を結んだとしても、現場レベルで反発が起きたら目も当てられない。
ただでさえ規模も力も未知数の戦闘種族。
味方にできれば心強いけど、下手に介入して火種を増やすリスクが無視できず慎重になる。
そんなやりとりをしていると、アリアの声が脳内に割り込んできた。
『急激な魔素の高まりを確認。座標――北西、およそ10キロ先』
(……何かあったのか?)
『反応は魍魎族の領域内。魔素に異質な波長を確認。通常の生物や環境由来とは異なります』
さらにアリアが続ける。
『現地の魍魎族の数が減少中。強力な個体または集団による襲撃が疑われます』
さっきまで話していた“強い魔物”が、動き出したってことか?
状況が読めないものの、緊迫していることは間違いない。
「どうかしましたか?」
アリアとのやり取りを知らない長老とベルムが、俺の険しい表情に何かを察したようで、不安げに顔を覗き込んでくる。
一度深呼吸して、できるだけ落ち着いた声で口を開く。
「魍魎族の領域で異常な魔素反応が出ていて、現地の魍魎族が減ってる」
アリアの存在は未だに伏せているので、情報の出どころはあかさずに話を進める。
「……!」
「もしかして、“強い魔物”の仕業……」
ベルムが真剣な顔で問いかけてくる。
「可能性は高い。危険だけど、場所はここからそう離れていないから、このまま放ってはおけないな…」
魍魎族が壊滅したら、次はこの城が狙われても不思議じゃない。
さらに大規模な被害が出れば周囲の勢力がざわつくし、変な噂が立てば勇者だの討伐隊だの、余計な面倒まで増えるリスクがある。
要は――”この地で“魔王”をやっていくつもりなら、領域の安全管理は避けて通れない” ってことだ。
何より――
仲間になったフロルたちや、これから出会うかもしれない他の種族たちが危険な目に遭うのを、黙って見ているわけにはいかない。
「ベルム、しばらく留守にする。状況によってはすぐ戻れないかもしれないから、警戒を強めておいてくれ」
「……行かれるのですね」
俺の覚悟を察したのか、ベルムは開けた口を結び、引き止めたい気持ちをぐっと飲み込んでくれたようだった。
「うん。まあ、無理しない程度で様子をみてくるよ。何かあったら、結界内から絶対に出ないこと。俺が戻るまで、みんなで安全第一だからな」
「――わかりました。どうか、ご武運を」
いつになく真剣な表情のベルムと長老に見送られ、俺は深呼吸一つ。
その瞬間、脳内にアリアの機械的な声が響いた。
『魔王の能力を限定開放。飛行のSigraphを構築します』
「よし……行くか」
執務室の窓を開けると、外の空気がひやりと頬をなでる。
零が肩の上で「きゅい」と鳴き、目をぱちぱちさせる。
俺は窓枠に片足をかけ、魔素の流れをイメージしながら飛行のSigraphを思念で構築――。
青白い魔法陣が足元に浮かび上がり、同時にふわりと身体が浮かんだ。
「じゃ、行ってくる!」
長老とベルムに声をかけて窓から飛び出すと、魍魎族の領域――事件の渦中へと向かった。