黒い煙 少しの核心
怒涛のごとく駆け抜けた昨日――
結界完成を祝って開かれた宴会で盛り上がっていたところ、ドラゴンに襲撃されて討伐
勇者らしき少女を保護して、人間と初接触、外交部門の設立に凛の進化まで…
思い返しても…ちょっとやりすぎだな、と思えるほど色々あった一日。
さすがに「しっかり休んでください」と説教され、昨晩はベッドに倒れ込むように寝落ちした。
早急に整えたものの1つに風呂が入っていることは言うまでもないが
浸かっている間の睡魔がやばくて…
モコム族特性の寝巻と布団に包まれた瞬間、抗うことなく、意識がブラックアウトした。
――で、気がつけば朝。
幻獣:耀狼≪フェンリル≫のルクスと零のモフモフに囲まれて目覚めると
当然のように身支度を整えにきた碧羅に起こされて、あれよあれよという間に身ぎれいになり…
今は食堂で朝ご飯だ。
「ノア様、おはようございます! 本日の朝食はこちらです!」
厨房から料理班のトレシュ族が元気にメニューを読み上げてくれる。
【魔王領・今朝のごはん】
・ふわふわ焼きたてパン(モコム族特製。表面カリッと中ふんわり)
・季節野菜のグリルサラダ(リファ族が今朝収穫!しゃきしゃき新鮮)
・ハーブ入りふっくらオムレツ(黄金卵たっぷり、香り豊か)
・煮込み豆と根菜のスープ(朽葉族のレシピで、やさしい味)
・モコム蜂蜜と森の果実ジャム
・香り高い星露茶(魔王領産 ミルクお好みで)
全体的に優しい味付けで、寝起きの身体にちょうどいいバランス。
各部門の“自慢の一品”が並んでいるあたり、料理班のやる気が伝わってくる。
異世界にきても、こんなに美味しいものが食べられるとか、幸せすぎる。
「ゆっくりお休みになれましたか?」
「俺は爆睡でしたよ」
「若はどこでも寝られますからな」
「私もご一緒させてください」
はかったように集まる焔嶺、蒼幻、逸花、澪。
みんな各々休息がとれたみたいで、表情がすっきりしている。
「澪は一緒の食事、久しぶりだな。狩りは落ち着いたのか?」
「ええ、おかげさまで。交代制にできるくらい、討伐隊も安定しました」
澪は柔らかく微笑みながら答える。
「澪の率いる物流班の働きは大きい。翠月の隠密部隊と合わせて活動しておるおかげで、領内の動きが格段に良くなった」
蒼幻が隣で星露ティーを口にしつつ、久しぶりの食事を共にする澪をねぎらう。
……考えてみれば、ほんの少し前まで“いつ敵が襲ってくるか”って、皆がピリピリしていたのに。今じゃ幹部たちが揃って、こうしてのんびり朝ご飯。
領内の治安が安定してきた証拠だな。
焔嶺が管轄する軍事部門でも、優秀な戦士がどんどん育ってきてるって話も聞くし――
みんながそれぞれ、抜かりなく仕事してくれてる。
――頼れる仲間がいるって、ほんと最高だ。
焔嶺は、パンをもぐもぐ頬張りながら
「…ほんと、昨日は濃かった……」とポツリ。
「そうだな」
俺も、ふっと笑って相槌を打った。
「私も、ご一緒していいですか?」
柔らかな声がかかり、顔を上げると――
「お、ティア。おはよう」
昨日の“濃さ”を作り出した要因の1つ――進化したてのティアが、席についた。
「……」
焔嶺はまだちょっとぎこちない表情で、ちらっと妹――いや、ティアの方を伺っている。
その瞬間―――
「……あれ?」
「誰?」
「めっちゃ可愛くない!?」
「あの美少女どこの来賓!?」
食堂中が、ざわざわとどよめきはじめる。
中には「あの子、新入り?」「もしかして人間?」なんてヒソヒソ声まで。
焔嶺は、もぐもぐしていたパンを慌てて飲み込み
「おいおい!みせものじゃねえからな!」
立ち上がって周りを威嚇。
「いやいや、過剰反応だって。見守ってあげればいいだろ?」
俺が笑いながらなだめると、ティアは立ち上がり、周囲にむかってふわっと笑顔で
「皆さん、おはようございます。
昨日から、こちらでお世話になることになりました――ティア=イリスです」
と、完璧な挨拶。
すると今度は
「うわ~、声もキレイ……」
「天使か…」
「かわいすぎて眩しい……」
と、ますますざわつく。
「だから!みせものじゃないってば!」
顔を真っ赤にして、ティアの前に立ちはだかる焔嶺。
「ははっ予想通りだなっ」
思い描いていた通りの展開に、申し訳ないが笑いが込み上げてくるのを止められない。
――妹の進化、兄心の動揺っぷり、みんなにバレバレだ。
「若はどうにも変化に弱いですからな」
蒼幻が横やりをいれ、逸花は黙って俺のカップにお茶を注いでくれる。
「いや…おまえら……!昨日まで元気だけが取り柄のキャラだったのに、いきなり“高貴なお嬢様”みたいになったら、そりゃあびっくりするだろ!?」
確かに。
凛の印象はガラッと変わった。
ひいき目抜きにしても美少女だ。
まあ
焔嶺の言い分も分からんことはない。
だが
「凛様なんですよね?」
見かねた澪が一言。
「いやっ…えっと」
「進化しても、基は凛様であることは変わらないんですよね?」
「えぇっと…あの…」
兄、すっかりテンパる。
「そうです。凛がティアになりました」
ティアが笑顔でさらっと宣言。
「そんなに狼狽えることではありません。
食事中です。座って感謝し、しっかり食べてください」
正論でピシャリ。
「……」
完全に言い負かされて、焔嶺は席に沈み込む。
「ははっ焔嶺。ほら、俺のパンを分けてあげるからさ。元気だせ」
魍魎族であったときは“族長”と幹部という関係だった澪だが
今は俺の眷属となり、種族進化を果たした。
もとの上下関係もいい意味でぼやけてきて
今じゃ澪の“クールな指摘”に、焔嶺がツッコまれることもしばしば。
このほんわかした空気感、最高だ。
焔嶺の肩を叩きながら、ふわもちパンをわけてやる。
「ところで書庫では情報を得られたのか?」
「はい。1つそれらしい記述をみつけました。後ほどご報告いたします」
騒がしい周囲に一切振り回されることなく、きれいに食事を終えた碧羅。
話題を変えた俺の質問に、口を拭きながら答える。
「リシャールの方はどうだ?」
「翠月が選抜した2名を同行させています。動きはこれからでしょうが、まずはティア様との顔合わせと情報共有を行います」
蒼幻も、さらりと進捗をまとめてくれる。
「そうだな。言紡と謡狐族の契名も早急にやっておきたい。
外交体制を本格的に動かすには、その2種族の力が不可欠だからな」
俺がそう言うと、皆が力強くうなずいた。
『承知しました』
――さあ、まだまだやることは山積みだ。
「……焔嶺。じゃ、軍事部門、頼んだよ?」
「…はい」
ちょっと寂しそうな焔嶺の肩をさすり、笑いをこらえていることを悟られないように気を付けながら、俺は食堂を後にした。
◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
西棟で言紡と謡狐族の契名を行い、あらたに4名が眷属となった。
■銀慈/謡狐族
穏やかで洞察力の高い青年。言葉に重みがあり、場の空気を和ませるムードメーカー。
■奏/謡狐族
ふんわりとした印象ながら、議論の場では誰よりも冷静。対話の“流れ”を作るのが得意。
■灯羽/言紡族
控えめだが芯の強い女性。優しい語り口で相手の緊張を自然にほぐす“調整役”。
■菜音/言紡族
明るく人懐っこい少女。小柄ながら、人の心をつかむ言葉選びに長け、会話を和やかに導く。
彼らもティアと同じく外交向きに進化の補正をかけたが、種族が変わることはなかった。
やはり“進化”で種族ごと変わる魍魎族は特殊らしい。
そりゃそうだよな。
全く別種族――しかも絶滅種にも進化するなんて、冷静に考えたら世界の根幹に触れるレベルなのかもしれない。
「進化」って言葉で片付けていいのか?って次元。
神話や伝説の類で語られるような大ごとなんだろうけど…
それが“日常イベント”みたいになっている俺たちの状況。
―――もはや、それに慣れてしまっている自分が怖い。
言紡と謡狐族は、種族こそ変わらなかったけど、進化したことで外見がずっと人に近づいた。
これからはティアと共に、外交の最前線で活躍してくれることが期待できそうだ。
「…次はもうありませんからね…!
絶対ですよ!」
「……はい」
そして
さっき肩を落としていた焔嶺と、今や完全に“同じ状況“になってしまった俺――。
プンスカ怒る碧羅の説教に、ただただ神妙に相槌を打つしかないこの苦行タイム……。
さっき焔嶺をからかったから…
これはバチが当たったのかもしれないな…
魍魎族の契名と違って、魔素の消費が大きくないことが分かった俺は、4人まとめて儀式をやっちゃうことにした。
現に動けなくなることもなかったし。
ただ
碧羅には「無謀です!」と猛反対され、今もまだ睨まれてチクチクと釘を刺される始末…。
最終的には≪ぼくが魔素を補充するから大丈夫だよ≫と頼もしい一言をくれた零のおかげで、なんとか納得してもらったが―――
うっかり次もやろうものなら、今度こそ“拘束術”みたいなのを発動されかねない勢いだ。
勢いでやってしまった俺が悪いのは間違いないから…
こうして“自業自得”な反省タイムをしっかり味わってちゃんと反省しよう。
で
気まずい雰囲気のまま執務室へ向かい、現在にいたる。
室内には管理部門の面々であるフロル族の長老とベルム、蒼幻、逸花。
そして今回の件で動いてもらうことがあるかもしれない、澪と翠月が呼ばれていた。
「これがその書籍です」
そう言って碧羅が差し出してきた分厚い古書の装丁は年季が入り、ところどころ革がひび割れている。
見た目以上に重みを感じるそれは、少しの衝撃で破壊されそうで、触る手が震える。
「……これが“黒い煙”について書かれている本か」
俺が受け取ると、みんな自然と机の周りに集まってくる。
破かないようにそっとページをめくると、古びたインクで書かれた文字と、簡素な挿絵が現れた。
「該当箇所にはしおりを挟んでおきました」と碧羅が補足する。
さすが
怒ると怖いけど…
やっぱり気がきく。
俺はしおりのページを開いて内容を読み込む――
そこには古い文字で『瘴気と人魂の変質について』と題された章が記されていた。
「…思ったよりガチな内容だな」
小声でつぶやきながら、挿絵に目を走らせると、煙のような黒い影と、それに巻き込まれて倒れる人物の絵が描かれていた。
「ここですね。“黒い煙”は、太古より呪詛に利用される“瘴気”と呼ばれるものらしいです。触れた者は精神を侵され、やがて自我を失うことも――」
碧羅が補足して読み上げると、皆の顔がぐっと険しくなった。
ページの隅には、さらに小さな注釈があった。
“瘴気を用いた呪詛は、魂の上書と組み合わせられることがある“。
おいおい
胸糞わるい内容だな。
俺は小さく息を吐きながら、ページから顔を上げる。
あの少女は“勇者”として魂を書き換えられかけて、でも術が不完全だったから呪いに変質してる……っていう最悪な状況ってことだ。
誰が、何のために、こんなことを……。
「それで、結界の中だとノア様の魔素と干渉して、症状が悪化するんですね」
ベルムが真剣な顔でうなずく。
「この瘴気と呪いの術式、所謂、“通常の勇者選出”とは異なる可能性が高いですね…。
誰かが、意図的に――しかも強引な方法で、勇者を“作ろう”とした…」
碧羅が手元の資料をめくりながら口を開く。
続けて蒼幻が
「素質や資質を持つ者を“選ぶ”のではなく、何らかの力で“無理やり作り上げる”。それも、魂の根幹をねじ曲げて…並の魔術師にできる技じゃありません」と発言し、長老が深く頷く。
「対処方法は書かれてないのか?」
さらにページをめくりながら、事前に内容を把握している碧羅に問いかける。
「通常は特定の封印具や加護がないと防げない代物だそうです。解除には“精霊の加護”や“高位の祝詞”が有効と書かれていました」
「精霊王か」
俺の呟きに、隣の蒼幻が頷いた。
しかしそこへ
『精霊の加護は、親和性……“適性”が必要です。少女に資質がなければ、加護による中和は不可能』
アリアの分析が響く。
つまり、加護をもらえる体質じゃないと、この案は効果なしってことか。
中々難しいな…。
いつも通り、アリアのことは伏せつつ皆に状況を伝える。
「精霊と相性が良くないとダメって、確か精霊王が言ってた気がする。加護がもらえなかった場合のことも考えておきたいが…」
「高位の祝詞と言うのは、古代語で唱えられるものを指します。現存者で使える者がいるかは…不明です」
碧羅に続いて、逸花が口を開く。
「祝詞の内容や術式の詳細など、ほとんどが失われています。何より、“勇者の魂”という特殊な事例は実現が極めて難しくかと……」
俺は唸る。
加護は適性が必要。祝詞は使えるかは怪しい…。
こりゃ、ハードルが高すぎるな。
「――とりあえず、精霊王にあたりつつ、祝詞についても調査を進めるしかないな。
翠月、リシャールに勇者についての情報をもらえるよう伝達してくれ」
「承知しました」
「澪は魔物の警戒にあたって欲しい。俺なら、魔物が落ち着いている“今”次を仕掛けるからな…」
「…承知しました」
澪が背筋を伸ばしてうなずき、すぐさま行動に移る気配を見せる。
「精霊王との交渉は結界が安定している儀式の間で行う。逸花、何度も申し訳ないが準備をお願いできるか?」
「もちろんです。お任せください」
逸花が軽やかに一礼して部屋を退室し、続いて蒼幻と長老、ベルムが部屋をでる。
澪と翠月は転移して室内からいなくなったのを確認すると、俺は深く息を吐きながら、机の上に広がる古い資料へと目を落とした。
……役割の植え付け、魂の上書き――
どれも、軽く笑い飛ばせる話じゃない。
そして、これらの現象が、俺の周りばかりで起きている……。
変異した魔獣、強制的に作られた勇者――あのドラゴンですら、この流れに巻き込まれた役者の1つだろう。
意図がわからないのがもどかしいが、いずれにしても
―――このクソみたいな渦は、俺を中心に進んでるってことだ。
材料は不足しているが、確信が持てる。
案件が立て込んでいるし、元より心配させるから皆には言うつもりもないが、ドラゴン討伐後から感じている身体の違和感。
体の奥底が熱を帯びているというか…
ただの力の高ぶりとは違う、もっと根源的な「何か」が、魂ごと揺さぶってくるような感覚。
言葉にしづらいけど、
「これは今までの俺じゃ対処できない」って本能が警鐘を鳴らしてる。
魂にアプローチしたり、魔素を直接吸収したり――
俺だけが、誰よりも異質で、誰も踏み込んでいない領域に足を踏み込んでいる。
―――もしかしたら、俺の存在そのものが、世界の“理”に触れるのか…
『魔王の覚醒進行を確認。
主要思考ラインが一定値に達しました。次のプロセスを一部開放します』
ん?思考ライン…?
アリアの言葉に表情が動く。
「どうかされましたか?」
その変化にすかさず、声をかけてくる碧羅。
「いや、考えを纏めていた。準備ができるまでここにいるから…そうだな、何か飲み物をお願いできるかな?」
「……承知しました」
1人で考えたい俺は、用事をお願いする形で碧羅を部屋から退室させる。
勘のいいあいつのことだから、思うところがあるかもしれないが、そこは深く考えない。
部屋から出たことを確認して、アリアとの会話を続ける。
(思考ラインってなんだ?)
『魔王の覚醒が進むごとに能力が解放されます。
加えて特定ワードを含む思考が積み重なることで秘匿情報が開示されます。
現段階での情報を確認されますか?』
…そういうシステムか。
誰かの舞台で管理されてる状況には不快感を覚えるが―――
今は、とりあえずYesだ。
『この世界で魔素に直接アクセスできるのは主人のみです。
よって通常は不可能なSigraphの構築、魂に名前を刻む契名が可能となっています。
御影 遼は魔素を直接扱える特異体質だったことにより、魔王の器に選ばれました。
現在、ドラゴンの魔素を吸収したことで主人の魔核に収まりきらないエネルギーが身体を渦巻いている状態です。零が力を制御している効果によって、暴走が抑えられていますが、長くはもちません』
≪ぼくは大丈夫だよ≫
零がやさしく声をかけてくる。
「零…そうだったのか」
肩にのっかる、零のふわふわ頭を無意識のうちに撫でる。
アリアの淡々とした“事実の羅列”が突然の情報量で、正直混乱する。
特異体質って、そんな設定だったのか……
なんか、プログラムの設計みたいに“やったらできる”ってもんじゃなかったんだな…
しかも、零が溢れかけてるエネルギーをずっと抑えてくれていたなんて。
片時も離れず、ずっと傍にいてくれていた理由――
今、ようやく腑に落ちた気がした。
『ドラゴンの発生はイレギュラーです。
勇者にトラブルが発生したことで、予定されていたイベントがキャンセルされ偶発的に魔素を吸収することになりました。早急に覚醒段階を上げなければ生命維持活動が困難となります』
おいおい
イベントって…。
苦しんでいる少女を知っている俺としては、益々この状況に憤りが隠せない。
しかも
生命維持活動困難―――
いよいよ、俺も危ないってことか。
(対処法はあるのか?)
『これ以降の覚醒には秘匿物が必要となります。
詳細は精霊王からお聞きください』
“秘匿物”――またしてもキーワードだけ投げられたな。
シナリオ進行上、教えられないってやつか……。
(仕方ない…精霊王に会うしかないか)
色々な感情が処理できないまま、とりあえず大きく息を吐く。
焦り、不安、怒り――
全部まとめて呑み込んで、目の前の“やるべきこと”に集中するしかない。
零が小さく「大丈夫」と囁くように尻尾で肩を叩いてくれる。
「……ありがとな」
ちょうど碧羅が温かいお茶を運んできてくれる。
その匂いを吸いこみ
よし、と気持ちを切り替えて立ち上がった。
長くなったので、ここで切ります。