人との初交流【ジルドの商人】
逸花の強いリーダーシップによって、
それまで手付かずだった西棟と東棟の手入れが、一気に進められた。
いや〜蜘蛛の巣と埃を撲滅させる
という…強い意志を感じたね。
あれよあれよという間に
埃をかぶっていた廊下も壁も、見違えるほど美しくなり
今では東棟が来賓対応の中心的な役割を担う建物に生まれ変わっていた。
――とはいえ、人間の来客者はこれまでゼロ。
今回の客人が、記念すべき“初来訪“となる。
ジルド=スパーン連邦の商人――リシャール・ヴァルドは、ピカピカになった東棟の【二階・特別来賓控室】に案内されていた。
王族や要人クラスの長期滞在用に造られた豪華な部屋は、「控え室」と呼ぶにはもったいないほどの仕上がり。
建築担当の責任者レクスが、とにかく細部まで手を抜かない性格で――
「こんな感じに仕上げてほしい」と希望を伝えると、それ以上のセンスとこだわりで応えてくれる。
結果、室内の家具は、シンプルながらも洗練されたデザインで統一。
壁際には、来賓用の荷物置きスペースやほのかに香るアロマストーン。
さらに
部屋の壁やカーテン、絨毯には、織物が得意なモコム族の特殊な繊維がふんだんに使われていて、落ち着いた高級感を演出していた。
その技術は人間社会にもほとんど知られていない、魔王領ならではの逸品。
彼らは糸を自在に操り、しなやかさと強度、独特の光沢を併せ持つ布地を創り出す職人集団だ。
もちろん、俺の衣服や寝具にもモコム族の織物を採用。
その快適さに慣れた今、もう普通の布には戻れない。
現代でこの品質だと、一体いくらのお値段になるのか…そもそも再現可能なのかも怪しい。
過剰な装飾はなく
それでいて1つひとつが「特別」。
魔王領が誇る技術と心配りが、さりげなくも隅々まで行き届いていた空間。
「ノア様が間もなく到着されます。こちらの部屋へご移動ください」
そんな控え室の上をいくのが、応接の間。
逸花がすべてを采配し、備品から茶器、警備体制まで、抜かりなく整えてくれている。
今後、人との交流を深めていくにあたり『おもてなし』が必要だろう
ということで、迎賓担当を作ることにした。
志願してきた配下で構成し、逸花を中心に色々整えられて、その中の1人がリシャールを案内する。
控室から応接間までの廊下には、磨き抜かれた床に整然と並ぶ調度品。
すれ違う使用人は洗礼された動きで……とにかく規律と品格が肌で感じられる仕上がりに。
やがてたどり着く、東棟の奥、二重扉の向こうは、高い天井に大きなシャンデリア。
室内は落ち着いた色調でまとめられているが、椅子ひとつ、テーブルひとつをとっても逸花の目が行き届いていることが伝わってくる。
リシャールが部屋に入ると待機していた逸花が微笑みながら、軽く会釈する。
「リシャール様、ようこそお越しくださいました。
魔王ノア様も、間もなくご到着なさいます。どうぞ楽にしてお待ちください」
「あっ…はっはい…ありがとうございます」
かわいい逸花の笑顔にほだされたか。
おもてなし全開の空間が合わないのか。
緊張がとけない商人は辺りを見回しながら、椅子に座ろうとしない。
「待たせたな。俺がノアだ」
扉を開けて入ると、商人――リシャール・ヴァルドは椅子には座らず、緊張した面持ちで直立していた。
ピンと伸ばされた背筋、体の横にピタッとつけられた腕。
まるで軍隊の点呼を受けている兵士か、下手すると石像と見間違うレベルで固まっている。
あれ?来賓者に快適な空間を提供したつもりだったんだけどな。
現時点では敵か味方か分からないが、死亡フラグを避けるためにも、人との友好関係を築きたいと思っている俺としては、丁重におもてなしする以外の選択はない。
迎賓担当にもそれは伝えておいたんだけど…合わなかったかな?
……まあ、人に好意的かもわからない魔王のところへ単身来てるんだから、緊張もするか。
「この度はこのような貴重な機会をいただき、誠にありがとうございます!」
キレイに90度でのお辞儀。
ガチガチの礼儀正さに、こっちまで背筋が伸びるな。
「そんなにかしこまらなくていいよ。
魔王城の“おもてなし”はどうだった?ここまで粗相はなかったかな?」
テーブルの上には農耕担当のリファ族が最近開発した、香り高いお茶と、
料理長ガロムが作ったお菓子が並ぶ。
正直、この世界では人の国に行ったことがないから、都会の食べ物に比べると見劣りするのかもしれないが、俺は現代のアフタヌーンティーにも劣らない味だと思っている。
俺の記憶をもとにイメージを共有するSigraphを構築したのは、シャンプーに続く画期的な発明だった。
色んな場面で使ってるけど
ガロムと共有してから、料理やお菓子、飲み物のレパートリーが爆発的に増えた。
トレシュ族は味の再現力がすごいんだよね。
おかげで魔王城の食卓は、最近やたらと多国籍&多次元な雰囲気になってきている。
たまに“未知の料理”に張り切りすぎて、とんでもない色の試作品が出てくることもあるけど……まあ、味は保証付きだ。
「粗相だなんてとんでもない。
謁見をお許しいただいただけでなく、このように手厚い対応……。正直、驚いています」
リシャールは少しだけ表情をほぐし、恐縮しながらも椅子に腰掛けた。
逸花がそっとお茶を差し出すと、芳醇な香りが空間にふわりと広がる。
「ん?そうなの?」
リシャールは背筋を正して続ける。
「正直、来るタイミングが悪すぎました……。あんなに大きなドラゴンが襲来した直後に、人の国から商人が訪れるなんて――スパイ扱いされて、そのまま切り捨てられてもおかしくない状況です」
たしかに。
魔王領でドラゴン騒ぎ。
そんな中“たまたま来た商人”。
普通は信じてもらえないし、かく言う俺も警戒している。
下手すりゃ、その場で始末されてもおかしくない。
「それが、切り捨てられるどころか手厚い対応……。
正直、これも“試されている”のかと――」
リシャールはやや慎重に、でもどこか本音が滲む声で続ける。
まあ、“敵か味方か”――向こうもこっちも、お互い腹の内を探り合ってる。
試している…というよりも見定めているといったところだ。
ただ――
変に疑いすぎてチャンスを逃すのはもったいないし、
“話してみなきゃわからない”ってのが本音だ。
「まあ正直、警戒心は持っている。申し訳ないが色々調べさせてもらった。
ただ――少なくとも、いきなり首をはねる趣味はない」
冗談めかしてそう言うと、リシャールの表情がわずかに緩む。
「寛大なご対応、心より感謝申し上げます」
「で?ここに来た理由を話してもらおうか」
俺が促すと、リシャールは姿勢を正し、一呼吸置いてから口を開いた。
「配下の方からお聞きになっているかもしれませんが…。私はジルド=スパーン連邦『ヴァルド商会』の長男です。商会としてはかなり大きく、連邦議会にもコネクションを持つ…いわゆる巨大組織として、他国にもその名前は知れ渡っております」
いきなり肩書きとコネを押し出してきたな。
有力な商会=裏の権力者っていう、ファンタジーあるある的な扱いをされないように牽制してるのかな…。
「ですが、私はその家に生まれながら、今はひとりで新しい商会を立ち上げました。
理由は……父の代になってから、商売のやり方がどうしても納得できなくなったからです。
祖父の代は“信用に勝るものはなし”という信念を掲げ、事業を拡大してきました。
しかし、父の代にかわってからは、裏取引や力任せな商談が増え、体制が大きく変わってしまった。
私にはそれがどうしても納得できず……」
ここで、リシャールは一旦言葉を切り、目の前のカップを手に取った。
お茶の香りを確認するように鼻先でふわりと吸い込み、落ち着いた動作で一口飲む。
その仕草には、育ちの良さが漂う。
「ここ最近、軌道に乗っていた取引が次々になくなりました。
父の根回しがあったことは言うまでもありません…。
このままでは付いてきてくれた仲間たちに顔向けできない……!」
なるほど。
筋を通したいってやつか。
現実は甘くないけど、それでも信念だけは折れない――この世界で一番難しい商売のやり方を、あえて選んでるわけだ。
「そこで“魔王と取引がしたい”と?」
俺が問いかけると、リシャールはまっすぐこちらを見て、力強くうなずいた。
「そもそも、この地域の亜人たちは高度な生活技術を持っています。
魔物が住む地で生きていくには、それ相応の知恵や能力が必要です。
ですが、人間との交流がない分、その技術が人の国に流れてくることはありません。
実際、この城に招かれて、正直びっくりしました。
調度品や食事、――どれも想像以上のものです」
リシャールは、机の上の茶器や菓子にも視線を走らせ、素直に感心しているようだ。
ふむ……本当に“未知”を商機に変える覚悟で来たのか。
これはなかなかの勝負師……いや、純粋なバカ正直さか……。
「どうか、私と取引をしていただきたい。
そして、我々商会の後ろ盾となっていただきたいのです!」
――ん? うしろだて?
…あれ?
単なる取り引きじゃなくて、魔王領をバックにつけたいってこと?
「……なかなか大胆なお願いだな」
俺がそう返すと、リシャールは改めて深々と頭を下げた。
「重々承知しております。しかし―――」
そこで彼は顔を上げ、まっすぐ俺を見据えて言葉を続ける。
「魔王領の技術や製品、そして“信用”という価値を人間社会に広げることは
貴国にとっても利益になると考えます。
さらに、我々は人の市場や動き、国の政治に関しても情報も得ることができます。
――経済、流行、政治――魔王領の“外の目”として役立てていただけると自負しております」
リシャールはさらに言葉を重ねる。
「もし万が一、人間領で問題になったときは、
私と商会が前面に立ち、魔王領の名誉を傷つけるようなことは絶対にいたしません。
むしろ“人間側のクッション役”として、両国の架け橋になる覚悟です」
テーブル越しに、真っ直ぐな瞳。
―――悪い話じゃない。
むしろ俺としては願ったりかなったりだ。
だからこそ、その真意を聞くまでは事が進められない。
たしかに魔王領の製品は人の国でも十分勝負できる。
これだけの品なら、貴族や富豪が“のどから手が出るほど欲しい”逸品になるのは間違いない。
しかも、今後は生産体制も強化して、魔王領の発展につなげていくつもりだから
供給も安定し商売は軌道に乗るだろう。
一方で、人の国で矢面に立つってのは、それだけ命がけのはず。
リシャールにとって、そこまでする“メリット”がここにあるのか…?
そもそも、俺のことを信用に値するという前提がなければ、ここまで話を進められないはずだ。
「……貴殿にとって、そこまでのリスクを背負う意味は何だ?」
俺が問いかけると、碧羅がすっと俺のそばに立ち、無言でリシャールを見つめる。
逸花も、静かな眼差しで返答を促す。
こういう時、側近たちの無言プレッシャーが地味に効くな……
リシャールは一瞬だけ迷うような表情を浮かべるが、やがてまっすぐ俺たちの目を見る。
「正直に申し上げます。
魔王誕生という知らせは瞬く間に世界中に広がり、その脅威に立ち向かうべく様々な国が動き始めました」
えぇっ!
やっぱり!!
……いやまあ、“魔王”って聞いたらビビって団結するのがテンプレだけど、
内心“案外バレてないんじゃ?”って、ちょっとだけ期待してたりして。
甘かったか~。
こりゃ、早いとこ地盤を固めないとマジで攻め込まれる可能性があるな。
「しかし世間の情報とは裏腹に、魔王領周辺ではむしろ毎日が穏やかに続いていると耳にしました。
それどころか、人の住む地域に流れてくる魔物の数が減っている――と。
これはどういうことなのか、魔王とは本当に“悪”なのか……。
私はこの疑問を捨てきれず、独自に調べを進めました」
リシャールは続ける。
「魔王領の近くまで赴いて住人の話に直接耳を傾け、また、以前は危険で通れなかった交易路についても被害がないことを確認しました。なんでも魔王配下の皆様が定期的に魔物を討伐してくれているとか…」
あぁそれは澪が率いる物流班の取り組みだな。
リシャールの言葉に、碧羅が「ね?」とでも言いたげに俺に目配せを送り、逸花も静かにうなずく。
……みんな、俺が“人との共存を目指したい”って言い出してから、
それぞれのやり方で地道に魔王領の評判アップに努めてくれてるんだよな。
正直、俺が何も言わなくても、勝手に評価が上がっていく……すごいよ、うちの仲間たち。
澪たちは、狩りに出るたびに、あえて人の領域に近い場所の魔物を優先的に討伐している。
おそらく、その活動の噂がリシャールの耳にも届いたのだろう。
「ますます世間の情報が信じられなくなり、この度、意を決して魔王領に足を運んだ次第です。
そして確信しました。私の考えは、間違っていなかった」
リシャールの言葉には、一切の迷いがない。
「ドラゴン襲来のとき、配下の方々は私を最後まで見捨てなかった。
敵か味方かも分からない人間を、です。
それはこの国に来て腑に落ちました。
皆さんが心からノア様を信頼し、慕っているからこそなのだと…。
会話の端々や立ち居振る舞いから伝わってくるのです。
―――人の国では、立場や利害で繋がる関係ばかりですが、
ノア様のまわりには“絆”がある。
――そう思えたからこそ、“この方となら命を預けて取引ができる”と信じています」
まっすぐすぎて、逆にこっちが恥ずかしくなってくるな……
碧羅が俺の横で、うんうんと満足げにうなずいている。
逸花も「ノア様のお人柄ですね」と小声で微笑みを浮かべているし、
なんか……俺ひとりだけ照れて損してる気分だ。
リシャールは、さらに力強く続けた。
「魔王領の技術と信用を世に示し、人の国に新たな流通ルートと友好の橋を架ける。
その過程で得た人間領の情報は、必ず魔王領に還元する。
もし問題が起きれば、私が前面に立って責任を取る――
決して貴国に泥を塗りません。
そして、“人間社会での魔王領の窓口”として、正式な交渉や裏の橋渡しも務めます!」
堂々たる宣言に、会議室の空気が一段引き締まった気がした。
――なるほど。腹をくくってきたな。
ここまで言われたら、こっちも“本気”で応えなきゃフェアじゃない。
俺はカップをゆっくり置き、アリアに問いかける。
(ここまでで異常な魔力の感知はないな?)
『然り。操られている可能性はありません。また対象の魔素では魔法およびスキルの発動は困難。体内に仕込まれた異常も見当たりません』
ここまで信頼を預けてくれるリシャールには申し訳ないが
――話をしながら、 “安全確認”も並行して行っていた。
俺には――この国と仲間たちを護る責任がある。
万が一にも、ここで仲間を危険にさらすわけにはいかないからな…。
「……よし。君の話と覚悟、しかと受け取った。俺もその気持ちに応えたいと思う。
ただし、最初から大きな取引はしない。
まずは“試験的な取引”から始めよう。
お互い信頼を積み上げていく形でいい関係が築けるといいな」
碧羅がうれしそうに目を細め、逸花も「ノア様らしいご判断です」と柔らかく微笑む。
リシャールは、少し目を見開き、それから深々と頭を下げた。
「はい――ありがとうございます!必ず、期待に応えてみせます!」
俺は思わず小さくため息をついた。
勇者のこともあるし、人間の国との情報パイプができたのは大きい。
―――さて、ここからが新しい“魔王領と人の国”の始まりか…。