勇者
城に戻ると、中はやたらバタバタしていた。
廊下のあちこちで、仲間たちが「異常なし!」「魔素濃度、安定!」と、元気に声を張り上げて走り回っている。
作業で顔はピリッとしているけど、ドラゴンの脅威が消えたおかげか、鬼気迫る雰囲気ではない。
(思ったより被害はなかったみたいだな。よかった…)
元気そうなみんなの姿を見て、一安心。
さて――
気になるのは、保護した少女のこと。
たしか医療室で寝てるって聞いたから、様子を見に――
そのとき、急に足元がグインッと引っ張られた。
「うおっ!?」
世界がグルングルン回って、視界がぐにゃっと歪む。
気づけば、見慣れたはずの景色――
…ここは…結界の間?
「ノア様~!来てくれたか!
やばいでやばいで、めちゃくちゃやばいもんがおる!!」
ぴょん爺が、耳も尻尾もフル稼働で、部屋の端から転がるように駆け寄ってきた。
「え? これ、おっさんの仕業?」
「ん?あーここに呼んだことか?
そや!どうしても二人で話したかったもんで、魄珠と連携して領内限定の緊急召喚や!」
仮にも魔王を強制ワープで拉致する、という仲間から非難されるような行動を
ぜんぜん悪びれる様子もなく。
むしろ胸を張って答えるぴょん爺。
「そんなことできるんだ……っていうか扱い雑すぎじゃない?」
変に気を遣われるより、雑なくらいが不思議と悪い気はしない…
と思いながらふと…碧羅が頭をよぎる。
あ――…大丈夫かな。
誰よりも俺“命”のあいつ
こっちはよくても、あいつはダメかも…
パニックになってなきゃいいが……。
「見てみぃ!結界がやばいことになっとる!ビンビン反応や!」
「またまた大げさな……」
「ほんまやで!わしの長い結界人生でもこんなん初めてや!
魔族でも精霊でもない、“未知との遭遇”や!」
「未知って……いや、あの子、人間なんじゃ?」
「ちゃうちゃ!いや、違わんけど、ちがうっちゅうか…とにかく!わしの結界があんな反応するのは、“理”そのものがズレとる証拠や!」
「……つまり?」
「わからん!!せやから、相談しようと思って呼んだんや!」
ぴょん爺の全力ジタバタに、思わず苦笑いしかける俺。
(――とりあえず、落ち着けおっさん)
「ほら見てみぃ、あそこや!」
ぴょん爺にせかされて、結界の間の中央――
魄珠に目をやる
少女は医療室で寝ているはずなのに、
その存在感だけが、結界の間に“出張”してるような妙な違和感。
「……これ…」
「な?おかしいやろ?保護したあれに反応して、こっちにも“波”が来とるんや!
わしの結界の紋様、ほら、いつもはきれいな輪っかやのに、今は、あんなガタガタや!」
ぴょん爺が結界の床を指(だと思う)を差す。
確かに、普段はなめらかな光の紋様が、今はまるで心電図みたいに波打っている。
「……まあ、確かに」
「うおっ!ノア様が近くにおると、波がさらに激しくなるで!」
「えっ、原因おれ!?」
「いや原因っちゅうか、共振やな!
あの子の“何か”と、ノア様の魔素が響き合っとる!」
ぴょん爺はじたばたしながら、
「これまでいろんな魔族や精霊見てきたけど、こんな反応は初めてや!」と訴えてくる。
「つまり……どうすれば?」
「わからん!」
「え!わかんないの??」
大ベテランの顔して語ってたおっさん。
知った風なテンションで、解決策は知らんときた。
「どう言うことか、それをわしも知りたいんや!」
ぴょん爺は、まるで子どもみたいに期待のまなざしでこちらを見つめてくる。
「……え?丸投げ?」
いやいや
俺、この世界初心者なんだけど?
「こういうのって、専門家がサクッと解決する流れじゃないの……?」
「せやから魔王様にお尋ねしとるっちゅうわけや!」
と、キラッキラの目で訴えてくる。
……うん、そんな目で見つめられても、そんな理屈でも。
正直困るって。
――そのとき、頭の中にアリアの冷静な声が響いた。
『強制的に役割を植え付けられる術が不完全に罹った状態です。
ここにいる限り症状が悪化すると予測』
なんだかまた…嫌な感じだな。
(役割の植え付け…?なんだそれは?)
『聖印からして勇者と推定。結界内は主人の魔素で満たされているため、不完全な術が呪いとして少女の命を削っています』
勇者!
あの子が…!?
アリアの説明に、思わず声を上げそうになる。
勇者って
素質のある人が現れて、王様とかから任命されて、本人も望んでなるっていう感じじゃないのか…?
“役割の植え付け”って…
これじゃまるで
誰かに無理やり勇者にされたみたいな響きだ。
しかも、その術が不完全で呪いになってて、俺の魔素と混ざると悪化って、冗談きついぞ……
(術は解除できるのか?)
『現段階では解除方法不明。
主人の魔素に充てられないよう“隔絶領域”を創る事で症状の緩和が期待できます』
……つまり“俺の空気”に触れない場所を創ればマシになるってことか。
『さらに、術を完全に解除した場合“枠”が空白となり、新たな勇者が発生する可能性が推定されます』
おいおい…。
アリアのセリフが俺の中の何かに触れる。
――まさに意図的じゃないか。
明らかに誰かの介入がある。
うかつに術を解いちゃうと、どこかで第二、第三の勇者が生まれるかもしれないって…
“勇者役”がどこかの誰かに無理やり押し付けられるってことだ。
なんだそれ…。
「ひとまず少女を、魔王城の魔素から隔離する」
「ん?なんやて?」
ぴょん爺が、耳をぴくぴくさせて振り返る。
アリアの存在は伏せたまま、俺はできるだけ簡潔に事情を説明する。
「俺に反応してるってことは、この場所……つまり、ここに充満してる俺の魔素が問題なんだろ?
なら、少女が安心して休める“安全地帯”を作ればいい」
そう言いながら、俺は頭の中で“隔絶”のイメージを練り始める。
――ここに満ちる魔素を、一切通さない“箱”を創る。
手のひらをかざし、魔素の流れを意識すると、足元に淡い光が集まり、青白い紋様――“Sigraph”が静かに広がり始めた。
「おお…!」
ぴょん爺が興味津々で見守る中、
集中して、魔王領の魔素を“シャットアウト”するための結界構築を進める。
少女も…俺も
わけのわからない“誰かの都合”に巻き込まれて、勝手に“役割”決められて…
その上、命を駒のように使い捨てにされる…
理不尽
その言葉がぴったりだ。
『シングラフ構築確認。術を発動します』
そんなこと…許されないよなーー
こんなクソみたいな状況から少女を救えるなら…これくらいはやってみせるさ――
光が少女を包み、
不安定に波打っていた結界の紋様が、
少しずつ、なめらかな輝きを取り戻していく。
「おお……すごい!
結界が落ち着いてきたで!」
ぴょん爺が驚き半分、感心半分で声をあげた。
さっきまでビリビリと不穏な波形を描いていた床の紋様も、いつもの穏やかな円に戻っている。
少女の表情も、先ほどより柔らかくなった気がした。
「よし。これでひとまずは時間稼ぎだな」
「なんや、やっぱ、さすがノア様!なんとしてくれる思っとったで!」
――調子のいいやつだな、と心の中で苦笑。
「じゃ、俺はいく。あとは頼んだぞ」
「まかしときぃ!」
ぴょん爺は満面の笑みで胸を張る。
……このおっさん、何があっても“自分でなんとかする気ゼロ”だな。
「何かあったら、すぐ呼びますわ!」
「いや、次からはまず“隠響”で知らせてくれ。
どこにいても呼び出されるのは、さすがに困るからな」
このままだと、いつでもお手軽に召喚される魔王システムができあがっちゃう。
入浴中の真っ裸で召喚されたらと思うと、オチオチ気が抜けない。
効果があるかは微妙だが一応、釘を刺しておく。
「了解や!今度からは“隠響”優先で!」
(本当にこのおっさん、自由というか――ある意味、俺より魔王らしいかも)
そう心の中で苦笑いしつつ、俺は転移の術を展開した。
視界に入ってきたのは、玉座の間の横に造られた、多人数が協議できる会議室。
「えっと…待たせたな?あれ?」
フロルの長老とベルム、蒼幻が難しそうな顔でやり取りし、逸花が資料を忙しそうに整理している。
どうみても…
大騒ぎしているようには見えない。
「ノア様。ちょうど会議の内容が大体固まったところですよ。そろそろお迎えに上がろうと思っていました」
焔嶺がテーブル越しに手をひらひら振る。
あれ…?思ってた反応と違うな。
俺…全然心配されてない…?
「えーっと…急にいなくなって..心配かけたな…?」
そう声をかけてみたものの…
みんな落ち着いていて、空回りした感が否めない状況に戸惑う。
「おかえりなさいませ、ノア様」
一番心配していると思っていた碧羅まで、いつも通りの冷静な状況。
「えっと…ただいま…?」
どの受け答えが正解なのか分からなくなる程の戸惑いを他所に
碧羅は、ごく自然な口調で続ける。
「急にお姿が消えましたが、我々眷属はノア様の魔素を常に感知することができます。特に城内にいる間は場所を把握できるので結界の間にいることは存じ上げておりました。その間に出来るところに着手しておこうと、こうして集まっている次第です」
「え?そうなの?」
そして素っ頓狂な声まで。
……って、え、なにそれ、いつでも把握できるの?
ちょっと待って。
これ、プライバシーってやつは……?
俺、どこ行っても常に見張られてるってこと!?
内心あせる俺をよそに、逸花が
「ノア様のお姿が見えなくても、居場所を把握していますので、みな落ち着いておりましたよ」
と笑顔で回答。
全員が大きく頷き、とどめにフロルの長老。
「ご安心ください、しっかり見守っております」とにっこり。
見守られてるっていうか、監視されてるっていうか……いや、ありがたいけど!
え?ありがたいのか!?
もう何が正解か分からん!
そんな様子をみていた焔嶺がにやにや笑いながら、
「我々一同、大切なノア様を見守っておりますよっ」と肩を叩いてくる。
……焔嶺のやつ
俺が動揺してるの、分かってて面白がってるな?
“仲間から大切にされるポジションなんだから、諦めてくださいよ”――
っていう心の声が、リアルに聞こえてくる気がする……
俺は内心でため息をつきつつ、まあ城内がパニックになってたよりいいか
と、気を取り直すことにした。
「……それで? 会議の内容、まとまったみたいだけど、何が決まったんだ?」
ようやく本題に意識を向けると、
みんなが自然とテーブルを囲み直し、空気が少し引き締まった。
「まずは保護した少女についてです」
逸花が手元の資料を整えながら話し始める。
「医療班が城内で治療にあたりましたが、目を覚ます気配がなく、衰弱していく一方でした…。ただ先ほど、突然容体が落ち着いたと医療班から報告が入りました」
逸花の声に安堵の色が滲む。
もちろん。容体が落ち着いたのは、俺が“魔素遮断結界”を発動したから。
「あー、それは俺から伝えることがある。まず、彼女は――“勇者”だ」
場が静まり返る。
みんなの視線が一斉にこちらに集まった。
アリアのことを伏せながら事情を説明する。
「彼女につけられた印と魔素から探った。
どういう理由なのか、仕組みなのかは全然分からないが――
彼女は強制的に“勇者”の役割を与えられる途中で、あの場所に落下したと考えている」
「役割を与えられる……? そんなことがありえるんですか?」
蒼幻が珍しく声をひそめて問い返す。
「普通はないよな…。けどあの状況からして、その可能性が一番高い。
城内には俺の魔素が満ちてるから、彼女はそれに当てられて衰弱していたんだろう。
さっき魔素を完全に隔離する術を施したから、容体は安定したはずだ」
「なるほど……そういうことだったのですね」
逸花が静かに呟く。
「それにしても、“勇者”というのが……」
焔嶺が腕を組んで難しい顔をしながら
「無理やり役割を与えられるなんて、そんな話、今まで聞いたことがありません。
この件、どう進めていくんです?」
と方針を確認してくる。
俺は一度息を整えて口を開く。
「まずは、勇者に関する情報を全部洗い直そう。
儀式や術式の記録、古い書物、どんな噂でもいい。とにかく手がかりを集めてほしい」
逸花が「かしこまりました」とすぐにメモを取り始め、
蒼幻も「魔術関係の資料を調べます」とうなずく。
「それともう1つ。ジルド=スパーン連邦の商人が“ノア様に会いたい”と言っています」
「交易のために来訪したっていう商人か」
ドラゴンの襲来に対応した、あのタイミングで魔王領にいた商人。
翠月が確保したと報告してきたタイミングでは
怪しすぎて放逐するわけにもいかず、とりあえず手元に回収したのだが…
「可能な限り調べましたが、体内に埋め込まれた術や敵意は発見できませんでした」
蒼幻が冷静に報告を続ける。
「ただ、我々としては易々とノア様に合わせるわけにもいかず、この件についてはノア様のご判断を仰いでいる状態です」
俺は腕を組んでしばし考える。
この状況で、あえて“会いたい”と言ってくるのは普通じゃない。
けど、状況的にはただの人間。
何か裏があるか、それとも……
「よし、とりあえず一度会ってみる。
もちろん警戒は最大限に行う」
みんなが「承知しました」と頷き、
すぐに必要な段取りが始まった。
「逸花、翠月と共に商人との面談場所選定を頼む。蒼幻、念のため再度術式の痕跡も調べてくれ」
『かしこまりました』
「翠月は隠密部隊に指示して、勇者候補の少女に最大限の警備をつけてくれ。
俺も警戒しておくが…どうも嫌な感じがする」
「御意」
「焔嶺は戦闘員に指示。いつ動きがあっても対応できるように頼む」
「任せといてください」
「…よし。みんな頼んだぞ」
仲間たちがそれぞれ動き出すのを見て、
(さて、いったいどんな展開になるのか――)
と思いながら、静かに気を引き締めた。