異世界転生
--------------なんだこれ、やけに寒い。
目を開けると、視界に飛び込んできたのは石造りの天井。
見上げると、ところどころにヒビが走ってて、なんだか廃墟っぽい。
身体を起こすと、背中に冷たい石の感触。
埃っぽい空気に思わず鼻をしかめる。
..........えっと、俺、昨日はいつも通りだったはず。
仕事から帰って、メシ食って、風呂入って、布団に潜って。
スマホでニュースやSNSを流し見して。
もう少し起きていたい気持ちに抗いながら「明日も早いし、そろそろ寝るか」と画面を閉じて、枕に頭を沈めたら、あっさり眠りに落ちた、はずだった。
..........どう考えてもここ、自宅じゃないよな?
..........地下室?
慌てて周りを見渡す。
薄暗い空間は、外からの光は届かず、唯一の明かりは俺の足元――
ひび割れた石の床に描かれた複雑な文様が、ぼんやりと青白く光っている。
俺が寝ていた場所のまわりだけ、うっすらと埃がはらわれていて、さっきまで人がいたような、あるいは逆に長い間放置されていたような、妙な気配。
「これって・・・」
体を起こしながら、そっと床の光る模様――不思議な文字や記号――に手を伸ばす。
指先がほんのり暖かいような、ピリピリとしたような感触。
石に直接触れているはずなのに、どこか生き物の皮膚に触れているような、不思議な感覚に戸惑う。
えーっと..........これは、魔法陣?
思わずごくりと唾を飲み込む。
光る模様の床は、現代のテクノロジーをもってすれば再現可能に違いない。
だがしかし。この感触の実現性..........
まさか..........いや、まさか。
「そんな馬鹿な……夢だ、これは夢!」
1つの可能性を必死に否定しようと、頭をぶんぶん振る。
頬をつねってみるが普通に痛い。吐く息は白くて、石畳の冷たさは本物だ。
「まじか..........」
このおかれた状況に、受け入れがたい1つの可能性が頭に浮かぶ。
「..........これってやっぱり..........」
『おはようございます。魔王様』
不意に――本当に唐突に――頭の中に声が響いた。
心臓が跳ね上がる。
……え、なに今の?
思わず身を縮めて周囲を見渡すけど、薄暗い石造りの部屋には、俺以外の人影はひとつもない。
『あなたをサポートするAI…アリアです。この世界で、あなたが適切に役割を果たせるよう支援します』
声はまるで脳に直接突き刺さるみたいに、はっきりと聞こえてきた。
アリアと名乗るその声は妙に冷静で、どこか機械的。
いや、ちょっと待って..........。
え..........?
魔王って言った?
『あなたは異世界に転移し、魔王に選ばれました。現在は復活の儀式を終え、地下祭壇にて目覚めた状態です』
おいおいおい!
「ムリです」
思考が以外に冷静だったようで、AIの発言に対して間髪いれず拒否できた。
俺、戦闘力ゼロの会社員ですよ? 魔王て。
っていうか..........やっぱり異世界転生..........!
『申し訳ありませんが、選択権はありません。すでに魔王として認証されています』
「いやいや、俺、ただの会社員なんだけど。マジでムリなんだけど」
『ご安心ください。異世界での生活・業務については、私アリアが全力でサポートいたします』
「業務って……そんな軽いタッチ..........?ていうか魔王業ってなんだよ……」
『主な業務内容は、魔王領の統治、配下の指揮、領土発展、そして……』
「そして?」
『……勇者との戦いと、それに伴う生存維持が含まれます』
『無理無理ムリむり!」
いやー耐え切れずに全力の否定。
魔王って、人を襲ったり、好き勝手に暴れたり、「世界征服」とか「破壊」とか、あのヤバいやつ?
それが俺?
いやー現実味がなさすぎて、どうしていいかわからん。
頭を抱えながら顔を上げると、視界の端にズラリと並ぶ肖像画が目に入る。
どれも威厳のある顔なんだけど、全員、目元に赤いバツ印。
「えーっと……これって……?」
『過去の魔王の肖像画です。彼らは全員、勇者やそれに類する存在によって討伐されました』
さらに畳みかけてくるな・・・AI。
え……俺もここで死ぬの?
っていうか、そのテンプレここでも有効なんだ……。
背筋がつめたくなるのを感じながら、やはりどこか現実味がなく、どこか他人事のようにあれこれ考えてしまう。
『死にません。今のことろは』
……あれ? 今、俺、声に出してないよね?
『意識に直接リンクしていますので、発声の有無は問いません』
え、ちょっと待って、それめっちゃくちゃ個人情報の侵害ってやつじゃ……。
『力の覚醒は不完全ですが、現時点では生命維持を脅かす状況にありません』
うわー、すっごい事務的。
もしかして俺、こういうAIタイプの“新手の社畜コース”に放り込まれたのか……?
『社畜コース..........学習します』
冷静なAIのコメント。
いやいや、学習しなくていいから。
この融通のきかない感じ。
それとも異世界基準のAIは、ユーザーの気持ちを汲み取るプログラムなんて入ってないのか――というか今はそんなことを考えている場合じゃない。
「それにしても、“生命維持を脅かす状況にはありません”って、完全に保険会社の説明だよな……」
天井のヒビをぼんやり眺めながら、俺は小さくため息をついた。
AIとの不毛なやり取りで、だんだんと思考が落ち着いてきた。
文句を言っても状況は変わらない。
現実味のない状況だけど、今の自分にできることを考えるしかない..........。
どうも俺には選択権がない。
今、俺は魔王で『業務』ってやつをやらなきゃならないみたいだ。
とくにいきなりゲームオーバーになるのは理不尽すぎる。
RPGは大好きで、勇者を育てて魔王を倒しにいったけれども。まさか自分が“それ”になるとは。
正直、どうして俺がこんなことに巻き込まれたのか全然わからないけど、死ぬなんてまっぴらごめんだ。
……っていうか、そもそも魔王が人を襲うから勇者に攻撃されるんじゃないか?
たしかに、ゲームでも物語でも、だいたい魔王ってやつは街を襲ったり、村を焼き払ったり、魔物をけしかけたり、ろくでもないことばっかりやってるイメージ。
だから、勇者が「こいつは討伐しなきゃダメだ!」ってなるわけで……。
だったらさ、最初から平和に暮らして、悪さしなければいいんじゃね?
別に世界征服とか興味ないし、毎日美味い飯が食えて、静かにのんびり過ごせるなら、それが一番だろ。
ついでに、街のみんなからも「最近の魔王、ぜんぜん悪さしないね」とか噂されて、近所付き合いでも始めれば、わざわざ勇者だって討伐しにこないはず。
討伐対象にならなきゃ、命を狙われることもない?
むしろ「平和な魔王」とか新ジャンルじゃない?
前例はたぶんないけど・・・いや、知らんけど。前例がないなら作ればいいし。
もし仮に勇者がやってきたとしても、「俺ぜんぜん悪いことしてませんから」って堂々と言い切ればワンチャン許してもらえるかもしれない。
なんだ、これ、わりと画期的な発想なんじゃないか?
とりあえず、魔王らしく暴れなければいい――そんなスタイルでやっていくの、アリかもしれない。
いや、アリどころか、それしか選択肢がない気もしてきた……。
『現状、魔王として最低限の活動が可能です。まずは拠点の確認と、今後の行動計画を立ててください』
AIアリアの機械的な声が再び頭に響いた。
計画を立てろって言われても、今の俺には材料がなさすぎる。
そもそも自分が何者で、どんな能力があるのかもさっぱりわからない。
というか、まずここがどこなのかも不明だ。
そのとき、遠くからドーン、と鈍い音が響いた。
壁が揺れ、天井の埃がふわりと舞い上がる。
おいおい、このままじゃ、天井が崩れて生き埋めになるかもしれない。
危険を感じ、目についた石造りの階段に向かって駆け出す。
急いで足を運び、ゴツゴツした段差を踏みしめながら上へ上へと登る途中、またしても何かが暴れる大きな音が響く。
「なんだこりゃ..........!」
階段を上りきり、扉を押し開けた目の前には――緑色の肌、ずんぐりした体躯、口からはよだれが滝のように滴っている巨大な生き物。
でっかいこん棒を振り回し、石造りの壁を破壊しまくっている。
その足元では、ふわふわした髪、つぶらな瞳、小柄で丸っこい体型の集団が、短い手足を必死に動かして走り回るパニック状態。
まさにカオス。
『魔物の排除を提案します。』
「え?どうやって?」
つい今しがた魔王を強制就任させられた新人に、ボス戦をぶつけてくるAI。ブラックすぎない?
『戦闘方法を提示。現在、魔王の初期能力として魔素操作が限定的に解放されています。恐怖または危機感の高まりにより、魔素が自動的に活性化します。攻撃対象を明確にイメージし、“排除”の意志を持ってください。詳細な動作指示は不要。補助は全自動で行います』
AIアリアとやり取りしている真っ只中
魔物がこちらに気がついた。
ごつい顔と濁った目がギョロリとこちらを向き、咆哮が空間に響く。
……迷っている暇はない。
排除の意思。
この状況なら、嫌でもイメージできる..........!
パジャマに素足という、まるで「深夜のコンビニ帰り」みたいなスタイルで、異世界の魔物と向き合う異常事態。
魔物が棍棒を振り上げてこちらへ近づく中、“排除”――そのイメージが、脳内にくっきりと浮かぶ。
『イメージを確認』
瞬間、体の奥底が熱を帯びたような感覚。
全身に力が満ちていき、指先にビリビリと何かが走る。
次の瞬間。
――ゴッ!
空間が歪むような感覚と同時に、目の前のトロールが何か見えない力で吹き飛ばされた。
巨体が壁に叩きつけられ、地鳴りのような音とともに床に崩れ落ちる。
……やったのか?
『対象の生命活動停止を確認。初回戦闘、完了。魔素操作の適応率が上昇。引き続き周囲の安全確認を推奨します』
心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、俺は安堵を隠せない。
「――なんとか、なったな」
この世界で“魔王”としての最初を踏み出した瞬間だった。