聖女候補一年目 聖女についての講義
聖女一年目。
「まずは我が国にとっての聖女についてを学んでいただきます」
講義は司祭によって行われ、本日の内容は過去の聖女について。
どんな善行を積んだのかを学び、聖女のあるべき姿の教えを受ける。
「過去、聖女は『祈りましょう、神はいつも私達を見ています。希望を捨ててはいけません。どんな困難な状況でも、神を信じる私達なら乗り越えられます。神を疑ってはいけません』と国民を勇気づけた」
聖女の言葉として、国民全員が知っている言葉。
絵本・吟遊詩人・演劇などで必ずある台詞だ。
現在の聖女様は、年齢もあり王都を離れ領地にて静養している。
なので今は聖女様の代わりに聖女候補である私達が祈りを捧げ、国の結界の維持を担う。
全員で祈り、結界を継続させる。
万が一綻びが有ろうものなら、災いが降りかかると伝えられている。
聖女候補の祈りで結界を担っているのであれば、候補者から『聖女』引き継ぎをしてしまえばいいと思ってしまうがそこは聖女に敬意を示している様子。
『聖女様が存命中は、次世代の聖女を決定しない』
国王陛下の言葉。
誰も異議を唱える事はなかった。
「そして聖女候補である皆さんには、毎日祈りを捧げて頂きます」
最も重要なのが、祈り。
「聖女は毎日の祈りを欠かしてはなりません。『神に祈りが届いた時、災害・魔獣・疫病を跳ね返す』と言われております」
教本の祈りを捧げる聖女の姿もまた、あの絵本のようにまるで女神のように描かれている。
司祭の教えもあり、私も今日から祈りを捧げる。
「結界の綻びや、聖女の能力によって祈りの時間は変わります。毎年聖女候補が入れ替わりますが、時間が大幅に変わる事はあまりありませんね」
今の候補者全員が日に一度祈ることで結界が維持されている。
司祭の『祈る時間が変わらない』は、私と入れ替わりに卒業していった候補者と能力の差異はないと受け取った。
「日々の祈りは欠かさないこと。水晶に陰りやモヤが現れると、不吉の前兆とされるので発見した時はすぐに報告をするように」
「では、祈りましょう」
ブルネッラの言葉を合図に祈り始める。
祈り集中力が高まると気が遠くなった感覚に襲われ目覚める。
「ぇっ……暗い……」
体感としては一瞬の出来事なのに、辺りは暗く一時間程経過していた事に驚いた。
聖女としての能力が高ければ短時間で終わる祈りだが、未熟な私達は数人でも時間を必要とする。
「万が一王都の教会を離れる際も、祈りを捧げる事を欠かしてはなりません。どこにいても一日一度の祈りを忘れないでください」
現在の聖女様がご健全の時は、一人で日に一度一時間弱祈るだけで結界が強化されていた。
今代の聖女様と聖女候補である私達十一人が漸く等しいという事だ。
「今代の聖女様は聖女を引き継ぐ儀式で能力が更に開花したと話しています」
私達候補者が落ち込まない為の言葉か本当は判断できないが、司祭の言葉は少し気持ちが楽になった。
「今代の聖女様は候補者時代には様々な活動をしていました」
歴代の聖女様がどれ程の善行を積みその能力を得たのか、活動記録が事細かに残され確認する事ができる。
「聖女様は疫病で苦しむ村があれば自らその地を訪れ、何か月にも渡り看病をした。日照りが続いた事で農作物が不作となれば、自ら畑に種を撒き大地に触れ祈りを捧げる。聖女とは行動と祈りが伴い神に届いた時、祝福をもたらすと言われている」
困っている人に出会えば見返りを求めず自身を犠牲にしてでも手を差し伸べる。
それが聖女。
そして
「聖女とは国に結界を張るという重要な役割の他に、国民に希望を与える存在でなければならない」
国民の希望……
「皆様もですが『候補者が毎年誕生する』これだけでも国民にとっては喜ばしく、不安を払い除ける存在です」
国民にとって候補者の存在は、不安を払い除ける存在……
「国民から多大なる支持を得ている聖女です。国を左右する程の影響力ともなるので、皆様には王家と教会の関係なども正しく学ぶ必要があります」
聖女の意思を尊重する教会だが、国からの支援金を頂いているので王族の命令を拒むことは出来ない。
だからと言って、王族の全ての要望に応え聖女を蔑ろにしてもいけない。
聖女という存在は、尊いだけでなく政治や権力などに惑わされることなく公平な判断が出来なければならない。
それは教会も同じで、司祭もとても重要な役割を担う。
「国民からの支持を得ている聖女を利用し、王族を操ろうという欲に転ぶような司祭では聖女の能力を失いかねない。過去、聖女の能力を利用した司祭は政権を乗っ取り国を混乱へ導いた。その結果なのか、聖女候補が一人も誕生しない日々が続き司祭は失脚させられました。このこともあり、教会は結界や聖女について王族に報告をすることはありますが、政に関与することはありません。中立な立場ではなく、一切関与致しません」
司祭は過去に教会が犯した失態も包み隠さず候補者達に伝える。
その事もあり、信用できる司祭という印象を受けた。
「我が国の聖女とは神へ祈りを捧げればいいというだけでなく、どのように行動したのかも重要となってくると言われています。自身が国民の為に何が出来るのか、どのような聖女を必要としているのかを誰かに諭されるのではなく己で見極め、君達には国民に愛される聖女となってほしいと思います」
司祭の講義を受けてから、自身の思い描く『聖女』をぼんやりとだが思い描くようになった。
教会の図書室に保管されている文献は司祭に入室の許可を得れば読むことが出来、教会内では比較的に自由な行動が許されている。
というより、教会は聖女候補に何かを強要する事はなく自主性を重んじている。
各々自身の目指す聖女を形成し、目指していく。
そういうこともあり、候補者達は個人行動が多い。
私達は自らの意思で聖女候補を志願したのではなく、水晶によって選ばれたといえる。
それを強制と取る者もいるかもしれない。
だが今この場で講義を受けている候補者達は、次世代の『聖女』になろうと真剣に向き合っている。
聖女候補と認定された方達を手本に、私も『聖女』に相応しい行動を心がける。




