後編
ハッピーエンドのその裏なんて、見る必要はないし、知りたがるのは野暮というものよ?
子供の頃、領地の裏庭で野犬が出た。そこを助け出してくれたのは庭師のサンソンで、私の理想の男性像はそこで固まった。
……それだけではなかった。
「お母様……どこかの国に、サンソンのような体格の男性同士が戦う催しはあったかしら」
十に満たない子供が夜中に夫婦の寝室の元へ行き真剣に訊ねる内容ではなかった。今ではそう思えるが、その時はすぐにでも答えが欲しかったのだ。
「そうねぇ……昔、半島の方で奴隷達を戦わせる娯楽があったけれど……」
「その奴隷達は皆サンソンのような体格でしたの?」
「どちらかと言えば騎士や兵士のような体格ではないかしら」
「その奴隷達は裸でしたの?」
「アレクサンドラ? 貴女寝ぼけているの?」
「はっきりと冴え渡っております」
「では熱でもあるの?」
「健康そのものですわ」
「あらどうしましょう、猶更悪いわ」
真剣な眼差しの私から目を逸らし、母は救いを求めるように父を見た。父は諦めたように首を振った。
「アレクサンドラ、落ち着いて一つずつ話してちょうだい。まず、どうして貴女はそのような質問をするのかしら」
ベッドの上、父と母の間に挟まれて寝転がると、母は寝かしつけるように頭を撫でながら言った。
「夢を見たのです……サンソンのような、立派な体格の男性が、不思議な髪形で、ほとんど裸で、戦っていたのです……」
温かい布団と優しい母の手によって、遠ざかっていた睡魔が戻ってきた。
「そう、夢の話だったのね」
やっぱり寝ぼけていたのね、と安心した様子の両親を見て、私はうまく伝えられていない事実にもどかしさを感じていた
「とても生々しい夢だったのです。立派な体格の不思議な髪形のほぼ裸の男性達が、抱き着くようにして陣地から追い出そうと、転ばそうと、投げ飛ばそうとする戦い。それが終わると、何故か枕位大きな四角いものが観客から、投げ込まれて……」
「不思議な夢を見て混乱してしまったのね。大丈夫、それは夢よ。現実にそんなことは無いから安心してお眠りなさい」
「違うのです。私は、私は、その戦いを、もっと見たくて……ああ、サンソンよりも、格好いい方達が、あんなに……!」
「いいから早く寝てすべて忘れなさい」
一片たりとも忘れなかった。素晴らしい夢だった。
何ならその後何年もの間、何度も何度も見た。幸せな夢である。
うっとりとする夢ではあるけれど、流石に荒唐無稽すぎて自分でも不思議ではあった。
「そんなに何回も見るとなると、御使いの窓でも覗いているんじゃないかい?」
父のエミールがそう言ったのは家族でお茶をしている時だった。
『御使いの窓』とは、神の使いである天使は過去や未来や異国や異界を覗き見て、そこで得た知識をもとに人々へ助言をした、という神話からとられたもので、本当に不思議なものを見た時や口には出せない光景を見てしまった時に『御使いの窓を覗いてしまった』と言うのだ。
確かに、私が見ている夢はそうとしか言えないものだった。同じ夢を何度も見ているのではないようで、何処か特定の場所で行い続けている格闘をひたすら見ているようだった。
「あり得るわね。恰幅の良い裸の男が抱き合う格闘だなんて、とんでもない世界もあったものだわ」
「私、生まれる世界を間違えたのかもしれないわ」
「やめて頂戴、貴女は私の愛するエミールとの間に生まれた私の愛する子供よ。この世界で間違いないわ」
「この世界で間違いがないというのなら、私の理想の男性を紹介してください。その方と婚約して結婚したいわ」
「伴侶は自分で見つけるのが我が家の方針よ。ほぅら、私は自分で理想の男性を見つけ出したのよ」
母が隣に座っている父の腕をグイッと引っ張れば、父はそのまま母に寄りかかり笑顔で「見つけ出されたねぇ」とのんきに言う。そんな父は実のところ激動の人生を歩んでいる。
没落して平民になった元子爵家の子息の父は、必死に農地改良を行っていたら、それを公爵令嬢であった母に見出され、色々あって一代限りの男爵になった。と思ったら伯爵家の養子になった。と思ったら公爵家の婿になった。そして今に至る。
恐らく色々と無茶を通して道理をひっこめたであろう母と父なので、私と兄も相手を見つけさえすれば後はどうにでも出来ると思っている。
「しかし、私には理解できないな。見た目に価値を見出すなんて。人は中身にこそ価値があるだろう」
「あらお兄様、人の中身なんて躾と教育を施せばどうとでもなるわ。それならば、本人の努力ではどうしようもない外見にこそ価値があるのではなくて?」
「外見など年を重ねれば変わっていく儚いものだろう。身に着けた知識、品性、そして磨かれた美意識にこそ価値はある」
「だから、そういうものは努力でどうとでもなるでしょう?」
「努力でどうとでもならない部分があるから価値があると言っているんだ。躾と教育で誰もが紳士淑女になるとでも? 馬鹿はどう足掻いても馬鹿だし、そうなれば品性も身に着けられないし美意識は育たない」
「アドリアン」
眉根を寄せた母が兄の名前を呼べば、兄はわざとらしく肩をすくめた。
「おや失礼、少し言葉が過ぎました。ですがまぁ、やはり価値あるものは中身という事だよ、アレクサンドラ」
「確かに貴族社会に身を置く以上愚かでは務まらないけれど、分を弁えてさえいればそれでいいのよ。だって私がいるもの。お母様の美貌を受け継ぎお兄様の代わりも務まるよう教育された私よ? 私が選ぶ相手は見目よろしくて紳士的なふるまいが出来て私だけを愛してくれればそれでいいの。表に出さなければいいの。美術品や装飾品に知識も品性も美意識も必要なくてよ」
「アレクサンドラ」
目を伏せた母が私の名を呼ぶので、兄と同じように肩をすくめた。
「失礼しました。実際のところ、好みの外見でさらに人として尊敬できる方がいいですわ。夫の仕事の肩代わりなんて面倒くさい事、やらないで済むならそれが一番ですし。ただ最悪、中身が駄目でも愛せるというだけです」
「アレクサンドラの言う紳士的なふるまいはつまり知識と品性だと思うのだけどね。まぁ私も贅沢を言ってしまえば、私好みの内面で周囲から浮くことのない外見の御令嬢がいい。その方がこちらも楽だし面倒は少ない。ただ私は外見がどれほど良くても何とも思わないというだけです。中身ですよ、中身」
「どうして貴方達はそう極端なの。それこそ教育を間違えたかしら」
「まぁお母様、私は現実を理解しているだけですわ。理想の王子様は現実にはいないもの。一番は理想の王子様と愛し愛される対等な関係ですけれど、それは無理だとわかっているから妥協しているのですわ」
そう、これは妥協だ。
私だって小さい頃には何度も理想の王子様を語っていた。
獣を追い払えるくらい強く、自分を抱えたらすっぽり収まる位二回りも三回りも大きい体躯で、一睨みで獣が怯えるような眼光鋭い力強さのある容貌。そして父や母や兄に言い包められない、エティエールと渡り合えるだけの才覚を持ち、何処に出しても恥ずかしくない紳士の振る舞いをし、自分だけを愛してくれる人。
そんな王子様と対等に結ばれたい。ずっとそう思っていた。
けれど、現実にそんな王子様はいない。いないのだ。
いないなら妥協しなければならない。妥協するなら何処が譲れないのか。
それを考えた結果、私は外見だけは譲れなかったのだ。
「アナイス、二人は人前では付け入られるような言動はしていないだろう? それなら家の中で駄々をこねたり愚痴を言ったりする位いいじゃないか」
「そういうものかしら……」
父の発言に母が疲れ切った溜息を落とした。結局のところ、我が家で一番の善性の持ち主は母なのだろう。仕事となるとその善性は塵と消えるが。
この他愛無い家族の会話から三月も経たない頃、中身至上主義の兄はボゾルト侯爵家のリュシエンヌ様と婚約した。
「ねぇリラ、私は今が一番幸せかもしれないわ」
「まぁ、何かございましたか?」
髪を結ってもらいながら侍女のリラに言えば、柔らかい声で返された。私は笑みを深くする。
「お兄様がリュシエンヌ様と婚約されたでしょう」
「ええ、おめでたいことでございますね」
「リュシエンヌ様がね、ボゾルト領の名菓を融通してくれるのよ。甘く香ばしい蜜蝋焼き……ああ、また食べたいわぁ……!」
「お嬢様、それは……」
背後から、明らかに可哀そうな子供を見る気配がする。
「違うわよ?! 私、リュシエンヌ様も好ましく思っているから大歓迎よ?! ただね、蜜蝋焼きだけではないのよボゾルト領の名菓は。珍しい果物の果実水や面白い食感の焼き菓子も沢山あるようだし。罠よ、菓子好きを狂わせる罠だらけなのよ、最近のボゾルト領は……!」
ほぅ、と息を漏らせば、さらに背後からの呆れたような気配が強くなる。もう少し色々と包み隠してほしい。うん、わかっている、私が俗物過ぎる。
「まぁ、確かに美食の領と謳われるだけはあります。料理長もボゾルト領へは一度訪れたいと言っておりました」
「今の侯爵様になってからなのよね、観光や食に力を入れ始めたのは。今後も是非とも力を入れていただきたいわぁ」
「そうですね、ボゾルト領は下位貴族や平民にも手に取りやすい菓子を取り揃えておりますから、私としても是非このまま頑張っていただきたいと思います。さ、お嬢様、出来ました」
「ありがとう。うん、いいわね。流石リラだわ」
「光栄にございます」
今日の春の茶会にはぴったりの淡い色合いの装いが完成した。
母が主催の我が家での茶会。集まるのは母のお気に入りの方ばかり。それはつまり私にとっても好ましい方ばかりだ。勿論、友人達との茶会とは違うから多少は気を張るが、それでも気楽な楽しい時間が始まる。
気楽な、楽しい時間。その筈だった。
「あれは、どなた」
雷が打ち抜いた。そう言っていいほど衝撃だった。
茶会の会場である庭へ行く途中、馬車止めにいた客人を見た私は目を見開いた。
――私の王子様がそこにいるわ。
他の人より頭一つ分高い身長、他の人の二倍は優にあるふくよかな体躯、威嚇しているかのように険しい顔立ち、けれど品のいい服を着こなして、馬車から降りるリュシエンヌ様を恭しくエスコートしている。
「どなた?! どなたどなた?! どなたなのあの方は!! え、リュシエンヌ様?! という事はボゾルト侯爵のお身内?! そんな方いらっしゃった?!」
王子様から目を離さないまま隣にいたリラの腕にしがみつく。何なら揺さぶったかもしれない。正直自分が何をしているかわからないまま王子様を見つめ続けて喋っていた。興奮していた。だって王子様だ。完璧だ。
「お嬢様、落ち着いてください。あの方はリュシエンヌ様の兄君でボゾルト侯爵家の御嫡男、グレゴワール様かと思われます」
「リュシエンヌ様の! お兄様!! もしかして引き籠り令息と噂の?! 見た目がよろしくないと噂の?! 何処がよろしくないのよ完璧じゃない芸術じゃない神の作品じゃない!! 何という麗しい花を隠し持っていらしたのボゾルト侯爵家は……!」
「…………男性を花と例えるのはどうでしょうか」
侍女のリラは何故か私の意見には同意せず、世間一般的な指摘をしてきた。そうね、間違えていたわ、何という神々しい獅子を隠し持っていらしたのボゾルト侯爵家は……!
「素敵ぃ……格好いいぃ……裸になってそこらの細い薄い男性達を投げ飛ばしてくださらないかしらぁ……」
「お嬢様、さすがに方々に失礼でございます」
「決めたわ、リラ。私はあの方と結婚します」
「お嬢様お気を確かに!」
それまで冷静に返事をしていたリラが、私の情熱に驚きの声を上げた。
「私はしっかりいるわ。お母様は何処? ボゾルト侯爵家へ結婚の打診をお願いしましょう。その前にご挨拶に伺わなくては」
「おま、お待ちを! じゅ、順番というものがございます! まずは、あの……そう、まずは婚約を検討するところからにいたしましょう!」
こんなに動揺しているリラは初めてで、そこでようやく王子様から目を離してリラの方を見た。何か信じられないものを見ている目で私を凝視していた。私、情熱的すぎたかしら。
「そう?」
「何より、あの、ボゾルト侯爵家を調べてですね!」
「お兄様の婚約の時に調べたから問題ないわ」
「ご、ご令息自身も調べてですね!」
「多少中身が悪くてもあの外見なら許すわ、最悪躾ければいいのよ」
「お嬢様!」
リラが悲鳴に近い声を上げる。先走る心に押されて、つい、どこぞの夫人が若い男を囲う時のような発言をしてしまった。うら若き乙女として流石にこれは私の落ち度だわ。
「とに、とにかく! 婚約となったら家同士の事ですから! 公爵閣下と旦那様にご相談を!」
「お兄様とリュシエンヌ様の婚約がある以上、既に家同士の付き合いはあるのだからいいのではないかしら」
「お嬢様ぁ!!」
リラに全力で引き留められている間に王子様は帰ってしまった。後でリュシエンヌ様に話を伺ったら、たまたま同じ時に出掛けるので送ってもらっただけだという。そういえば母から聞いていた招待客の中に男性はいなかった。
「挨拶だけでもしておきたかったわぁ……! いえ、でも待って、良い選択だったかもしれない」
だって今日は全然本気を出していない装いだったし。私の本気もリラの本気もこんなものではない。断じてない。やっぱり最初に会う時は完璧で究極の私をお見せしたいし。
「聞いてくださいお母様! 私とうとう運命の方を見つけましたの!」
茶会は無事終わり、夕食という家族のひと時で私は早速切り出した。
「運命的な出会いだったそうじゃないか、アレクサンドラ。それじゃあ仲良く侯爵家を囲い込もうではないか」
「あらお兄様、私の運命の方をご存じで?」
得心したように微笑む兄に私もつい微笑む。リュシエンヌ様に食らいついて質問攻めにしたのが伝わったのだろう。
「わからいでか。我が義兄は義弟にもなるようだ」
「うふふ、リュシエンヌ様は私のお義姉さまで義妹になるのね」
「決定事項のように話しているところ悪いのだけど、お母様はまだ何も聞いてないわよ」
私達の会話を遮った母は、けれど楽しそうだったので、私も満面の笑みで安心して報告を再開する。
「そうでした! 聞いてくださいお母様! 私ボゾルト侯爵家のグレゴワール様に運命を感じましたの! 絶対にグレゴワール様に嫁ぎますわ! ボゾルト侯爵夫人になりますわ!」
「あらあら、我が子達は二人してボゾルト侯爵家に夢中だなんて……よくてよ、今あの侯爵領は領主一家含めてとても魅力的だもの、すぐにでも申し込むわ」
「お母様!」
歓喜の声を挙げれば、父がすぐに執事に何か指示を出し始めた。仕事が早い親で有難い。
「まぁ、実は予想の範疇よ。アドリアンの婚約の時にグレゴワール殿の存在を知って、そうしたらどう考えてもアレクサンドラが探し求めていた人物なんだもの」
「そうでしたの? 教えてくださったらもっと早く出会えていましたのに……!」
少し不満げな声を出せば、母は楽しそうに目を細めた。遊ばれていた気がする。
「伴侶は自分で見つけなさい、と言っていたでしょう? 流石に適齢期を過ぎても見つけられないようなら紹介しようと思っていたけれど、その必要はなくなって安心したわ。よかったわね、いい嫁ぎ先が見つかって」
「はい! 私、幸せになりますわ!」
「では僕は侯爵家へアレクサンドラの取扱説明書を作成しなくては」
幸せな気分のところに、父が冷や水を浴びせるような事を言う。
「嫌ですわお父様、それではまるで私が危険物のよう」
「お前は生粋のエティエールの子だからね、仕方がないね。先達としてそれなりの準備と心構えは教えてあげなくては」
「嫌ですわあなた、それではまるで私が人でなしだったかのよう」
「ははは、人でなしだなんて。君は僕の女神だから確かに人ではないね」
「あなた……!」
見つめ合う二人。いい年をした両親に嘘のような甘い空気が漏れ始める。食事中という事を覚えているのだろうか。
「さすがにこの年で新たな弟妹はご容赦願いたいのですが。ところで私の取扱説明書も作成されたのですか?」
「お前も生粋のエティエールの子だからね、仕方がないね」
両親の甘い空気に水を差した兄は、父の言葉にどことなく納得していない顔になった。けれど、妹の私から見ても兄は面倒くさい人だ。実は既に私もリュシエンヌ様に兄の面倒くさい点と対処法を伝えている事は黙っておこう。
「ここがかの有名な菓子店ね! 蜜蝋焼き沢山買いたいわぁ」
「……お嬢様、何故突然ここへ……」
「グレゴワール様が今日いらっしゃるのよ。偶然を装って運命的な出会いを果たすわ」
「……お嬢様、何故その後予定をご存じなのですか?」
「リュシエンヌ様に伺ったの。義理の姉妹仲が良いって素敵よね」
「…………そうで、ございますね……ッ」
何故かリラが苦虫を噛み潰したような顔になった。最近気が付いたが、リラはまだ私の好みを理解しがたいらしい。もう何年も付いているのだから諦めてほしい。
「早くあの雄々しいお姿をもう一度見たいわぁ! あ、リラは見ないで! 誰も見ないで! 私だけのものよ!」
「恐れながら、お嬢様と同じ視線でボゾルト侯爵子息をご覧になる方はいらっしゃらないかと」
「何故?! あんなに見目麗しい素敵な方なのよ?!」
「…………ここに来る者は皆、菓子の方に夢中かと」
「あぁ、そういう事ね、それはわかるわ、蜜蝋焼き以外も買って帰りましょう……あ、あの方よ、いらっしゃったわ! リラ、私美しく仕上がっている? グレゴワール様を誘惑して虜にして永遠の恋の奴隷にできる?!」
「今のお嬢様に心奪われない者などおりません。けれどお嬢様、恋の奴隷でよろしいのですか? 対等に並び立つ夫婦が理想と仰っていませんでしたか?」
「あり方としては対等が理想だけど、恋心は奴隷であってほしいの! この私以外を見るなどあり得ないわ! あと三日、それまでにグレゴワール様のお心をがっちりと掴んで結婚してみせるわ!」
「お嬢様、三日後は婚約の顔合わせのみでございます」
「婚約証書と婚姻証書をすり替えてしまえばよいのではなくて?!」
「お嬢様、書類の管理は旦那様がされております」
父はそういった管理が非常に厳しいので、すり替えは無理だろう。残念だ。
グレゴワール様を見つめる。やっぱり格好いい。領地に引き籠もられていたから気付かなかったとは、完全なる盲点だ。もっと視野を広げて探すべきだった。
だが、もう運命の出会いは果たしたのだ。後はどのようにして結ばれるか。ちなみに、結ばれるのは決定事項だ。
そう、決定事項。ボゾルト侯爵が、グレゴワール様がどのような判断をしても、そこはそれ、公爵家の力を存分に使わせてもらう。言っても我が家はエティエールだ。グレゴワール様にもボゾルト侯爵にも満足してもらえる状態にしてみせよう。
けれど、それだけでは足りない。
いい結婚をしたと思ってもらうだけでは足りない。貴族の義務としての交流では足りない。表面的な紳士の振る舞いでは足りない。信頼や親愛では足りない。
私に恋い焦がれて愛を囁いてほしい。愛し愛される夫婦となりたいのだ。
だから、グレゴワール様の心を掴みたい。
「は! うっとりと見つめ過ぎてしまったわ。リラ、いいこと? 私がグレゴワール様に『あら、もしかして……ボゾルト卿ですか?』と尋ねるから、窘めるように『アレクサンドラ様!』と名前を呼んで頂戴。そうしたら私が困った様子を見せるから。いかにもお忍びで来ている感を出すのよ。グレゴワール様関係なしにボゾルト領のお菓子を買いに来たように見せるのよ。自領のお菓子を気に入ってくれている、お忍びで出歩いたりするちょっぴりお転婆な、けれど楚々とした美しい御令嬢。これよ、これでいきましょう」
「お嬢様、その演出は何の意味が……」
「殿方は女性が自分だけに見せる一面というものに特別感を持つものなのよ」
「……そうでございますか……」
私は間違っていない筈なのに、何故かリラからは呆れがこもった声が吐き出された。何故なの。いけると思うのだけれど。これでも国一番の淑女と呼ばれている身だ。そんな人物が予想外の行動をしたら絶対に印象に残ると思うし、ましてそんな人物が自領の物を気に入ってくれているとわかったら自然と好感を持つと思う。うん、私間違ってない。
グレゴワール様は店の店主と何か話し始めてしまった。ちょっと邪魔ね。あ、でも、店主がこちらをチラチラ見ている。もしかしてグレゴワール様と引き合わせてくれるつもりなのかしら。それなら邪魔じゃないわね。
「え、あら?」
前言撤回。あの店主邪魔の極みだわ。グレゴワール様を店の奥に、関係者以外立ち入れない部分へと招き入れてしまった!
「そんな! 偶然を装って運命の出会いを演出して仲良くなる計画が!」
「お嬢様、素直に三日後を待ちましょう」
つい悔しさに満ちた声をあげてしまった。リラの慰めが心に沁みた。
「かくなる上は……手紙。恋文! そうよ、恋文を書いて運命づけましょう! 実は同じ菓子店にいたのです、なんていいのではなくて?!」
「いいと思います」
何故かリラの発言の頭に『どうでも』という言葉が隠れていたように感じた。
待ちに待った顔合わせの日である。
恋文の返事は貰っていない。私がいらないのだと兄に言づけてもらった。もしも、万が一、あり得ないけれど、今日の顔合わせで会話に詰まってしまったら、それを話題に出来ると思ったからだ。
「いいこと? ボゾルト侯爵家が断る可能性もないわけではないのだからね」
母が一応の注意をしてくる。これは公爵としての発言だ。貴族の結婚とは基本的に政略。そうでない事もあるが、それでも相手がそう思っている可能性がある。となると、ボゾルト侯爵家には特段の旨味は無いのだ。何故なら、既に兄とリュシエンヌ様という縁が出来上がっている。この縁を無理に強固にする必要は現時点で思い浮かばない。なんせ共同経営も融通してほしい産物も何もない。それどころか周囲から何の癒着かと痛くもない腹を探られる可能性がある。となれば、ボゾルト侯爵としてはもっと別の縁を、と考えるのは自然だ。そんなことは認めないが。
「わかっております、要はグレゴワール様を篭絡すればよろしいのです」
私の夢見る幸せな結婚の為に、グレゴワール様に『アレクサンドラ嬢でなければ嫌だ』と思ってもらう。別の縁など考えないように。今日、この顔合わせで、必ず。
「……アレクサンドラ、はしたない真似はやめて頂戴ね」
「勿論です、多少の接触は結婚の前倒しという事で構いませんよね」
「アレクサンドラ、絶対にはしたない真似はやめて頂戴ね」
「多少の物事の前後はよいではありませんか」
「少しはアドリアンの正攻法を見習いなさい、真っ当に口説き落とせば真っ当な人間は誠実に応えてくれるものよ」
確かに兄はまさしく正攻法でリュシエンヌ様に近づいた。家への申し入れ、本人への手紙に贈り物、そして様々なお誘い。それを見習えというのもわかる。わかるのだが。
「他の逃げ道を塞いでお父様を手に入れたお母様に真っ当を説かれたくありませんわ」
いかんせん、発言した母は父をあの手この手で追い詰めて手に入れた。その事実を知っているので説得力がない。
「エミールは真っ当な人間ではなかったから仕方がないのよ」
「お父様、言われていますわよ」
「アレクサンドラ、世の中には『終わり良ければ総て良し』という言葉があってね」
「お父様、そこは否定するべきところでしたわ」
改めて、父がここに至るまで何をして何を思ってきたのか聞いてみたくもなったが、逆に聞きたくない気持ちも大きくなった。どうか法にも神の怒りにも触れていませんよう。
「ボゾルト侯爵家の御到着です」
家令の声につい笑みがこぼれる。
今日の私も完璧で究極に仕上げてもらった。確実にグレゴワール様のお心を仕留める。
ああ、二人の愛の日々が始まる……!
私はいそいそと足を運ぶ。目指すは、未来の旦那様と義両親のいる応接室。待っていてくださいませ、グレゴワール様!
「ほ、本日はお目通りいただき、ありがとうございます。ボゾルト侯爵家嫡男、グレゴワールでございます」
「こちらこそ、ご足労頂きありがとうございます。エティエール公爵家長女、アレクサンドラでございます」
そこに、完全無欠の王子様がいた。
勇ましい風貌にしては少しおどおどとしているけれど、そこは調べがついている。グレゴワール様は少々人間不信だ。過去に傷つけられた故らしい。何という事。私が幼少のみぎりに出会っていればそんな傷一つつけなかったというのに。
けれど、その若干の人間不信がグレゴワール様の用心深さと事前の下調べの周到さへと結びついたようだ。能力に結び付いたのなら必要な傷だったのだろう。大丈夫、私が癒して見せるわ。安心なさって、グレゴワール様。
グレゴワール様はボゾルト侯爵夫妻の特徴を綺麗に引き継いでいる。体格は義父となる侯爵から、顔立ちは義母となる夫人から。もちろん、夫人の方が女性ゆえか化粧の力ゆえか印象が柔らかいのでそっくりというわけではないが、間違いなく同系統の顔立ちだ。
私は思わずボゾルト侯爵夫妻に感謝してしまう。だってお二人の特徴を綺麗に引き継いだからこそ、グレゴワール様は完璧な王子様として生まれ落ちたのだ。リュシエンヌ様が体格も顔立ちも侯爵そっくりな事を考えると、本当に奇跡なのだ。よくぞその組み合わせで。ありがとうございます、お義父様、ありがとうございます、お義母様。
少し俯きがちなグレゴワール様をうっとりと見つめていると、母とお義父様が話を進めていく。
「アドリアンとリュシエンヌ嬢の仲を認めてもらったばかりなのに、更に押しかけるようになってしまったわね。けれど我が家は代々『婚約者は家と自分に相応しい相手を自身で見つけよ』としているの。アレクサンドラも幼少よりそういう目を磨いてきたし、その確かさはこの私が認めるわ。リュシエンヌ嬢といいグレゴワール殿といい、侯爵家は良き教育をされましたね」
「ありがとうございます。閣下にそう言っていただけると、間違いはなかったのだと安堵いたします」
改めて母に問題なしと言われて安堵する。もし認められなかったら家を出て駆け落ちするところだった。今の生活は手放したくないけれど、愛に勝るものはない。あと、グレゴワール様とならどこに行っても何とかなると思う。だって格好いいし。多少生活が苦しくなったとしても、あんなに格好いい男性を誰よりも傍で見つめる権利を手に入れるなら我慢できると思う。だってとんでもなく格好いいし。
親同士のあれやこれやを横聞きしてグレゴワール様を見つめ続けていると、不意に、グレゴワール様が顔を上げて目が合った。なのに目を逸らされた。照れているのね、頬がほんのり染まっているわ。いやだ、どうしましょう、印象が、見た目の印象と実際の言動の印象が違って、その違いがまたたまらないわ。こんなに雄々しいのに女性に慣れていないのね、大丈夫、私だけを見てくれればそれでいいのよ、そのままでいて。
「……それでは、二人の婚約を認めるという事で」
幸せに浸っていたら婚約が調った。私は当然、頷いて承諾する。
「……ッあ、あの!」
少し裏返った声が飛び出た。グレゴワール様だ。
「こ、婚約を結ぶ、前に、一度、エティエール公爵令嬢と、おは、お話がしたいのですが」
私と、話。
大歓迎ですわ元よりそのつもりでしたしやだもうグレゴワール様も私と話がしたかったのね嬉しい!!
「そうね、まだ二人は少しも話していなかったわね。アレクサンドラ、庭を案内してさしあげなさい」
「はい!」
うきうきと返事をした立ち上がりグレゴワール様を誘導して部屋を出る。廊下に出てあとはリラが先導してくれるというところで、リラがもの言いたげな顔をしていた。何かしらと考え、愕然とする。
私、エスコート、されてないわ……?!
自宅ゆえに気が抜けていた。そしてグレゴワール様がいることに浮かれていた。何という事。まさかグレゴワール様にその気がない? いいえ、そんな筈はない、なんせ私よ? 磨きに磨きぬいたこの美貌と公爵家令嬢という立場。万が一、億が一、この婚約を断るつもりだとしてもエスコートをしないという選択肢などない。大丈夫、きっと何か重要な事を考えていてうっかりしていたとか、私に惚れすぎて緊張しているとか、そういう事ですよねグレゴワール様? 大丈夫よね?!
「あの、ボゾルト卿……」
「は、はい……え?」
呼びかければ王子様はちゃんと振り返る。同時に、ざっと青褪める。ほらね、無下にされているわけじゃないわ、うっかりしていただけよ、ほぅらね、大丈夫!!
「し、失礼しました! き、緊張のあまり、頭が、回っていないようで……!」
「構いませんわ。私も緊張していますの」
あー、やっぱり緊張されていたのね、大丈夫大丈夫、そんなうっかりなところもアリです、女性慣れしていないのは逆に安心材料です、大丈夫、今後徹底的に紳士の振る舞いを再確認してもらって必要なら教育いたしますわ、大丈夫。
そして、念願のエスコート。完璧なエスコート。私に必要以上触ろうともせず、私の歩調に合わせ、自宅なのに段差で注意喚起をしてくれ、浮かれてべらべら喋る事もなく寡黙に私の話を聞いてくださる。
ごく当たり前といえばそうだが、私相手にその当たり前をしてくれる人は少ない。距離を詰めようと必死になる方や自分中心の動きの方や媚び諂うような言動を繰り返す方を何度見てきたことか。
紳士……! 理想の紳士的なふるまいだわ……?!
え、待って、私、今、世界で一番輝いているのではなくて……?!
だって隣に王子様! 世界で一番素敵な王子様!! その最高に神々しい王子様にエスコートされているのよ、世界で一番輝いていて幸せでしょうこれ!!
浮かれた私は我が家のどうでもいい事まで含めて事細かにグレゴワール様に説明した。煩すぎるかしら、と少し不安になったが、グレゴワール様は興味深げに我が家の庭を見てくださったし、私の説明に微かに口の端を上げていた。
その、微かな笑みも、素敵……ッ!
「少し座って話しませんか」
興奮のあまり心臓が激しくなってきたので、休憩の意味も込めて提案する。了承してくださったグレゴワール様は、四阿の椅子に私を座らせてくれ、その後ご自分は私の正面に位置する場所に座った。なので、はしたなさを承知の上で、素早くグレゴワール様の隣の椅子へ移動した。リラの咳払いは無視した。
「あああの、エティ、エティエール公爵令嬢、とな、隣ではなく、向かいの席の方が……!」
「まぁ、アレクサンドラとお呼びになって」
グレゴワール様はやはり、既に縁のあるエティエールとの婚約に利点を感じていない様に見える。それどころか何か裏があるのではと疑っている様に見える。その考えを持つこと自体は好ましい。好条件に浮かれない冷静さは美点だ。
だが、それでは私の真の幸せに届かない。
「え、エティエール公爵令嬢! わ、私達はまだ……!」
「アレクサンドラですわ」
「あ、アレクサンドラ嬢、わた、私達はまだ婚約が成立したわけではないのですから……!」
「そう、実は婚約の事でご相談したくて……私、正直に申し上げますと、婚約はどうかと思うのです……」
何としてでもここでグレゴワール様を篭絡して、何としてでも私と結婚したいと思わせるのだ。家の力で無理矢理結婚は最終手段、やっぱり愛し合って結ばれるのが一番素敵だ。
だからまずは、結婚を前提に、そう、結婚することは決定事項として、まずは恋人になる事は可能でしょうか、と提案してみよう。
「婚約を飛ばして結婚をする事は可能でしょうか」
「アレクサンドラ嬢、正気に戻ってください」
うっかり願望だけが躍り出てしまった。こんな提案をするつもりではなかったのに、おかしいわぁ?
だがもう口にしてしまったのだ。仕方がないからこれで押し通そう。逆に私の気持ちがどれだけ大きいかが伝わっただろうから、これでいいかもしれない。うん。
「いたって正気ですわ」
「では自棄にならないでください」
「自棄になってもいませんわ。強いて言えば焦っております」
「あ、焦っている?」
「はい、早く手を打たねばボゾルト卿がどこぞの小娘に取られてしまいますゆえ」
「アレクサンドラ嬢、正気に戻ってください」
「いたって正気ですわ」
私は正気で、焦っているのは事実だった。
だって、グレゴワール様はこのまま独り身なら、そのうち行き遅れの御令嬢や未亡人、もしかしたら若い御令嬢にも人気になるという確信があった。
何故なら、まずボゾルト領の価値がここからさらに上がる。
ここ数十年は大きな戦争も内乱もなく天災もない平和な時代。となれば、各国各地で文化が発達し、輸出入の内容も武器や必需品の食料に加えて嗜好品が多くなってくる。その流れを、王家をはじめとした国の中枢はわかっているし、だからこそ国を挙げて文化的な『武器』を作ろうと考えている。
そんな中、何処よりも早く観光保養地を領経営の柱の一つに出来たのがボゾルト領。
国際情勢を読んだ上で始めたのか、それとも他の理由なのか、そこまでは調べられなかった。
けれど、時流に合致していた。
王家がボゾルト領を褒めたのはその観光保養地自体より、観光事業を確立させたその手腕。いまや『ボゾルトへ行けば世界中の美味珍味が味わえる』として、国中だけでなく、隣国からも人が集まり始めている。
グレゴワール様が悪く言われるのは、爵位を継ぐ者として盤石な場所が用意されている事への嫉妬も含まれていると思うのよね。
……人の見かけは大事よ。何より私はグレゴワール様の見かけに惹かれた。
それでも、人は美しさだけでは生活できない。
王家も注目する領、繁栄させるだけの才、驕り高ぶることのない性格。年を重ねれば重ねるほど、見かけにこだわらない女性達は増えていく。あと、年配の男性にこそ心惹かれる女性というのも一定数いるのだ。
――冗談ではないわ!!
私は今のグレゴワール様のお姿を愛している。その中身を尊敬できるし、ボゾルト領という背景も菓子好きにはたまらない。
そう、私はすべてを愛している! それなのに、後から来た者が素晴らしい外見を横に置いて内面と付属品だけを愛するかもだなんて、それをグレゴワール様が受け入れてしまうかもだなんて、許せるはずがないでしょうそんなの! 絶対に譲るものですか!!
……わかっている、あくまで予想。しかも、欲目込みの自覚もある。
それでも! 万が一を考えたら! 現れるかもしれないライバルは登場する間もないようにしておかなくちゃ! あと単純に早くと両想いになって仲良くデートとかしたい!! この素晴らしい肉体に包まれて雄々しい顔で見つめられて愛を囁かれたい!!
「……あ、アレクサンドラ嬢、私も、馬鹿ではありませんし、か、覚悟はできております。こ、ここは一つ、腹を割って話しませんか」
「覚悟はできている……つまり、今日にでも婚姻届けに署名頂けると?」
「い、いえ、ですから、腹を割って話しましょう。アレクサンドラ嬢の、エティ、エティエール公爵家の望みは何ですか?」
「ありがたいことに、母も父もただ私が幸せであればいい、と」
「そういうことではなくてですねぇえぇぇ……!」
何故か絶妙に噛み合わない。もしや、グレゴワール様はまだ警戒されている? そんな、女性が結婚を望むと口にしているのに信じてくださらない?!
「……い、いえ、そうですね、わ、私も、アレクサンドラ嬢のような素晴らしい女性は、し、幸せになるべきだと思います」
「ありがとうございます。ご安心なさって。私、旦那様に幸せにしてもらいたいとは思いますが、私も旦那様を幸せにしたいと思っておりますの。国一番の夫婦になりましょうね」
「あの、ほ、本当に、違……ッ! あ、アレクサンドラ嬢には私のようなものではなく、もも、もっと素晴らしい方が相応しいのではないかと思うのですが?!」
「まぁ」
グレゴワール様ったら、一体、何を、口にしているのかしら?
「………………その私に相応しいとかいう素晴らしい方はどちらにいらっしゃいますの?」
笑顔のまま尋ねる。どんな人物を上げられてもすべて叩き切ろうと心に決めながら。
「え……あー、第三王子殿下……は、エティエール公爵家としては無理ですよね、となると……あ、り、リンツ公爵家の御嫡男はとても美しく優秀な方と私でも聞き及んでおります!」
「リンツ公爵家。あの棒っ切れのような体の上に甘ったるい顔をした小賢しい方」
頭の中に、兄の友人で、私にとっても幼馴染で、女性にもてるがゆえに女性を下に見ているリンツ公爵子息のへらへらした笑顔が浮かぶ。公爵となる能力はあるだろう。私も気楽に話すことは出来る。だがそれだけだ。
男性として、何の魅力も、ない!!
「え」
「あらいけない、口さがない事を……見苦しいところをお見せしました。ご容赦ください」
「あ、いえ……あの、り、リンツ公爵家の御子息とは面識が?」
「そうですね、兄が友人ですので。御令嬢方には憧れている方もいらっしゃるようですが……人の趣味は様々ですわ」
「あ、アレクサンドラ嬢のお好みではなかったと……」
「やはり殿方はボゾルト卿位たくましい方でなくては、と思います」
他の男性をあげられるのは思った以上に不快だった。これ以上は聞きたくない。ここはグレゴワール様を篭絡すべく、私の思いの丈をもっともっと告げよう。
「た、たくましいとは、これは、中々、あ、ありがたい捉え方で……」
「捉え方だなんて。事実としてボゾルト卿はたくましいではありませんか」
「い、いえ、これは太ましいという……」
「その上、獣をも支配せんばかりの雄々しい顔立ち。騎士団の方々もかくやと言わんばかりの、強く勇ましい風貌だと思いますわ」
こんなにも格好いい人は何処にもいない。そういう思いを込めて力説すれば、グレゴワール様は顔を赤くさせて顔をそむけてしまった。照れてるぅ、可愛いぃ。
「あの、勘違いなさらないでね。私は外見だけで心惹かれたのではありません。ボゾルト侯爵領の繁栄、その一助となっているボゾルト卿のご活躍をよく存じております」
私ははしたないとわかってはいても、グレゴワール様の膝の上にある手に自身の手を重ねた。ああん、しっかりしてる大きい素敵、こんな手で抱きしめられたい頬に触れてもらいたい、早く私だけを求めてグレゴワール様ぁ!!
いえ、これは戦略よ? 人は接触されることにより親近感を持つと言われているわ、決して欲望に負けて触れたわけではないわ、戦略よ戦略。だからその咳払いはやめてリラ。
「最近、侯爵領では『身分より実力』を謳い文句にして、その通り実力がある者を身分問わず採用し、一人一人の負担を減らし常に円滑に業務が進む体制を作り出されたそうですね」
ともすれば身分制度を崩すようなその体制は、しかし、完全に業務のみに絞る事と領主とその周囲が厳しい監視の目を光らせることで成立していた。ボゾルト領内における領主への信頼感が無ければ難しかっただろう。
「それに、観光保養地に王侯貴族だけでなく平民の方にも手が届きやすい飲食を増やして、購買層をかなり広げたとか。商人や旅人には情報も集まる有難い場所、立ち寄るべき場所として有名になっておりましてよ」
特別綺麗な街道があるわけでも、特別大きな馬車が用意されているわけでもない。ただ、あらゆる道に休憩所と情報案内所が設置されているのは、恐らくボゾルト領位だ。さらには商人に手厚くする制度をあれやこれやと取り入れていて、近いうち流通というものの考えが変わるかもしれない。
「様々な商店、商会への助成の巧みさも伝わっておりますのよ。ええ、助成そのものは勿論、商売敵との綺麗なお別れの仕方、とかも。実力さえあれば必ず領主が後ろ盾になってくれる、というのは心強いですわね」
言ってしまえば投資。後押しさえすれば売れる、回収できる、という店や商品の先読みが優れているのだろう。現に、ボゾルト領主が助成に回った商店、農家は大体成功している。そしてその成功が領民からの更なる信頼に結び付いて、見事に領内の活性化につながっている。
「ボゾルト卿、今あげた内容はすべて貴方が関わっている、いえ、提案し取り仕切っていると伺っております」
素晴らしい。これは正直に言って嬉しい誤算だった。別に私が手助けしなくとも、グレゴワール様は侯爵家を問題なくまわせて問題なく豊かな生活を維持できるだろう。これは中々に人として尊敬できる。私の理想が形になっている。神よ、感謝します。
「外見も素晴らしく領の将来も明るい、何故ボゾルト卿に今まで婚約者がいらっしゃらなかったのか不思議でなりません。ああ、ですがおかげで私は今この場にいるのですから、これはやはり、私と巡り合い結婚する運命だった、と……! 私、子は三人は欲しいですわ」
私にとって重要なのは、その見た目で紳士的に振舞ってくれて私だけを愛してくれる事。それさえ達成してくれるのなら、他がどんなに駄目でもどうにかする、してみせる。多少何かやらかしても目を瞑る。あ、浮気だけは駄目だけれど。
だけど、人は誰しも認められたいもの。特に男性は自身の成果を見てもらいたいもの。だからこそしっかりとその点を褒めたたえる。素晴らしい内面、能力。それらは実際とても心強いと思うし、旦那様の実績と思えば誇らしくも思う。
それに、優秀さは余裕につながり、いずれ今の何処か卑屈な小心が消え、その風貌に似あった堂々とした貫禄となるだろう。きっといい領主になる。そうしたらさらに格好よくなるのではなくて?! 素敵すぎる!! 将来が! 有望過ぎる!!
さぁ、どう? どうなの?!
外見だけに惚れたわけではなくてよ、腕も買っているのよ、すべてを愛しているのよ、というように伝えたわ。
信じてくださる? そして惚れてくださる?! というかもう万事何も問題はないのであとはグレゴワール様のお気持ちだけなので、そのお気持ちを頂けないなら無理やりになるだけですが!!
と、そこでグレゴワール様の様子が先ほどまでと違う事に気が付いた。
恥ずかしさと緊張で動揺していたのが、そうではなくて、何か別の事が心に迫っている様に見える。俯いているのは、もしや泣きそうになっている? ……もしかして、捲し立て過ぎて引いている?! 嫌! それは嫌!!
「申し訳ございません、私ばかりが喋ってしまって……!」
警戒されていても信じてもらえなくても手に入れる腹積もりではあったが、嫌われるのは耐えられない。冷たい目で見られたら……うん、想像しただけで無理だ。私に被虐欲はなかった。疑心暗鬼の目なら落とす楽しみもあろうが、基本的には優しい目でしか見られたくない。どうか、引いていませんように。祈りを込めてグレゴワール様の手をキュッと握る。振り払われない。よし、そこまで引かれてはいない。
「いいいいえ、あの、あの、お、お気になさらず」
「ボゾルト卿は、この結婚をどう思われていますか?」
お母様とお父様に可愛い可愛いと言われた小首を傾げての上目遣いで尋ねる。どうか可愛いという言葉が親の欲目で出たものではありませんように、グレゴワール様にも可愛いと思われますように。そう願いながらじっと見つめる。あ、顔がまた赤くなった。これは照れているのかしら? 可愛いと思ってくれているのかしら?
「……ッそ、率直に、も、申し上げますと、え、エティエール公爵家に何の利点も無い様に見えます。となれば、わ、我々ボゾルト側が知らない何かをエティエール公爵家が掴んでいるのかな、と、思って、いたのですが……」
ああ、やはりグレゴワール様は冷静な目を持っている。そういう点はとても信頼できるしありがたい。
「どうぞ、続けてください」
「……あ、アレクサンドラ嬢に失礼なことを、く、口にしております。大変、申し訳ない」
「いいえ、私が問うたことでございます」
「わた、私は、この婚約の意図が読めません。あ、アレクサンドラ嬢は、先ほど、あ、あんなにも心を砕いてくださいましたが、そ、それでも私には、ど、どうしてもそのお言葉を信じ切ることが出来ない、の、です。今、この状況ですら、どこかで、だ、誰かに笑いものにされているのではと、思って、しまう」
私は少し思い違いをしていた。グレゴワール様は領内では意欲的に動いていたから、人間不信は多少のものだと思っていたのだが、これは……。
対貴族に対してなのだろうか。それとも根深いのだろうか。
信じたいのに信じられないのだ。
自分の心を守る防衛反応が出てしまっている。少しわかる。私も何故か男性の趣味をどうしても周囲に理解してもらえず、そのうち友人にも言うのをやめてしまった。友人はきっと受け入れてくれるだろうと思うのに、それでも躊躇われる…………いや、これグレゴワール様の心の傷と並べていい話ではないわ、ごめんなさい。
「え、エティエールに意図があっての婚約だと言われた方が、わかりやすい。そ、その場合は、ただただエティエールとボゾルトの両方が、と、得をするよう動き、アレ、アレクサンドラ嬢が不快な思いをしない生活を提供しようと、尽力するのみです。ところが、あ、貴女はそのような意図はないと、仰る。だから……」
信じたいのに信じられない。
けれど、信じてくれようとしている。
今、グレゴワール様は、必死に私を信じようとしてくれている。
「……だ、だから、もし、もしも本当に、ほ、本当にアレクサンドラ嬢が私を、す、少しでも好ましい、と、そう思って、え、選んでくれたのだとしたら……すみません、あ、あまりにも自分に都合がよすぎて、信じられない、お、お気持ちをどう返せばいいのか、わからない、うれ、嬉しいのです、それは間違いなく。ですが、そ、そんな風に思われたことがないので、どうすれば……どうすればアレクサンドラ嬢のお気持ちに報いることが出来るのか、わ、私には……わ、わからないのです。だん、男女の、機微など、じょ、女性が何をもって喜ぶかなど、私にはわからない。け、けれど、人として、ここまで生きてきたのは確かです。な、ならば」
自身の心と戦っているグレゴワール様が顔を上げ、しっかりと私の目を見る。射るようなその力強い緑の目は光に満ちている。
「アレクサンドラ嬢、私はこの婚約がどのような意図で結ばれたにしても、人として、貴女に、誠実でありたい」
……これはもう、愛では?
その言葉はもう愛の告白では? 人間不信であろう方が自身の心と戦って告げたこの言葉は、もう愛の告白にしか聞こえない。間違いない、愛の告白だ、今私がそう決めました愛の告白を受けましたやりました私幸せになりますわ!!
おっと、いけない。ここで浮かれてはいけない、ちゃんと信じてもらわなければ。
「……ボゾルト卿は、美しい心根をお持ちですのね」
「え……」
「私、今とても自分が恥ずかしいですわ。ボゾルト卿の外見を褒めたたえ、その才を見出したかのようにお伝えして……けれど卿は忘れられがちな心にこそ気遣ってくださった」
「あ、アレクサンドラ嬢……」
信じてほしい。実のところ、家柄や私の美貌や才を褒めたたえるのではなく、ただ私本人に誠実にという告白は、私にとって最高の口説き文句だったのだという事を。
『真っ当に口説き落とせば真っ当な人間は誠実に応えてくれるものよ』
母の言う事は正しかった。グレゴワール様はきっと真っ当な人間で、だから私に誠実に応えてくれようとしているのだ。
それならば、私もそれに倣おう。
「改めて申し上げます。エティエール公爵家長女アレクサンドラは、ボゾルト侯爵家嫡男グレゴワール様との結婚を望みます。これはエティエールの意思ではなく、私の意思です」
心からの本音を口にする。どうか信じてほしい。この言葉は本当です。はしたないと思わないで。それだけ必死なのです。
貴方が好きです。貴方の外見が誰よりも何よりも。そして紳士的なところも満点なのです。優秀な才も素晴らしく思います。
好きです。好きなのです。
「……ッ……じょ、女性に、そのような申し出をさせてしまって、まこ、誠に、心苦しく……!」
「あら、そう思われるのでしたら、ボゾルト卿からもお願いいたします」
少し意地悪を言ってしまう。ここまで言ったのだ。少しは信じてほしいし、信じてもらえなくとも認めてもらいたい。
さぁ、何と返してくれるだろう。期待をしながら見つめていると、グレゴワール様が椅子から立ち上がり、私の前で跪いて手を差しだした。
これは、まさか。
「……アレクサンドラ嬢、私、グレゴワール・ボゾルトは、貴女との婚約を望みます。貴女の心を守り、貴女の日々を支え、貴女に幸せをもたらします事を誓います。どうか、この手をお取りください」
まさかの、求婚!! ひぇ、完璧、完璧王子様、グレゴワール様怖い!!
嘘でしょう、跪いての求婚なんて乙女の夢の定番よ、私だって夢見た事あったわ、でも現実にはなかなかその機会はないという事だってわかっていて、ましてこういう家同士で婚約結婚となったらそんな機会は……! そんな機会は、あったのね!!
私は今、きっと頬が赤い。もしかしたら涙も滲んでいるかもしれない。グレゴワール様の掌に自分の手を置く。そっと包まれるそのぬくもりに、泣きたいのか笑いたいのかわからない感情になる。嬉しい事だけは間違いない。
「ええ、ボゾルト卿、喜んでお受けしますわ!」
夢みたい。お話の世界みたい。私は今主人公で、王子様に愛を告白されている。
「どうぞ、グレゴワールとお呼びください」
「ええ、喜んで、グレゴワール様!」
今日一番の笑顔になれば、グレゴワール様が目を見開いてから顔を真っ赤にさせた。私の笑顔がグレゴワール様にとても可愛く見えたのだと信じている。
世界の頂点に立ったような幸福感に包まれ、私はついグレゴワール様の手を両手で握りしめる。もう結婚相手になったのだから別にはしたなくないわよね?
――やりましたわ!! 私の! 王子様!! つかまえましたわ!!!!!
「それでは結婚はいつにいたしましょう! 今日? 明日? 明後日?」
「アレクサンドラ嬢、正気に戻ってください」
「いたって正気ですわ」
「リラ、やっぱりこの服よりさっきの服の方がよかったかしら」
「お嬢様によりお似合いなのはそうかもしれません。ですが、お嬢様のボゾルト侯爵子息の瞳の色に合わせたいという希望を考えればこちらの方が最適かと」
「そうなのよね、どうしましょう、グレゴワール様の色を纏いたいけど、グレゴワール様には一番綺麗な私を見てもらいたいの! ああ、どうしたらいいかしら」
自室を出ようとして、やっぱり、とリラに問い返すのを繰り返してしまう。微笑みをたたえたままだけど、リラが疲労してきているのがわかる。だけど悩むの、乙女心なの、許して頂戴。
「ボゾルト侯爵子息はお嬢様がいらっしゃるだけでお喜びになると思いますよ」
「そうかしら?! ちゃんと私に恋い焦がれてくれるかしら?!」
必死に確認すると、リラは何故か視線をすっと逸らした。
「……いえ、あの方、ちょっと信者に片足突っ込んでいる気配が。女神か何かかと思っている可能性が……」
「リラ? 声が小さいわ、何と言ったの?」
「ボゾルト侯爵子息はご自分の色を纏われたお嬢様を見て感動されるのでは、と言いました」
そうだろうか。そうだといい。うん、きっとそうだ。
私はリラの言葉に満足し、やはりこの服で出迎えようと決めた。
「ボゾルト侯爵子息がいらっしゃいました」
待ち望んでいた人物の到着に、私は笑顔で移動する。
子供の頃に見ていた夢を思い出す。そういえば今はもう見ない。見なくなったのはグレゴワール様に出会ってからだ。
きっとあの夢は本当に御使いの窓を覗いた結果なのだろう。お前の理想はこういう男性だよね、と確認させてくれていたのだ。その上で、お前の王子様はちゃんといるんだよ、と、そう助言してくれていたのだ。きっとそうだ。
だって巡り合えた。たった一人の強くて格好良くてついでに賢い王子様に。
世間一般の評価は違うようだが、私にとってはグレゴワール様が最上級の王子様。探し求めていた存在そのもの。
大好きよ、やっと見つけたの、絶対に離さないわ。
ああ、素敵な物語の中に入り込んでしまったみたい。王子様と結ばれる私はお姫様。それならばこの先を表すのはきっとあのお決まりの一文。
「グレゴワール様、お待たせいたしました、貴方のアレクサンドラが参りましたわ」
――そうして二人は結ばれて、いつまでもいつまでも幸せに暮らしました。