・第二話
『その日』の夜。楼蘭はなかなか寝付けず、ゆっくりとベッドから起き上がり、ふらふらと部屋を出た。
何故、そんな事をしようと思ったのか……それは解らない。ただ何となく、そうしたいと思ったのだ。
とにかく楼蘭はそのまま、何処へ行くとも解らないまま、ゆっくりと廊下を歩き、ふと気がつけば、父の書斎の前にまで来ていた。扉の隙間からは、ぼんやりとした光が漏れている、珍しい事でも無い、父はいつも仕事で遅くまで起きている事も多いし、下手をすれば一日中この部屋に籠もっている事だってザラじゃ無い。
だから、いつもと何も変わらない、大した事では無い、そう思った。だけど……
だけど……
楼蘭の足は、まるで自分の意志とは無関係に、ゆっくりと……
ゆっくりと、父の書斎に近づき、そして……
そして。
扉に、ぴったりと……
ぴったりと、耳をくっつけ、書斎の中の声に……
ずっと聞こえている、父のぼそぼそとした声に……
聞き耳を、たてていた。
『だから』
父の声がする。
『お前には、子供が二人もいるんだろう?』
「……っ」
思わず声を上げそうになり、楼蘭は両手で口を押さえていた。
子供が……二人……?
楼蘭は、胸の中で呟く。父は楼蘭が扉の向こうにいる事に気づいた様子も無く、さらに続けた。
『あいつは……楼蘭はもうダメだ、私の跡も、妻の跡も継ぐ事も出来ない』
「……っ」
楼蘭は、また声を上げそうになり、口を塞ぐ手にさらに力を込めた。
父の声は、さらに続いた。
『あいつはもうダメだ、だからお前の子供を……』
離れろ。
楼蘭は、自分に言い聞かせる。
ここから離れろ、自室に戻れ、この先の言葉は聞いてはいけない。ここから先を聞けば、自分はもう二度と……
もう二度と、立ち上がる事が出来なくなる。だが楼蘭の足は、まるで石にでもなってしまった様に動かない、そのくせ身体は、ガタガタと激しく震えていた、身体が扉にぶつかり、もしかしたら部屋の中にいる父に聞こえてしまうかも知れないというのに……
だが……身体は動かず。
父の声が、さらに耳に届く。
『『養子』に貰いたい』
「っ!!」
楼蘭は、息を呑む。
部屋の中にいる父に、もしかしたら聞こえたかも知れない、だが父は、まだ電話の向こうの相手に向かって何かをぼそぼそと言っていた、だがもう楼蘭は、父の声など聞いてもいなかった。
たった今の言葉が、ぐるぐると頭の中を巡っている。
『お前の子供を』
『『養子』に貰いたい』
つまり父は……
父は、何処からか『養子』を貰って……
自分の事を……
楼蘭は、ふらり、と扉から離れた。
その途端に、まるで石化が解けた様に、楼蘭の両脚は動く様になっていた、そのままだっ、と走り出し、そのまま自室に戻った、足音や扉を開け閉めする音で、もしかしたら父に気づかれたかも知れない、だが楼蘭は気にせずにベッドに飛び込み、頭から毛布を被ってそのまま両目をぎゅっ、と閉じる。涙が……
涙が、溢れ出す。
それから……
楼蘭にとっては家の中は地獄だった。相変わらず勉強も演技の練習も上手く行かない、両親は相変わらず何も言わなかった、その理由は既に解っていた、きっと二人の間では、もうとっくに『養子』を貰うという事が決定していたのだろう。
その日から、楼蘭は、何だか何もかもがどうでも良くなった。かつては、それでも両親に認められようと努力していたけれど、そんな気力も湧かない。
それからの楼蘭は、朝起きて、両親と短い会話を交わしながら朝食を摂り、そのまま学校に行き、帰ってからは、もう最近では勉強も演技の練習もせず、ただ自室に籠もってゲームをし、両親と、また短い会話を交わしながら夕食を食べ、そして風呂に入って眠る。
いつ何処から『養子』が来るのかは知らない、けれどきっとその日が来れば、自分はきっと捨てられるのだろう、父と母は、それまでの辛抱だ、と、形ばかりに自分の世話をしているのだ。
楼蘭は、自嘲めいた笑みを浮かべた。
そうだ。
自分は……『要らない』子供。
だから早く家を……
家を、出ないといけないんだ。捨てられる前に。
早く、家を……