第2章 両輪(4)
4
ミリル・ケインズファー、彼女のことをおぼえておられるであろうか?
そう、ニルスの港町で魔感士候補生の引き受けや送り出しなどを手配していた彼女である。
あの後、各国で選定後に渡航という運びになって、候補生の引き受け自体はたしかに少なくなったのだが、代わりに今度は各養成所から新米魔感士が故郷へと戻る為に、続々と送り込まれてくるようになったため、いっこうに休まることがなかったらしい。
とはいえ、なんとか後輩連中の教育も進んできていたため、週に1日は休みが取れるようにもなっていた。その上、各部の実働自体は後輩連中が動いてくれるようになって来ており、ミリルは机で判を押すだけでいい日も週に1日程度は取れていた。
やっと、一息つけそうだ――、と思っていた矢先のことである。
王都の長官から火急に魔法庁へと戻るようにと報せが入った。
そうして今、ミリルはイレーナの前に佇んでおり、この直後、衝撃の言葉を聞くことになる。
「――というわけで、ミリル。各国の魔法庁支庁をまわって、状況把握と、各支庁長官の選任をお願い」
イレーナはあたかも当然かのようにさらりと告げた。
「え? え――! わたし、ですか?」
ミリルは少々不服そうに聞き返す。
「あら、何か不満があるようね? たしか、落ち着いたら海外を旅行して回りたいとか言ってなかったっけ? 旅行費は魔法庁持ちで、世界中をまわれるわよ? こんないい話、まさか、断ったり、しないわよねぇ――」
イレーナの眉尻がヒクっと吊り上がったのをミリルは見逃さなかった。
「あ、あ――! 世界旅行! たしかに、そうですね! あ、あーこれはなんて幸運なんだろう、ははは」
「ミリル、笑いが乾いているわよ――。それから――」
(なに、なに? まだ何かあるんですか――?)
「道程に同行者を連れて行ってほしいの。喜びなさい、超有名人たちよ?」
イレーナはミリルの表情を注視して続ける。
「同行者はヴィント卿の従者たち、アルバート・テルドール、レイノルド・フレイジャ、チユリーゼ・カーテルの3名よ」
「え? え――! それって、あの英雄様方じゃないですか~~! 私なんかがご一緒なんて、恐れ多いですよぉ――」
「もう! うるさいわね、ミリル、いい? この役目にはこれからの世界の趨勢がかかっていると言っても過言じゃないのよ。そういう大切な役目だからあなたに頼んでいるんじゃない! しゃっきっとしなさい!」
さすがのイレーナももう我慢の限界だった。この子は仕事は有能で気が利くし、とてもいい人材なのだが、いかんせん、野心が少なすぎる。そういう重要な役目など、普通は背伸びしてでも欲しがる子がほかにも沢山いるというのに、この子はその超絶優秀な事務管理能力を持ちながらも、できれば日陰にいたい、触らないでほしいというタイプなのだ。
彼女にとっては、世界の趨勢より、休暇日のランチのデザートの方がよっぽどの関心事なのである。
「これは、決定事項です! あなたの意向を聞いているのではありません。出発は一週間後にニルスからです。そこからまずはベイリールの支庁へ行って選任と立ち上げをお願いします。あとは――」
ミリルは休暇がまた遠退いたことに肩を落とし、イレーナの説明を恨めしそうな目で聞いていた。
――――――
「――で、一週間後にニルスからその魔法庁の役人とともにベイリールへ渡ってほしい。ベイリールでまずは冒険者ギルドの第一支部を立ち上げてくれ。とは言っても、すぐに冒険者が集まることはないと思うから、とりあえずは宣伝活動だけだ。その後冒険者希望者の取りまとめについては当面の間、魔法庁の役人が行ってくれる手筈だ。もし宣伝活動中に有能なものがいれば積極的に登用してもらっていい。そうしてうまくいけば、次の国へ行く前に、ある程度、“元”になるものが作れればいい」
その日の午後、王都郊外にあるルシアスの邸宅に久しぶりに集結していた、ルシアス一行のメンバー、アルとチュリ、レイノルド、アリアーデ、ゼーデは、ルシアスの話に耳を傾けていた。
「こちらから行くのは、アルとチュリ、レイの3人だけだ。俺とアリアーデはソルスへ向かう。ゼーデは研究を続けてもらってて構わない」
ルシアスはそこまで話すと一呼吸置いた。
「3人で、ですか……。大丈夫ですかね? 僕たちだけで――」
アルは横に座っている二人を順に眺めながら、不安そうに口ごちる。
「あ、あ~~! 今、ウチの方見て言ったな! ウチじゃ頼りないとか思ってる顔だった!」
チュリがすかさずに噛みついた。
「お前、そういうこと言うのはよくないぞ? 俺だってもとは――」
レイノルドも負けじと参戦する、が、
「レイはただの衛兵じゃないか! “組織”の立ち上げなんだよ? “組織”ってわかってるの?」
ぴしゃりとアルの反撃にあうと、そんなもの……簡単じゃねぇか……、などと言いながらトーンが下がってゆく。
「確かにな。俺らのメンバーでこういうことに長けている者はいない。だから助っ人を頼んでおいた。もう来る頃だろう」
ちょうどルシアスがそう言った時、邸宅の玄関扉のノッカーがコンコンと鳴った。
アリアーデが出迎えようと立ち上がって、玄関の方へと立ち去って行った。
そしてしばらくすると、一人の女性を連れて戻ってきた。
黒い修道ローブを身にまとってそこに立っていたのは、あの懐かしい、そしてアルが一番会いたかった顔だった――。