第2章 両輪(2)
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聖歴165年11月中旬、各王国に国際魔法庁支部署の設置が完了した。
国際魔法庁の超国家性については、ベイリール世界会議においてあらかじめ決定されていたものであり、今後、各国はこの超国家的な機関からの要請に基本的に応じる方向で話はまとまっていた。
国際魔法庁長官イレーナ・ルイセーズは、前々から手配をしておいた各国のシルヴェリア王国大使館の敷地内に、新館を増築するという、かなり強引な手法で、これを進めていった。
取り敢えずのところ、各国に帰還している魔感士たちを国際魔法庁直属とし、それぞれに国際魔法庁が管理し、要請に応じて随時、任務に派遣するという形態を整える必要に迫られていたのだ。
どうしてこのような仕組みが必要なのか?
魔感士というのは、魔素を診る能力を持つものを指している名称である。
彼女たちの多くは、まだ魔法を発現できる技術を身に付けてはいないのだが、この先の独自の修練によっては、魔法を発現できる「魔法士」となりえる能力をもつ者たちでもあるのだ。
つまり、これを独善的な政治目的に利用したり、あるいは、ないとは思いたいが、国家戦力として転用しようとするものが現れてもおかしくはないのである。
たしかに今、人族世界は“異形の軍勢”の侵攻をうけつつあり、互いが争っている場合ではないのだが、最近、“異形の軍勢”による事件や被害も影を潜めつつある。
このような時には、利己的な考えを抱くものが現れる可能性が高いことを歴史が証明していることを、この博識の小柄な女性はよく知っている。
たとえそのような国際秩序の転覆に結びつくようなことは起きなくとも、魔感士の魔素を診る能力というのは、あらゆることに利用されやすい性質を持っていることも事実なのだ。
たとえば、寿命。
魔感士養成所で修練を積んだ候補者たちであれば皆知っていることであるが、この世界における生命体は生まれながらにして、それぞれの多い少ないの差はあるにせよ、すべての個体が魔素を含有している。
動物、植物、人類、すべての生命体が、である。
生命体でない鉱物や、水資源などには基本的には含まれていない。
そして、その魔素は成長とともに少しづつ増加し、やがてピークを迎えると今度は徐々に減少してゆく。これこそいわゆる、老化現象である。
やがて生命体は老衰し、死に至るのであるが、これはその生命体の保有する魔素が枯渇してしまうために起きることであると、すでにエリシア大聖堂の研究で明らかになっているのだ。
しかしながら、世界の人々はこの事実を知らないままでここまで来てしまった。この事実が生命体の老衰死の常識となるまでには、まだしばらくの時がかかるだろう。
つまり、魔感士は人の死期を予測することができる能力を持っていることになる。
これだけでも、相当な能力である。
これまで人類は自分の寿命を知るすべはなかったのだ。
それが解るものがいる、というだけでも様々なことに利用されてもおかしくはないのだ。
やはり、「過ぎたる能力」というものは、混乱を生み出す諸刃の剣である。
イレーナは、魔感士を国際魔法庁直轄として管理することによって、彼女たちの身に迫る危険を回避しようとしたのである。
こうして、聖歴165年11月21日、国際魔法庁各国支部署が発足した。
これにより、イレーナは超国家的機関の長官として、国境を越えて世界を管轄する一大勢力の長となってしまった。
イレーナは、これについて、非常に心苦しかった。
彼女の生涯の目的は、シルヴェリア国王フェルト・ウェア・ガルシア2世に尽くすことである。前職のシルヴェリア王国参謀の方がまさに自身の望みに適った天職と言えるものだった。
なのに、いまの彼女の立場では、ガルシア国王に寄り添うことはできないのだ。どこか一国の利のために自身の行動を決定してはならない立場となった彼女は、自身の生涯目標からかけ離れた立場になってしまったのだった。
しかしながら、いまは彼女以外にこの重責を全うできるものがいないことは事実なのだ。誰かに投げ打ってしまえればどれだけ心が軽くなるだろうか――。
しかし、アリアーデとメイファにはそれぞれの生活や目的がある中を、王都に留まってもらって養成所で指導にあたってもらっている。
アナスタシア大聖堂大司祭はエリシア大聖堂で同じく養成にあたっている。ゼーデは新たな魔法の可能性を日々模索し研究を続けている。
適任と思われるものは全て、要職についており、皆、自身の目的を一時中断して、世界の危機のために協力してくれているのだ。
ここで、イレーナひとりだけ、愛する人のそばに仕えていられるわけもない。
(今はまだ、わたしには成さねばならないことがあるのですね――)
彼女は今、シルヴェリア王城の脇に立っている自身の屋敷の一室を、国際魔法庁庁舎長官室として利用している。
その部屋の窓から外を眺めた。
彼女の視線の先には、シルヴェリア王城の国王執務室の窓がよく見えていた。