第3章 世界へ(1)
1
「そう、とうとうその時が来たのね――」
メイファは愛しい息子をじっと見つめて呟いた。
「いつかは巣立っていくものさ、メイファ。実際のところ、2年ほど前に一度すでに別れているんだ、それがまたしばらく一緒に過ごせただけでも、ありがたいことだ」
ダジムは隣にいる妻へ言葉をかける。
「父さん、母さん。お世話になりました。とても楽しい時間でした」
アルがそう答えると、
「おいおい、本当にもう帰ってこないつもりのような言い方するんじゃない。役目が終わったら、また王都に戻ることになるのだからな?」
そうダジムがたしなめた。
「ほんとだね。僕がギルドマスターって、寝耳に水だよ。ルシアスの考えることはいつも先を行っている」
「あいつはいつもそうさ。常に先を見ていやがる。まあ、あいつについていればいろいろと学ぶことは多い。俺には見せてやれなかった世界をあいつならお前に見せてくれる。そもそも2年前にあいつがお前を連れて行くといった時、正直、お前に違う世界を見せてやれるチャンスだと思った。だから、託したんだ」
ダジムはアルの目をじっと見つめてつづけた。
「お前にはまだまだこれから、やらなければならないことがあるように俺は思う。ギルドの話は始まりに過ぎない。世界をよく見てくるんだ、お前の知らないものがそこにはある」
ダジムの言葉には少し含みがあるようにアルには聞こえたが、そこは詮索しないでおいた。
「ところで父さんのほうは、順調なの?」
アルは話題を変えて、ダジムの状況について聞いた。
ダジム・テルドール。
かつては現国王フェルト・ウェア・ガルシア2世とともに、領土確定戦を戦った英雄の一人である。
彼は、即位したばかりのガルシア国王の国王親衛隊隊長兼総軍司令として彼を護った。遊撃隊を指揮するルシアスと、戦線を維持しつつ徐々に前線を押し返すダジムの用兵。この二つがかみ合って、戦況を徐々に盛り返したという。
戦況予報士として従事した現大聖堂大司祭アナスタシアの予報にあわせ、的確に軍を統括し、指示する様は、オーヴェル要塞の守備隊将軍ハン・ウーをもってして、
「私はあの方の足元にも及ばない」
と言わしめたという。
しかし、領土確定戦後、ガルシア国王の軍司令への叙任意向を辞退し、姿を消していたメイファの探索に旅立った。
そうして、メイファと再会後はソルスでアルとともに3人で暮らしていた。
もとは、シルヴェリア王国城下町の鍛冶屋の息子だったらしい。
鍛冶屋の息子が、どのようして王国軍総司令にまで登り詰めたのか?
その話はまたいずれどこかで――。
「ああ、王国軍の再編は順調に行っている。今は相手が人間じゃないだけやりやすいさ。昔戦った時は相手が人間でしかもその数が桁違いだった。その時のことを思えば、今は数人から数十人程度の部隊の用兵や立ち回りの訓練中心だからな。一つの隊が小さい分、小回りが利いて機動力がある。もともと優秀なシルヴェリアの兵たちだから、飲み込みも早いうえに素直ときている。どこかの誰かさんたちとはちがって、可愛いものさ」
そうダジムはうそぶいた。
「ねぇ、それって私たちのこと言ってるんでしょ?」
メイファがすかさず“合の手”を入れる。
(やっぱ、夫婦なんだなこの人たちって――)
ここでメイファが言った「私たち」というのは、かつて、王城の地下で魔巣を駆除した時の仲間のことを言っているのだろう。
ルシアス・ヴォルト・ヴィント、フェルト・ウェア・ガルシア当時は王子、メイファレシス・ケルティアン、ダジム・テルドール、そして、ウィリアム・ヴォン・ガルシア第一王子の5人の事だ。
「ああ、特にお前とウィルは酷かった。俺の指示など完全に無視だったからな。ルシアスと俺とルトが後方支援しなかったら、お前たちは生きていなかったぞ――?」
と、そこまで言って、言葉を止めてしまった。
「ダジム、気にしないで。もう何年たったと思ってるのよ。ウィリアムのことはもう、とうに吹っ切れているわよ。そんなに悲しい顔しないで、ね?」
そう言ってメイファはダジムの肩に手をまわして、引き寄せた。
(僕はこの人たちに育てられて、本当に幸せだった――)
アルは、自分のはじめての戦闘の時に自分をかばって失ってしまった、父の右腕あたりに視線を移しながら、そのことを改めて心に刻み込んでいた。




