8 マイアも舞踏会に行く、とはいえ
「昨日、そして今日と校内をひそかに見て回ったが、どうやら魔力の異常は君のクラスとエリレーテ君のクラスを中心に広がっているようだ。エリレーテ君が“支配の唇”の能力者だとするなら、やはり彼女を起点にしているからだろう」
昼休みになるなり二人の花園に向かうと、すでにルクスが待っていた。重々しく告げられる報告は、マイア達の仮説を裏付けるものだ。
「もしエリレーテ君が本当に“支配の唇”の能力を持つなら、それは無視できることじゃない。エリレーテ君の最終的な目的がなんなのかはわからないが……おそらく彼女は、自分の障害になりかねない“調和の手”を排除したかったんだろう。つまり君だ、マイア君」
「……」
「君がこの二か月間どんな仕打ちを受けていたのか、僕はようやく知った。国の名を冠する学園で、あのような理不尽が許されていいわけがない。本当に申し訳なかった。僕がもっと外に目を向けていれば、こんなことには……」
「先輩が謝るようなことじゃないわ。エリレーテの洗脳と、貴族と平民の信用度の違いのせいなんだから。過ぎたことを悔やむより、これからのことを考えましょう。早くエリレーテを止めないと、きっとすごく大変なことになる」
「……ああ。必ずエリレーテ君の野望をくじき、君の名誉を回復させると約束しよう。それをもって怠惰さの償いとさせてくれ」
ルクスは力強く宣言する。その言葉だけで嬉しかった。
「この件は、学園長はもちろん王室と大教会、そして魔法省にすでに話を通してある。半信半疑の様子だったが、こういうことは報告の実績の有無でだいぶ変わるからな。根回しはしておいたから、いざという時はすぐ対応してくれるだろう」
「よくこの短時間でそこまでできたわね!?」
「きちんと毎回講義に出席している君と違って、今の僕はだいぶ時間に余裕があるからな」
そういうことではなく、よくお偉方との窓口の確保ができたと言いたいのだが……学園長経由でうまく話をつけたのだろうか。
「生徒達や先生がたを蝕んでいる魔力の異常については、君がいるならそれ自体を治すことは簡単だ。昨日、ご学友達にしたようにすればいい。ただ、そのやり方だと洗脳下にあった方々の認識は元に戻せても、洗脳されないまま君に対して誤解を持った方々の態度を改めさせるには至らないんだ。だから、彼らに対してもきちんと釈明を行う必要がある。マイア君に対する噂はまったく事実無根の悪意あるもので、二度と嫌がらせなど許容してはならないとな」
「そうよね。今朝も、クラスの人達があたしとヴィアンナを見て変な顔をしていたもの。それに、悠長に一人一人治していったら、エリレーテに気づかれて手を打たれないとも限らないから、できればいっぺんにやったほうがいいかしら」
「そういえば、今日はエリレーテ君を見かけなかったな。彼女がどんな魔力をしているか、一度視てみたかったんだが」
「妃教育で欠席だそうよ。本当かどうかはわからないけど」
「妃教育……? まだ婚約すら結んでいないのに、その状態で一体何を学ぶことがあるんだ? 当然王室は彼女にそういった要請はしてはいないし、そうである以上アカデミアはそんな理由での欠席は認めない。例によって虚言だろう。見栄を張ったケーオン公爵家の派閥の人間が、家事都合を大げさに吹聴しているだけかもしれないが」
ルクスは不愉快そうに眉根を寄せる。元が冷徹そうな顔立ちだから、少し渋い表情をするだけで凄みが出た。
マイアに向けられたものではないので平気だが、もし彼に睨まれたら生きた心地がしないかもしれない。
きっとルクスは話を通した時に、王太子とエリレーテの関係についても問い合わせたのだろう。
そこのラインが繋がらないのであれば、マイアにとってこれほど心強いこともない。国家そのものを敵に回す必要はないし、むしろ国が後ろ盾になってくれるのだから。
「それほど虚栄心が強いなら、やはり舞踏会を狙うべきか?」
「えっ」
「確か、ちょうどもうすぐアカデミアの舞踏会が開かれるはずだ。数多くの方々が出席するし、エリレーテ君も絶対に出席するだろう。そこで洗脳を一気に解き、真実を白日の下にさらすことができれば……」
「で、でも、それってすごく危険な賭けじゃない? だってもしエリレーテが自分のやったことを認めなかったり、逆にあたし達が論破されたりしちゃったらどうするの?」
「だが、少なくとも洗脳は解くことができる。僕達が“支配の唇”に気づいてそれに対抗しようとしていることは、遅かれ早かれエリレーテ君にも気づかれることだ。だからなるべく早い段階で、多くの生徒が洗脳されていたという事実を大々的に証明できれば、何かしらの突破口にはなるだろう。無論、君がそれでいいのなら、の話だが……」
「……わかったわ。これだけのことをしでかした相手を追及するんだから、あたしも多少の危険は冒さないとね。行ってやるわよ、舞踏会」
ルクスの顔色は悪い。植物園登校の半引きこもりに、社交家達の中に飛び込んでいって渦中の人となれというのも酷だろう。
「でも、これ以上先輩に頼るわけにはいかないわ。どんな迷惑をかけるかもわからないんだし。あたし一人で行ってくるから」
「何故だ? 確かに僕では頼りないかもしれないが、少しぐらいは力になれる。何より、もうここまでかかわったんだ。今さら僕を置いて一人でやるなんて言わないでくれ」
ルクスは悲しそうに言い募る。どうやら舞踏会に出ることよりも、途中で外されることのほうが嫌だったらしい。
(そんな顔されると、甘えたくなっちゃうじゃない……)
胸がぎゅっと切なくなる。たとえマイアのわがままと合致していたとしても、ルクスからそう言ってくれたのだ。だから、押し通したって許してくれる。
それに、今さらルクスを置いてマイア一人で挑んだところで、エリレーテがルクスを敵だと判断しないとも限らない。それならいっそ、最後までルクスを巻き込んでしまってもいいだろう。
「……ごめんなさい。そうね、先輩もついてきてくれると嬉しいわ」
「もちろんだ。スマートなエスコートには期待しないでもらいたいが……矢面に立つぐらいはできるとも。仮に失敗してしまったとしても、君が被る被害は最小限に抑えてみせる」
マイアは決して一人ではない。傍にルクスがいてくれると思うだけで、だいぶ気が楽になった。
「さしあたっては、盛装の用意をする必要があるな。本当はこういう時は、きちんと君のために仕立てたものを贈るべきなんだろうが……さすがに時間がないから、今回は既製品で許してほしい」
「そんなの貸し衣装屋で十分よ。贈られたって、保管の仕方もわからないし。そもそもあたし一人じゃドレスなんて着れないわ」
「だが」
そこでルクスは一度言葉を区切る。ここで食い下がられるとは思わなかったので、少し意外だった。
「経緯はどうあれ、せっかくの舞踏会だ。気分は重要じゃないか? 君は普段から十二分に愛らしいが、着飾ることでまた違った一面が見えて引き出される魅力もあるだろう」
「せ、先輩?」
「それに、貴婦人にとって盛装とはすなわち武装だと、母が以前に言っていた。これからエリレーテ君と対峙するにあたって、相応の身なりは整えておいても損はない。君も言ったように、貴族と平民ではどうしても信用度に隔たりが出てしまう。その差を少しでも覆し、自分を大きく見せるためならば、多少の虚飾は必要だろう」
そう言われると確かにそうかもしれない。安っぽいドレスではかえって馬鹿にされてしまうかもしれないが、きちんとした格好をしていれば、自分に自信もつくはずだ。
「母に頼めば、ふさわしいドレスや宝石を借りられると思う。着付けができるメイドもこちらで手配しよう。どうだろうか、マイア君」
「そ、そこまで言うなら。でも、ご迷惑じゃない?」
「母なら話せばわかってくれるはずだ。ただ、ひとつ謝らなければいけないことがある」
いつになく真剣な声音で、ルクスはマイアをまっすぐに見据えた。マイアは固唾を飲んで彼の言葉を待つ。
「上流階級において、女主人のドレスを他家の女性が受け継ぐというのは、その女性の嫁入りを認めるという意味合いがあるんだ。しかし今回はあくまでも、我が一族が君の後ろ盾になるということを表明するために貸し出すだけだから、そこまで重く捉えないでほしい」
「思ったより責任重大なんだけど!?」
平民にも、母から娘へ、姑から嫁へ編み物や縫い物を渡す風習はある。それと似たようなものだと思えば理解はできる。とはいえ、とはいえだ。
「そ、そんな伝統を軽々しく利用しちゃっていいの? あたしなんかにドレスを貸すなんて、先輩のご両親がなんて言うか」
「そう自分を卑下するものじゃない。君は素敵な女性なんだから。僕が言いたいのは、この状況を利用して強引に君を囲い込もうとしていると思わないでくれ、ということだ。君の意志は最大限に尊重したい。僕の母のドレスを着て僕と一緒に舞踏会に行くことになったとしても、それを盾にして君に婚姻を迫るようなことは絶対にしないから、その点は安心してくれ」
色々な意味で安心できない。頬がかぁっと熱くなる。
「あのさ、ルクス先輩、今しれっとあたしのこと褒めた? 素敵って……」
「? ああ。事実を言ったまでだが。マイア君はとても可愛いし、話していて楽しいからな。たとえ僕と舞踏会に参加しても、きちんとその理由を説明すればみんな事情をわかってくれる。だから、結婚相手の選択肢が狭められるということはないはずだ。君ほど魅力的な人なら、きっと引く手あまただろう」
「……先輩は、あたしのことをそう思ってくれてるってことだよね。じゃあ……その、もしあたしが先輩に、恋愛対象として見てほしいって言ったら、先輩はどうするの?」
王侯貴族の恋愛観は、平民のそれとはやや異なることぐらいマイアだって百も承知だ。
会ったばかりの相手と家の都合で結婚したり、一度付き合ったらその相手と結婚するのが普通だったり。政略結婚という壁がある以上、マイアの憧れは憧れのまま終わるはずだった。
「マイア君からそう思われているなら光栄だ。申し訳ないが、僕は交際する相手を恋愛感情だけで選ぶことができない。だが、幸い君は“調和の手”の持ち主だろう? 君と交際するためなら、それを周囲に認めさせるだけの理由をいくらでも挙げることができる」
「なっ、なんでそういうことを顔色一つ変えないで言えるのよっ! 魔法にしか興味ないんじゃなかったの!?」
「君は特別だ。……ただ、僕の一族は少しばかり特殊で。この件は、エリレーテ君との問題が解決してからより詳しく話し合わせてほしい。マイア君が聖なる乙女として正式に認知されてからのほうが、君を迎える地盤を整えやすいし……」
まさかルクスと両想いだったなんて!
しかもルクスは貴族でありながら、平民のマイアを妻として迎えようとしてくれる。ルクスと結婚できる可能性に、そんな場合ではないと頭ではわかっていながらも胸が高鳴るのを抑えられない。
舞い上がるマイアは、ルクスが少し寂しげに遠くを見つめながら何か呟いたことに気づけなかった。
「“支配の唇”と邪竜の脅威さえ取り除ければ、もし僕が誰か知って僕から距離を置きたくなったとしても、安心して君を送り出せるからな」




