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聖なる乙女(仮)は負けたくないし、ついでに世界も救いたい  作者: ほねのあるくらげ


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7 マイアはルクスに嫉妬されたい、けど

「ご機嫌よう、マイアさん」

「ご、ご機嫌よう、ヴィアンナ」


 教室に入るなり、ヴィアンナが声をかけてきた。マイアは頬を引きつらせながらも笑みを返して席に着く。


 まだ始業時刻には早いこともあって教室にいる学生の数はまばらだ。マイア達の空気が違うことには気づかれていない。


「あのね、ヴィアンナ。今日のダンスレッスン、よかったらパートナーになってくれない?」

「ええ、ええ! わたくしもちょうどお誘いしようと思っていたところでしたのよ!」


 ヴィアンナは嬉しそうにマイアの手を取った。貴族子女のための教育機関らしく、アカデミアでは教養のためのカリキュラムが多く取り入れられている。マイアのような平民にはあまり関係ないが、将来宮廷に出仕することを思えば身につけていても損はない。

 学校行事の舞踏会や、ダンスレッスンもその一環だ。同性同士でエスコートのパートナーを組むのは、異性慣れしていない箱入り子女にはよくあることらしい。さすがに公の場だとはばかられるが、学園での講義ぐらいなら問題はないそうだ。


 明後日の日曜日には、今季の舞踏会が開かれる。一年生にとっては初めての舞踏会だ。

 それもあり、今日のダンスレッスンはここ三か月の集大成を見せる場になるだろう。ダンスの巧みなヴィアンナとはぜひパートナーになっておきたい。舞踏会に出席する気はないが、講義は大事だ。


 ここまでくると、さすがに誰もがヴィアンナの異常に気づいたらしい。

 近寄ってきた一人の下級貴族の令嬢が、ちらちらとマイアのほうを見ながらヴィアンナに囁いた。


「どうされたのです、ヴィアンナ様。泥被りごときに情けをかけるなど。エリレーテ様がなんとおっしゃるか……」

「エリレーテ様に何の関係があって? それより貴方、泥被りとは一体なんのことですの?」

「え……? そ、そこの平民のことですよ。まるで泥で染めたような、汚らしい茶色の髪ではございませんか」

「人の外見をそのようにあげつらうとは何事です! もしわたくしの髪が金色ではなく茶色だったとして、貴方はわたくしのことも同じように泥被りと呼ぶのですか?」


 ヴィアンナにキッと睨みつけられて、相手の令嬢は口ごもりながらうつむいた。しかしヴィアンナは厳しい口調で詰め寄る。


「マイアさんの栗色の御髪おぐしは、清楚でとても可憐でしょう? マイアさんに対してだけではございませんが、他人が持って生まれたものを侮辱することは許せません。その罵倒の理由に、身分の違いがあるというならなおのことです」


 ヴィアンナを見ながら目を白黒させるクラスメイト達に、マイアは哀れみにも似た感情を覚えた。だって最初にマイアを「泥被り」と呼んで嘲笑ったのは、他ならないヴィアンナだからだ。


(でも、それはヴィアンナが“支配の唇”で洗脳されてたから。正気に戻ったヴィアンナは、弱者の味方になってくれる。こっちが本当のヴィアンナ)


 クラスメイトのうち、一体何人が“支配の唇”の影響下にあるのだろう。

 できればいじめに直接加担している生徒は皆そうであってほしい。正気のまま他人を傷つけられると思いたくなかった。それに、巻き込まれたくないと目をそらすだけの生徒の、そのずるさは責められない。


「ヴィアンナ、もういいよ。あたしは大丈夫だから」

「もう。マイアさんは優しすぎるのです」


 ヴィアンナは不服そうだが、それでも引き下がってくれた。墓穴を掘った令嬢は慌てて自分の席に戻る。このクラスでマイアのいじめを直接扇動していたヴィアンナが態度を急変させたことで、今日は静かに過ごすことができそうだ。


*


「日曜の舞踏会は、マイアさんもいらっしゃればよろしいのに」

「パートナーがいないし。そもそも、あたしが行っても浮くだけだよ」


 平民の特待生でも、社交的だったり野心家だったりすれば王侯貴族の社交場でも積極的に参加する者はいる。入学したばかりの頃のマイアなら、それもやぶさかではなかったが……まだ洗脳が解けていない生徒がいる以上、大勢の人がいる場に行って恥をかくのは嫌だった。


 幸い、ヴィアンナを含めたごく一部の生徒の洗脳が解けていることは、いまだにエリレーテに気づかれていない。元々隣のクラスだったということもあるが、昨日今日と彼女は学校を休んでいるからだ。

 なんでも、妃教育があって忙しいとか。どこまで本当かはわからないが、いないに越したことはなかった。


「ヴィアンナは、二年生の従兄と参加するんだっけ」

「ええ。知らない仲ではございませんから、気負わず楽しむことができますわ」


 ヴィアンナははにかんだ。従兄とは卒業後に結婚するのだと、いつだったか聞いたことがある。


「同伴するパートナーがおらずとも、ホールで見つける方もいらっしゃるそうですわよ。マイアさんはとても可愛らしいですから、すぐに見つけられるのではなくって? もっとも、マイアさんにはふさわしくない方からのお声がけだなんて、わたくしが許しませんけれど!」

「あはは……」


(あたしは淫乱の尻軽ってことになってるから、むしろまともな人は声をかけて来ないんだよ……。それこそルクス先輩みたいな、情報に疎い人じゃないと)


 異性と付き合ったこともないのに。ひどい誤解もあったものだ。“支配の唇”の洗脳を解くことができれば、これまで立てられた悪評も払しょくできるのだろうか。


「わたくしは本気で申し上げておりますのに。マイアさんなら、王太子殿下のお目に留まることも夢ではございませんわ。殿下がお出ましになられたら、の話ですが」

「でも、王太子様ってエリレーテと婚約の噂があるのよね? まだ内定の段階だったとしても、あたしが割って入る隙なんかないんじゃない?」

「あくまでも噂ですもの。その件について、王家は否定していたはずですわ。年回りが近く、才気にあふれるエリレーテ様なら殿下のお相手にふさわしいと、周囲が勝手に囃し立てているだけですわよ。確かにエリレーテ様はお美しくて、名家の生まれですし、ご本人も優れた魔力と頭脳をお持ちですから、そんな噂が立つのも仕方ありませんわね。エリレーテ様もまんざらではなさそうでしたし」


 ヴィアンナは訳知り顔だ。ヴィアンナまでそう言うのなら、ルクスの見立ては正しいのだろう。とはいえ、虚言で人を振り回すのはいただけない。


「好き勝手に言われて、王家は何も言わないのかなぁ」

「王家だからこそかたくなに突き放せない、というのはあるのかもしれませんわね。実際、ケーオン公爵家は王国きっての名門貴族ですし、殿下のお相手についてはいまだ空席ですもの。ふさわしい資質を備えたエリレーテ様を差し置いて王太子妃になる方がいらっしゃるなら、あらゆる面でエリレーテ様を凌駕できる方でなければ国民は納得しないでしょう」

「本当にエリレーテが王太子様のお妃様になる可能性もあるもんね。憶測にまで制限をかけるのは難しいから、王家としては誤解を解いたって事実があれば十分なのかも?」


(そこまでふさわしいとは思えないけど)


 理由は不明だが、エリレーテはマイアを陥れようとした。その当たりの強さがマイア以外に向けられないとは限らない。

 そもそも、邪竜の寵愛を受けた人間が国の頂に立つなどろくなことにならないだろう。


 邪竜は人類の敵だ。呪いを振りまいてはいたずらに争いを呼び、国を滅ぼす。邪竜がもたらす不和に対抗するために、かつて“調和の手”を持つ聖なる乙女は立ち上がった。

 現状、邪竜の手先とも呼べる“支配の唇エリレーテ”による被害はマイアしか受けていない。それも、アカデミアの中という狭い世界の中だけの話だ。


 だが、もし本当にエリレーテが邪竜と通じていて、邪竜が復活しようとしているのなら。

 それはもはや、マイア一人が我慢すればいいなどという問題ではなくなる。

 第一、マイアがその理不尽を耐え忍べば解決する話だったとしても、何も悪いことをしていないのにそんな風に屈するのはまっぴらだ。


「王太子様ってどんな人か、ヴィアンナは知ってる? アカデミアには通ってるんだよね?」


 もし王太子にエリレーテの悪行を直談判できれば、エリレーテを自分の妃にするという選択肢を彼から封じられるのではないだろうか。

 一介の公爵令嬢と祖国の王太子妃ではやはり立場が違う。これ以上エリレーテに権力を与えないためには、エリレーテがせっせと埋めている外堀を破壊する必要があった。


「それが、わたくしもあまり詳しくはありませんの。昔から、殿下は社交よりも研究に熱心らしくって。社交場にお出ましになることはめったにありませんのよ。特に魔法に造詣が深くしていらっしゃるから、それに関係するご公務で王宮を空けることは珍しくないそうですけれど……そういった場に出席するのは、専門家か責任者ぐらいのものですから。関係する領地の領主当人であればまだしも、わたくし達ほどの年頃の子女で殿下と面識のある方はそれほど多くはないのではないかしら」

「国境の守りも生活基盤も、魔法がないとどうにもならないもんね。あたし達と同世代なのにもう専門的な仕事にかかわってるなんて、王太子様ってすごい人なんだ」

「お忙しい方のようですわね。本来なら円卓会に加盟するところを、ご公務を優先して辞退したなんて逸話もあるそうですわ。人を統率する機会は他の学生にこそ経験してほしい、とおっしゃったとか」


 円卓会のメンバーではないというのは意外だった。とはいえ、確かに公務で学校に来ないことが多いというなら、円卓会としての活動にも障りが出てしまうだろう。


「常に国のことを考えるだけではなく、わたくし達に学びの場も与えてくださるなんて、なんて気高い方なのかしら! そのうえ成績は入学以来最上位を保っていらっしゃるのですから、その勤勉さは王国貴族としてぜひ見習わないといけませんわ。一度でいいからお目にかかりたいものですわね」


 男嫌いのヴィアンナでも、王太子の才覚は認めざるを得ないらしい。実物に何割かは脚色されている気がしないでもないが、それほど褒めちぎられる人ならマイアも興味が湧いてくる。


 成績が入学以来最上位なら、きっと監督生に選出されているだろう。円卓会と違って、監督生は辞退しようと思って辞退できるものではないはずだ。

 ルクスが王太子のことについて知っている風だったのも、同じ監督生だったからなのかもしれない。ルクスに頼めば、遠巻きにでも王太子の姿を見せてもらえるだろうか。


(嫉妬は……さすがにしてもらえないよね。ルクス先輩だし)


 マイアが他の男子生徒に関心を寄せてみせたって、ルクスは気にしないに違いない。

 同様に、もしルクスがマイア以外の珍しい能力を持つ女子生徒に興味を示しても、マイアはそれを咎められない。魔法馬鹿のルクスのことだ、マイアを勘違いさせたようなあの言い回しでエリレーテに声をかけないとは限らなかった。もっとも、エリレーテなら歯牙にもかけないだろうが。


 本当に、マイアが他の男子生徒との橋渡しをルクスに頼んだとして。その時のルクスの反応など知りたくなかった。

 彼にとってはただ“調和の手”という能力が珍しかっただけで、一切の脈はないという現実が突きつけられれば夢などたやすく覚めてしまうからだ。


 だから、どうしても必要な時以外で王太子の話をルクスの前でするのはやめようと思った。

 ルクスとの関係を一歩先に進めるのに、さかしい駆け引きは必要ない。わざと嫉妬心を煽るだなんて、恋愛初心者の自分がそんな高度なテクニックを使いこなせるとはとても思えなかった。冒険して破綻させるぐらいなら、今のまま友人でいるほうがよほどいい。

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