6 ルクスは話すのが下手、だと思う
植物園につき、ようやく一息つく。運動は苦手らしく、肩で息をしてソファに伸びたルクスが復活するまで、少しの時間を要した。
「よかったのか? ご学友達と過ごさなくて」
「心の準備ってものがあるの! それにその理論で言うなら、先輩だってあたしの友達でしょ」
「……友人なんて、初めて言われたな。君はいつも僕に初めての経験をもたらしてくれるらしい」
ルクスは感慨深そうに呟く。気恥ずかしくなって、マイアは食い気味に話題を変えた。
「ねえルクス先輩、ちゃんと説明して。なんでヴィアンナ達の態度が急に変わったの?」
「態度が変わった? ああ、その認識には語弊がある。恐らく彼女達は、魔力が停滞していたせいで何かしら精神面が不安定だったんだ。君が治療したから、安定したんだろう」
「……つまり、ヴィアンナ達は二か月前から人が変わったようになってて、さっきようやく元のヴィアンナに戻ったってこと?」
「そういうことだ。魔力というのは繊細で、些細なことにも影響を受ける。魔力が乱れること自体は対して珍しくもないが……それにしてもあれは少し奇妙だった。ただの乱れとはまた違う。先ほどは停滞、淀みという言葉を使ったが……まるで外部から抑圧……あるいは、支配されているようにも見えた。全員、うっすらとだが同一の魔力に覆われていたからな。それが本来の魔力の流れを邪魔していたせいで、停滞している風に見えたんだ」
二か月間の記憶が混濁しているヴィアンナ達。三か月前は、彼女達との関係はいたって良好だった。
なら、二か月前に何があった?
思い当たる節はひとつしかない────エリレーテの登校だ。
「他にも同じ状態だった人はいる?」
「そうだな……。少なくともこの二週間で見かけた学生や先生は、程度の差はあれど彼女達と似たような状態になっていた方がいたぞ。……といっても、僕もあまり大勢の姿を見たわけではないが。僕自身、登校したのは二か月ぶりだし。二週間前の、僕達が初めて逢ったあの日に、ようやく登校できたんだ。昼からだし、教室にも顔は出せていないが……」
ルクスは申し訳なさそうな顔をしている。ルクスの学園生活が少し心配になった。いや、これは前からか。そもそもマイアだって人のことは言えない。
「ううん、十分だよ。それで先輩、お願いがあるんだけど……他に魔力がおかしい人がいないか、暇な時にでも一年生の校舎を見て回ってくれないかな」
「……いいだろう。どうせ学園長には報告しようと思っていたしな。材料は多いほうがいい」
マイアの願いをルクスは快諾してくれた。
もしこれで、マイアに当たりの強い者達の魔力に異常があると判明したら。それが意味することはまだわからない。けれどきっと、現状を打破する糸口になる。
「そう願い出るということは、もしかして君は原因に心当たりでもあるのか?」
「そこまではっきりした根拠はないんだけどね。二か月前からみんなの様子がおかしいなら、エリレーテが関係してるんじゃないかって。それまでヴィアンナ達は全然普通だったのに、エリレーテが登校してからああいう風になっちゃったから」
「エリレーテ、か。僕もようやくその名前を思い出したんだ。エリレーテ・ケーオン君だろう? 幼いころに一度、王太子妃候補に名前が挙がったことがあった。だが、結局その話は顔合わせすらないまま流れたんだ。今となっては何の関係もない。そんな彼女に虚言を吹聴されているとなると、さすがの僕でも気分がいいとは言えないな」
ルクスはうんざりしたようにぼやく。他人事ながら、思うところはあるようだ。
確かにマイアからしてみても、赤の他人が対象とはいえ架空の思い出話をでっちあげて語っている人がいると思うとちょっと怖い。
「それで……ああ、そうだ。説明をするんだったな。実は僕にも少しばかり珍しい能力がある。“達識の眼”と言って、ものが帯びる魔力を視ることができるんだ。魔力の流れを追えるから、うまく使えばかかっている魔法の構造を解析することもできる」
「すごいじゃん!」
「とは言っても、はっきりとわかるわけじゃないし、この能力はあくまでも魔力を視るだけだぞ。その意味をきちんと理解できるかは、僕自身の知識量に大きく左右されるんだ。この力では魔力や魔法に干渉することもできないから、他に魔力が異常をきたしている方を見つけたとしても君でなければどうにもできない」
「そっか。だから先輩はあたしが“調和の手”を持ってるってわかっても、その名前まではわからなかったんだ」
「ああ。知識として存在は知っているが、持ち主は初めて視たからな。すぐには結びつかなかった」
そう聞くと、案外使い勝手が悪そうだ。ルクスぐらい博識でないと使いこなせないだろう。仮に知識という下地があったとしても、字面でしか知らない表現を適切に使うのは中々どうして難しい。
「“達識の眼”は僕の知識と感覚に依存するもので、口で説明するのは難しいんだが……実は、似たような現象を引き起こせる能力について文献で読んだことがある。その記述と、僕が先ほど目にしたものが、少し似ている気がするんだ」
ルクスが視た、ヴィアンナ達の魔力の乱れ。それはまるで、邪竜の寵愛を受けた者が持つと言われる特異能力“支配の唇”の犠牲者のようだったという。
邪竜など伝承の中だけの遠い存在だった。“支配の唇”に至っては聞いたこともない。
首をかしげるマイアに、ルクスは重ねて説明する。なんでも“支配の唇”の力を持つ者は、その名の通り他人を操ることができるとか。
「ある意味、“調和の手”と対極に位置する力だ。“調和の手”は他者の魔力に同調することで発動するが、“支配の唇”は他者の魔力を自分の魔力に染め上げることで力を発揮する。だが、たとえ“支配の唇”によって魔力が歪められようと、“調和の手”が同調するのは歪められる前の姿……相手の本来の魔力の形だ。これは別に“支配の唇”の呪いに限ったことではなく、魔力の不調全般に言えることだが……“調和の手”が働きかけることによって淀んだ魔力に刺激が与えられ、本来の調子を思い出せるようになる。だから君は、先ほどのご学友達を元に戻せたというわけだ」
「えーっと……“支配の唇”にベールを被せられても、“調和の手”ならベールの下にある本当の魔力がどんなものだったかわかるから……自分がベールを被せられていることに気づかなくても、目の前にあたしがいれば既視感がとっかかりになって、ベールを脱げるのね?」
「理解が早くて助かる」
「でも、この仮定で話を進めていくと、エリレーテがその“支配の唇”の能力者ってことになるわよ?」
「……そうだな。仮説が正しいのなら、その可能性は非常に高いだろう」
ルクスは重々しく頷く。
非常に珍しい、特異な能力。マイア自身が“調和の手”を持つのだから、“支配の唇”の実在性を疑う余地はなかった。問題は、どうしてエリレーテがマイアを目の敵にしているのかだ。
「実は、邪竜の復活については心当たりがないこともない。ここ十年ほど一部の研究者や聖職者がその危険性について提唱していて、聖なる乙女の伝説がある我が国でも問題視されていたんだ」
ルクスによると、邪竜がもたらす混沌を望む者達がいるかもしれないらしい。そういう輩は、邪竜を復活させるために怪しい儀式という名の犯罪に手を染めるとか。
人を救う女神ではなく、人を苦しめる邪竜をわざわざ求める者達がいることなど、にわかには信じられない話だ。
「とはいえ手がかりが何もないし、邪竜なんて神話の存在だからな。王家は事態を重く見ていたが、しょせんは眉唾な話だと否定する声も多くて根本的な対処には至っていなかったんだ」
「先輩がエリレーテを視ても、すぐには“支配の唇”の能力者だなんてわからないもんね。“調和の手”と同じで、初めて視るんだから」
「ああ。もし彼女を視ることができれば、何かしらの異質さは感じ取れるだろうが……その意味までは読み取れない。だから、第三者を納得させられるだけの根拠にはならないんだ」
何故わざわざ邪竜の復活を望むのか、まったくもって理解ができない。
自分が巻き込まれていなければ、マイアだって邪竜を崇拝する者の存在なんて考えもしていなかった。
被害を未然に防ごうにも、何も信じていない人にも協力を要請できるだけの裏が取れないといけないのだから、マイア達にできることは限られる。
「そもそも、人の顔がそれぞれ異なるのと同じように、魔力だって人によって若干の違いがあるからな。特異能力か、それとも個性の範疇なのか、まずそこから見極めないと。……役立たずですまない」
「そんなことないよ。魔力が視えるだけでもすごく有利。先輩が指摘してくれなかったら、ヴィアンナ達が洗脳されてるなんて気づきもしなかったし。……あたし、ヴィアンナ達のことを信じられなかったんだ。友達なのに」
マイアはそっと目を伏せる。もしヴィアンナ達との関係の再構築を諦めていなければ、この胸にわだかまりが生まれることもなかったのだろうか。
ある日唐突な排斥が始まった。対話すら拒絶された。態度を翻したヴィアンナ達を前にして、マイアは彼女達が権力におもねったと思い込んだ。
友情はあっけなく崩れ、マイアはそこから逃げ出した。けれど今、その跡地にヴィアンナが立っている。何も覚えていない彼女の中では、まだ友情が残っているのだろう。
「ヴィアンナに嫌われたわけじゃなかったのは嬉しいよ。友達に戻れるなら戻りたい。……でも、怖いの。あたし、これからどうすればいいんだろう」
幸せな思い出と、つらい記憶が交互に押し寄せる。
たとえ今のヴィアンナが、マイアの親友のヴィアンナと同じ目をしていたって……記憶に巣食う意地悪ないじめっ子も、同じ顔だ。ふとした時に、いじめられていたことが脳裏をよぎらないとは限らない。
そのぎこちなさは、やがて大きなひずみを生んでしまうかもしれない。ヴィアンナが元に戻っても、すべてを覚えているマイアはどう折り合いをつければいいのだろうか。
「マ、マイア君!? 大丈夫か? 魔力が乱れているぞ」
ぽろぽろと涙をこぼすマイアに、ルクスは慌てながらハンカチを差し出す。マイアは涙声で礼を言いながら受け取った。……こんな情けないところ、彼に見られたいわけではなかったのに。
「自分の不調は“調和の手”をもってしても治せないようだな。だが、僕の魔力と同調すれば、少しは落ち着くかもしれない。試してみてくれないか?」
「……そういうとこだよ、せんぱい」
涙をぬぐい、マイアはルクスの手に触れる。これはあくまでも、マイアの魔力を整えるために必要な処置だ。言い出したのはルクスだから、何も問題ない。
「君しか友人がいない僕が言ったところで、説得力はないかもしれないが……」
緊張しているのか、ルクスは少しこわばっている。それでも突き放されはしなかった。
「人を信じるというのは、とても難しいことだ。それでも君はその困難に向き合おうとしている。君が何を選択しようとも、その行為そのものがすでに素晴らしい」
「……」
「信じていた人に裏切られた時、僕にはそれができなかった。誰のことも信じられないと決めつけて、再構築の可能性も最初から排除していた。すべてから逃げて、一人の殻に閉じこもることを選んだんだ。結果、臆病な僕は輪の外から誰かを見ていることしかできない」
「……今はあたしが傍にいるじゃん」
「そうだな。まさかこんな幸運に見舞われるとは思わなかった。……だが、君は僕と違ってどこにでも行ける。何故なら君は、とても勇敢で魅力的だからだ。君ならば、これまで築いた居場所を守ることはもちろん、新しく居場所を作ることもたやすいだろう」
そこでルクスは言葉を区切る。「マイア君」耳朶を打つその声が、やけに心地よく響いた。
「君が選んだことの正誤を決めるのは君であるべきだ。仮に君が選択を悔いることがあったとしても、それですべてが頓挫するわけじゃない。君とご学友達の間に何があったか、深くは聞かないが……もし君が疲れてしまった時は、休める居場所が他にもあることを忘れないでくれ」
魔力を同調させているからといって、ルクスに包み込まれているように感じたのはきっと錯覚だろう。本当にこれでマイアの魔力が落ち着いているのか、それもルクスにしかわからない。
それでも涙が止まるまで、マイアはずっとルクスに寄り添っていた。




