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聖なる乙女(仮)は負けたくないし、ついでに世界も救いたい  作者: ほねのあるくらげ


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2 マイアは身の程をわきまえている、つもり

「あの女は一体どこに行った?」

「この辺りにはいるはずなんだが」


 マイアを探す男子生徒の声がする。マイアが淫売だという噂を真に受けて、絡んできた不良達だ。

 あれでも貴族の端くれらしいから、どんな集団にも落ちこぼれはいるということだろう。あるいは貴族という特権階級だからこそ、性根に歪みが生じているのかもしれない。


 今日の四限目は自習だった。そのせいで、植物園で三限目の居残り清掃をしていたところ彼らに声を掛けられた。

 多分、これもエリレーテ派に仕組まれたのだろう。三限に受講していた薬草学の講義で、提出すべき課題をエリレーテ派に破り捨てられるようなことがなければ、教員の怒りを買って植物園の手入れを命じられることはなかった。


「妾志望だとしても、あんた達みたいな小物なんて誰が狙うかっての」


 植物の陰に隠れたマイアは右往左往する不良達を尻目に吐き捨てる。確かに特待生や下級貴族の令嬢には立身出世ではなく玉の輿目当ての者も多いし、マイアだって良縁に恵まれるのならぜひ掴みたい。

 マイアの家は貧しかった。表立って言動で示したことはないが、妾だろうとなんだろうと裕福な貴公子に見初められるなら喜んで飛びつく。……まあ、そういうところがエリレーテ曰く「卑しい」のだろうが。


 とはいえ、下町育ちの庶民らしいあけすけな愛情表現は貴族社会では好まれないと、口を酸っぱくした神父から入学前に散々言い聞かされてきた。

 元々男勝りで通っていたこともあり、女の子らしい行為に対する照れもある。恋愛に関することにあからさまな興味を示すのは何となく恥ずかしかった。


 それに、分不相応な夢を見て逆に家族に迷惑をかけたり、万が一にも退学騒ぎになったりするようなことがあってはならない。

 だからマイアは、素敵な貴公子との色恋沙汰に憧れはあったものの、実際に男子と二人きりになり甘い空気に持ち込んだことはなかった。そもそも、アカデミア中から嘲笑と侮蔑の対象となった今、そんな恋などできそうもないが。


 近づかれる前に別の場所に移動し、彼らを撒いてしまおう。魔法を使えば自衛はたやすいが、理由はどうあれ貴族のボンボンを傷つけたとなればもっと面倒なことになる。ここは逃げ一択だ。マイアはそっとその場を離れ、植物園の奥へと向かった。


 追跡を撒くために、生い茂る草木に隠されるように伸びた通路を通る。

 気づけば目の前に木製のドアがあった。温室か何かだろうか。ドアノブに触れるとたやすく開く。マイアは猫のようにするりとその奥の空間に滑り込んだ。


「わぁ……!」


 そこはまるで誰かの秘密基地といった雰囲気の場所だった。

 案の定温室なのだろう、植物園らしさは残しつつも人が居心地よく過ごせるよう整えてある。咲き乱れる花壇は、世話をしている者の愛情深さを感じさせた。

 寝心地のよさそうなカウチソファ、一人用のテーブルセット。本棚には魔導書がずらりと並んでいる。奥にあるのはきっと、音楽を再生できる魔具だ。確か蓄音機という名前だった。


「ここ、すごい……。珍しい植物がたくさんある。高価な魔具も……」


 耳を澄ませても、不良達の声は聞こえない。なんとなく、ここは安全だという気がした。

 どっと疲れが押し寄せてくる。マイアは導かれるようにソファに腰掛けた。


「……なんであたしがこんな目に遭わなきゃいけないのよ」


 家だと家族がいるし、自分の部屋というプライベートなものはない。近場の教会の神父とは家族ぐるみの付き合いなので、懺悔室に駆け込めばすぐ異変に気づかれてしまう。だから、マイアが弱音を吐露できる場所はどこにもなかった。


「エリレーテのことなんて知らないし。気に障ることがあったなら、はっきりそう言えばいいじゃない」


 溜まっていたおりが自然とあふれる。同時に涙が零れ落ちた。


 どれだけそうしていただろう。不意に物音がした。「そこに誰かいるの?」顔を上げると、ドアノブが動いているのが見えた。ドアの向こうに誰かいるのだ。


「なに? ようやく追いついたの? これであたしを追い詰めたつもり?」


 精一杯の虚勢を張る。怯えてなんていない。すると、思ったより理知的な返事が返ってきた。


「ここは僕の温室だ。温室の様子を確認しようとしたら君がいたというだけで、君に危害を加えるつもりはない」


 男子生徒らしいが、どうやらあの不良達ではないようだ。それどころか、その言い方だとまるでこの場所の正当なる主のようではないか。


「……アカデミア内に私有地があるわけないじゃない」

「その認識は誤りだ。成績や寄付金次第では、いくつかの特権を有することができるのだから。施設内に自分専用の空間を持つのもそのひとつだ」


 どんどん血の気が引いていった。彼が言っているのは、きっと監督生か円卓会のことだ。


 学年上位の成績優秀者は監督生に選ばれて全生徒の模範となり、権力と財力を併せ持つ指折りの名家の出身者は円卓会に加盟し全生徒の代表となる。エリレーテも円卓会の一員だった。


(こいつがもし円卓会なら、エリレーテの仲間ってこと?)


 不良達に追われたマイアの様子を見に来たのか。あるいは、束の間の安寧を得たマイアを改めて彼らの中に放り込む気かもしれない。どちらにせよ悪趣味なことだ。


「偉そうに。これだから貴族は嫌いなの。そんなに大事な場所ならちゃんと鍵をかけて、立ち入り禁止の看板でも立てときなさいよ」


 乱暴にドアを開ける。眼鏡をかけた銀髪の美しい少年が、凍てついた目でマイアを見下ろしていた。


「君は……不思議な魔力をしているな。初めて視る色だ」

「お邪魔しました!」

「ま、待ちたまえ。君は一体、どこからここに入ったんだ?」

「は? 普通にそのドアからだけど」

「……君には無意味だったようだが、この場所は他人が立ち入ることができないようになっている。……よければ、君の話を聞かせてもらえないだろうか?」


 これが貴族のやり方か。味方面して懐に踏み込んで、蹂躙してから捨てる。手ひどく裏切られるのはもうたくさんだ。


 食ってかかろうとしたマイアだったが、彼が監督生にのみ許されているマントを羽織っていることに気づいてその反発心は一気にしぼんでしまった。

 特権階級であることに違いはないが、家柄ではなく実力でその地位を手に入れた人だ。エリレーテとは無関係かもしれない。


「ご、ごめんなさい。あたし本当に、悪気があって忍び込んだわけじゃないの。当然、なんにも盗んでないわ。確かにソファは使わせてもらったけど……色々あって疲れてて、それで」

「別に、君を責めているわけじゃない。……僕が入ってきた時にはもう植物園には誰もいなかったが、複数人が直前までいた痕跡があったな。ここまで来ることができたのは君だけのようだが」


 少年は、マイアを目にしても態度を変えることがない。胸元についたブローチからして、最高学年の先輩のようだ。一年生のいざこざは上級生の耳にまで入っていないか、あるいは単純に彼がこれまでマイアを巡る騒動に関与していないのだろう。


「……あなた、もしかしてあたしを知らない?」

「君が僕を知らないのであれば」


 淡々と返される。確かに、マイアも彼のことなどまったく知らなかった。ずっと自分のことで手いっぱいで、周囲はすべて敵だと思っていたからだ。


「話したくないなら別にいいが。……まったく、どうやって僕の魔法を破ったんだ」


 マイアの戸惑いをどう受け取ったのか、先輩は少し残念そうな様子で温室の中に入る。その手には鞄があった。お弁当が入っているのかもしれない。

 もしかして、もうとっくに昼休みになったのだろうか。鐘の音が聞こえなかったので気づかなかった。


 いつまでも立っていても仕方がないので、校舎に戻ろうと歩き出す。お弁当を死守しながら人けのない場所を探さなければ、最悪ヴィアンナ達にお弁当を捨てられて昼食抜きになってしまうからだ。のんびりはしていられない。


 けれど最後に、これだけ尋ねておきたかった。


「ねぇ。この場所って、本当にあなた以外来れないの?」

「以前まではそのはずだった。だが今日からは、君も来ることができてしまう」

「じゃあ……もしまたあたしがここに来たら、迷惑?」

「……」


 我ながら図々しい申し出だ。だが、エリレーテ派におびやかされないこの場所は、とても魅力的に映った。先輩は少し考えこみ、一本指で眼鏡を持ち上げる。


「それは、僕の結界を再び破ってみせるという挑戦状か? いいだろう。次はもっと複雑なものにしておく。来られるものなら来るといい」


 別にそんなつもりはないのだが……少なくとも、あと一回ぐらいなら訪れてみてもいいのだろう。たぶん。


「あたし、マイア・フィーンっていうの。あなたの名前、教えてくれない?」

「……ルクスでいい。会うことはもうないと思うから、別に覚えなくても構わないが」


 それが、マイアとルクスの初めての出逢いだった。

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