12 マイアとルクスは大舞台に挑み、そして
ルクスの母方の親族が所有するタウンハウスに再びやってきたマイアは、夫人が遣わしてくれたメイド達によって隅から隅まで磨き上げられた。
(武装って、こういうことなのね)
ドレスも宝石も、鏡の中のマイアを美しく飾り立てている。当然、髪型も化粧もばっちりだ。見ていると自信が湧いてくる気がした。
「大丈夫そうか、マイア君」
「平気よ。心配なことと言ったら、イヤリングをどこかに落としちゃったり、ドレスの裾を引っかけて破っちゃったりしないか、ってことぐらいね」
「それならよかった。とてもよく似合っているぞ。今夜の舞踏会では、きっと君が一番美しい。……いや、それは今日に限ったことでもないか」
マイアが勝気に笑ってみせると、ルクスは安心したように微笑んだ。とはいえ、やはりどこかぎこちない。
「緊張してる?」
「かなり。社交だけを目的にして人前に出るのは本当に久しぶりで。これまでずっと、社交場での顔つなぎは他の方々に任せきりだったんだ。……まさか自分が、パートナーをエスコートして舞踏会に行くことになるなんて思わなかった」
またルクスに思い出をひとつ刻めた。それを嬉しいと思ってしまうのは、不謹慎かもしれない。遊びに行くわけではないのだから。
「とはいえ、せっかく君をエスコートできる栄誉を得たんだ。これ以上情けない姿をさらさないように、できる限りのことをしよう。僕の不手際で君の魅力を下げるようなことがあれば、エリレーテ君に対して不利になってしまうかもしれないんだから」
ルクスはマイアに手を差し伸べる。マイアは頷き、彼の手を取った。
*
「マイアさん! いらっしゃってくださるだなんて!」
「えへへ、ちょっと色々あってね。ご機嫌よう、ヴィアンナ」
「マイアさんのパートナーはそちらの方ですの? 以前に一度、お会いしたことがありましたかしら……?」
「うん。三年生のルクス先輩」
「そうでしたか。マイアさんがご自身でお選びになった殿方であれば、きっと間違いはございませんわね」
従兄に連れられたヴィアンナは、ルクスに対して淑女の礼を取る。
二人が初めて会ったのは、マイアがヴィアンナの洗脳を解いた時だ。その余波か何かでルクスのこともうろ覚えだったらしいヴィアンナに対して一応説明しておくと、その時のことを思い出したのか顔を赤らめた。
「ルクス様、先日の非礼をお詫びさせてくださいまし」
「いや、いきなり声をかけた僕こそ礼儀を欠いていた。だから、その件については気にしないでくれ」
ルクスは平然と告げる。感謝を述べたヴィアンナは、「この方が隣にいらっしゃるのなら、舞踏会でつまらない男に声をかけられることはなさそうですわね」とマイアの耳元で悪戯っぽく囁いた。
「それにしても……今日のマイアさんの装いは、とても素敵ですわ。今夜の主役はきっとマイアさんですわね。これほど華やかな装いにもかかわらず、自然に着こなしていらっしゃるんですもの。一体どこでそのドレスを仕立てたのです? 生地もデザインも本当に素晴らしくて。きっと一流の職人の手によるものでしょう」
ヴィアンナは羨望の眼差しをマイアに向ける。しげしげとマイアを見つめ、感嘆のため息をついた。
「装飾品に至っては、まるで国宝級の煌めきを放っているようではないですか。その美しいティアラも、王妃殿下がいつかの舞踏会でお召しになった逸品とよく似ていらっしゃいますし」
「実は全部、先輩のお母様からお借りしたの」
「まあ! そんな方がいらしたこと、どうして教えてくださらなかったの? お二人の華燭の典が楽しみですわ」
ヴィアンナは喜色に満ちた声を上げる。やはり上流階級の認識として、マイアとルクスは婚約しているように見えるらしい。どこでエリレーテの耳に入ってしまうかわからない以上、まだ本当の事情は話せないので、曖昧に笑うにとどめた。
ヴィアンナ達と一緒にホールへ向かう。すでに多くの学生達が集まっていた。遠目にエリレーテの姿が見える。男女を問わず、多くの取り巻きに囲まれているようだ。マイア達には気づいていないらしい。
きらびやかな場に頭がくらくらするが、負けないようにキッと強く前を向く。ちらちらと向けられる視線が好奇と悪意だけでなく、驚嘆と称賛も混じっていたことがマイアをより勇気づけた。
いざという時にすぐ対応できるよう、人々の輪から離れた壁際にルクスとたたずむことにした。ここならホール全体の様子が見渡せそうだ。
マイアがエリレーテに睨まれていることは知れ渡っているようで、友好的に声をかけてくる者はいなかった。
ルクス目当てで近寄ってきた勇気ある女子生徒は、意図的にマイアを輪の外に締め出そうとした。だが、取りつく島もないルクスを見て諦めたようだ。高嶺の花は、眺めるだけがちょうどいいと理解したらしい。
隙あらばマイアに飲み物を引っかけようと意地の悪い笑みを浮かべる女子生徒達もいたが、ルクスがひと睨みすると─本人はただ一瞥しただけのつもりかもしれないが─眼鏡の奥の冷徹な眼光に恐れをなしたらしい。そそくさと立ち去っていった。絡んでくる男子生徒がいなかったのも、横にルクスがいるからだろう。
やがて舞踏会が始まる。まず円卓会のメンバーが登壇し、挨拶をするようだ。学校行事で学生代表として登壇するのは円卓会だと決められていた。
今回登壇するのはエリレーテだ。実は円卓会に加盟するかは入学前から決まっているらしく、本当ならマイア達の入学式でもエリレーテが新入生代表として挨拶をする予定だったらしい。結局その役目は他の一年生のメンバーが担ったので、エリレーテが正式に全校生徒の前に立つのはこれが初めてのことだろう。
にこやかに微笑むエリレーテが壇上に上がったのが見えた。悔しいが、名家の息女だけあってやはり所作は美しい。それでも端々から傲慢さがにじんでいた。どうにも彼女のことは好きになれない。
「ご機嫌よう、皆様。どうか今日は楽しんでいってくださいね。実はわたくしから、ちょっとした余興を用意したんです。きっと皆様もお気に召してくださると思います」
そして、エリレーテは片手を天井に向けて────
「まっ、待ちたまえ!」
とっさにルクスが声を張り上げる。それまで静まっていたホールに響いた声に、さすがのエリレーテも驚いたらしい。手を下ろし、声の主であるルクスを不愉快そうに睨む。
ルクスとマイアに無遠慮な視線が集まった。ルクスは鼻白んだようだが、「大丈夫だよ、先輩。あたしがついてるから」声をかけると小さく頷いてくれた。
「エリレーテ君。今、君を中心にして莫大な魔力が渦巻いた。とても“余興”とやらには似つかわしくない魔法だ。……何をするつもりだった?」
マイアを伴い、ルクスは前へと進み出る。
突然エリレーテの挨拶に水を差されたことで、誰もが戸惑った様子を見せていた。事態がうまく呑み込めていないようだ。そのおかげで、マイア達の行く手は遮られない。
「無粋な人達ですね。衛兵、その二人を連れ出してください」
壇上のエリレーテが高慢に命じる。ホールを警備していた若い衛兵達は反射的にその命令に従おうとしたが、ルクスの次の言葉を聞いた途端に硬直してしまった。
「答えないというなら当ててみよう。……君は今、召喚魔法を構築しようとしたな? 導かれた魔力からして、君が開けようとしたのはかなり高位かつ攻撃的な性質の精霊のための召喚扉だ。呼び声に応えた精霊が現れれば、大規模な破壊の嵐が吹き荒れかねない」
“達識の眼”は、あの短い時間でも正確に状況を把握していた。険しい顔のまま、ルクスはエリレーテを見据える。
「もう一度訊く。あまりにも余興にふさわしくないその魔法を、何故構築しようとしたんだ? ……ここに集まった者達を、その精霊──邪竜の贄にでもするためか?」
「で……でたらめを言うのはやめろ! エリレーテ様がそのようなことをなさるわけがない!」
「そうだ! 貴様の中傷ごときで、エリレーテ様を貶めようなど片腹痛いわ!」
「横の女は知っているぞ! エリレーテ様にたてつく、生意気な平民女だ! よくもぬけぬけと現れたものだな! そこまでしてエリレーテ様を陥れたいのか!?」
エリレーテの傍にしょっちゅう侍っている少年達が怒鳴る。いずれも名家の貴公子達だ。
「泥被りの格好をご覧になって。泥被りの分際で王妃殿下の真似をするだなんて、どこまで恥知らずなの? そこまでして目立ちたいのかしら。エリレーテ様も絡まれて大変ね」
「平民のあの女に、あんな立派なドレスやアクセサリーが用意できるとは思えませんわ。まさかどこかで盗んだのではないでしょうね? そもそもパートナーの方はどなたですの? 彼、本当にアカデミアの生徒なのかしら?」
「どんな手段を用いても注目を集めたいなんて、きっと心が貧しいのよ。お可哀想な方々。そこまでしないと満たされないんですもの。巻き込まれるわたくし達の身にもなってほしいわ」
エリレーテの取り巻きの令嬢達も、声をそろえてルクスとマイアを非難した。その騒ぎにルクスは眉をひそめる。マイアも思わず顔をしかめた。
「……すまない、マイア君。本当はもう少し穏便に進めたかったんだが」
「しょうがないよ。あのまま見てたら、邪竜が召喚されてたかもしれないんだから」
マイアはルクスを信じている。邪竜の正体は危険な精霊で、エリレーテはそれを召喚しようとした。ルクスがそう言うのなら、きっとそうだ。
すでにエリレーテが邪竜を呼び出せる状態にあるというのはあまりに危険だが、その手段が魔法だというのは僥倖だった。マイアが“調和の手”でエリレーテの魔力を模倣し、召喚を無効にすればいいのだから。
(お願い……邪竜が現れないように、エリレーテの邪魔をさせて……!)
すかさずマイアは願う。エリレーテと同一になったマイアの魔力が、召喚魔法を乗っ取れるように。
その目論見がうまくいったのは、ルクスを無視して再び片手を高く掲げたエリレーテがみるみる驚愕を露わにしていったことからも明白だ。絶対に、この召喚扉は開けさせない。
「邪竜なんて、絶対に喚ばせないんだから」
魔力を通そうとするエリレーテ、遮ろうとするマイア。ただならない気配を感じたのか、人々の視線が集まるのを感じる。
静かな攻防に気は抜けない。マイアの額に脂汗がにじむ。エリレーテはすぐに、召喚魔法が失敗し続ける理由に気づいたようだ。
「衛兵、何をしているんですか! 早くその詭弁家達をつまみ出しなさい! 王太子殿下の婚約者たるこのわたくしの命令が聞けないんですか!?」
美しい顔を悪鬼のように歪めて叫ぶエリレーテに、衛兵も戸惑いを隠せない様子だ。
唯一動けるのは、すでに“支配の唇”の影響下にある者だけだった。彼らはエリレーテの命令に従い、マイア達ににじり寄ってくる。
(まずい……! 今は、そっちにまで“調和の手”が使えない……!)
せめて、エリレーテに隙が生じれば。召喚魔法をいったん中止してくれれば、その隙に被害者達の洗脳を解けるのに。
「申し訳ない。邪魔をしないでくれないか」
だが、その心配は無用だった。
たったその一言で、マイアとルクスに襲い掛かろうとしていた者達が、見えない枷に拘束される。ルクスが放った魔法が、横槍を防いだのだ。洗脳されている者とそうでない者を魔力で見分けられる力はやはり有用だった。
「僕が舞台を整える。それまでマイア君は、エリレーテ君の召喚魔法を抑え込んでいてほしい」
「ありがとう! よろしくね、ルクス先輩」
マイア達が味方につけるべきは、固唾を飲んで事態を見守っている者達だ。彼らに対してエリレーテの悪行を突きつけ、マイア達が正しいのだと信じてもらわないといけない。
「エリレーテ君。君は今、王太子の婚約者を自称したな。自分は王太子と婚約していると、君が主張しているのは本当らしい」
「はい。殿下はどうしてもわたくしを妃にしたい、とおっしゃって」
エリレーテも体面を取り繕わないといけないのだろう。召喚魔法も洗脳も知らないと言いたげに、涼しげに笑ってみせる。
「どういうことだ? 無礼を承知で言わせてほしいが、僕はこれまで君のことをまったく知らなかった」
ルクスは毅然と告げた。エリレーテは哀れみのこもった目でルクスを一瞥する。
「あらあら。まさかケーオン公爵家の娘たるこのわたくしのことをご存知ないだなんて。一体どこの辺境からいらっしゃったんですか? それとも、貴方も平民なのかしら」
ひそひそと話し合う声がする。雰囲気や立ち振る舞いからして三年生の一団のようだ。ルクスのクラスメイトだろうか。何を話しているかまでは聞き取れないが、困惑している様子が見て取れる。
「そこの悪女にどうたぶらかされたのかは存じ上げませんが、歯向かう相手はよく考えるべきでしたね。このことが王太子殿下のお耳に入れば、厳罰は免れないでしょう」
「もしかして、君は王太子に会ったことはないんじゃないか? 代理人が間に入っていたり、王太子を名乗る人物と手紙のやり取りをしたりしているだけで……」
「しつこい方ですね! わたくしが不埒者に騙されているとでも? 王太子殿下ご本人と何度もお会いしているに決まっています。ケーオン公爵家の娘ですもの、当然でしょう? 貴方のような無名のお家の方では難しくても、ケーオン公爵家の威光をもってすれば拝謁が許されるんですよ?」
エリレーテはうんざりしたように肩をすくめる。
それに呼応するかのように、エリレーテ派から嘲笑が聞こえた。洗脳まではされていなくても、名門公爵家の令嬢たる彼女におもねる者達は多い。
「どうあってもその主張は覆さないんだな。……そこまで言うのであれば問わせてくれ。君と婚約しているという王太子とは、一体誰のことだ?」
「まあ。どこの田舎者か存じ上げませんけど、恐れ多くも殿下のお名前をご存知ないだなんて。ルクシアド殿下に決まっているでしょう?」
特待生とはいえ平民ごときが貴族に口答えするとはまったくもって嘆かわしいと、エリレーテは大げさにため息をついた。ルクスは気まずげに咳払いする。
「つまり君の言う王太子というのは、この国の王太子……ルクシアド・フォン・ロザルディアで間違いないのか」
騒ぎを聞きつけたのだろう、ホールの外から教師や司法騎士が駆けつけてくる。衛兵は騎士達に敬礼し、彼らの援護に回った。
「……公の場に現れることはめったにないから、この名前は知っていても顔は知らない方がほとんどだと思う」
魔法の枷をつけられた者達は、彼らに取り押さえられて連行されそうになった。それを引き留めたのはルクスだ。
「アカデミア内でかろうじて面識があるのは、先生がたや同じクラスの生徒達だろうが……彼らに紹介を頼んだところで会うのは難しいだろう。何かと理由をつけて、まともに教室にも行かないんだから」
確かに、どうせ後でマイアが洗脳を解くのだから、目の届く場所に固まってもらえるに越したことはないが……何故か教師はおろか騎士すら文句ひとつ言わずに従い、それどころかその場に跪いた。
「非常に言いづらいことだが」
なりゆきを見守るしかできない学生達は、徐々に顔を青ざめさせていく。
自分達の視線の先にいる少年が一体何者なのか、無意識のうちに察してしまっていたからだ。
「──ルクシアド・フォン・ロザルディアは、この僕だ」




