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六、亜仁衣の春

藤井とのデートという名のただのこき使いに振り回され続ける亜仁衣は、毎日睡眠不足で限界の日々。

そんな亜仁衣に訪れた春とは――?


 かくして、亜仁衣の中では、偽藤井は偽藤井ではなく、ただの藤井に昇格した。昇格はしたけれども呼び付けだ。決して、あの素敵な藤井貴伊守――という意味ではない。

 あの日以来、藤井は、堂々と亜仁衣の家に住み着くことになった。1LDKの間取りに三人。うちふたりが大男なものだから、家の中はとても手狭に感じられた。

 一方、実生活のほうはというと、これまでどおり亜仁衣は仕事を、キースは家で家事を、そして週末にはデート、とこれまでと何も変わらない。唯一違うのは、それらに、もうひとりの人間――藤井――が、ちくいち絡んでくることだった。

 おかげで、亜仁衣は、かなり調子が狂ってきてしまった。三人で出歩けば、亜仁衣は芸能人型アンドロイドを二体も連れている相当のツワモノとして、更に笑いものになった。中傷や嘲笑のたぐいは、これまで以上だ。

 そんなとき、藤井は足を引きずりながら「おまえ、また笑われてんな」とニヤニヤしてきた。その度に亜仁衣は思った。それは、あんたが付いてくるせい。そして、あんたも笑われてるんだ、と。

 しかし、亜仁衣が調子を崩している理由は、それだけではなかった。それは、藤井の昼夜を問わないワガママだ。

 それは例えば、藤井が買い物に行きたくなったときのことだ。藤井が、アンドロイドとして人々に扱ってもらうには、亜仁衣の同行が必須だ。通常、アンドロイドが所有者抜きで外を出歩くことはない。だから、キースと藤井のふたりだけでは、とても不自然なのだ。そんなわけで、藤井は買い物に行きたくなれば、それがたとえ夜中であっても、寝ている亜仁衣をたたき起こすしかない。

 例えば、ある夜を回想するとこんな感じだ。


 ――――


「早く起きろ! 買物に行くぞ」

 藤井の声だ。亜仁衣はその声に目を覚ました。そして、寝ぼけ眼まなこで言った。

「今、何時?」

「三時だ」

 亜仁衣の視線の先には、天井に貼られた藤井貴伊守のポスターがあった。ポスターの中の藤井貴伊守は亜仁衣に向かって微笑んでいる。それを遮るように、藤井の顔が覗き込んで来た。亜仁衣はようやく気がついた。

「何、勝手に人の部屋に入ってきてんの……!」

 場所は亜仁衣の部屋だ。藤井はベッドに寝る亜仁衣の顔を見下ろしている。亜仁衣は再び目をつむると、

「やだ。明日、会社だから」とそっぽを向いた。すると藤井は、

「さもないとキスをするぞ!」

と亜仁衣に顔を近づけてきた。亜仁衣は、パッと目を開けると、勢い良く起き上がり藤井から離れた。亜仁衣は、言いたいことが言葉にならない様子で口をかくかくさせると、顔を真っ赤にした。それを見た藤井は「さすがは、ネンネ」と笑った。

「な、何するの犯罪……! 犯罪でしょ!」

「いや~。男連れ込んでる奴が何言ってるかな~。ハハハハ」

「連れ込んでるって……! 可哀想な怪我人をかくまってあげてるだけでしょ。キース、助けて~!」

 亜仁衣は、リビングに向かって声を上げた。しかし、リビングからは物音がしない。睡眠中のアンドロイドは、機械がスイッチをOFFにしているのと同じ状態だ。だから、残念ながら、睡眠中のキースには声が届いていない。藤井は、したり顔で言った。

「早く、買い物!」



 観念した亜仁衣は、藤井の買い物に付き合うことにした。この時代の店は、そのほとんどが24時間営業だ。人間と違って労働型ロボットならば、24時間稼動が可能だからだ。いつもは便利な24時間営業。けれど、亜仁衣はこのときばかりは忌まわしく思った。

 日中、家でのんびりしている藤井は、まだ足が悪いというのに元気一杯だ。一方、亜仁衣は、仕事のあとに待っているこの夜中のお出かけのせいで疲労困憊していた。

 藤井が洋服店で物色しているあいだ、亜仁衣は近くのベンチでこっくりとしていた。

 しばらくして、藤井は足を引きずりながら、亜仁衣の座るベンチまでやってきた。まだ未会計の服を試着をしたままで。

「どうだ!」

 亜仁衣は、その声にハッとして目が覚めた。そして、目の前にいる藤井が、さっきまでとは別の服を着ているのに気がついた。亜仁衣は朦もう朧ろうとした意識で、

「うん。いいと思う。いいと思う……」

と藤井を適当にあしらうと、また夢と現実の狭間に落ちていった。確かに、藤井の着ていた服は、キースのそれよりもスタイリッシュだった……ような気がする。でも、亜仁衣は、そんなことも、はっきりとは考えられないくらいに強烈な眠気に襲われていた。

 また、亜仁衣が完全に夢の中に落ちたところで、店内から店員ロボットがやってきた。そして藤井の横につくと、

「未会計の商品です。二十秒後に警備に通報します」

 

 ビービービービー!


 けたたましい警報音が店員ロボットから鳴り響いた。

「そう慌てるな。もう少し待てよ」

 そう言って、藤井は店員ロボットの頭をポンポンッと叩いた。

 警報音でさすがに亜仁衣は目が覚めた。すると、今度は周囲に集まったまばらな人達が、笑っているのが目に入った。彼らは、亜仁衣と藤井を見て笑っている。また、いつもの嘲笑だろう。

 しかし、眠気が酷い亜仁衣は、その嘲笑でさえ夢なのか現実なのか、わからなくなってきた。


 ――――


と、こんな感じのわがままだ。

 こんな日々が続くもんだから、早く藤井の足が治って家から出て行ってくれないかと、亜仁衣は頭をかかえた。そうしないと、自分のほうが病気になってしまいそうだったからだ。



 さて、こんな寝不足状態で迎えた翌朝も、亜仁衣は会社に行かなければならなかった。一番危険なのは昼休みだ。お弁当派社員達の集まる庭園型空中回廊は、お昼時になるとガラス越しに太陽光が射し込みポカポカと心地よい。おかげで、お弁当を食べていると、思わず寝落ちしてしまいそうになる。

 今日は、その危険性がいつもより増していた。それは、お弁当仲間である馬宮臨曄と高串把稚(パティ)が、そろって旅行休暇中だったからだ。旅行には亜仁衣もついて行く予定だった。けれど、藤井のおかげで恐ろしく体調の悪かった亜仁衣は、ふたりに迷惑をかけまいとその予定をキャンセルしたのだ。

 おかげで、今日は亜仁衣ひとりだけでお弁当タイムだ。いつもは三人で陣取っているベンチに、今日は亜仁衣がひとりで座っていた。

 地上100階の庭園型空中回廊は、庭園と言うだけあって各種造形の植木が色鮮やかに配置されている。芸術AIによってデザインされたその庭園模様は、まるで天国のように美しい。その天国のような様相が太陽光と相まって、亜仁衣の眠気を誘うのだ。亜仁衣はお弁当の途中で、すでにこっくりしていた。

 それが仇となった。亜仁衣は、藤井から奪い取った箱根神社のお守りを、スカートのベルト通しにくくりつけていた。ご利益を期待してのことだ。それが、眠気で意識を失ったとき、地面にほどけ落ちてしまったのだ。

 困ったことに、この庭園は『自動吸空機能』で制御されている。『自動吸空機能』とは、常時、空気を吸い込むことで、枯葉や落ちた実などの小さなゴミを吸空口から収集するシステムだ。

 そして、この時代のお守りはとっても軽い。おかげで、お守りは少しずつその吸空口に向かって動き出した。その道筋には、小川をモチーフとした小さな水路がある。長い間、亜仁衣は寝落ちしていたから、お守りのピンチに気がつかない。

 とうとうお守りは、水路手前まで来た。そして、もう少しで水路に落ちるとなった瞬間、間一髪、お守りは男の手によって拾われた。

 お守りを救った男は、おもむろに亜仁衣のもとへと向かった。

「すみません……」

 寝ている亜仁衣は気がつかない。男は、もう少し声を張った。

「お休みのところ、すみませ~ん!」

 亜仁衣はハッとして目が覚めた。「は……、はい!」と声を裏返すと姿勢を正した。

 目の前には、背が高く少しがたいの良い男が中腰で立っていた。年齢は、亜仁衣より少し上だろう。顔を見上げると、黒縁眼鏡の向こう、なんとも優しそうな細い目が覗いている。

 男の手には、箱根神社のお守りが乗せられていた。亜仁衣は、腰のベルト通しにお守りが無いのを確認すると目を見開いて、

「すみません……!」

とそれを受け取った。すると、男はなぜか嬉しそうに、

「そのお守り……。もしかして最近買った物ですか?」

と言って目を輝かせた。亜仁衣は不思議そうな顔をして、

「そうですけど……。なんでわかるんですか?」

「最近、箱根神社は、お守りのデザインをリニューアルしたって聞いたんで」

「詳しいんですね」

 それを聞いて、男はまたもや嬉しそうな顔をした。

「詳しいも何も……! 僕は、神社が大好きなんですよ」

 神社は亜仁衣も結構好きだ。だから男に同調した。

「神社……。いいですよね。私も好きです」

 すると男の目は、またもやキラキラと輝きだした。亜仁衣の発言は、男の神社愛を刺激したようだ。

「本当ですか! いや~、同じ神社好きの人に会えてうれしいです! 僕の神社好きはちょっと異常かもしれないけど……。毎日一人で神社バーに行ってるくらいなんですよ。あ、神社バーって知らないですよね。日替わりで店内がいろんな神社の見た目に変わるんです! それがランダムなんもんだから、今日は、どこの神社だろうかとか考えるだけで楽しくって、毎日、夜が楽しみで仕方なくって……」

 そこまで言って、男はようやく気がついた。怒涛の神社トークのおかげで、亜仁衣がポカンとしていることに。

「あ、ごめんなさい! こんな話興味ないですよね」

 亜仁衣は、勢い良く首を横に振った。ポカンとしたのは、話の内容ではなく、突然、男がまくしたてたからだ。

「そ、そんなことないです! 神社バーですか……。面白そう」

 男の目は、また輝いた。

「マジですか! じゃあ良かったら、今夜一緒に行きません?」

「えぇ⁉」

 亜仁衣は返答につまった。初対面の男の人に、こんなに話しかけられるのでさえ初めてだというのに、その上、突然誘われたのだ。

 亜仁衣が、少しうつむき加減でいると、男はハッとした顔をして慌てだした。

「ああ、ごめんなさい! 変なつもりはなくて……。ただ、僕の神社トークに興味を持ってくれた人が始めてだったから、嬉しくなっちゃって。僕は、その……、本当に神社が好きで。初対面の女性を誘ったことなんかないし、決して変な意味じゃないんですよ!」

と言ってから、またハッとして、

「あ! 変な意味じゃないって、あなたが女性として魅力がないとかそういう意味じゃなくて……むしろ、素朴で可愛らしいっていうか……。って僕は何を言ってるんだ! そうじゃなくて、言いたいのは、僕はいかがわしい男ではなくて、むしろ真面目というか……」

 男は、そこまで言うと頭を掻いて、

「僕は、ただの神社好きな神社オタクなんです!」

と言って背筋をピンと伸ばした。

 亜仁衣は目が点になった。でも、次の瞬間、思わず吹き出してしまった。亜仁衣は、「ご、ごめんなさい」と言って一旦笑うのをやめた。けれど、また吹き出すと、今度はこらえるように笑い続けた。男の言動があまりにも真面目すぎて、ツボに入ってしまったからだ。

 男は、笑う亜仁衣を心配そうな顔つきで見た。だから、亜仁衣は、もう一度「ごめんなさい」と謝ると「その神社バー、行ってみたいです」と笑顔で返答した。



 約束どおり、その夜、お守りを救出してくれた男と亜仁衣は、ふたりで神社バーに行くことになった。

 男の名前は今関叙鞍(ジョアン)叙鞍(ジヨアン)。年齢は24歳と亜仁衣の三つ上だ。叙鞍は、同じビルの32階にあるゲーム会社『kindling(キンドリング)』の企画部門に所属している。

 彼が、最近担当している開発ゲームは、5Dパズルゲームだという。けれど、いくら説明を聞いても、あまりゲームをやらない亜仁衣にとって、それが一体どんなゲームなのかイメージすることができなかった。

 唯一、分かったことは、叙鞍はゲームを作ることも遊ぶことも大好きだということだ。

 正直、初対面の男の人と何を話して良いかわからない亜仁衣にとって、叙鞍のように聞いてもいないことをベラベラとしゃべってくれる男の人は、とても居心地が良かった。加えて、叙鞍は信用できそうな好青年だったから、亜仁衣は安心して一緒に時を過ごすことができた。

 話によると、叙鞍は数週間前、亜仁衣の存在に初めて気がついたようだ。お互い三年近く、空中庭園でお弁当を食べていたというのに。その頃から、叙鞍は、亜仁衣のことを時折見ていたらしい。だから、お守りが落ちたときも、すぐに救出することができたのだ。

 さて、今夜の神社バーの内装は、SHIMANE(シマネ)の玉たま作つく湯りゆ神社のものだ。神社バーのマスターであるロボットによると、奇襲型カメラマンの使う『migirei(ミギレイ)』と同じ機能を使って、バーの内装は演出されているという。

 亜仁衣と叙鞍は、拝殿映像の前に立つとお賽銭をして二礼二拍手。そして、願いごとをすると深々と一礼した。横で見ていたバーのマスターロボットは、すかさず拝殿の横につくと、

「はい、どうぞ」と玉たま作つく湯りゆ神社のお守りをふたりに手渡した。このマスターロボットの話によると、拝殿映像に参拝した人には、必ずその日の内装である神社のお守りをプレゼントしているという。

 元のカウンター席に戻ると、叙鞍はもらったお守りをいぶかしげに見つめた。

「ここでもらってご利益あるのかなあ……って、誘ったぼくが言うのもなんなんですけどね」

 亜仁衣は、その言葉をうけてふふっと笑った。すると、叙鞍は思いついたように、

「そうだ! 今度は本物に行きましょう!」

と屈託なく言った。

 亜仁衣は、またもや返答に困ってしまった。玉たま作つく湯りゆ神社のある島根Pref.は、日帰りで出掛けるにはちょっとキツい。本当に行くのならば宿泊するしかないからだ。それに気がついたのか、叙鞍はお得意の慌てざまを見せた。

「あ! 考えてみれば、遠すぎて日帰りじゃ無理ですよね。でも旅行に行こうとかそういう意味じゃなくて……。ああ、またまずっちゃったなぁ。いきなり旅行に誘うなんて、僕はそんな変な男じゃないですから!」

 叙鞍は、そう言ってからまた背筋をピンと伸ばした。

 亜仁衣は思わず、ふふっと笑ってしまった。そして笑顔で、

「いつか、本物にいけたらいいですね」

 その返答に安心したのか、叙鞍のほうも嬉しそうな笑顔を見せた。



 そのあと、亜仁衣と叙鞍は神社バーで数時間も話すとお別れをした。帰り道、亜仁衣はひとりになるとさっきまでのことを考えた。

 叙鞍は、なんでこんなにも神社が好きになったんだろうだとか、どんなゲームを作っているんだろうだとか、いろいろと。

 そう思い耽っていると、亜仁衣は重大なことに気がついた。それは、自分が人生で初めて人間の男の人とデートをしたことだ。

 でも、何かがおかしい。思ったよりも感動が薄いのだ。亜仁衣は、しばらくその理由がわからずに考えあぐねた。けれど、50メートルも歩き進んだところで気がついてしまった。人間との初デートの相手は、叙鞍ではなく藤井だったということに――!

 そのデート内容はというと、藤井に無理矢理連れて行かれた謎のウィンドウショッピングだ。藤井の目的は、確か新しく発売された海外製の変なお菓子やオモチャを見たいとか、そんなくだらないものだった気がする。よく覚えていない。

 亜仁衣は、またもや藤井に〝初めて泥棒〟されたのだ。おかげで、なんだかムカムカしてきた。

 思い返してみれば、亜仁衣は、藤井に初めて連れ回されたその日、妙にウキウキしていた。そのときは、それが何のウキウキだったのか良くわからなかった。けれど、それはどうやら人間との初デート体験だったからのようだ。

(藤井! またもや〝初めて泥棒〟……! 私のいろいろな初めてを返せ!)

 でもまあ、藤井のお守りのおかげで今日は楽しい時間が過ごせたのだし、それでもいいか。亜仁衣はそう思って、すぐに機嫌を取り戻した。

 そして、もっと大切なことに気がついた。それは、もし、叙鞍がキースのことを知ったらどう思うかだ。でも、叙鞍とは知り合いになっただけ。だから、そんなことを考える必要なんてない。亜仁衣は頭を横に振って、考えすぎを止めることにした。



「おい、遅いじゃないか!」

 家に帰ると、藤井はひとりで憤慨していた。藤井の頭はボサボサ、パジャマのままだ。ソファに寝そべってゴロゴロしている。

「なんで今日は遅いんだ。俺は行きたい場所があったっていうのに」

とふてくされる藤井に亜仁衣は、

「別に、たまにはそんな日があってもいいじゃん」

と楽しそうに言った。藤井は怪訝な顔をした。

「なんか機嫌がいいな。おまえだけずるいぞ」

 いつもなら、トンデモ発言だと怒るところだ。けれど、今日の亜仁衣は怒らなかった。それどころか余裕の顔で、

「神社のお守りもらってきてくれて、ありがとう」

と言ったもんだから藤井は調子が狂った。

「なんだ、おまえ。やっぱり今日はおかしいな。何かいいことでもあったのか?」

 亜仁衣はギクリとした。藤井は、亜仁衣の表情の変化を逃すまいと顔を覗き込んだ。そっぽを向いても、またそっちから覗き込んでくるもんだから、亜仁衣はたまらなくなった。

「何よ、何もいいことなんかないわよ……! だって、こんなに大きな居候がいるんだから。あー、大変大変」

「何を言ってる。俺は、この見た目で家賃と生活費はきちんと払っている。釣りは要らないぞ」

「はいはーいっ!」

 亜仁衣は呆れた様子で、でも笑顔で藤井をあしらうと自室に入っていった。それを見た藤井は、またぞろ怪訝な顔をして首を傾げた。



 翌日。総合オフィスビルの68階にある道草コーポレーションには、亜仁衣の同期ふたりが帰って来ていた。道草コーポレーションは、全国展開するカフェ『michikusa(ミチクサ)』を運営管理する会社の東京支部だ。

 亜仁衣とその同期である臨曄と把稚(パティ)は、カフェ『michikusa(ミチクサ)』で働く業務用ロボットを運営管理する部門に所属している。その仕事内容は、主にクレームのあった接客ロボットを監視して、その問題点を総合解決AIに報告することだ。

 道草コーポレーションには、この三人を含めて二十名程の従業員がいる。その社員達が黙々と仕事をする中、珍しい来客が現われた。

「はじめまして! 32階のゲーム会社『kindling(キンドリング)』です!」

 来訪客は、なんと昨夜神社バーに一緒に行った今関叙鞍だ。亜仁衣は口を大きく開けて、「あ!」と声なく言ったから、叙鞍は小さく手を振って返した。そして、オフィス全体を見回すと、

「今回、新感覚5Dパズルゲームの試供品が完成しました。宜しかったら遊んであげてください!」

と宣言した。そして、叙鞍はすぐそばにいた社員に試供品を手渡すと「お仕事中に失礼しました!」と言って、すぐに去っていった。

 一瞬のことだったから、誰もがポカンとしていた。でも、臨曄と把パ稚ティは見逃さなかった。叙鞍と亜仁衣のやり取りを。

 臨曄は亜仁衣のデスクに、自分の座る電動椅子をススッとすべらすと小声でささやいた。

「今の人、何よ!」

 把パ稚ティも寄ってきて、「私も見た! 手振ってきたでしょ」

 亜仁衣は苦笑いした。

「さっき、自分でも言ってたけど、32階のゲーム会社の人」

「どういう関係なのよ」と臨曄。

 臨曄と把稚(パティ)は、問い詰めるように亜仁衣に顔を近づけた。亜仁衣は苦笑いのまま、

「昨日、一緒にバーに行っただけ」

と言ったから、ふたりは、

「「ええ!」」

と大きな声を上げた。おかげで皆にジロリと見られたから、三人は身をかがめて小声で続けた。

「なんで……! 私達がいない間に!」と把パ稚ティが言うと、

「私達がいない間に、亜仁衣が勝手に男作ってる……。これは、信じられない事件よ! もしかして亜仁衣、突然変異でも起きた!?」

と臨曄が大げさな表現をした。でも、これまでの亜仁衣を考えたら、そんな表現をされてもおかしくはない。把パ稚ティは「そういえば……」と言うと、亜仁衣の顔を覗き込んだ。

「亜仁衣、最近明るくなった気がする。おかげで、なんだか可愛く見える! 何かあったの?」

 把稚(パティ)の指摘に亜仁衣はドキリとした。藤井の存在を思い出したからだ。でも、亜仁衣は思わず「何もないって」と素早く答えた。

 把パ稚ティはすかさず、

「嘘だー。そんなに人って急に変わるもの⁉ 何かあったんでしょ」

と亜仁衣の顔をまじまじと見たから、

「本当に、何もないって……と思う!」

と亜仁衣は慌てて否定した。その様子を見て、同期ふたりは首を傾げて怪しんだ。

 もしかして、藤井に性格を無理矢理ねじ曲げられているんじゃ……。亜仁衣はそう思った。そういえば、叙鞍も数週間前に亜仁衣の存在に気がついたと言っていた。丁度、藤井が家に住みつきだした頃のことだ。

 藤井が私を変えた――?

 そう一瞬考えてから、連日の藤井の仕打ちを思い出した。そして、あれが一体どうして私を良い方向に変えるんだか……と思って、やっぱり考え直した。でも、どうやら藤井が家に来てから自分が変わったことは確からしい。そう考えるとお守りの件もしかり、藤井はやっぱり恋のキューピットなのかもしれない。

 その日、亜仁衣が家に帰ると、恋のキューピットはソファの上でおなかを出したまま、気持ち良さそうにいびきをかいていた。



 それからというもの、亜仁衣はめまぐるしい日々を送ることになった。

 藤井による真夜中の奴隷デート。

 叙鞍との本物のデート。

 週末のキースとのデート――残念ながら、これには、藤井もついてくるけど――。

 そして、会社。

 本来ならば、うれしい悲鳴と言いたいところだ。けれど、残念ながら亜仁衣は一人。体力はもう限界を迎えつつあった。藤井による深夜の奴隷デートが、特に大きな打撃となっている。

 そんな状態だというのに、亜仁衣はあることを心配しなければならなかった。それは、いつキースに叙鞍とのことを切り出すかだ。亜仁衣は、ずっと打ち明けられないでいた。何度も言おうとした。けれど、どうしても言い出すことができなかったのだ。

 そう思い悩んだところで、亜仁衣はある疑問にぶちあたった。それは、キースが自分のことをどう思っているかだ。

 もし、万が一、好意なんて持たれていたら――。叙鞍のことなんか話せない。そんな状況で話したら、一体どうなっちゃうんだろうか。それを想像するだけで、亜仁衣は気が気でなかった。

 亜仁衣とキース。ふたりは、友達以上恋人未満の微妙な関係だ。それは、やっぱりアンドロイドに備わった所有者への絶対服従機能のせいで、ふたりの間にはいつも遠慮が生じているからだ。

 キースだって私達はそういう関係だと思っているはず。亜仁衣はそう思い込んでいた。けれど、本人に聞いたことがないから実際のところはわからない。でも、そんなことを聞こうもんなら、一緒に暮らしているっていうのに物凄く気まずい。

 だから妥協案として、亜仁衣はキースの気持ちを試してみることに決めたのだ。



 キースの気持ちを試す――。それは、例えば藤井との奴隷デートの帰りのことだ。亜仁衣は、家に入る瞬間わざと藤井と腕を組んでみせた。藤井は「何すんだよ!」と振り払おうとした。けれど、亜仁衣は「いいから、合わせて!」と小声で返してその腕を離そうとはしなかった。

 それを見たキースは、結果、なぜかとても嬉しそうな笑顔を見せた。三年間、一緒に暮らしているからわかる。その笑顔は作りものじゃなかった。亜仁衣は小さなショックを受けた。少しは嫉妬してくれるかも……と期待していたからだ。

 それから、またある日は、いつもの奴隷デートで藤井とのペアマグカップを買ってみせた。藤井はそれを使おうとはしなかったけれど。それに対してのキースの反応も、なぜかとても嬉しそうだ。おかげで、亜仁衣は完全に自信を失ってしまった。



 その夜、亜仁衣は自室でひとり考えた。

 キースは、一体、何がうれしいんだろう。私と藤井が仲良くしているとうれしい。っていうことは、実は私のことが厄介だってということ⁉

 考えてみれば、藤井との奴隷デートとは反対に、キースとのデートはいつも私都合だ。たとえ行き先をふたりで決めても、アンドロイドは所有者に絶対服従だから、結局は全部が私都合になってしまう。もしかして、キースはそれが嫌だったのかもしれない。私が藤井に腹が立つのと同じように……。

 おかげで、キースは私のことをあまり好きじゃないのかも。それで、私が藤井と仲良くしてくれれば厄介払いできると思って、あんなに嬉しそうな顔をしてた――?

 亜仁衣の頭の中には、最終的にそんな悲しい考えが渦巻いてしまった。それは、ただの想像だというのに結構なショックだった。

 ベッドに寝ころがると天井に貼られた藤井貴伊守のポスターが目に入った。この時代のポスターは日替わりで写真が入れ替わる。今日の藤井貴伊守は、切なく哀愁に帯びた目つきをしていた。それを見て亜仁衣がため息をつくと、「出掛けたい!」と、ちょうど藤井が部屋に入ってきた。思わず亜仁衣が、

「私って、キースに嫌われてるのかな……」

と口走ると、藤井は、

「なんの話だ。早く出かけるぞ!」

といつもの調子で答えた。



 今日の藤井の奴隷デートは、健康器具の売り場めぐりだ。なんでも、藤井は昼間の主婦層向けの情報番組を見て、新しいマシンに興味を持ったようだ。まだ、足をひきずっているというのに、気持ちだけはいつも元気だ。

「ハァハァ……。すげえ! これマジだ」

 藤井は、お試しで置かれた目星の健康器具を少し使うと、床にぶっ倒れた。

「これって、1回で100回分の筋トレ効果が出るんだってよ。やべえ10回も使っちまった。おまえもやってみろ!」

 亜仁衣は、奴隷デートのおかげでいつも疲れきってヘトヘトだ。そんなものを使ったら、絶対、床に倒れるだけでは済まない。だから、呆れたように無言で首を横に振った。藤井は、床から亜仁衣を見上げて、

「つまらない奴だなぁ。人生なんでも経験だぞ。おまえは、今、結構なチャンスを逃している。あぁ、おまえの人生勿体無い」

 亜仁衣は、もう一度無言で首を横に振った。

 勿体なくて結構だ――。いろんな初めてを泥棒されるよりは、と亜仁衣は思った。大体、亜仁衣は、運動と名のつくものにはまったく興味がない。

 そのとき、亜仁衣は、思わず叙鞍とのデートを思い出した。叙鞍とは、神社バーのあといろいろな場所へ遊びに行った。空中映画館、動物園、各種本物の神社、それから、叙鞍にとってはおはこのゲーム博物館へと。

 そのデート先を決めるとき、叙鞍は必ず亜仁衣の気持ちを尊重してくれた。それから、なんだかんだ言って亜仁衣を褒めてくれる。とにかく優しい。下手したらキースみたいな人だ。

 それに比べてこの藤井は傍若無人。亜仁衣をコケにしてくるは、いつでも自分都合だ。

 そんなふうにして、藤井とのコントラストが激しいものだから、叙鞍がとってもいい人に見えてしまう。言い換えれば、藤井は叙鞍を何割増しかでいい人に見せている。

 そう考えると、お守りの件もそう、叙鞍をいい人に見せているのもそう。それから、自分の性格を変えたことだって。

 なんだかんだ言って、藤井は、やっぱり恋のキューピットなのかもしれない。ある意味、その傍若無人さに感謝しないと。

 亜仁衣はそう思った。


 テロテロ~ン テロテロ~ン


 そのとき、亜仁衣の超小型デバイスに電話の着信があった。叙鞍からだ。亜仁衣は、慌てて電話に出た。

「もしもし――」

『亜仁衣……? 夜遅くにごめん』

「ううん、まだ起きてたから大丈夫。それより、どうしたんですか?」

『うん……。実はね』

 それから、叙鞍は少し躊躇しながらも、おもむろに話を切り出した。それを聞いた亜仁衣は、次第にはにかんだような顔すると頬を赤くした。話は意外なものだった。それは、亜仁衣への交際申し込みだったからだ。

 叙鞍は面と向かって言う勇気がなかなか出なかったから、電話にしたんだと言う。そして、返事はいつでも構わないからと言うと、手短に電話を切った。

 電話は一瞬の出来事だった。だから、亜仁衣の気持ちはまだ追いついていない。放心していると、その変化に気がついてか床の藤井がジロッと見てきた。亜仁衣は慌てて背を向けた。



 こうして、亜仁衣は、人生で初めて交際を申し込まれた。幸い、この〝初めて〟は、藤井に泥棒されずに済んだようだ。一方、当の初めて泥棒である藤井は、やっと体力を取り戻すと、もうひとつのお目当てだったマシーン『ZERO%(ゼロパーセント)』に興じ始めた。様子のおかしな亜仁衣に、時折、首をかしげながらも。


藤井は恋のキューピットだった?

叙鞍じょあん君と亜仁衣は一体どうなってしまうのでしょうか。

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