8夏休み明け~転校生③~
「皆さんは、ご存じないかと思いますが、ああでも、テレビで話題にもなっているんですよ。私、漫画とかあまり読まないんですけど、幼馴染に勧められて、今話題の漫画だから読んで損はないって。それで読んだら、号泣物で」
『うわああ』
先ほどから、山下さん以外の人間が、可哀想なものを見る目で山下さんを見つめている。しかも、私たちの心は見事にシンクロしていると思う。口に出された声たちがきれいにハモっていた。
「ええと、あらすじですが、鬼がいる世界で、ある日、主人公の妹が鬼に殺されそうになって、運よく生き延びたんだけど、鬼にかまれた影響で妹が鬼になりかけてしまったの。それで、主人公はなんとか、妹を人間に戻そうと奔走して……。そこで出てくるのが、主人公が持っていた盾で、その盾で鬼を倒す部隊から、彼女を守りつつ……」
私たちの心境に気付かず、丁寧にあらすじを説明しだした山下さん。その説明に、その場はさらに白けた雰囲気になっていく。
「にわかだ」
「まさか、その作品の名前が私たちの前に現れるなんて」
「……。ノーコメント」
「私も知っていますよ。コスプレしている人も多いですし」
「あ、あの、芳子さんたちは、この作品を好きではないのでしょうか?」
質問したのは私だが、彼女たちも山下さんの回答に興味津々だったはずだった。それなのに、回答を聞いた瞬間から、いきなりテンションが下がっている。そんな彼女たちの様子にようやく気付いた山下さんは、慌てて他の作品を上げ始めた。
「ほ、他にもありますよ。ほら、あの海賊の話とか、忍者の話とか、それから死神のノートの話とか。他には……」
「山下さんって、少年漫画が好きなんだね」
「そうか。そう言うことか」
「なるほどなるほど」
「わ、私も少年マンガ好きですよ」
「陽咲たち。いい加減にしなよ。山下さんが戸惑っているのがわからないの?何をどう答えたらいいかわからなくて、涙目になってる」
山下さんが次々と作品を上げていくが、どれも彼女たちの心には響かないらしく、どんどん部屋の空気は冷えていく。見かねた私が注意すると、今度は私に一斉砲撃される。
「だってさあ、それらって、全部、超がつくほどメジャーなのばっかりでしょ。メジャー過ぎて、どうにもならないわ」
「メジャーだからこそ、面白いと思うけど……」
芳子の言葉に答えようとすると、今度はこなでが畳みかける。
「じゃあ聞くけど、きさきっちは、山下さんの挙げた作品で好きなのあるの?」
「ないよねえ。私、喜咲の好きな漫画やアニメ、ラノベの傾向、知り尽くしてるもん!」
「ちょっと、勝手に答えないでよ、陽咲!」
私たちが口論している間に、芳子が山下さんに優しく話しかける。
「あのね、山下さん、私たちは確かにオタクの集まりだけど、それぞれ自分の信念をもってオタクしているの。それで、申し訳ないんだけど、あなたが今あげた作品は、正直、このメンバーで好きな人はいないのよ」
「そうですか……。で、でもそれなら、芳子さんたちは何が好きなんですか?」
自分の好きな作品に興味がないと宣告されてしまった可哀想な山下さんだったが、彼女は健気にも、私たちが、どんな作品が好きなのかを尋ねた。しかし、それは愚問であり、聞いてはいけない質問だった。
『よくぞ聞いてくれた!』
その質問を待ってましたとばかりに、元気よく返事をする彼女たち。まったく、現金なものである。
「そうねえ、あなたにわかるかしら」
「お子様にはまだ早いかも」
「どうしよっかなあ」
「私の好きな作品を聞いてもたぶん、わからないと思います」
「トントン」
タイミングいいのか悪いのか、私の部屋がノックされた。ノックするのは一人しかいないので、母親だろう。
「どうぞー」
陽咲が軽く答えると、すぐにガチャリと母親が入ってきた。
「盛り上がっているわねえ。お腹がすいたかなと思って、お菓子を持ってきたんだけど」
「アリガと。そこにおいてくれればいいよ」
母親は手に、たくさんのお菓子を乗せたお盆を持っていた。先ほどはお茶だったので、お菓子をとでも思ったのだろう。ミニテーブルを出していたので、置いてくれと指さすと、お盆をテーブルに置いてくれた。そのまま去っていくかと思えば、いったい何が気になるのか、母親は山下さんに質問する。
「山下さん、だっけ?」
「は、はい!」
「あなたは、なんの漫画が好きなの?好きなアニメは?声優さんは?」
先ほどはあっさりと私の部屋から立ち去ったのに、今度はぐいぐいと山下さんに迫っていく母親。ゲームに切りが付いたのだろうか。
「いや、初対面の娘の友達に向かってその質問は」
「『鬼の盾』です!」
私の母親の制止の言葉を最後まで聞かずに、山下さんは大声で宣言する。まさかの友達の母親からの質問に、果敢にも、私たちに興味なしと太鼓判を押された作品名を挙げていた。
「まあ、そうなの!私も好きよ。特にオープニングがいいわよねえ。RIKAさんの曲、私好きなの!」
「えっと、私もオープニングは好きですけど、特に主人公のやさしさにひかれ」
「どうかしら?私、彼女のCD持っているの。貸してあげましょうか。あのアニメが好きなら、主人公の声はどうかしら?私、彼の声も魅力的でファンなのよ。彼の声でお薦めなのが……」
やっと、自分の好きな作品のことを語れると思った山下さんだったが、私の母親をなめてはいけない。母親も、いや、私の家族全員が、巷で超人気の『鬼の盾』に興味がなかった。ただ、アニメの絵はきれいだったし、オープニングについては、賞賛している。声優についても、有名な声優さんばかりを使っていて、声もいいと絶賛だったが。
「CD?声優?いえ、私は別に」
「そう。だったら、このアニメ会社が製作している刀のアニメなんかどう?いや、ゲームなんかはやるかしら?」
「お母さん、これ以上はやめてあげなよ。山下さん、泣きそうになってるよ」
「あらあら、どうしたの?」
「わ。わた、わたし……」
『私?』
「家にかえりますうううううううう」
山下さんは、とうとう私たちに耐えきれなくなり、荷物を持って、私の部屋から出て、そのまま階段を下りて、玄関から出て行ってしまった。
「あーあ。お母さんのせいで、山下さん、帰っちゃったよ」
「私のせいなの?残念ねえ」
心底、自分が悪いとは思っていないようで、母親は首をかしげながら、仕方ないわね。三人はゆっくりしていってねと告げて、私の部屋から去っていく。
「……」
いきなりの展開に一同は黙り込む。しばらく沈黙が続いていたが、最初に口を開いたのは、陽咲だった。
「ダメだったね。山下さん」
「やっぱり、最初から攻めすぎたか」
「いい人材になりそうだったのに。仕方ないけど、今後は彼女のリア充の様子を遠くから観察して、批判するとしよう」
芳子とこなでが、まったく残念ではなさそうな表情で、彼女が去ったことを嘆いている。
「それにしても、まさか本当にメジャー作品ばかりを上げてくるとは思いませんでした」
「そうよね。それが問題なのよ。世の中にどれだけたくさんの作品が溢れていると思っているのかしら。その中で、あえてなのか知らないけど、あの挙げ方はダメよ」
「もう、その話は終わりにした方がいいと思うよ。ほら、最初のお題忘れたの?『転校生』の理想と現実について話すんでしょ」
明らかにドツボにはまりそうな感じだったので、慌てて、当初の目的である転校生について語ろうと私が提案する。
「なんか、山下さんのせいで、気分が下がっちゃったから、『転校生』談議はまたの機会にしましょう。せっかく、好きな漫画やアニメの話題で盛り上がったんだから、その話題で盛り上がるのはどうかしら?」
「えええ、でも、それって、地雷だらけでしょ。だって、芳子はBL好きだし、こなでと陽咲は百合系だし、麗華は……」
私が忠告すると、確かにと頷かれた。
「じゃあさ、どうする?もう、今日は解散にする?」
陽咲の言葉に一同はううんとうなっていた。私としては、解散でも構わないのだが。
「仕方ない。今日はこの辺でお開きにしますか!」
珍しく、私の家に居座ることなく、芳子たちはそれぞれの家に帰っていった。
週明けの月曜日。いつものように学校に登校し、教室に入ると、教室の中心に人だかりができていた。
「おはよう、喜咲。見てよ。あの人だかり。中心にいるのは誰だと思う?」
「おはよう。いや、ここからだと見えないんだけど、いったい誰なの?」
芳子がすでに教室にいて、私に気付くと、挨拶早々、人だかりの中心人物が誰なのか聞いてきた。
「山下さんも『鬼の盾』好きなんだね。私も好きだよ!」
「主人公と妹の絆がとっても深くて感動だよね」
「本当に、号泣物だよ!」
何を話しているのか、人だかりに耳を澄ませてみれば、先日、私の家でも話題になった漫画の話で盛り上がっていた。ということは。
「誰かわかったみたいね。そう、彼女が中心にいる人物よ」
山下さんを取り囲むようにクラスメイトの女子数人がワイワイと楽しそうに会話していた。よく見ると、集まっているのは、リア充系の女子たちだった。
「ありゃ、私たちのグループとは相容れないわ。早めにわかって良かった」
芳子のつぶやきに私も同意した。
「なんの話―。おはよー。芳子にきさきっち」
『おはよう』
こなでが登校してきたので、目の前の人だかりについて説明すると、こなでも私たちと同じことを思ったのか、渋い顔になった。
「まったく、とんだ時間の無駄だったわけね」
転校生とは相容れないことがわかった。とはいえ、彼女と相容れなくても、学校生活は充分に楽しめる。今後も楽しいことが起こることを期待して、私は今日も学校生活を送ろうと思う。




