6夏休みと帰省➁~汐留悠乃の実家~(2)
家に帰る途中の車の中で、文句たらたらの雲英羽に悠乃が珍しく叱っていた。
「あのね、雲英羽さん。うちの母さんと楽しく話すのはいいけど、節度ってものをわきまえないと」
「どうして?たとえ好きな属性が違っても、大元はつながっているでしょう。だったら、その違いをも乗り越えた友として、楽しく話しても問題はないわ!」
「大ありだから。そもそも、うちの母親はただの純粋な相撲好きであって、BL好きの腐女子ではないからね。そこをはき違えてはダメだ」
「そうかなあ。まあ、実の息子が言うんだから、本当かもね。わかった、今後気を付ける」
悠乃の忠告は結局無駄となってしまった。雲英羽は興奮すると、我を忘れてしゃべり倒す性格だったようだ。問題が起きたのは、悠乃の実家近くに相撲の巡業が回ってきた後のお盆だった。
「悠乃!あなたはどうして、こんなあばずれと結婚したの?この女にこんな趣味があったのなら、先に言ってくれないと!」
「あのねえ、確かに雲英羽さんの趣味は、世間一般で言うと、ほめられた趣味ではないかもしれない。でも別に、それで世間に何か迷惑をかけているわけではないでしょ。それなのに、どうしてそこまで言うかな」
「悠乃はわかっていないのよ!もしかして、あなたもあのくそ女に騙されているの?ああ、今までの私が恐ろしい。どうして、あんなに楽しく話していたのか、そんな趣味を知っていたら、あんな風に話すこともなかった……」
それは、いつもの年のように悠乃の実家に帰ったときのことだ。雲英羽と悠乃の母親は、春に来た相撲の巡業の話で盛り上がっていた。そこまでは楽しそうで、何も問題がなかったと悠乃は思っていた。
しかし、実家から家に帰ってきた途端、母親からかかってきた電話の内容がこれだった。いったい、何をどう話したら、そこまで嫌われてしまうのだろうか。
「とりあえず、雲英羽さんのことを悪く言うのは許せない。きっと、雲英羽さんのことだから、何も考えないで無神経な発言をしたかもしれないから、オレから彼女に話してみるよ」
「そんなことはいいから、さっさと離婚して、実家に戻ってきなさい!よく考えたら、悠乃は長男で、私たちの家を継いでくれると言っていたはずでしょ。ちょうどいい機会だわ。私たちの家を継ぎなさい。奥さんはまた新たに探せばいいわ。子供のことは、そうねえ、子供に罪はないから、うちで引き取ればいい。あなたは、私の自慢の息子だから、きっとすぐにいい奥さんが見つかるわ。何なら、私が探してあげてもいいのよ。ああ、あの女のことを考えただけでも気味が悪い」
悠乃の母親は相当、雲英羽のことを嫌っている様子だった。悠乃は雲英羽が何を言ったのか気になったが、自分の母親より、雲英羽本人に話を聞いた方が良い。これ以上話を続けていても埒が明かないと思い、悠乃は早々に電話を切ることにした。
「とりあえず、オレは雲英羽さんと離婚するつもりはないから。それに、家を継ぐ気もない。それだけは譲れないから。母さんも、ちょっと頭を冷やしたら?それじゃ、明日も仕事があるから、切るね」
「ちょっと、話はまだ」
母親の声を無視して、悠乃はスマホの通話停止ボタンを押した。
「はあ」
「どうしたの?なんか、やばそうな話が聞こえてきたけど」
悠乃は、雲英羽に自分の母親との電話の内容を話すべきか悩んだ。とはいえ、いったい、実家で二人は何を話していたのか気になるところだ。さりげなく聞いてみることにした。
「ああ、声が大きくてうるさかったかな。ごめんね。少し興奮しちゃってさ。ところで、雲英羽さん、昨日、オレの実家に帰ったと思うけど、母さんと何をあんなに楽しそうに話していたの?」
「ああ、そのこと?悠乃君も聞いていたと思ったんだけど、ほら、その前の年に帰った時に、相撲の巡業がお義母さんの家の近くに来るって話をしていたでしょう?その話だよ」
「うん、それは知ってる。だけどさ、あんなに楽しそうだったのに、さっき、電話で母さん、ものすごい不機嫌だったんだよね。どうしてか心当たりある?」
さりげなく聞こうと思っていたが、つい直球で確認してしまった。雲英羽は少し考えるそぶりを見せたが、笑顔でこう答えた。
「ごめんね、悠乃君。私のせいで、お義母さんを怒らせたかも」
笑顔で謝る雲英羽に悠乃は頭を抱えるが、笑顔の雲英羽に反省の色は見えなかった。
「どうして怒らせたのか理由はわかるの?」
「理由ねえ、悠乃君もわかってるくせに。まあ、私の口から言ってもいいけど。実はさ……」
雲英羽の話は、悠乃の予想していた展開とほぼ同じだった。相撲の話で盛り上がっているかのように見えた前回のように、雲英羽と悠乃の母親では、話している内容がずれていた。それなのに、今回もなぜだか盛り上がってしまったらしい。
「前回、男の裸のぶつかり合いが素晴らしいって話をしていたでしょ。それで、お義母さんが生でしかも、すごい近い場所で本物を見ることができたって話をしてくれてさ。そこで私は思ったの。生かあって。よく考えたら、私って、実は二次元の男には興味があっても、三次元の男に興味はなかったなって思って。だから、生で見るって言葉に違和感が生まれてさ。ああ、もちろん、三次元にも、カッコイイ人はいるよ。2.5舞台の俳優さんとか、もろ好みだし。いや、それ以外だとないかな。ああ、あと悠乃君。だから、ついこう言っちゃったんだよね。『私は、生より、二次元で大っぴらに見る方が好きですよ。そもそも、こっそり隠れて彼らを見るのが好きなんです』って」
「それはまたすごい発言を……」
「そうしたら、お義母さんが不思議そうな顔をして、納得したようだったんだ。『こっそりプライベート時の顔を覗くのが好きなのね。なかなかあなたも変わっているわね。でもわかるわよ。土俵であんなにもりりしく男らしく戦っている彼らの素顔をこっそりのぞくのもありかもね』って」
悠乃はつい、話の途中で突っ込んでしまった。雲英羽の話を聞いていたが、他にもいろいろ突っ込みたいことはあるが、そこは我慢して最後まで聞いてからにしようと心に決めた。改めて雲英羽に話を続けるよう促す。
「この状況で、まだ話がかみ合っているような感じがするけど、そうじゃないんだよね?」
「そこまでは良かったんだよ。でも、だんだんと話の雲行きが怪しくなってきて。『雲英羽さんはどの力士が好きなの?私は日本人の力士が好きだけど、どうしても一人に絞れなくて、しいていうなら、あの小さい力士が好き。小さくても努力して頑張っている姿に好感を覚えるのよ』って話を振ってくるから、つい」
「つい?」
「『それは、箱推しですね。わかります。私も以前流行った六つ子のアニメなんか、関連グッズは箱買いですよ。誰が好きっていうわけでもなく、そろってなんぼみたいな感じだったので。ああ、でもBLだとちゃんと好きな人は決まるタイプですよ。カップリングもしっかり決めて、他に目移りはしない感じです』って答えたの」
雲英羽は一度目をつむり、昨日の悠乃の母親との会話を思い出す。
「それで、箱が何かを知らなかったらしいお義母さんに、丁寧に教えてあげたの。推しがいない代わりに全てコンプリートで集めないと気が済まないタイプですって。当然、お義母さんは知らなかったわけで、質問してきた。それに対しても丁寧に説明したの」
「うん、だんだん話が読めてきたよ」
悠乃の母親は、雲英羽の発言が、徐々に自分と考えが違うことを気付いた。やばい性癖だと、雲英羽を警戒し始めた。しかし、今の話の中では、まだ雲英羽を決定的に嫌う要素がまだ出てきていない。
「でも、私だって特にその手の用語に詳しくないわけでしょ。だから、簡単に好きなアイドルグループのだれか一人を好きなのではなく、全部が好きだということですとだけ伝えたら、話を相撲の話に戻してきて、お義母さんは『好きな力士が一人くらいいるでしょ。誰なの?』と質問されて」
雲英羽はここでいったん言葉を切る。そして、一気にその時に発した自分の言葉を悠乃の前で再現する。
「『いえ、私は相撲自体は嫌いです。実は興味もありません。むしろ、デブがあんな風にぶつかり合って、何が面白いのかわかりません。どうせなら、イケメン同士の夜の激しい運動の方が萌えますね。あれも裸のぶつかり合いですから。もちろん、二次元に限りますが、どうしても生身の、二次元ものは見れません』ということをズバッとお義母さんに言っちゃった!」
話し終えた雲英羽は、重荷が取れたように、なぜか晴れやかな顔をしていた。自分の旦那の親に嫌われたのに、なぜそんな表情ができるのだろうか。悠乃は呆れて何も言うことができなかった。
「もうこれはやばいなって思った時には遅くて。その時は、この話はまた後日しっかり話し合う必要があるって、お義母さんに言われただけ」
「なるほど、事情は分かった。」
悠乃は、雲英羽に先ほどかかってきた母親との電話の内容を話した。雲英羽が怒るかもしれないと思っていたが、雲英羽は特に表情を変えず、自分の考えを口にした。
「私は悠乃君と結婚出来て良かったと思ってるし、喜咲も陽咲も大好きだから、離婚はしたくない。悠乃君も私のことを好きだと思っているけど、お義母さんの方が大事?家のことを継ぎたいの?私はどっちも嫌だね。人の趣味一つ知っただけで目の色変える奴とは、ごめんこうむりたい」
「もちろん、僕も雲英羽さんとの離婚は考えていないよ。喜咲も陽咲も大事な娘だ。だから、母親の言うことは聞かないし、家も継ぐ気はない」
「私と実家どっちを大切にする?」
「雲英羽さん!」
「うむ、よろしい。では、今日はもう遅いので、寝ることにしよう」
なんとも軽いノリで、雲英羽は寝室に行ってしまった。残された悠乃は雲英羽の態度に、自分の母親のことを考えるのを放棄した。自分の人生、自分の好きなように生きていけばいいだけのことだ。悠乃も雲英羽のように素直に生きていこうと決めたのだった。
「ということがあったのよ。だから、私と悠乃君のお義母さんとは絶縁関係になっているの」
「絶縁と言っても、話くらいはしてるよね。それに実家にも顔を出してくれるし、雲英羽さんは偉いね」
話を聞き終えた私はため息を吐く。陽咲も呆れてものが言えないようだった。
「どこまでも無神経な親だったわけね。まあ、今もその無神経さは健在だけど」
「別にそれはそれでいいんじゃない?だって、もし、そこでお母さんが離婚を認めていたら、私たち今頃、実家だったかもよ」
「それは嫌」
「そうなると、私はあなたたちのための役に立ったということね」
「別に役には立っていない。で、今年はどうするの」
「そうねえ。悠乃君は実家に帰るみたいだけど、私は家で留守番していようかしら」
「僕としては、どっちでもいいよ」
そんな話をしながら、私の夏休みは着々と過ぎていくのであった。




