3周囲の人々①~幼馴染の母親~
汐留家の隣の家に住む海藤一家は、汐留一家のことを変な家族だと認識していた。海藤家の妻である美津子は、汐留一家との出会いを思い出す。
海藤家が住んでいる地域は住宅街で、ちょうど家が建築ラッシュを迎えていた。海藤家の家が建ち、五年ほどが経った頃、隣に一軒の家が建ち始めた。
「誰がやってくるのかしら」
「そうだね。息子と同じくらいの子供がいるといいね」
そんな会話を夫としていると、隣の汐留家が挨拶にやってきた。礼儀正しそうな上品な夫婦だった。袋に入った菓子折りを渡され、今後もよろしくお願いしますと頭を下げられた。夫婦の後ろには、小さな子供が二人、きょろきょろと不安そうに視線をさまよわせていた。
「ああ、彼女たちは、私たちの双子の娘で、喜咲と陽咲です。ほら、二人とも挨拶しなさい」
『はあい』
二人は素直に、海藤夫婦に挨拶した。
「しおどめきさき、5さいです。よろしくおねがいします」
「しおどめひさきです。よろしく」
子供らしい、つたない言葉で挨拶された海藤夫婦は、息子の存在を思い出す。家の中にいた息子を呼びだして挨拶させる。むすっとした顔で姿を現した息子を見ても。汐留夫婦は嫌な顔をせず、ニコニコとほほ笑んでいた。
「かいどうあらた。6さいだ」
なんとか自分の名前と年齢をしゃべった息子は、美津子の背中に隠れ、汐留夫婦と娘たちの様子を観察していた。
それが初めての出会いだった。この時は、普通の夫婦だなと思っていたが、その印象は徐々に崩れていくことになった。
汐留家の娘と自分たちの息子は同い年だと判明した。幼稚園で息子と同じクラスだったので、よく覚えている。そして、よく似ているなと思っていたら、どうやら一卵性の双子だったようだ。同じ幼稚園に通うもの同士、顔を合わせることが多くなった。
挨拶しに来た時は、気にならなかったが、どうやら、母親の方はあまり社交的な性格ではないらしい。授業参観の時は、他の幼稚園のママたちと距離を置いて、自分の子供たちの発表に目を向けていた。ママたちとの交流をしなくても平気な性格らしい。自分の子供たちの発表が終わり、授業参観が終わると、そそくさと帰ろうとしていた。
「ねえ、あなたは、子供たちのママと交流はしないのかしら?」
それは無意識の行動だった。美津子は何となく、汐留家の奥さんに声をかけてしまった。声をかけると、まさか自分に声を掛けられると思っていなかった彼女は目を丸くして、呆然としていた。そこまで声を掛けられると思っていなかったとは驚きだった。
「ええと、それは、私が他のママたちと交流していないことを心配して声をかけてきたということですか?」
「そうね。今時、他のママたちとの仲を深めて、子供たちを見守っていく人も多いでしょう。そのために、ママたちと積極的に交流するのが通常でしょう。なんだかそれをしない汐留さんのことが気になって」
美津子の言葉に、彼女は少し考えるそぶりを見せた。そして、にっこり笑うと、とんでもないことを言いだした。
「だって、そんなことする意味はないでしょう」
にっこりと断言された言葉に何も言えなくなってしまう。美津子はそんなことを考えたことがなかった。子供のために、ママたちとの仲を深めて、自分の息子を孤立させないようにしようとしていた。それが意味のないことと言われてしまった。
「ああ、これは私の意見であり、あなたの意見は別で構いませんよ。それに、私はどうにも女同士の中に溶け込めないんですよね。そうだなあ。趣味が合わないと言いますか。私の性格上の問題があるからかな」
「趣味、性格、ですか。それだけで交流をしないというんですか?子供たちのことを思えば」
「子供たちには、私たち大人の思惑に問わられて欲しくはありません。自由に生きて欲しいんですよ。それでは、私はこれで、失礼します。そうそう、あまり私と関わっていると、あなたも白い目で見られますよ。ママ友が大事なあなたなら、わかるでしょう」
そう言って、汐留さんは颯爽と帰っていこうとしたが、途中で子供たちを忘れていたことに気付き、迎えに戻ってきた。
「ままあ」
「お母さん」
娘二人が子供に抱き着いていた。娘たちには嫌われていないようなので、なぜか美津子は安堵した。汐留家の奥さんと出会って二回目。印象ががらりと変わった。
「お母さんなんて、大嫌い!」
いつものように、息子を幼稚園まで送り届けるために、美津子が息子と一緒に家を出たときのことだった。玄関を出た瞬間に、子供特有の甲高い声が聞こえてきた。何事かと思い、周りを見渡すと、声の出どころは隣の家の娘の一人からだった。
「嫌いでもいいから、幼稚園に行きましょう。ねえ、悠乃さんからも言ってやって頂戴!」
「喜咲、どうしたんだい。いつもは、お母さんと仲良く幼稚園にいくだろう。どうして今日は一緒に行きたくないんだい?」
今日はどうやら、両親そろって娘たちを送る日のようだ。それにしても、と美津子は疑問に思う。昨日までは仲良く親子ともに幼稚園に行っていたはずだ。とはいえ、他人の家に干渉するものよくない。美津子は息子を連れて、彼らより先に幼稚園に向かうことにした。息子も隣の家の娘たちの様子が気になるのか、ちらちらと様子を見ていた。しかし、他人の家のことを気にしている時間はない。美津子は、息子に気にしないことよ、と注意した。すると、息子はおとなしく前をむいて歩き始めた。
何が原因で嫌いになったのかはいまだにわかっていないが、それ以来、どうも、汐留家の親子は仲がぎくしゃくし始めた。なんとなく、彼らの会話や行動がぎくしゃくしているように感じた。家庭崩壊とまでとはいかないが、それでも前とは違う関係性になっていると美津子は感じていた。
長らく原因がわからなかったが、最近ようやく、何が家族の仲をぎくしゃくさせているのかわかった。たまたま、汐留家の両親が買い物から帰ってくるところを目撃して、会話を盗み聞きしてしまったことで、判明した。
「ああ、今日は大量だったわね。やっぱりアニメグッズ専門店はちがうわあ」
「そうだね。特にBLの新刊があれだけあると、心が躍るよね」
「そうそう。ああ、早く娘たちと一緒に、BLの魅力を存分に語り合いたいわ。男同士の恋愛のすばらしさを伝えられる日が来るのが楽しみね」
「なかなか難しそうな夢だけどね。雲英羽さん、ちょっとは反省した方がいいと思うよ。あの事件以来、娘たちが僕たちと距離を置き始めているのはわかっているでしょう?」
あの事件とはいったい何を指しているのだろうか。興味本位でつい、聞き耳を立ててしまった美津子は悪くない。車を駐車場に停めて、車から出てきた二人が話している内容を物陰からこっそりと聞いていた。当然、彼女たちは物陰に隠れた美津子の存在に気づいていない。
「ええ、あれは確かに私が悪いけど、どうせ早かれ遅かれ、私たちの趣味は娘たちに話すつもりだったし、話さなくても、きっとばれていたと思うから仕方ないわ。あれはトラウマレベルだっていうことはさすがに反省してるけど。まさかちょうど、娘たちが見たページが、濡れ場の最中で、男同士のエロの最高潮の場面とは思わないでしょう。普通」
子供たちの前では、もっとライトなものを読んでおけばよかった。
美津子はこれ以上話を聞きたくなくて、その場をこっそりと離れ、汐留家にばれないように自分の家の中に入った。
これは大変なことを聞いてしまった。テレビやネットで聞いたことがあるが、実際にそんな趣味の人と関わったのは初めてだった。まさか、彼らみたいな人畜無害そうな、おとなしそうな人間があんな趣味を持っているとは驚きだった。
美津子は、彼らの趣味であるBLについては、世間で話題になっている程度にしかわからなかった。しかし、要は男同士の恋愛ものが好きということだろうということは、会話から察することはできた。そんな趣味を持っている人が近くにいることに、美津子は背筋が凍る思いだった。いくら、世間で認知されてきたとはいえ、そんな普通では思いつかないような、変な趣味の人が隣だと思うと、気味が悪い。
「荒太、隣の汐留さん家の子供たちと仲がいいみたいだけど、これからは接触を控えた方がいいわ。彼女たちはかわいいし、頭もいいし、いい子みたいだけど、ダメ。あなたの将来に関する大事なことだから、よく覚えておくのよ」
汐留家の彼女たちの内、どちらかは将来、息子の荒太と……。そんなことを考えていた美津子だが、両親の異常性に気付いてしまった今、それは絶対に来てほしくない未来となった。
海藤家の隣に住んでいる汐留一家は変人の集まりだ。両親が変なことはわかったが、おそらく、その娘たちも遺伝で可笑しなことになるだろう。美津子は、なるべく関わらないようにしていこうと決意した。そして、それは息子が高校生になった今でも続いている。家族にもよく言い含めていて、今や、我が家のおきてみたいなものにまでなっていた。
 




