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「キース、結婚が決まったわよ」
帰宅早々馬車止めで鉢合わせた我が母上は、僕の顔を見るなりそう言った。
突然の呼び出しをくらった僕に付き合わされ、朝食前に駆り出されたご機嫌斜めの相棒ロックはブブルと不満げに鼻を鳴らしている。
僕は宥めるように首をポンポンと二回叩いてから地上に降りた。
「ええと、結婚ですか。それはおめでたいですね」
両親がいるのはいい。
でも、今の時期領地にいるはずの兄夫婦まで揃って出迎えられて何が始まるんだと身構えた。
慶事の報告にそれ関係の行事かとホッと緊張を解く。
でも家族総出で何かするような近い血縁で、結婚するような年回りの人はいたかなと首を傾げる。
「それで、どなたが結婚するんです?」
「貴方よ」
「へえ……、えっ?」
「まったく、貴方はいつまでもぼんやりして。結婚相手くらい自分で見つけて来るくらいの気概があれば」
「そう言うな。そんなものあれば、逆に色々と面倒になっていただろうよ」
「そうですわね。この子ときたら無自覚に都合が良いから……」
衝撃にちょっと意識が明後日に飛んでいた僕だが、両親のあんまりなやりとりに腹を立てた。
特に母上は僕にいつも辛口なんだ。
「いくら母上でも失敬ですよ、僕だって面倒な立場にいる自覚くらいあります! ぼんやりしていたわけでは無いです!」
僕がちょっと強めに抗議すると、なぜか父や兄夫婦にまで哀れみの目で見られた。
「なんですか、兄上たちまで……」
「ともかく! キース、あなたは三ヶ月後に結婚ですからね。それに向けてしっかり準備なさい。詳しいことはロウィーにお聞きなさい。今から陛下にお許しを頂きに参ります」
「え? あ、はい。いってらっしゃい」
「何を惚けている。お前が結婚するんだぞ、お前が行かなくてどうする」
「さっさと支度してらっしゃい。私達は先に行ってあちらでの準備をしなければならないのでもう行きますけれど。陛下のお時間を頂くのですから遅刻は許されませんよ、必ず午後一番で登城しなさい」
言うだけ言って馬車に乗り込む両親をまだ混乱した頭で眺める。
結婚。
僕が結婚。
ええええ!?
「キース」
背後から掛けられた声に振り返ると、兄上が苦笑して肩をポンと叩いてくれた。
労いが心に沁みる!
そしてこれだけはとにかく聞かねばならない!
「あ、あの、兄上」
「時間がないから、また後でな。急げよ」
だが、無情にも兄夫婦も馬車に乗り込んでしまった。
結局僕は何も聞けずに家族を見送ることになった。
「……いや、あの。結局僕は誰と結婚するんですか……!?」
聞けなかった問いかけに当然答える人はおらず、ヒヒーンと小馬鹿にしたようなロックの嘶きが辺りに響いただけだった。ついでに髪をむしゃっと食べられた。
「ぼっちゃま、そろそろ登城なさいませんと」
爺やに声を掛けられて、僕は書類から目を上げる。
爺やは家宰としてうちに長年仕えてくれた人で、今は引退して僕の執事のようなことをやっている。
僕が物心ついた頃には既に白髪が優勢だったロウィー・ベレスは、僕にとっては最初から『爺や』で、爺やの方もぼっちゃま呼びが定着していた。
さすがに二十歳過ぎた男にぼっちゃまはどうかと思うけれど、今更キース様とか呼ばれてもなあと思うとなかなか言い出せない。僕の方も今更ロウィーなんて呼べる気がしない。
でも、結婚するならそれを機に変えてみるとかもいいかなあ。お嫁さんの前でぼっちゃま呼びは恥ずかしい。
「なあ、爺や」
「はい」
「普通は婚約期間て短くとも一年とかあるよね?」
「特別な事情がなければ婚約期間は一年以上というのが、一般的ではございますね」
「しかも相手のマリア嬢は十六だよ。いくら何でも性急過ぎないかな」
「その点については奥様に話を聞かれた方がよろしいかと存じます」
爺やに支度を整えてもらいながら、僕はさっき読んだ書類の内容を思い返していた。
一般的に家付き娘なんて格上から婿は選び放題だ。爵位の数が決まっているだけに、家を継げない次男以下が殺到する。だから割と早い段階で婚約者が決まっているのが普通だ。親族から男子を養子に迎えて跡取りにするより、格上の家と縁を繋いだほうが貴族家としては利益が大きいので、娘ばかり続けて生まれると息子に固執せずに娘に婿をと切り替えるのがうちの国では一般的だ。
逆に跡取り息子の場合はいい年になっても婚約者がいなかったりする。政治的な問題が絡んで婚約者が決まらないこともあるし、若いうちは婚約者なんかに縛られずに火遊びしたいというわがまま勢も一定数いるのだ。
もちろん度が過ぎれば条件の良い結婚相手はどんどん減って行くが、女性と違って男性の結婚適齢期はかなり幅が広いし、若い方の嫁候補は毎年デビュタントとして補充される。身持ちの悪い男でも、跡取り息子なら勿体無いほどの嫁がくる。
なんという理不尽。あいつら滅びれば良いのに。
特にユーグ!!
ユーグっていうのは、兄上の長男でうちの跡取りだ。
それで、僕の結婚相手であるマリア・デルフィーネだけど、跡取り娘なのに今まで婚約者がいなかったとかびっくりだ。デルフィーネ伯爵家は格としては良い方に入る。
僕はよく知らなかったけど、書類を読んだ限りだと歴史もあるし、文官として過去に大臣級の地位についた人物も何人か輩出している。現在の経済状態も良好で、婿入り先としてはめちゃくちゃ良い。ぶっちゃけ侯爵家のうちよりずっとお金持ちだ。
だというのに、婚約者が今までいたことがないってことは……
「きっと面倒な事情があるんだろうなぁ、僕みたいに」
「ぼっちゃま、面倒というのは悪いことばかりではございませんよ。手数がかかるということは、それだけ大切になる可能性を秘めているものでございます」
子供の頃から面倒掛けっぱなしな爺やにそんなことを言われると、どうにも面映ゆい。
「……爺やが言うなら、そうなんだろうね」
「はい。確かにぼっちゃまのお立場もなかなか面倒なものですが、そのような事情を物ともせず引き合わされたお嬢様です。それもまた運命の一種かと爺やは思いますよ」
最後に僕の頭からつま先まで確認して爺やは満足げに頷くと、一歩下がって一礼した。
「いってらっしゃいませ、ぼっちゃま」
「うん、行ってくる」