第29話 リングと魔王
「リンダ!おめでとう!」
金メダルを太い首にかけた彼女に、昔と変わらぬパタパタという足音で近づく小柄な人影。
「ミリアム先生……!」
記者会見では固かった顔が、ほころぶ。
「すごかった!でも今も興奮しすぎると叫んじゃうのね!」
「まあ……昔の名残というか……」
リンダの前でぴょんぴょんと飛び跳ねるミリアムから少し目を逸らして、彼女は破顔する。
過去、家庭の事情で荒れに荒れていたリンダを、兄がコーチをしているから、と無理やりこの競技に誘い入れたのがミリアム先生だった。
まるで昭和の熱血教師ドラマのようであり、彼女たちのドキュメンタリーはすでに何度も視聴者とテレビ屋を喜ばせていた。
「今じゃ、みんなあなたのことを『戦乙女』なんて呼んでるし、ジュリアンやトリスタン、シエナも大活躍だし、私のクラスは最高ね!」
もちろん全員素敵だけど!と今だ終わらぬ永遠の雌伏の時を過ごしている他のクラスメイトへの配慮も忘れない。
「……先生、全部先生のおかげです……!ありがとうございました……!」
「何言ってるの!あなたが頑張ったからでしょ!兄さんから試合直前の練習中にケガをしたって聞いてたから、心配してたの!でも大したことなかったみたいでよかった!」
「いえ……実は骨が折れてたんですけど……不思議なことが起こって……」
「不思議なこと?」
大きな瞳を見開くミリアム。
それは年齢に見合わない可愛らしさを備えていた。
「……一晩寝たら治ってたんです。おかげで金メダルを取れたんですけど……うれしいけど不思議というか……少しだけ不気味というか……」
一瞬だけ先生が固まった。
ほんの一瞬だけ。
「……きっと頑張ってるあなたに神様がご褒美をくれたのよ!」
右手で左肩を触りながら、先生は笑顔で言う。
リンダだけが知っている、何度か見た、ハイスクールの卒業式でも見たミリアムが優しい嘘をつくときの癖だ。
先生、何か知って……と問いかける前にミリアムの背後から誰かが近づいてきた。
絵にかいたような好青年だ。
「あ、オリバー!リンダ、紹介するわ。オリバー・フィンチ、私の婚約者よ!」
初めまして、金メダルおめでとう、と判で押したような笑顔で男は言った。
数か月後、この国では年間50万人以上が行方不明になっているのに、わざわざ行方不明者のニュースが流れた。
行方不明者は投資家ジュリアン・ヴァンス(25歳)、芸術家トリスタン・ヘイズ(25歳)、女優シエナ・ランカスター(25歳)、そして高校教師ミリアム・ハロウェイ(30歳)。
同い年の三人は同じ高校の同じクラスだった。
リンダも加えて四人の同高校、同クラスの有名人として語られる。
ミリアムはその担任。
煙のように痕跡も残さずに消えた。
さらに一年後、リンダは外国を訪れていた。
巨大な経済圏に属しているため、国として本来の限度額を超えた金を借り、国民の1割は公務員、脱税はスポーツとまで言われる、ある種の人間にとっては夢のような国であり、ある種の人間にとっては悪夢のような国だ。
どちらにしても現実とは思えない。
だが古代遺跡によって旅行先としてだけは魅力的な国だ。
リンダは朽ちかけながらも荘厳な神殿の女神像の前に跪く。
従来の彼女であれば絶対に信じなかったであろうばかりか、発言者の身が危険となるほどの迷信めいた助言にしたがって。
「軍神」の像の前に。
──
「もう下校時間よ!何やってるの!」
「確かに私が学生のころも似たようなのをやったことあるけど……えっ?私の願い?そうね……リンダが金メダル取ってくれたら嬉しいかも!」
「みんな大丈夫⁉……何よ……。代償は7年後……?ラッキー7とでも掛けてるつもり⁉ふざけないで!」
「あれは……悪い夢……そうに決まってる……あの子たちが成功してるのも努力が実を結んだだけ……リンダのケガだって……」
「ここは……?あなた達⁉」
「このゲームボードみたいのの上で動く駒が魔族の軍勢を示している?上級魔族を召喚できる?『勇者』を殺して、さらにこの世界を支配したらクリア?一体何を言っているの⁉」
「……確かに私は化学教師だけど……そんなことは許されない……!」
「なんとかバレずに『稀人』としてこの国の中枢に入りこめた……。ジュリアンは、他国が経済力と軍事力を笠に着て国王の娘を無理に嫁がせたことを憎んでいるのを利用すると言ってるけど……」
「今日……私の生徒ぐらいの歳の子が死んだ……。私のせいで……。銃のせいで……オリバー……私……どうしたら……」
──
「ようやく次の上級魔族を召喚できた!ジュリアン!早く動かしてよ!」
ヒステリックな声が豪奢な部屋に響き、部屋に相応しい豪華な装飾品を下品に震わせた。
「……言ってるだろ。焦るな。不確定な要素があるときは情報が第一なんだ。ロベルティナ姫や他の偵察部隊からの報告を待つんだ。投資だって……」
「もう待てない!私はさっさとこんなドライヤーもスマホもない未開の世界から帰りたいの!撮影だってあるのよ!」
言い訳にみせたジュリアンの自慢話が始まる前に、シエナが爆発する。
「まあいいじゃねえか。帰っても魔法がすっかりとけてるかもしれねえし。それよりも元の世界じゃあ絶対に許されねえ、この倫理観のねえ世界でしかできねえことを楽しんだらどうだ?」
ちょうど下半身に布を巻いただけのトリスタンが部屋に入り、言った。
「はあ⁉私にはちゃんと才能がある!あれはただチャンスを与えてくれただけよ!」
姦しい三人を諫めることもせず、ミリアムは小柄な身体をさらに縮めて座っていた。
再び部屋が震える。
今度は屋敷ごと。




