29缶目 世界
「オラァ ! 」
零の荒々しい叫びとともに振り下ろされた釘バットがゾンビの柔らかな頭にめり込むと共に電流がスパークする。
その結果、焼死体なのか腐乱死体なのかわからない代物ができあがった。
間に業務用と思しきカメラを担いだ小太りの男を挟んで、零の反対側にいる舞由はその能力「不可視の腕」によって黒い金属バットを振り回し、ゾンビの頭と胴体とを結合する首の力以上の暴力を彼らに加えて、その頭を吹き飛ばす。
後ろの湖山は数枚の何やら紋様の描かれた A 4 サイズの紙をその身体の前に盾のように浮かべており、それに触れたゾンビは勢いよく弾き飛ばされていた。
そして一行の先頭、まるで無双系ゲームの雑兵のようにゾンビを吹き飛ばしながら進む酉井の姿があった。
「……さすがに数が多いな。全部を倒す必要はないぞ ! 恐らくあの男の横にいる上位のゾンビを倒せば連鎖的に下位のゾンビは倒れるはずだ。攻撃よりも進むことを意識しろ ! 」
──エスカレーターを駆けあがらないでください、という注意書きを遵守してゾンビと仲良く二階に行く余裕のない一行は、エスカレーター式の一貫校に大金を積んで不正に入学したお子様方も驚くような勢いで駆け上る。
二階フロアに到達した一行と、恐らくはこの騒動の元凶であろう男との距離は少なくとも高度の上では同位置になった。
あとは水平距離にして 50 メートルほど先、吹き抜けの両端を繋ぐ空中廊下に、そいつはいる。
動き出そうとした酉井がピタリと動きを止めた。
「……赤ちゃん ? 」
その泣き声は、大量のゾンビのうめき声を懸命に掻き分けて、一行に届いた。
振り返ると進行方向とは逆、二階に並ぶ店舗の端、ブックストアの本棚の上。
そこから彼ら以外の唯一の生者の声が聞こえていた。
その背の高い本棚はゾンビの海に浮かぶ島のようであり、腐った腕の津波がそこから赤子をさらおうとうねっている。
「……まるで大型電気量販店の福袋に群がる外国人の転売屋だな」
酉井が呟く。
「そんなヘイトスピーチ認定されかねない例えはどうでもいいから ! なんとか助けないと ! 親は…… !? 」
動揺する零。
おそらくは今、本棚の上で泣き叫ぶ赤子をなんとかそこへ避難させたであろう親もその死者の波に加わっているのだ。
「……助けるぞ」
「待ってください ! ここから赤ちゃんの所へ行くより、元凶の方が近い ! それに……あそこまで行くのにどれだけ消耗するかわかりません ! ゾンビに何かの拍子で一度噛まれたら、それで我々は終わりなんですよ ! 」
湖山は浮かぶ紙を操作し、襲い掛かってくるゾンビをはね返しながら、叫ぶ。
「勇者様 ! 世界を救うためにはやむを得ない犠牲もあります ! 」
意外とノリやすいのか、陶酔したように舞由も言う。
────
「早く~赤ちゃんを助けに行かないと~ ! 」
間延びした口調でわからないが、心中はかなり焦っている詩が画面に向かって、届くわけもない声を発した。
「……いや、あのオッサンとお姉さんの言うことが正しい。あの赤ちゃんが乗ってる本棚は今にも倒れそうだし、あのゾンビの元凶を倒さないと……。もし逃がしたらここまで被害が広がるかもしれないんだぞ……」
夕夏は身震いしながら言った。
「そうかもしれないけど~もし夕夏ちゃんがこの赤ちゃんと同じ立場だったら、『私はいいから、世界を救ってください』って言える~ ? 」
のんびりした声で、詩が本質をついたことを聞く。
いつもとぼけたことを言うのに、時折鋭いことを言うのだ。
「そ、それは……仕方ないだろ……そう言うしか……自分一人のために大勢の人間が犠牲になるなんて……」
「そう~ ? でも私が勇者様だったら、ちゃんと夕夏ちゃんを助けて、世界も救うから安心してね~」
詩は夕夏に向き直って、いつもの笑顔を見せた。
「……言うだけなら簡単だ。実際には無理だろ……」
「そんなことないよ~。きっと今から勇者様もそうすると思うよ~」
ちょうど画面から「勇者」の声が聞こえてきた。
『──世界を救うため、か。それなら世界ってなんだ ? 』
『──それは……国とか……人類全体とか……』
思ってもみない「勇者」からの問いかけに、パンツスーツの女は歯切れ悪く答える。
『──世界はそんな概念的で抽象的なもんじゃない。世界はごく個人的で、具体的なもんだ。それぞれがそれぞれの世界を持っている。今、あの赤ちゃんの世界はどうだ ? 恐らく両親は死んでゾンビになり、他の大量のゾンビとともに自分を食い殺そうとしている。とんでもない理不尽な、地獄みたいな世界じゃねえか』
『──理不尽なのは誰だってそうです。みんな望んでもいないことで……世界を壊される……。でもそれは……我慢するしかないんです……』
『──自分で不運を乗り切れる力があるならいい。乗り越える精神があるならいい。だが、あの子はまだ何も持っていない。赤ん坊だ。俺達が酒を飲むことを認められているのは、大人だからだ。そして大人には責任が付きまとう。無力な赤ん坊を守ってやることなんて、その内の一つだ』
勇者はいつの間にか手にしていたストロング系缶酎ハイを一気に飲み下した。
『──俺は今から世界を救うために行動する。お前達の思う世界じゃない。あの子の世界をだ ! 』
画面の向こう側で、勇者の持つ剣が輝きを強めた。
一人の小さな世界を救うことを誓った「勇者」の言葉に呼応するかのように。




