18缶目 コードネーム「不審者」
ガラガラ、と音を立てて木製の桟に曇りガラスがはめられた引き戸が開く。
もちろん自動ではない。
いらっしゃい、とカウンターだけの奥に細長い店の主が入って来た二人に愛想よく声をかけた。
古びてはいるが清潔な店内にはすでに数人の客が昼から一杯やっている、いわゆる昼呑みもできる居酒屋だ。
酉井はカウンター席の真ん中あたりに座り、零もその隣に座る。
──とりあえず生ビール二つ、と熱々のおしぼりを受け取りながら酉井が言った。
「……ストロング系缶酎ハイ以外も飲むんだね」。
「まあな」。
苦笑する酉井と、零の前に小さな小鉢に入ったお通しが置かれ、すぐにビールも来た。
ジョッキは黄金色の液体とその上のきめ細やかな白い泡で満たされており、しばらく歩いてきた零は、自分の喉が鳴った音を聞いて少しだけ頬を染めた。
酉井は冷えたビールを一口飲んでから、手書きのメニューを見て色々と注文しだす。
零はそんな彼を横目で見ながら、小口切りにされたオクラに鰹節がのったお通しに箸を伸ばしていた。
休日だからか、プロ野球のデーゲームが放送されている薄型のテレビだけが今が現代であることを主張する以外は、懐古の情が湧いてくるような風景。
酉井達以外の客は中年以上の男性の一人客が数人、カウンターに空席を挟みながら座り、キープした焼酎のボトルや日本酒の一升瓶となるべく長く付き合えるようにゆっくりと飲みながら、野球を見ていた。
(こんな休日の家に居場所がないオッサンどもの避難所に情報なんてあんの ? )。
二十歳になったばかりの彼女は圧倒的アウエーな雰囲気に呑まれていたが、ようやく本来の目的を思い出し、酉井の前に刺身の盛り合わせを置いたばかりの店主に捜査を開始する。
「ねえ大将、最近なんか変わったことなかった ? 」。
染めた金髪が伸びて頭のてっぺんだけが黒髪になっている「プリン頭」でピンク色のスエットを着た細い眉と不自然にふさふさとした睫毛で自分の店の客層とまるで違う若い女がおかしなことを尋ねてくる以上に変わったことは何かあっただろうか、と店主は一瞬悩むが、毎日酔っ払いの相手をしている彼にとってはそれほど難しい問題ではなかった。
「そうだなあ。最近かみさんの帰りが遅いんだよ。それに服もなんだか若い女が着るようなのを着だしたり……下着も蝶々にヒモがついたようなのを履いて……」。
五十台と思しき店主は腕組みをしながら答える。
「大将 ! そりゃ浮気されてんだよ ! 」。
「仲のいい夫婦だったけど、とうとう大将もこっち側に来るか ! 」。
そんな二人のやり取りを聞いていた客どもはおもしろがって騒ぎ立て、そんなわけあるか、と店主が大笑いして調理へと戻っていく。
「……私のせいなのはわかってるけど……何、この茶番は…… ? 」。
零は隣でビールのおかわりを頼む酉井に言った。
「……一応言っておくが、ここはただ昼食を食べるために来ただけだからな」。
「先に言えよ ! 」。
激昂した零はジョッキを一気に空けた。
「さて食べ終わったし、行くぞ」。
会計を済ませた酉井は零を促して外へ出る。
「……どこに行くんだよ ? 」。
「チャイルドレスパークだ。そこに『不審者』がいる」。
そう言って酉井は歩きだす。
「何それ ? なんかのコードネーム ? 」。
ようやく始まった捜査に再び彼女のテンションは高くなった。
「まあ行けばわかるさ」。
そんな彼女を微笑ましく思ったのか、酉井は口角を上げたまま歩き出す。
裏道を何度も曲がって二人が辿り着いたのは、何の変哲もない公園だった。
地方特有の住宅街になんの脈絡もなく存在する広い公園だ。
だがそこに足りないものがあった。
子どもだ。
休日の昼下がり、季節的に暑さの心配もそれほどない、そんな好条件の公園に子どもの姿がなかった。
その原因は明らかだった。
ベンチに座る不審者だ。
小太りでボサボサに伸びた髪と髭。
襟がダルダルに伸びて黄ばんだTシャツ。
製品として最初からダメージを与えている偽物とは違う、本物のボロボロになったデニムパンツ。
そして極めつけは、手にした明るい公園に似つかわしくないストロング系缶酎ハイだ。
酉井はその男に躊躇なく近づいていく。
カバンから彼もストロング系缶酎ハイを取り出しながら。
「「ハッピーストロング ! 」」。
二つの缶が小気味の良い音を立ててぶつかった。
「……コードネームでもなんでもねえ……。ガチモンの不審者じゃねえか……」。
零の呟きが二人に届く前に、彼らは缶を傾け、まどろみの世界の住人となる。