知識をください
友人がいる。
私がいる。
お菓子がある。
生きている。
これはどんなに素晴らしいの事かと、本来の私はただの一度でも考えたのだろうか。
思い出を共有できる友達がいるというのは前回が初めてだったが、とても嬉しいものだった。
そこで初めて、本来の私が孤独そのものだったと知った。
私の知らない所で誰かが褒めたり、私の知らない所で誰か笑ったりするより、全てを見届けたいという欲が芽生えた。
死界の三日間が、私にどれほどの苦痛を味あわせたか。何が私を苦しめたのか。
あのひとは知っているだろうか。
───お菓子は私の生き甲斐だ。
私にとってお菓子はなくてはならないもの。
それは同時に、ルシ第一王女を続ける原動力となっている。
そして何もかもに、根本。前提がある。
《生きている》
だから私が成り立っている。
巻き戻り二回目の二日目。
予習・復習が習慣になっていた私に、朝は遅すぎた。
過度な勉強が不必要になって、昨日は早く眠った。
すると睡眠時間が余り、早く目が覚めた。外は暗いのに目が覚めてしまっている。
そんな今の状況は、恐らくこういった経緯だろう。
布団から顔を出して、遠くに見えるドレッサーに置かれた教科書を見つめる。
さて、この時間を何に使おうか。
《…睡眠!》
二度寝をしようと、再び布団に潜る。
「………」
だがしかし。
…なんでだろう、眠れない。
そんな時間が続き、そろそろ朝が来ないかと痺れを切らし始めた頃。
「おはようございます、ルシ王女様」
「ああ、おはよう」
「今日もお早いですね」
布団から顔を出して、窓から日光を浴びる。
やっと…朝が来た。
「本当はもっと早くに起きていたの」
ドレッサーの前へ移動し、伸びをする。
伸びを見届けてから後ろに立ったレイチェルが、髪を梳かす。
「これからもずっとこの調子の気がするわ」
「それならば、起きる時間を早めましょうか?」
「レイチェルが早くに起こしに来るってこと?」
「はい、そうです」
「んー…それなら二時間くらい早く来て頂戴」
「はい」
そうと決まれば、その二時間分や予習・復習に当てていた勉強時間を何に使おう。
《毒》
ああ、毒。
毒慣れをしておかないと、私はまた同じ事で死ぬ羽目になりそうだ。
となるとクレア一派に気付かれないように毒慣れ出来るよう、協力が必要だ。
そうしないと他のやり方で殺されてしまう。
毒に慣れる。だがその前に知識が私にはない。
すると自ずとレイチェルの力が必要だろう。
「ところで変な話をしてもいいかしら」
前回の巻き戻りで死因を明らかにして欲しいと言った時のように、レイチェルは困った顔をした。
変わらない事もあるのかと思うと、なんだかほっとした。
「どうぞ」
「あのね。レイチェルは、人を死に至らしめる毒を知っている?」
「は、はい?」
私が殺すとでも思ったのだろうか。
とても驚いている。そして後ずさった。
これは大変だ、弁解しなくては。
「いやあのね、体を毒に慣れさせておくべきだと思っただけよ」
「ああなるほど」
これだけの説明で納得するレイチェルにも驚いたが、協力してくれるのなら何も言わないでおこう。
「それでなんだけど…」
「あのルシ王女様。私、毒はよくわからないんですが、女官長様なら教えてくださると思います」
「女官長か…」
私は言葉を濁す。
元から女官長の事は考えていた。
そして、それは避けようとしていた。
なぜなら女官長なら、すぐに行動を起こすという事が出来ないからだ。きっとそれまでの数週間は暇で暇で仕方がないだろう。
アーモンド先生の授業。続いてマリアンヌ先生の授業が終わり、自由時間ができた。
《あー暇だ》
私はいつの間にか、何かをしていないと気が済まなくなっていたようだ。
「レイチェル、明日は何かある?」
「えっと、午前にアーモンド先生がいらっしゃいます」
「なら明日は早くに準備して、中庭に行かない?」
「中庭、ですか?」
この頃から中庭計画は進んでいたのだろうか。レイチェルはとても嬉しそうに答える。
「ええ。沢山のお菓子を持って行きましょう」
「本も持って行きませんか?」
「ええ」
丁度あの物語を読み返したかった所だ。
そうして日が傾き始めた頃、女官長の所へ行く。
「女官長、いる?」
「おりますよ」
女官長が扉を開ける。
女官長の部屋は本が多くある。
そこで気付く。後から思えばようやく。
《書庫の本になら、毒についてもきっと》
「チョコレートクッキーをもらいに来たわ」
「毎日渡すのですか?私、てっきり毎週なのだと思って、ルイナルに届けさせようと思っていおりました」
「もちろん毎日よ。だって美味しいもの。それに自分で取りに来た方が運動になるでしょう」
「それはいい心がけです、ルシ王女様」
「ルイナルですか、懐かしいですね。やはり女官長様の所に来ると、思い出だらけです」
こう言われるとルイナルについても気になるが、まずは本題。
仲間になって欲しいという考えが信頼の意味で伝わるかは別として、なるべく真面目な面持ちで口を開く。
「そこでなんだけど女官長。毒に体を慣れさせるには、後々どうすればいいかしら?」
「毒慣れですか…。高貴な方には後々必要になるかもしれませんね」
女官長は落ち込んだように床を見る。
ピカピカに磨かれた床が、神々しくその気持ちを跳ね返すようで、女官長が顔を上げる。
「いいでしょう。多少の危険はありますが、お手伝いします」
「危険、とは?」
「ええ。…いろんな意味で。ですがルシ王女様は毒慣れに関しては、大丈夫です。私の同期は素晴らしい腕を持っていますからね」
「まさか、カラロイズ様⁉︎」
「…カラロイズ…?」
どこかで聞いた事がある。確か、薬草の研究をしている医師で…。他は覚えていない。
「ルシ王女様!カラロイズ様は、先代の国王陛下の御病気を治した伝説の医者ですよ!」
「レイチェル、そう熱くならないで。腕は確かだけど、当時の医者が駄目だっただけよ。まあそのせいで、先代の国王陛下はお亡くなりになったけどね」
「はい、カラロイズ様が修行の長旅に出た直後でしたね。カラロイズ様はすぐにお帰りになりました。でもカラロイズ様は、本当にすごいですよ。伝説よりも」
先王の話なら聞いた事がある。
先王の死は、国王専属の医師が変わった直後で、二人の医師の治療法の違いから体に無理がたたり、持病が悪化したと聞いている。
そしてこの事件が起きたのは私がお母様のお腹にいる時、と微妙な時期なので、今まで他殺の線では考えられていない。
「とまあ、…それが原因で役職を降りてひとり旅に出たカラロイズが、帰ってきたというわけです。つまり、」
「つまり?」
「つまり彼は大きな責任を持たず、王宮に舞い戻ったというのが重要です。彼はルシ王女様の側にも立てるのです」
「ああ、派閥ね」
私の軽い発言に二人はあらかさまに驚く。
しまったと思ったがこの案件は何も知らない、本来のルシ王女にとっても、比較的わかりやすい部類に入るだろう。
「たっ確かに派閥は大げさよね。…なんにしろ、カラロイズなら私と行動しても、まだ動きやすい方だって言いたいんでしょう」
「え、ええ」
二人は顔を見合わせ、まだ驚いている。
《ん?ああそうか》
女官長の反応とレイチェルの反応の意図に気づく。
私は三度目で、ここに来てまだ二日目。
彼女達からすると、おとといの私とは全く違う人間を目にしているわけだ。
だがこれは仕方がない事だろう。一年分の歳を取っているのだ。変わらないという方がおかしい。
そう自分を納得させてみるが、状況は変わらない。
そこでとりあえず、話をずらす事に専念する。
「それで、カラロイズはどこに?」
「薬剤師の上級者として、指導をしていると思います」
「ありがとう、女官長。それでは早速」
歩き出そうとする私を、女官長は止める。
「彼にも、他の者達にも仕事はありますし。その、突然ルシ王女様が向かうというのは、なんというか…」
女官長は言葉を濁す。
そして彼女の言う事は正しい。
「そうね。次の機会にするわ」
「はい。では私は、予定の調整を致します」
「よろしく」
「お願いします、女官長様」
女官長の部屋を出ると、もう既に夜。
本来のおとといなら、すっかり寝ている時間だ。
「おやすみなさい、ルシ王女様」
綺麗に直されたベッドまで私を送り、レイチェルは部屋を出る。
眠るなんて無理だと思いつつ、真っ暗な部屋で横になる。
だが、案の定。
《眠れない》
そっとベッドから起き上がり、ドレッサーから教科書を出す。
机の前で一つだけ灯りをつけ、部屋で教科書を読み返す。
字を追うのは早くなっているし、何度と読んだ教科書はとてもつまらない。
だが、この行動自体がとてつもなく懐かしい。
「ふぁ、ぁ…」
十数ページ読み終わった頃、やっと眠気が起きた。
目が覚めないように再びベッドへ戻り、しばしばしてきた目を閉じる。
数秒して目を強くつむる。
これまで穏やかだった胸の奥が、ほんの少しだけ動いた。
《クレアに…勝てる?》
ちょっとした期待。
前回の自分の行いを褒めるような、可能性。
胸が踊ったわけではない。それを無理に抑えた訳でもない。
この気持ちは脳裏に少し浮かんで、まもなく沈んだだけだ。
今の私の目標は違うと、分かっている。
《生きる》
つまり
《天寿を全うする》
そして
《仲間を守る》
それだけ。
たったこれだけ。
でも、これが目標。
これ以上を望んではいけない。
勝つ為ではなく、守る為に力をつけるのだ。
未熟な欲にたった二十回の機会を、簡単に失うわけにはいかないのだ。私はそれを知っている。
「おやすみ」
誰が聞くわけでもない空に、静かに呟いた。
小鳥が鳴いている。
「……シ王女様!」
寝返りをうった気がする。
「………ようございます!」
肩を揺すられた気がする。
「…う女様、朝でご……」
布団に潜った気がする。
「…ルシ王女様!」
布団から出て…。
「…はぁあ、おはよう」
目が覚めたはずだ。
「あくびをして、おはようではありません。早起きするのではないのですか?」
「えっ?」
確かにそんな話をしたような…?
「ああ、ごめんレイチェル。すっかり忘れていたわ」
「ルシ王女様っ」
「さてと、何をしようかしら?」
癖か、つい教科書を見てしまう。
そして思い出す。寝坊は昨日の夜更かしのせいだと。
《…本…》
「ん?」
「はいっ?どうしました?」
「書庫よ、レイチェル!」
「はいっ?王宮図書館の事ですか?」
「そうよ!」
閃きというか、思いつきというか。
なんにしろ私はこの時間を、王宮内の書庫で潰す事にした。
注意
文中に[図書館]と[書庫]という言葉が出てきますが、次話でも説明する通り、[王宮の書庫]が[王宮図書館]と呼ばれているだけです。